• 29 Apr
    • 地震日記 11  4月3日

      最近街中で大阪ガスの車をよく見かける。仙台の都市ガス復旧のために、東京、名古屋、九州、山形から応援部隊が来てくれている。ほんとにありがたい。地下鉄東西線の工事も進捗中。東の終点の荒井駅周辺は津波で壊滅した。もともと何もない場所なのに、沿線の開発は思うように進んでいない。さらに今までいた住民までがいなくなれば、大赤字になる。西公園の梅は満開。花は何事もなかったように美しく咲く。しかし道路は車が少ない。ガソリン不足の影響だろう。いつもこのくらいでいいな。藤崎デパートは1FとBFのみ営業中。しかも6時で閉店だ。おむつとか靴下とか、スーパーのような品揃え。2F以上は地震の際、スプリンクラーが作動してしばらく再開できないらしい。文化横町のカレーの酒井屋はガスの復旧を待って開店すると書いてある。ここのメニューはいつもヘルシーだ。本屋は3月11日以後、新しい週刊誌が入荷していない。週刊誌がないと世の中から取り残された感じだ。山形では普通に発売されているのだろうか。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 27 Apr
    • 地震日記 10  3月30日

      街を歩くと、あちこちで地震の爪痕が見られる。工事車両の多くは沿岸部に駆り出されているので、たいていは放置されている。 栗生のスバルのショールームはガラスが粉々。幸いすべて外に落ちたので、人も車も被害がなかったそうだ。八幡5丁目の広瀬川では崖が崩落。大岩が2個真中に転がっている。梅雨の時期までには取り除かないと土石流の原因になる。 100mほど上流でも崖の上部が崩れていた。一方食料品の方はすっかり落ち着いた。生協には納豆もこのように並んだ。牛乳も1家族1本だが、十分量ある。ペットボトルの水も東京よりある。1週間前には1人1個だったパックご飯もこの通り。パンコーナーも普段通りになった。バケットを買うのに長い列を作っていたのが嘘のようだ。今はビールが足りなくなっている。これはどうってことない。福島産の酒を買ってあげようと探したが、笹の川、泉川、奥の松、大七、いずれも売り切れていた。福島を応援する人が多いのだろうか。気がつけば梅が満開になっていた。この3月は花を眺めるのも忘れていた。やがて咲く桜はどんな色に見えるだろう。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 24 Apr
    • 地震日記 9  3月27日

      今日は久しぶりに天気が良く、暖かい。花壇の行者ニンニクが芽を出し始めた。仙台の空気中の放射線量は安全域。 親子連れが日射しを求めて外に出てくる。「ようちえんでお花つくったの」「え、なに?」「お・は・な」 八幡町のたい焼き屋「弁天」では、お茶のペットボトルの無料配布中。「お茶でも飲んで、元気出して下さい!」ホットモットもメニューは少ないが大盛況。ここが開いたらもう食べ物は心配ない。ようやく(沿岸部を除いて)、仙台の食料事情が落ち着いた。地震から16日を要した。災害に備えて3日分の水・食料を備蓄せよ、と言われてきたが、今回の規模の震災では2週間分ないと困ることになる。家にあってよかったと思ったのは、巨大蝋燭、ラジオ、懐中電灯、カセットコンロ、ガスボンベ、トイレットペーパー、米、缶詰、パックごはん、レトルトカレー、乾麺、ペットボトルのお茶。・・・ほんとに我が家は買い置きする家だ。停電の2日間に限ると、なくて困ったのは、iPhoneのバッテリー、乾電池。あるとよかったもの・・・IHヒーター、電気式じゃない石油ストーブ。静岡県から来た災害派遣車。これは神戸からの救援車。関西ガスの技術者がガス復旧のため、大挙応援に来てくれているそうだ。みんな、遠くからありがとう!定禅寺通りの人出ももう元通り。マッサージ店「てもみん」では、5分間無料肩もみサービス中。大内屋の前の時計塔が思い切り倒れていた。地震の時、この辺りにいた人は怖かっただろう。けがをした人はなかったろうか。大町のモスバーガーは休業中。入居していたビルが大損壊していて、「再開は未定」と書いてある。ここでの再開は難しそうだ。梅原鏡店も壁に亀裂。鏡は割れなかっただろうか。パチンコまるたまのビルは壁が剥落している。今はあゆみブックスが入っているが、閉店中。このビルは少なくても40年前からある。かなり古いビルだ。サンモール一番町ではマルシェ・ジャポンが開かれていた。被災地支援を訴えるストリートミュージシャン。もう野菜も好きなだけ買える。1週間前から思うと夢のようだ。人気のスイートポテトは飛ぶように売れている。これも人気の米沢牛入カレーパン。花が売れているのは、人々の心が安定した証拠だ。仙台市の西半分は(JRと都市ガスを除いて)殆ど元の生活に戻ったようだ。 にほんブログ村 にほんブログ村

