• 30 Jul
    • 地震日記 4月30日  危なかった東通原発1号機、女川も綱渡り 2

      ついでに、東海村に住む友人から来たメールを紹介します。 ・・・茨城県東海村の原発も津波の被害を受けたことをご存じでしょうか? こちら地元でもほとんど報道されていませんでしたし、震災発生から数日後にNHKのローカル番組で流されたニュースしか私もメディアからは聞いておりません。「3.5mのフェンスを5mの津波が乗り越えてポンプが1台故障したが、原子炉は安全に停止した」、という内容です。 当然、その日の全国ニュースで取り上げられるものと思っていましたが、そのニュースは二度と出てはきませんでした。 報道統制がなされたのか、メディアが鈍感なのかわかりませんが、福島とは紙一重でセーフだったのではないか、と口コミで情報は伝わりました。 そんな昨日、新聞に日本原子力発電(株)の「東北地方太平洋沖地震発生後の東海第二発電所の状況についてお知らせいたします」という折り込みチラシが入ってきました。 チラシには 1.地震により原子炉が自動停止した。 2.外部からの電源を受電できなくなったが、非常用ディーゼル発電機3台が自動的に起動し、必要な電源を確保した。 3.緊急時に炉心を冷却する機器により原子炉の冷却を開始した。 4.津波の影響で海水ポンプエリアが冠水、1台の海水ポンプが停止(故障)したことに伴い、非常用ディーゼル発電機1台が停止したが、残り2台で原子炉の冷却に必要な電源を確保し、安全に原子炉の冷却を行った。(フェンスの高さが何メートルで何メートルの津波に襲われたのか、建屋の被害はどうだったのかについては言及なし。) 情報がないよりはマシですが、何で一月もたってから、こんな情報が発信されたのか、安全の見通しがつくのに今までかかったのか、口コミ情報の敷衍に危機感を持った日本原発が被害がわずかである事を強調したくて作ったのか、などと詮索してしまいます。ちなみに原発から10 km以上離れた所に住んでいる同僚達の家には「お知らせ」は届いてないようです。 我が家は東海村の北に位置し、11年前に臨界事故を起こしたJCOからも東海原発からも4-5kmの距離にありますので、今回の福島原発の事故も他人事とは思えませんし避難している人々の気持ちも良くわかります。 JCO事故の時も市の広報車が回ってきたのは事故発生後8時間も経ってからで、この種の事故で正確な情報が得られない事がいかに当事者に焦燥・不安を引き起こすかについて、原発関係者は鈍感なのではないでしょうか。 友人と今回の震災で東海原発も放射能漏れを起こしたら峠を越えて栃木方面に避難でしたね、ぞっとするね、と話しています。 ・・・日本人に原発管理は無理ということですね。 被災地の復興は順調だが、原発問題だけは日本の喉元に深く突き刺さり、血を流し続けている。 今日4月30日、沖縄では梅雨入りしたそうです。季節はどんどん進んで行きます。 私の時計は3月11日で止まったままだというのに。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 28 Jul
    • 地震日記 4月30日  危なかった東通原発1号機、女川も綱渡り 1

