• 25 Nov
    • 祖父のアメリカ旅行と遠藤幸吉 5

      遠藤幸吉は現役生活を1966年に終えている。力道山が世を去った後の1963年からは、吉村道明、豊登、芳の里とともに日本プロレスの経営を担った。しかし芳の里と並んで、腐敗した経営陣の一角として追及を受けた。やがて日本プロレスは崩壊。その後はアントニオ猪木率いる新日本プロレスのプロモーターとして活動した。日本プロレス・新日本プロレスの中継においては1970年代中期まで解説者をつとめた。解説者としては、「雌雄を決する」を「オスメスを決する」と発言するなど、いわゆる「迷解説者」としての逸話が多い。猪木VSドリー・ファンク・ジュニア戦での「バランスがオフになる」はプロレス実況史上有数の意味不明発言として伝説になっている。http://www.youtube.com/watch?v=06MirKtVh9k 迷解説は、山形出身だから仕方ない、と大目に見られた。ミスター珍は、「遠藤は肉料理の脂身が好物で、他人の残した脂身も食べていた」と証言している。そのせいか、解説者時代にはとてもドロップキックの名手だったとは思えない肥満体になっていた。遠藤幸吉の得意技 ドロップキック 相手に技をかけられたときにあげる「いでででで」という実に痛そうな大声

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      テーマ:
  • 18 Nov
    • 祖父のアメリカ旅行と遠藤幸吉 4

      汽車に乗り込んだ力道山が窓から手を振ると、観衆の興奮は最高潮に達した。やがて発射時刻となり、列車はゆっくり動き始めた。ここに至って見送り衆たちは、祖父の見送りを忘れていたことにようやく気がついた。なかでも●●叔父は祖父の荷物を持っていたため、慌てた。その時、「●●!●●!」と呼ぶ祖父の大声が聞こえた。声の方を見ると、動き出した汽車の窓を全開にして叫ぶ祖父が見えた。●●叔父は窓から荷物を投げるように手渡した。列車が線路の果てに見えなくなった頃、万歳三唱をし忘れた■■■の社員たちは、真っ青な顔でホームに立ちつくした。幸い、飛行機は落ちることもなく、祖父は2週間後に無事帰国した。見送り衆たちと●●叔父には、アメリカ土産はなかったという。遠藤 幸吉  1926年3月4日生まれ。山形県東村山郡金井村(現・山形市)出身の、元柔道家(四段)、プロレスラー。 力道山と共に日本プロレスを創設した。柔道家木村政彦に憧れ、国際柔道協会(プロ柔道)に参戦したがこの団体が崩壊。1951年、来日したボビー・ブランズらとともにプロレスのトレーニングを積む。その輪の中に力道山がいた。同年11月22日、仙台市でハロルド坂田とエキシビション・マッチを行っていて、これが遠藤のデビュー戦とされる。1952年、「コウ東郷」を名乗り、大山倍達(マス東郷)とともにアメリカ遠征。現地でグレート東郷(カズ東郷)と合流し、「東郷3兄弟」として各地を転戦。この時期の遠藤が劇画「空手バカ一代」などに登場する。1953年に力道山が創設した日本プロレスに合流。披露パーティーでは力道山とエキシビション・マッチを行っている。その後は力道山のタッグ・パートナーとして活躍し、1954年8月には太平洋タッグ王座を獲得した。1956年にはシャープ兄弟を破り、世界タッグ選手権を獲得している。

      テーマ:
  • 11 Nov
  • 04 Nov

プロフィール

辰つぁん

お住まいの地域:
宮城県
自己紹介:
山形市生まれ。仙台市在住。 ダックスフント2匹を連れて毎日広瀬川遊歩道を散歩してます。

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