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    • 地震日記 8  3月25日

      津波の被害にあった地域はまだまだ大変な状況だが、青葉区の西部はたくましく日常生活が戻ってきた。栗生のパン屋「ばーすでい」。行列も短くなった。3日前は30mも並んでいた。みんな焼き立てのパンが食べたかったのだ。パンの種類は少なく、個数制限もあるが、客には余裕が感じられる。久しぶりのパンは美味しい。しかも食パンは焼き立て。仙台っ子ラーメンも再開した。この地区はLPGを使っているので、食べ物屋は復旧が早い。都市ガスに頼る市中心部はまだ開店できないところが多い。山形蕎麦の豆やも再開した。ラーメンみずさわ屋にはもう行列が。空き地で野菜を売る農家の人。たくましいなあ。ただし、ガソリン不足は続き、スタンドにはこの列。 八幡町のヤマト屋書店も、崩れた本の整理が済んだ。そろそろ開店か。週刊誌を2週間読んでない。HM(ホットモット)にも灯りが点いた。どの店も、いつまでも休んではいられない。しかしよく見ると、地区のあちこちに地震の爪痕が残る。八幡5丁目の広瀬川に崖崩れ。幸い川をせき止めるには至らなかった。その向かい側の舗道に走る亀裂。崩れた大岩。さらに落ちて来そうなのもある。小学生は今日で終業。明日は卒業式だ。男の子たちはサッカーを始めた。来週都市ガスが出て、ガソリンが行き渡れば、この地区の機能はほぼ震災前に復する。しかし沿岸部はまだまだだ。 にほんブログ村 にほんブログ村

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    • 地震日記 7  3月23日

      自転車で久しぶりに街に出た。一番町のミスドに行列ができていた。そういえば、ずいぶんドーナツを食べていないな。みんなそろそろ甘いものが食べたくなったんだろう。牛タンの店も復活した。牛タンと聞くと、思わず並んでしまう仙台人。自転車で街を歩くのは久しぶりだけど、結構楽しい。駅前のヤマダ電機は営業していた。電気と水があってガスが出ないから、IH調理器は完売した。電熱器はもう売っていない。絶滅したのか。ホテル・コムズ(元三井アーバンホテル)も壁が損傷した。フォーラスは休業中。フォーラスはエレベーター棟8,9階のガラスが落下した。地震の際は建物から離れなければ。卵を売る店地震から12日目にしてまだ食料事情には不安がある。そこで路上販売が人気を集めている。これは魚屋の出店。まるで戦後の闇市のようだ。お弁当とビールを売る。なんだか楽しそうだ。皆、たくましいなあ。今仙台で最も元気なのは壱弐参(いろは)横町。八百屋も、魚屋も、肉屋も、ちゃんと営業している。飲処 なつかし屋に灯りが点いた。 というより、昼間から大盛況。店の外まで笑い声が響く。お客さんの無事と、営業再開のお祝いをしているようだ。人の笑い声を聞くのも久しぶりだ。居酒屋どんちゃんも暖簾を掲げた。「おばちゃん、どんどん焼ぎ、みっつけさいん」豆やにも常連が戻ってきた。マック、モス、吉野家、すき家、コンビニといった全国チェーンはどこも閉店中。本部の指示に沿ってしか動けないのだそうだ。個人商店はいち早く元気を取り戻した。軽トラにどこからか調達してきた軽油を入れて、市場と店を何往復もする。このたくましさが仙台を復興させる。頑張れ、仙台商人!!!昔は自転車に乗って、近くの店で買い物するのが普通だった。車でスーパーに乗り付ける生活をやめ、みんなで個人商店を応援しよう。「松島が守ってくれた 対岸の町、死者1人」この記事も見て下さい↓http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110323-OYT1T00077.htm にほんブログ村 にほんブログ村

