• 22 Aug
    • 象潟はいつも雨

      父親は国鉄に勤めていた。 当時は家族パスというのがあり、国鉄の三等車に無料で乗れた。 わが家は毎年夏休みに象潟まで電車で行って、国鉄の保養所に2泊して海水浴をすることになっていた。 しかし象潟は雨が多く、3日のうち、少なくても1日は雨が降った。 (国鉄の経営が傾く中、家族パスはその後廃止になった。) ある年の海水浴は台風に直撃され、2泊3日とも雨だった。 一歩も外に出られない海水浴は悲惨である。 外に雨を見ながら、毎日トランプをしていた。 象潟の砂浜は砂がすごく細かかった。 晴れた日の象潟は風光明媚だという。 もう一度訪ねてみたいと思い20年後の夏、再び象潟を訪れた。 ところが酒田から国道7号線を北上中、日本海を台風が追いかけてきた。 五百羅漢当たりで追いつかれ、象潟まで来た時には強風、豪雨になっていた。 予定では昔泊まった保養所を探すつもりだったが、到底無理な天候であった。 仕方がないので車のスピードを上げ、台風を振り切って男鹿半島まで行き、男鹿温泉に宿泊した。 どうも象潟とは天気の相性が良くないようだ。 地図で探してももう見つからないが、保養所は海水浴場の南端にあった。 駅から歩いて5分ほどだった。 いつか必ずリベンジしたい。 景勝地 象潟 紀元前の鳥海山の大規模な山体崩壊によって発生した流れ山が日本海に流れ込み、浅い海と多くの小さな島々が出来上がった。 やがて堆積作用の結果、浅海は砂丘によって仕切られて潟湖が出来た。 そして小さな島々には松が生い茂り、風光明媚な象潟の地形が出来上がった。 江戸時代までは、九十九島・八十八潟が景勝地となり、「東の松島 西の象潟」と呼ばれ、松尾芭蕉の『奥の細道』でも「松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し」と評され、「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠まれた。 しかし1804年の象潟地震で海底が隆起し、陸地化した。その後、干拓事業による水田開発の波に飲まれ、歴史的な景勝地は消されようとしていたが、当時の蚶満寺の住職の呼びかけによって保存運動が高まり、今日に見られる景勝地の姿となった。 現代においても102の小島が水田地帯に点々と残されている。とりわけ田植えの季節になり水が張られると、往年の多島海を髣髴とさせる風景が見られる。

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辰つぁん

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宮城県
自己紹介:
山形市生まれ。仙台市在住。 ダックスフント2匹を連れて毎日広瀬川遊歩道を散歩してます。

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