      「東京電力の福島原発に比べ、東北電力の女川原発は津波に耐えた。 そして女川原発の建物は住民の避難所にさえなっている。 さらに今後予想される東京の電力不足には、同じ50HZの東北電力の協力が不可欠」 と持ち上げられた。 すると当然株価は上がるはずだが、実際は連日下がる一方。 それは一つには、政府が電力各社に東京電力の賠償金を肩代わりさせようとしており、無配(過去1株当たり60円)に転落する恐れがある、ということがあるが、それだけではない。 4月7日の余震の際、東北電力東通原発で3台ある非常用ディーゼル発電機がすべて使えなくなっていたことが明らかになり、今後の安全運営に疑問符がついたせいでもある。 非常用発電機は3台もあったのになぜ? まず2台は定期点検中で使えなかった・・・(点検など、1台ずつやるのが常識だ!) 最後の1台を作動させたがこれが故障。 ・・・これで3台全滅。 最後の1台の故障は、燃料循環ポンプのゴム製パッキンが変形して破損したため。 破損の原因は、定期検査で分解した際、表裏を逆に取り付けていたためだという。 (Oh,No!) 嘘みたいな話だけど、ほんとです。信じられない方は元記事をご覧下さい↓ 毎日新聞 4月13日(水)11時34分配信  東北電力東通原発1号機(青森県)で、7日に最大震度6強を観測した東日本大震災の余震の影響で3台ある非常用ディーゼル発電機がすべて使えなくなった問題で、経済産業省原子力安全・保安院は9日、従来の方針を見直し、原発の外部電源喪失に備え常時2台以上の非常用ディーゼル発電機が作動できるよう、電力各社に保安規定の変更を指示した。  東通原発1号機は、定期点検のため原子炉が運転停止中で、炉内の温度が100度未満の「冷温停止」状態だった。7日午後11時32分の余震発生直後、停電の影響などで2系統あった外部からの送電が停止した。直後に非常用ディーゼル発電機1台が起動し、8日午前3時半には、外部電源1系統が復旧した。ところが同午後2時前、運転中の非常用ディーゼル発電機から軽油が漏れ出して故障。別の2台は定期検査中で使えなかったため、停電などで外部電源が遮断すると、原子炉などの冷却機能を維持するには、電源車に頼るしかない状態だった。故障の原因は、燃料循環ポンプのゴム製パッキンが変形して破損したのが原因。定期検査で分解した際、表裏逆に取り付けていたためだという。 各電力会社の現行の保安規定によると、運転中の原発には非常用ディーゼル発電機2台を、冷温停止中の原発には1台の確保がそれぞれ義務づけられている。今回の事態を受けて、保安院は冷温停止中であっても2台以上が作動可能となるよう、各社に規定変更を求めた。  7日深夜に発生した余震後、東北電力女川原発(宮城県)でも、2台の非常用ディーゼル発電機のうち1台が故障中だった。今後、再び大きな余震などが起き、外部電源が遮断された場合、非常用ディーゼル発電機の用意が十分でなければ原子炉などの冷却機能に支障を来し、原発内の全電源を喪失して深刻な事故につながった東京電力福島第1原発の二の舞いになる恐れがある。会見した保安院の西山英彦審議官は、1台作動できればよいとしてきた従来の対応について、「十分ではなかった」との認識を示した。 ・・・女川原発も綱渡りだった。(仙台も危なく「センダイ」になるところだった。) にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 26 Jul
    • 地震日記 53  ランドセル 2

      津波が来たのが陽のあるうちで良かった。 その日の月齢は6.6で、晴れていても暗い夜だった。 停電で、しかも夜だったら、沖に襲来する津波も見えず、逃げる方向も分からない。 闇の中からいきなり水の壁が現われる恐ろしさはどうだろう。 犠牲者は何倍に増えただろう。 映像で見た津波は、何匹もの黒い龍が暴れ、咆哮しているように見えた。 容赦ない凄まじい暴力に、神の怒りを感じ、震えた。 その怒りの理由は何だろう。 われわれが科学を弄び、力を過信し、我慾に走ったとでも言うのだろうか。 陽のある時間にしてくれたのは、せめてもの慈悲だったのか。 龍が通った海辺に立ち、凪いだ海に問う。 神の答えはいつも、永遠の沈黙である。 理由があるなら、龍は必ずまたやって来るだろう。 瓦礫の原の泥だらけのランドセルを見れば、その容赦のなさに身震いするほかはない。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 22 Jul
    • 地震日記 52  ランドセル 1