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    • 地震日記 6  3月22日

      3月22日。地震から11日目。近所のラーメン屋に「営業中」の看板が出ました!最後にラーメンを食べたのは3月6日。スープの香りに誘われて、ついふらふら店内へ。まだメニューは少ないです。味噌ラーメンを注文。被災地の方たちに申しわけないと思いながら、箸をつけました。16日ぶりのラーメンは申し訳なさの涙の味でした。家に帰って家内に言ったら、なんで一人で行くのよ!とおこられました。3月23日。地震から12日が経った。空気中放射線レベルが落ち着いているので、久しぶりに街中に出かけた。仙台駅は損傷が激しく、立ち入り禁止になっている。駅には足場がかけられ、修復中。構内には立ち入れない。工事関係者が多い。駅が工事中では電車が走らない。在来線の復旧は4月上旬だそうだ。バスプールはこの通り閑散としている。タクシープールにいるのは工事車両のみ。ロフトの壁が崩落している。ぺディストリアンデッキも修復中。舗道の沈下。地震があると手抜き工事がばれる。Kーのさん御用達の店も立ち入り禁止。計画停電の東京の駅の様子ではありません。バスの本数が少ないので長蛇の列になっている。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 19 Apr
    • 地震日記 5   3月14日

      ヘルメットで外出する子供。電気が通じたので、ようやく自販機で飲み物を買えるようになった。この日は小雨から霙になった。寒い。 郊外のスーパー。個人経営の店だが、どこかからガソリンを調達して、市場を往復し、商品をそろえている。大手よりよっぽど小回りが利く。 ここも列ができているが、整理券を配って、ずっと並んでいなくてもいいようになっている。寒くないように焚火をして、落花生を大箱に入れて回してくれる。 店内は狭いので、20人ずつ入店する。久しぶりに野菜を見た。 店主は、次の入荷ははっきりわからないという。市場に物は届いているが、ガソリンがないと仕入れに行けないそうだ。皆、次いつ買えるか分からないので、なるべく買っておきたいと思う。買う量に制限はないが、(全員が買えるように)一人一カゴくらいが暗黙のルールになっている。ポスシステムは使えないが、おばちゃんが昔のレジスターで値打ちをしている。 おにぎりの川井亭は14日から店を開けた。従業員も総出でおにぎりを握っている。都市ガスは回復してないが、プロパンガスだったのが幸いした。一人5個までだが、並ばずに買える。 ガソリンスタンドに長い列ができ始めた。ガソリン不足は想定外だった。東北沿岸の製油所、石油備蓄施設が軒並み被災したのが原因だ。 近所の床屋「金太郎」が開店していた。 少し髪が伸びていたので入ってみた。家族総出で元気に仕事をしている。 ガスが出ないのでシャワーが使えない。爺さんが電気ポットでお湯を沸かし、それをジョウロに入れて洗髪している。電気ポットフル稼働だ。不便でも、頭を使えば何とかなるものだ。18日には、なんと雪が降った。被災地が案じられる。 雪で喜ぶ人もいる。 にほんブログ村

