• 29 Jun
    • 地震日記 42  歌津

      歌津のT君はテニス仲間である。 地震の後、しばらく安否が不明だったので、仲間はずいぶん心配した。 3週間を過ぎた頃、Person Finder に 「Tです。生きています。避難所にいます」 と応答があった。 彼の話では、 職場は海に面していて、高台に向かって逃げる途中、津波に追いつかれた。 首まで水に浸かったが、たまたま近くを流れていた大きな流木に抱きついた。 波は次々とやってきて、黒い渦となって荒れ狂った。 流木と一緒に渦に巻かれ、歌津湾の中をぐるぐる回った。 瓦礫が自分に向かって押し寄せて来ても、流木にようやく抱きついている状態ではなす術もない。 身体のあちこちが血まみれになった。 ものすごい雪が降ってきて陸がどっちかも分らなくなった。 手の感覚もなくなり、もうだめかなと思ったが、行きつ戻りつしているうちに鉄筋のビルに打ち寄せられた。 必死でその屋上の柵につかまった。 やがて水位が下がり、九死に一生を得た。 命からがら避難所となっている中学校にたどり着き、避難民になった。 東京に住む弟があちこち行方を捜し、ついにT君のいる避難所を突き止め、迎えに来た。 その時撮った避難所の写真↓ 6月18日、T君は久しぶりにテニスに出てきた。 やつれているかと思ったが、日焼けして案外元気そうだった。 ただ手足のあちこちに傷跡があった。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 27 Jun
    • 地震日記 41  多賀城

      多賀城のEさん一家は4人とも勤めに出ている。 昼間はいつもダックスフントが一人で(一匹で)留守番をしていた。 地震当夜は交通が遮断され、4人とも自宅に帰りつくことができなかった。 翌日、Eさんが仙台から4時間歩いて帰宅してみると、家の2mの高さまで水の跡があった。 1階の窓は破壊されていた。 誰かの車が塀に乗っていた。 愛犬は居間で寝ているように見えたが、冷たくなっていた。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 25 Jun
    • 地震日記  40  女川 7

      福島で流されて茨城で遺体が見つかったとか、行方不明の人を探して何百もの遺体を見てしまったとかの話を聞きました。 大切な人が海にいるか、田んぼの中にいるか分からないのでは、次に進むこともできません。 最初の安置所で母に会えた自分は、幸運だと思うようにしています。 長話でごめんなさい。 こんなときでも何だかパンが食べたくなって、ここに並んじゃったんです。 おかしいですよね。 話を聞いていたのだろう。 私の後ろに並んでいた女性が、急に嗚咽し始めた。 地震日記 女川 了 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 23 Jun
    • 地震日記 39  女川 6

      見も知らない庄内の地で、母はお骨になりました。 軽くなった母を抱いたら、ようやく私に悲しみと呼べる感情が湧いてきました。 人間って突然いなくなるんですね、さよならも言わずに。 お骨は段ボールで作った仏壇に置いてあります。 3日泣いたら4日目には笑え、父が死んだ時、母は言いました。 でも4日で笑うなんて無理ですよ。 葬儀は桜の頃に、と思っています。 四十九日もその頃でしょうけど、今は先のことまで考えが回りません。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 21 Jun
    • 地震日記 38  女川 5

      自宅に着いて、県内の火葬場に電話しました。 電話が通じるところはどこも手いっぱいと断られました。 沿岸部の火葬場は壊滅したのか、電話すら通じません。 葬儀社に、順番が来るまで母を冷所に預かってもらえないかと聞いたら、保管料は1日5万円と言われました。 値段以上に、冷たい言い方だったので、諦めました。 山形県の火葬場に電話してみました。 山形、天童、新庄、とかけて断られました。 岩手、宮城からどんどん依頼が入っているのだということです。 しかし酒田の火葬場がようやく引き受けてくれました。 「ご愁傷さまです。わたくしどもで火葬させていただきます。 何時になっても構いませんから、気をつけておいで下さい」 私は久々の温かい言葉に泣きました。 48号線はところどころで土砂が崩れ、アスファルトが盛り上がっていたけど、なんとか通れました。 13号線沿いの天童の市街は、全く被害がないようでした。 お母さん、そこは狭いでしょう、ワゴン車だったらよかったね、もっと早く仙台に呼べば良かったね。 酒田への長い道のり、私はずっと母に謝っていました。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 19 Jun
    • 地震日記 37 女川 4