      あのとき これは大きい、と感じたが、すぐに終わるだろうと思った。 しかし揺れは収まるどころか上下方向から東西方向に変わり、次第に振幅を増した。 左手でとっさにパソコンを、右手で本棚を押さえた。 電気が消え、悲鳴が響く。 「地震が来たら、まず火を止めて、出口を確保する」 普段はやっているが、今度ばかりは一歩も足が出ない。 棚を押さえているというより、棚に掴まってようやく立っている。 頭の上を掛け時計が飛んで行った。 窓から見える電柱が右に左に、大きく揺れている。 耐震性は十分のはずのビルだが、壁の繋ぎ目がギシギシと音を立て、コンクリートの粉が落ちて来る。 本棚の突っ張り棒が外れ、窓が平行四辺形に歪んだ。 誰かが邪悪な意思をもって、このビルを引き倒そうとしている。 倒壊する、と思った。 震源はどこなのだろう。 子供たちは、犬たちは、どうしているか。 ガス栓は自動的に閉まるのだろうか。 生命保険の證券はどこにあったか。 書類も、写真も、ちゃんと整理しておけばよかった。 いろんな思いが通り過ぎる。 本棚と壁の物を落とすだけ落とすと、揺れは突然止まった。 誰かが、ああ止まった、と言ったが、まだ揺れているように思えた。 30分も経ったようだったが、後日の新聞に「揺れは7分」とあった。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 20 Jul
    • 地震日記 51  碁石温泉 2 

      ・・・・・ あたりが一瞬暗くなったと思ったら、いきなりバーンとガラスが割れで、黒い海水が2階まで入って来た。 爺ちゃんは全身びしょぬれになったげんと、水は奇跡的に首の高さまでで止まった。 引き波も凄かったが、必死で窓の柵にしがみついていた。 水が少し引いてから外さ出だら、激しく雪降ってだ。 もう陽は暮れていた。 地震が来てから3時間もたっていたんだな。 震えながらみんなで避難所まで歩いた。 避難所での夕食はポテトチップ1枚と紙コップに半分の水だった。 腹減ったのはともかく、着替えもながったから海水に濡れた服のまま、毛布1枚で一晩過ごした。 ストーブもなくて、明け方には寒くて歯ががちがち鳴ったど。 次の日から高熱出て、顔色が蒼白になったので、7日目にヘリで岩手医大さ運ばれだ。 おらだは医大で初めて爺ちゃんと会えだの。肺炎なってるって言われた。 点滴して肺炎は良ぐなって、話もできたげんとも、入院して5日目に脳出血起こして急に死んでしまった。 津波で血圧の薬流さっで、ずっと飲んでなかったせいなのんねがな。 爺ちゃんみだいなのは震災死に数えねんだど ・・・・・ 久しぶりにOさんに会い、元気でしたか、と聞いたら、Oさんは堰を切ったように話してくれた。 地震以来、こういう体験を聞くことが多くなった。 こういう思いは自分の胸にためておくより、誰かに聞いてもらうと楽になるのだろう。 どの人にも、海で生活してるんだから仕方ない、と津波を受容しているような達観を感じる。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 18 Jul
    • 地震日記 50  碁石温泉 1

      碁石温泉は、岩手県大船渡市、末崎半島の碁石海岸にある。 一帯は陸中海岸国立公園に属し、風景が美しい。 地元、大船渡市出身の新沼謙治のヒット曲『おもいで岬』の歌碑がある。 碁石海岸には名前の通り、碁石のような黒くて扁平な石がたくさんある。 ・・・・・ 3月に爺ちゃんの葬式出したのよ。 爺ちゃんは大船渡さ住んでだんだげんと、地震の日、碁石温泉さ行ってだんだ。 町内会で日帰り宴会だったんだど。 温泉さ入ってだら大っきな地震きたもんだがら、たまげで2階の部屋さ戻った。 慌てて帰る支度してだんだげんと、年寄りばっかりだがら、もたもたしてるうちに津波来てしまった ・・・・・ にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 15 Jul
    • 地震日記 49  女川 総集編