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  • 12 Apr
    • 地震日記 4  3月13日  行列始まる

      3月13日、停電中。まだテレビは見られない。新聞に犠牲者数の予想が載る。(津波の映像を見ていないので、)なぜ地震で「万単位」の犠牲者が出るのか、ピンとこない。 iPhoneのバッテリーが切れた。パソコンとつないでみたら、1回だけ充電できた。代わりにパソコンのバッテリー残量はゼロになった。落着いたら充電器を買っておこうと思う。 あちこちで食料確保の行列ができ始めた。これは近くのスーパー「サンマリ」。息子がバイトしている店。これだけ並んで一人4点までだという。家内は、「人は米と味噌さえあればなんとかなる」と慌てる様子なく、列には加わらない。東北に物がなくても、他にはあるんだからすぐ届く、と太っ腹である。家に米は15kg(3月5日に十字屋で買ったつや姫)、味噌は自家製のが一樽ある。他に、乾麺、お好み焼き粉、缶詰、レトルトカレー、カップ麺などもあり、一か月は困らない。それでもこれだけの大震災だと、一か月で復旧するのか、私は不安になり、列に加わった。学生のように、買い置きをしないで、その日その日にいるものをコンビニで買っている若者などはほんとに困っただろう。 貝ケ森生協も行列。ここは一家で一カゴまでとされている。 店内は照明がなく暗い。奥の方の棚は懐中電灯がないと全く見えない。冷凍食品は溶けている。「中身の保証はできません。大丈夫と思ったら、自己責任で買って下さい」、と拡声器が叫んでいる。ポスシステムも使えず、お釣りの用意もないので、職員が籠の中身を目分量で、1000円、2000円、3000円と3段階に値付けしている。 八幡町生協はさらに長蛇の列になっていた。店頭販売で一人5点までの制限がある。列は古着屋の角を曲がって、宮城一高の角を曲がって、生協の裏口まで伸びている。買うまで4時間もかかるという。 電話は公衆電話しかつながらない。椿薬局前の電話にも列。公衆電話が減っているのでこういうとき大変だ。被災地にかけてもつながらないことが多い。回線の故障か、停電で電話器が作動しないのだろう。後ろに待っている人がいるので、繋がらないとしても何回もはかけられない。こういう時は171に録音するか、被災してない地区の知り合いにかけて、そこから親戚、知人に安否を伝えてもらうのがいいようだ。東京の知人にかけたらすぐつながった。停電でも使える黒電話があったのに、捨ててしまったことが悔やまれる。 コンビニはどこも閉店している。これは電話に並ぶ人たち。コンビニは物資を仕入れて来るわけでもなく、略奪防止にガラスに新聞紙を貼ってあるだけ。デパートも、マックもモスも吉野家もすき家も閉まっている。社会的責任をまったく果たさなかった店を、今後利用したくない。(でもマックとゼンショーは株主になってるんだな・・・) 花千の公衆電話。向かいの国見小学校が避難所になっているので、次から次へと人がやってくる。皆、自分が無事だということを早く伝えたい。 断水になり、あちこちに給水所が設けられた。ここは龍宝寺の手洗い所。普段は花挿しに水を汲むのに使われている。倒壊した墓石群のそばで水を汲む人たち。 急なことで容器の準備もなく、ダストボックスに水を入れて運ぶ。飲料水とトイレを流すためにはかなりの量が必要。まさか風呂に入れる分を汲む人はいないだろう。 鈴虫荘公園の水飲み場で給水する人。我が家は断水してないだけ幸運だ。 町内の見回りを終え、家に帰ると、「今電気点いたよ~!!」。ああ、良かった。 早速テレビをつける。津波の映像は、ラジオでイメージしたものとは全く違っていた。凄まじい水のパワー!犠牲者が「万単位」というのもようやくうなずけた。 にほんブログ村