      母を冷たい土の中に置いて帰れるわけがありません。 あとで掘り出す勇気なんてなおさらありません。 私は、連れて帰ります、と言いました。 茶色の毛布とブルーシートに包まれた母を、車の後席に乗せました。 警察官はドライアイスを多目に入れてくれました。 私はこれまで自衛隊も警察もあまり好きじゃなかったけど、彼らは職務に忠実でした。 私ならできない仕事を一生懸命やってくれました。 涙を拭きながら仕事をしている警察官もいました。 彼らは敬礼して、母と私を送ってくれました。 どこをどうやって帰ってきたのか。 道路脇に瓦礫がなくなったと気付いたら、福田大橋でした。 仙台の市街はいつもと同じように平和そうで、女川とは別世界のように見えました。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 17 Jun
    • 地震日記 36 女川 3

      水に揉まれた身体は服が脱げて真っ白になり、膨らんでいます。 遺体には発見された日と場所が記され、見つかった順に番号が付けられていました。 番号を見ると、「人」が「物」になった気がします。 100体目くらいに来た時、とうとう母を見つけました。 記憶の母より若く見えましたが、ビニール袋に見慣れた指輪が入っていました。 父が贈ったものでしたが、まさかこんな風に役立つなんてね。 「丸正旅館脇の路上で発見。死因 溺水」と記載されていました。 丸正旅館は自宅から200mも離れたところにあります。 ご遺体をどうされますか、と警察の人に聞かれました。 こういう状況なので、遺族が引き取れない場合は墓標を立てて土葬し、後で掘り出して火葬しますとのことでした。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 15 Jun
    • 地震日記 35  女川 2

      マリンパルなんかじゃなくて、防潮堤を造っておけばいくらか違ったでしょう。 町民運動場が遺体安置所になっていました。 ほんとは避難所を先に探すんでしょうけど、家はW神浜で、一番外洋に近いところですから、多分だめだと思っていました。 安置所では数え切れないほどの遺体が、泥だらけのマットに寝かされていました。 この世に地獄というものがあるなら、ここだと思いました。 自衛隊と消防が遺体を運んでいました。 自衛隊は地震の翌日、山越えして女川に入ったのだそうです。 遺体は泥にまみれているはずなのに、口の中まできれいにされていました 外のテントには検視の人と、遺体を整える人がいたようです。 携帯とか時計とか、身につけていた物はビニールの袋に入れてありました。 私は母を探して、何体もの遺体を見ました。 遺体を見るのは父が死んだ時以来です。 そんなにたくさん見るのは初めてだったので、辛かったです。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 13 Jun
    • 地震日記 34  女川 1

      3月某日、営業再開したパン屋の行列に並ぶとSさんがいた。 (地震は)大丈夫でしたか、と声をかけると、あまり大丈夫でもなかったです、とSさんは話し始めた。 行列は10m以上あり、店内に入れるまで20分はかかりそうだった。 女川に行って来ました。 女川には母がいます。 母一人、子一人なんです。 津波が女川の町を通り抜けたと聞いて、居ても立ってもいられませんでした。 でも多賀城から先、45号線がずっと通れなかったんです。 「Person Finder」で調べても、避難所の名簿に母の名前はありませんでした。 ようやく道路が開通したと聞き、車で行きました。 太平洋と万石浦に挟まれた町は、見渡す限り泥と瓦礫でした。 道路だけやっと瓦礫を除けてありました。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 11 Jun
    • 地震日記 33  現地へ行こう 2