      3月某日、営業再開したパン屋の行列に並ぶとSさんがいた。 (地震は)大丈夫でしたか、と声をかけると、あまり大丈夫でもなかったです、とSさんは話し始めた。 行列は10m以上あり、店内に入れるまで20分はかかりそうだった。 女川に行って来ました。 女川には母がいます。 母一人、子一人なんです。 津波が女川の町を通り抜けたと聞いて、居ても立ってもいられませんでした。 でも多賀城から先、45号線がずっと通れなかったんです。 「Person Finder」で調べても、避難所の名簿に母の名前はありませんでした。 ようやく道路が開通したと聞き、車で行きました。 太平洋と万石浦に挟まれた町は、見渡す限り泥と瓦礫でした。 道路だけやっと瓦礫を除けてありました。 マリンパルなんかじゃなくて、防潮堤を造っておけばいくらか違ったでしょう。 町民運動場が遺体安置所になっていました。 ほんとは避難所を先に探すんでしょうけど、家はW神浜で、一番外洋に近いところですから、多分だめだと思っていました。 安置所では数え切れないほどの遺体が、泥だらけのマットに寝かされていました。 この世に地獄というものがあるなら、ここだと思いました。 自衛隊と消防が遺体を運んでいました。 自衛隊は地震の翌日、山越えして女川に入ったのだそうです。 遺体は泥にまみれているはずなのに、口の中まできれいにされていました 外のテントには検視の人と、遺体を整える人がいたようです。 携帯とか時計とか、身につけていた物はビニールの袋に入れてありました。 私は母を探して、何体もの遺体を見ました。 遺体を見るのは父が死んだ時以来です。 そんなにたくさん見るのは初めてだったので、辛かったです。 水に揉まれた身体は服が脱げて真っ白になり、膨らんでいます。 遺体には発見された日と場所が記され、見つかった順に番号が付けられていました。 番号を見ると、「人」が「物」になった気がします。 100体目くらいに来た時、とうとう母を見つけました。 記憶の母より若く見えましたが、ビニール袋に見慣れた指輪が入っていました。 父が贈ったものでしたが、まさかこんな風に役立つなんてね。 「丸正旅館脇の路上で発見。死因 溺水」と記載されていました。 丸正旅館は自宅から200mも離れたところにあります。 ご遺体をどうされますか、と警察の人に聞かれました。 こういう状況なので、遺族が引き取れない場合は墓標を立てて土葬し、後で掘り出して火葬しますとのことでした。 母を冷たい土の中に置いて帰れるわけがありません。 あとで掘り出す勇気なんてなおさらありません。 私は、連れて帰ります、と言いました。 茶色の毛布とブルーシートに包まれた母を、車の後席に乗せました。 警察官はドライアイスを多目に入れてくれました。 私はこれまで自衛隊も警察もあまり好きじゃなかったけど、彼らは職務に忠実でした。 私ならできない仕事を一生懸命やってくれました。 涙を拭きながら仕事をしている警察官もいました。 彼らは敬礼して、母と私を送ってくれました。 どこをどうやって帰ってきたのでしょう。 道路脇に瓦礫がなくなったと気付いたら、福田大橋でした。 仙台の市街はいつもと同じように平和そうで、女川とは別世界のように見えました。 自宅に着いて、県内の火葬場に電話しました。 電話が通じるところはどこも手いっぱいと断られました。 沿岸部の火葬場は壊滅したのか、電話すら通じません。 葬儀社に、順番が来るまで母を冷所に預かってもらえないかと聞いたら、保管料は1日5万円と言われました。 値段以上に、冷たい言い方だったので、諦めました。 山形県の火葬場に電話してみました。 山形、天童、新庄、とかけて断られました。 岩手、宮城からどんどん依頼が入っているのだということです。 しかし酒田の火葬場がようやく引き受けてくれました。 「ご愁傷さまです。わたくしどもで火葬させていただきます。 何時になっても構いませんから、気をつけておいで下さい」 私は久々の温かい言葉に泣きました。 48号線はところどころで土砂が崩れ、アスファルトが盛り上がっていたけど、なんとか通れました。 13号線沿いの天童の市街は、全く被害がないようでした。 お母さん、そこは狭いでしょう、ワゴン車だったらよかったね、もっと早く仙台に呼べば良かったね。 酒田への長い道のり、私はずっと母に謝っていました。 見も知らない庄内の地で、母はお骨になりました。 軽くなった母を抱いたら、ようやく私に悲しみと呼べる感情が湧いてきました。 人間って突然いなくなるんですね、さよならも言わずに。 お骨は段ボールで作った仏壇に置いてあります。 3日泣いたら4日目には笑え、父が死んだ時、母は言いました。 でも4日で笑うなんて無理ですよ。 葬儀は桜の頃に、と思っています。 四十九日もその頃でしょうけど、今は先のことまで考えが回りません。 福島で流されて茨城で遺体が見つかったとか、行方不明の人を探して何百もの遺体を見てしまったとかの話を聞きました。 大切な人が海にいるか、田んぼの中にいるか分からないのでは、次に進むこともできません。 最初の安置所で母に会えた自分は、幸運だと思うようにしています。 長話でごめんなさい。 こんなときでも何だかパンが食べたくなって、ここに並んじゃったんです。 おかしいですよね。 話を聞いていたのだろう。 私の後ろに並んでいた女性が、急に嗚咽し始めた。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 13 Jul
    • 地震日記 48  東松島