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    • 地震日記 3  3月12日

      海の方向に煙が二つ見える。あとで仙台港の石油コンビナートの火災と分かった。この日はひっきりなしにサイレンが鳴り、時折爆発音が聞こえ、ヘリコプターが何機も飛び交っていた。停電でテレビが見られない中、仙台は一体どうなっているのだろうと不安が募る。留学生の安否を心配する張り紙が出た。大崎八幡神社の石灯篭が倒壊していた。使われている鉄筋はあまりにも貧弱だった。直径1㎝、長さ7㎝しかなくては倒れるのも当然。全部で10基ある石灯篭のうち、実に8基が倒壊した。どんと祭の夜だったら大変なことになっていた。石灯篭に建築基準法は適用されないのだろうか。隣の龍宝寺の墓所。墓石はもっと危険だ。ただ重ねてあるだけ。石地蔵もこの通り凶器となる。「お地蔵様が守ってくれる」、どころの話ではない。倒れた石に興味津々。ダイスケ、危ないよ。今にも落ちそうな墓石。地震では海辺と、神社と、墓地が最も危険、ということが分かった。大半の石は東に向かって倒れている。最初の揺れが東から西に向かったためと考えられる。龍宝寺の隣りの家。鉄筋が入ってないブロック塀って結構多い。この家は無人で、1か月たっても片づけられていない。 夕方、薄暗くなってきたが、停電はまだ終わらず、信号はつかない。車はライトを点けた。停電だと、夜はすることがない。電気が来ないと風呂も沸かせない。2日続けて風呂に入らないのは何十年ぶりだ。夜8時には犬を抱いて寝て、朝日とともに起きる。とても健康的だ。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 08 Apr
    • 地震日記 2  3月12日

      翌朝。さすが、こんな日でも河北新報は届いた。1枚(4ページ)だけだが、チラシも数枚入っていた。前々日に用意してあったものだろう。(朝日新聞は翌13日に2日分まとめて届いた。)新聞は明るいうちに読まなければならない。暗くなるとすぐに読めなくなる。懐中電灯では無理。 恐る恐る外の様子を見る。余震が怖いのか、外でバーべキューをする家族。近くのマンションでは停電・断水し、近くの小学校で2晩を過ごした人が多い。近所の家のブロック塀。こんなに尖って割れるとは。近所の学生アパートの壁が崩れていた。こんなに壊れたのはここだけ。建てるとき手抜きしたのだろう。その隣の学生アパート。青空にぶら下がるエアコン。今にも落ちそうだ。上を見て歩きましょう。かつて子供が遊んだ鈴虫荘公園には亀裂が。造成時、砂を大量に入れたので、一部液状化したようだ。一銭子屋のブロック塀が倒壊した。子供がいなくて良かった。ブロックには鉄筋が入っていなかった。「お兄ちゃん、地震、怖いね」「うん」 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 04 Apr
    • 地震日記 1  2011年3月11日