      津波は秒速10mで走る(=時速36km)。 4km進むのに僅か7分だ。宮古ではなんと時速115kmを計測した(=4kmを2分!)。 だから水平方向でなく、上に逃げるのが常識だが、仙台平野には高台も、高い建物もなかった。 だから高所から撮影された映像がない。ヘリからのはあったけど。 電柱をコの字型に折った水の威力を見れば、防潮林など何の役にも立たないこと、原発神話など砂上の楼閣に過ぎないことが分かる。 海岸から4kmも離れた海の見えない場所に、3mの波がやって来ると思えるだろうか。 瓦礫の原で、360度の方向に何もなくなっていることの喪失感は言葉にできない。 気温の上昇とともに立ち上る悪臭。 その臭いの元は、考えたくもない。 これらは毎日テレビを見ていても伝わらないことだ。 テレビで見た記憶は半年で薄れる。3か月もたてば芸能人も来なくなる。 東京のテレビでは、既にNHK以外震災を扱っていない。 山形新聞にも、もう震災の記事は載らない。 神はなぜ東北にこれほど怒りを向けたのだろう。 次の世代に伝えられるのは自分で体験し、考えたことだけである。 ピースサインで写真を撮るのでなければ、視察も許される。 津波の跡を自分の目で見て、臭いをかいで、考えたことを次世代へ語ろう。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 09 Jun
    • 地震日記 32  現地へ行こう 1

      芸能人が盛んに被災地の炊き出しを行なっている。 「売名」、「偽善」と切り捨てることもできるが、被災者が喜ぶなら、やることは正しいのだろう。 行ける人は、瓦礫が片付く前にぜひ津波の現場を見ておいてもらいたい。 テレビの映像では見えないものがある。 側溝から出した泥の量と、それを入れた土嚢の重さに驚くだろう。 瓦礫の原に立てば、押し寄せて来たのがきれいな海水ではなく、折れ曲がった電柱とドラム缶と鋭利な瓦礫を満載した、油と糞尿混じりの汚水だと分かるだろう。 浮き輪につかまっていれば大丈夫、などとは思わなくなる。 家屋は土台ごと上に持ち上げられ、転がり、破砕され、原形を失った。 実印、登記簿、アルバムを回収することはおろか、自分の家を見つけることも難しい。 火事ならば燃え残す物もあるだろう。泥棒はすべてを盗っては行かない。しかし津波は何も残さない。 かけがえのないものはまとめておいて、避難の際、瞬時に持ち出さなければならない。 水に揉まれた遺体はたいてい衣服を失い、ひどく傷ついている。 五体満足なのは車か家の中で見つかった場合だ。 1週間を過ぎた遺体は、体重100kgを超えている。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 07 Jun
    • 地震日記 31  想い出の渚

      一昨年の夏に出かけた蒲生は、こんなきれいな海だった。 犬2匹も連れて行った。 初めての海に大喜び。 犬たちは波が何だか分からない。 勇ましく向かって行くが、 冷たくてびっくり。逃げ帰ってきた。 はあはあ・・・ でも海って気持ちいいねえ。 足首までなら波も楽しい。 この19ヶ月後に津波が来て、この辺りは地獄と化すのだが、このときは夢にも思わなかった。 この時、津波が来なくてよかった。 仙台駅から車で30分で海に着く。 海から車で10分のところまでが津波に襲われた。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 05 Jun
    • 地震日記 30   岡田