      東松島市は仙台湾沿岸に位置している。 6年前の、いわゆる「平成の大合併」で、矢本町と鳴瀬町の合併によって誕生した。 隣の松島町は湾内に点在する多くの島々が防波堤となって、被害は少なかった。 松島町の死者はたった1人だった。 それに比べて東松島市は甚大な被害を出し、犠牲者は650人を超えた。 これまで「東松島」という名称はあまり認知されていなかったが、今度の大被害ですっかり有名になってしまった。 東松島市の大動脈は仙石線である。 市内に、陸前大塚駅、 東名駅、 野蒜駅、 陸前小野駅、 鹿妻駅、 矢本駅、 東矢本駅、 陸前赤井駅がある。 今回の津波では仙石線を境に、その海側で被害が大きかった。 今日、犬の散歩をしていたら、近所のOさんに会った。 Oさんちには子どもが二人いて、よくばあちゃんが子守に来ていた。 Oさんの実家は矢本で、そのばあちゃんは矢本に住んでいるのだ。 Oさんに、「実家はだいじょぶだったの?」と聞くと、 「実家は2年前に売って、ばあちゃんは大衡で私の兄貴と同居してるの」と言った。 私は、「それは売って正解だったね!」と喜んでみせたが、 Oさんは売った家がどうなったか心配で、矢本まで見に行ったのだそうだ。 そしたら、子どもの頃の懐かしい町並みは消えていて、住んでいた家も土台を残して流失していた。 あの時売って良かった、という思いより、買った人に申し訳ないという気持ちが先に立つ、と言っていた。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 11 Jul
    • 地震日記 47  東名浜

      東名浜のSK先輩は、家族とともに帰らぬ人となった。 釣りが好きで、仙台から東名浜に引っ越し、海の見える場所に仕事場を兼ねた家を建てた。 朝は渚で犬を放す。 夜はウッドデッキで潮風に吹かれ、ワインを開ける。 休みの日はもちろん釣りだ。 そのうち船を買うぞ、遊びに来い、と笑っていた。 理想のリゾート生活に思えた。 東名浜は家族で潮干狩りに行ったことがある。 あの穏やかな海面が10mも盛り上がり、牙を剥いて襲いかかったとはとても信じられない。 SK先輩のお姉さんは塩釜で被災した。 地震の4日後、なんと避難所でインタビューされているところがテレビに映った。 家の1階部分が浸水したが、たいしたことない、と気丈に話していた。 SK先輩が亡なくなったことを、その時知っておられたのだろうか。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 08 Jul
    • 地震日記 46  田村市

      福島県田村市扇田は原発から35㎞という微妙な距離にある。 ここに住むY君はかかりつけの医院で、「先生、こごらへんは放射能だいじょぶなのがい?」と聞いた。 主治医は、「この辺は全然問題ねえ。危ないど思ったら俺が一番に逃げっから、俺がいる間は安心してろ」、と笑っていた。 ところが先週、薬をもらいに行ったら、医院は閉まっており、「当分休診します」と張り紙があったそうだ。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 06 Jul
    • 地震日記 45  七ヶ浜