      辰つぁんの家は仙台市青葉区。仙台駅のずっと西側、海から遠い地域です。海のない山形市に住んでいるとイメージしにくいと思いますが、仙台市は宮城県の西端から東端まで、山も平地も海も含んで広大な面積を占めています。仙台市の東3分の1(若林区、宮城野区)は、今回の地震で死の国になりました。仙台駅から海に向かって車で15分も行けば一面瓦礫の原。火事、盗っ人ならば、家、家財を根こそぎ持っていくことはないけれど、津波はすべてのものを奪って行った。人々の生死を分けたのは運だけ。老若男女も、備えも宗教も、職業も何も関係なし。近くに高い建物があったとか、流木に掴まれたとか、閉じ込められた車の窓が偶然割れて脱出できたとか、水が首の高さで止まったとかいう話を、九死に一生を得た人たちから聞きました。東京では「花見をするな」、「いや、あえてしろ」などの論議をしているようですが、死の国と隣り合っている地域では、花見どころか、朝な夕な海に向かって合掌している状態です。わが家では棚の物がかなり落ちましたが、食器が数枚割れただけでした。被災者などとはとても名乗れません。町内を見回すと、ブロック塀の倒壊、アパートの壁の崩落、ガラスの破損、などがありました。しかし沿岸部の被害があまりにもひどく、青葉区は報道の外です。繰り返し流されるニュースの映像を見ていると、仙台市全体が壊滅したような印象を受けてしまいますが、そうではありません。特に仙台の西3分の1は地盤が強固で、殆ど無傷と言っていいくらいです。最初の揺れの後、東京にいる娘からは、「お願い、生きてて!!!」というメールが来て、逆に仙台はどうなっているんだ、と不安になりました。当地は停電で瞬時にテレビが消え、被災地なのに情報がつかめなくなっていたのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は地震後25日目。都市ガスが復旧し、ライフラインがすべて元通りになりました。少し落ち着いた今、地震後の様子を忘れないうちに記録に残しておきたいと思います。地震直後の居間 揺れは東西方向の横揺れだったので、南北方向を向いた本棚からは本があまり落ちなかった。棚の上に置いてあったものは落ちたが、パソコンは四隅のすべり止めのため無事だった。本棚の間に隙間が空いている。息子の部屋 (普段とあまり変わらないという感じもあるが・・・) 玄関2段重ねの下駄箱が落下。横倒しになったのを起こしたところ。この頃、巨大津波が沿岸部を襲っていたのだが、それを知るのは2日後となる。 食器棚50㎏ほどの重量があるが、10㎝程東方向に移動していいた。2年前、ガラス飛散防止フィルムを貼っておいたので割れなかった。そのためコーヒー茶碗が数個欠けただけで済んだ。 娘の部屋。本棚に転倒防止金具を付けておいたので、転倒を免れた。無駄だと思っても、いつか役に立つものだ。 当日は停電。キャンプ用のろうそくとラジオと懐中電灯が3種の神器となる。ラジオは津波の被害を告げているが、映像がないと実感がわかない。繰り返す余震が怖い。 夕食物置から10年前にキャンプで使ったカセットコンロを探し出してきた。ボンベは10本もあったので余裕だ。メニューは、残りごはんで作った雑炊と鯖の水煮の缶詰。鯖缶は引きずりうどんに使うので、我が家では常に10個ほど買ってある。 散乱した台所からドトールコーヒーを見つけてコーヒーブレーク。キャンプだと思えば面白い。幸い水道は出ている。しかしいつ止まるか分からないので、浴槽に水を張っておく。(結局、最後まで断水はなかった。)停電でコタツ、ファンヒーター、電気毛布が使えない。寒いので犬を抱いて寝る。犬は揺れに弱く、揺れが来るとその辺を無意味に走り回る。ビールは2ケース(48本)もあったが、余震によっては夜中に飛び出すことになるので飲む気になれない。トレーナー、ジーンズ姿で寝る。(続く) にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 03 Apr
    • いきてるといいね 

      岩手県宮古市の昆愛海ちゃん(4)が「ママに手紙を書く」と言い出した。親戚の家のこたつの上にノートを広げ、色鉛筆を持つ。1文字1文字、1時間近くかけて書いた。「ままへ いきてるといいね おげんきですか」そこまで書いて疲れたのか、すやすやと寝入った。両親と妹は11日の東日本巨大地震による津波にさらわれ、今も見つかっていない。(読売新聞から引用しました。) にほんブログ村 にほんブログ村

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プロフィール

辰つぁん

お住まいの地域:
宮城県
自己紹介:
山形市生まれ。仙台市在住。 ダックスフント2匹を連れて毎日広瀬川遊歩道を散歩してます。

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