      海岸公園西側の岡田地区。 ここも大きな被害が出た。 家が密集する住宅街なので、もともと道幅が狭い。 そこに瓦礫、泥が溢れ、道路は1.5車線分しかない。 対向車が来ると、すれ違いに困る。 岡田小学校に行く用事があるので、どうしても通らなければならない。 水が通り抜けたが、倒壊を免れた家。(車の窓から撮っている。) 水はちょうど庇の下まで来た。 右の物置は傾いている。 怖かっただろうなあ。 水に浸かった畳を庭に並べていたが、乾かしても使えないだろう。 海から4kmのところまで被害が甚大だ。 ちょうどこの道路の左までで水は止まり、右の地区は大丈夫だった。 この道路が生死を分ける一線となった。 津波の被災地には、必ず「ここまで来たんだ」という一線を見る。 避難所になっている岡田小学校。 ブランコで遊ぶ子供たち。 この小学校は無傷だった。 校庭の桜も7分咲きになった。 子供らに本当の春が来るのはいつだろうか。 小学校で用事を済ませ、西公園まで戻ってきた。 ここの桜は何事もなかったように咲いている。 花見は行なわれているが、一気飲みなどの馬鹿騒ぎはない。 いつもはじょうごをくわえさせられて、そこにビールを流し込まれている学生を見るのだが。 夕日は何事もなかったように沈んで行った。 仙台の中心部まで来ると、さっき見たばかりの光景が夢のように思える。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 03 Jun
    • 地震日記 29   貞山掘(ていざんぼり) 

      貞山掘とは宮城県の仙台湾沿いにある運河。 江戸時代から明治時代にかけて数次の工事によって作られた複数の堀が連結して一続きになった。 最初の堀が仙台藩伊達政宗の命により開削されたため、諡の貞山に因んで明治時代に貞山堀と名付けられた。 津波により、美しい松林が歯が抜けたようになっている。 防潮林としては全く役に立たなかった。 この辺り、以前はこのように松が密生していた↓ 無残に折れた松の枝。 堀に沿った遊歩道。 松の木がなぎ倒され、アスファルトが一部流出している。 水圧の凄まじさに立ちすくむ。 根こそぎ流された松の木は、津波に乗り、海沿いの住宅にぶつかって被害を大きくした。 かつてこの道はこうだった↓ アスファルトの 一部は10mも移動していた。 大の男が10人掛かりでも持てない。 これは砲台ではない。 水の勢いで西側に曲げられた樋門開閉の操作棒。 元がなんだか分からない瓦礫の山。 テニスコートは瓦礫の集積場にされた。 瓦礫は次々と搬入されて来る。山はどこまで高くなるのだろう。 この辺りの海岸はすべて立ち入り禁止になっているので、砂浜の状態は分からない。 南側の海岸には乗馬クラブがあった。 その建物は壊滅したが、スタッフとお客さんは無事避難したそうだ。 その後、馬たちも大半の無事が確認された。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 01 Jun
    • 地震日記 28  海岸公園2

      海水に浸かった車はエンジンをかけると炎上、爆発する危険がある。 そのまま廃車にするか、必ずディーラーを呼ぶこととされている。 無残になぎ倒されたフェンス。 通過した水の勢いを想像すると恐ろしい。 海岸公園に来た。 ここはゴミ集積場ではなく、野球場だった。 長男が小学生の時、ここまで来て野球の試合をした。 QVCマリンフィールドに似て、いつも海風が強く、フライを取るのが難しい球場だった。 今は瓦礫が集められ、海砂が堆積し、とても野球どころではない。 テニスコートだった場所。 今、その痕跡は何もない。 コートのサーフェスも剥がされてしまった。 遠くに残雪の蔵王を望む。 もう春なのだ。 ずいぶん離れた場所に変形したフェンスが転がっていた。 かろうじて「ここはテニスコートだったんだよ」と、訴えている。 悲しいほど、良い天気。 にほんブログ村 にほんブログ村

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プロフィール

辰つぁん

お住まいの地域:
宮城県
自己紹介:
山形市生まれ。仙台市在住。 ダックスフント2匹を連れて毎日広瀬川遊歩道を散歩してます。

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