      七ヶ浜は避暑地であり、菖蒲田浜という海水浴場もある。 Cさんは、3月の初めに七ヶ浜に引っ越したばかりだった。 念願の新居が完成したのだ。 近くの保育園に6歳の長女と、3歳の次女を預けて、卸町に仕事に来ていた。 地震に驚き、子供を迎えに行こうと45号線を急いだ。 対向車線には車が溢れ、誰もが西(陸)を目指していた。 東(海)に向かっているのは自分一人だった。 ラジオは大津波の襲来を告げている。 みんな海から逃げてきているのだと分かって、恐ろしかった。 前方から津波が押し寄せてくる幻影が見えた。 (実際、押し寄せてきていた。) 中野栄駅で警察官に東行きを止められ、心を残して引き返した。 その日は仙台の実家に泊ったが、子供らのことが心配で一睡もしなかった。 翌日保育園に行ってみると、子供たちが走って抱きついてきた。 保育士さんが園児らを高台に避難させてくれて、全員無事だったのだ。 あの時、無理して保育園に向かっていたら、津波と正面衝突したところだった。 新居は小高い場所にあったのが幸いし、あと5mのところで水は止まった。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 04 Jul
    • 地震日記 44  石巻

      石巻で産科医をしていた友人のN君は、お産の最中、地震に遭遇した。 慌てて居合わせた全員を3階に移動させたところへ、津波が襲来した。 ドーンという地響きとともに、2階の窓を破壊して、激流が通り抜けた。 3階の物置でようやくお産の続きを終えたが、すぐに夜が来た。 水も食料もトイレもない暗闇の中、スタッフと産婦、新生児、入院患者、見舞客ら30名とともに一晩を過ごすことになった。 翌朝、日が昇ると、あたり一面は海になっており、建物の3階だけが水面から顔を出していた。 事務員の一人が流れていたボートを棒で手繰り寄せ、それに乗って市役所に向かい、救助を要請した。 昼過ぎ、自衛隊のヘリで新生児、母親ともども、屋上から救出された。 石巻では津波が16kmも北上川を遡った。 建物が鉄筋でなかったら、3階建でなかったら、全員の命はなかった。 後日、彼はテレビで自分のビルが津波に襲われている映像を見て、過呼吸を起こしたという。 N君はクリニックを廃院にすると決めた。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 02 Jul
    • 地震日記 43  阿武隈川河口

      阿武隈川河口、U崎に住むW君の話である。 彼はいきなり押し寄せた津波に足を取られながら、命からがら堤防に避難した。 あっという間に水没した場所から、「助けてー」という声がたくさん聞こえて来た。 堤防に居合わせた数人で、川に漂っていたボートを引き寄せた。 火事場の馬鹿力でボートを堤防に担ぎ上げ、水没地区まで運んで救助を開始した。 水面は流木、漂流物ですっかり覆われている。 しかもあたりは次第に薄暗くなってきた。 ボートで数メートル進むのに1時間もかかるような状況だったが、彼らは休むことなく、妊婦を含む十数人を助け上げた。 気が付けば夜10時になっていたが、助けを求める声はまだ聞こえていた。 「お前ら、どごさいるんだ?」と声をかけたところ、「屋根の上だー」との返事だけになった。 「もう溺れる心配ないがら、朝までそごさいろ、俺たちも疲れた」と言って、堤防に大の字になった。 W君は、服がびしょ濡れになっていることに気づき、急に寒気がしてきた。 長い夜になった。 W君のような人たちがいる限り、日本はまだまだだいじょうぶだと思った。 にほんブログ村 にほんブログ村

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プロフィール

辰つぁん

お住まいの地域:
宮城県
自己紹介:
山形市生まれ。仙台市在住。 ダックスフント2匹を連れて毎日広瀬川遊歩道を散歩してます。

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