2006-10-30 15:21:54

ケンさんのこと。

テーマ:子育て

ここ数ヶ月、ボランチアだ会議だと忙しい日々が続きましたが、

会議で家を留守がちにしていたら師匠が、

師匠が、


ケンさんになつくようになりました!!

ケンさんの育児


陸奥新報 販促週間 「山田スイッチの育児日記」現在連載第77回目に突入です。


いや、親が子の面倒を見るのは当たり前の話なのですが…

こうなるとは思ってもみなかった。

だってケンさん、任天堂DSで遊んでばっかの人なんだもの。

子供は見抜いているね。

「この人遊びのセンスある」って。

同じブロックを使ってでもですね、

私とケンさんでは作るものが違うのですよ。

最小のブロック数で「なんでこんなものを?」というものを作る。

それがケンさんですよ。

nande

なんでこんなロボを?



師匠はケンさんになついて来たし、

子供はかわいいし……今が幸せの絶頂なんだな、と思った時にケンさんにいいました。


私 「ケンさん、今が幸せの絶頂なのかしら?」

ケンさん 「んだな。これから師匠はグレるし。

わ(俺)は酒浸りだし、おめは植物状態さなってまうし…。」


私 「…ちょ、ちょっと待って!!なんで私が植物状態なの!?」


ケンさん 「“流れ”をみればわかることだべ。おめが植物状態さなればわ(俺)は飲んだくれて当たり前だし、そんなわ(俺)を見て師匠はグレて出て行くばって、ちゃんとグレても植物状態の母親を見舞ういい子なんだいな!」



私 「ふ、不良になっても親の見舞いに…クッ。(泣)師匠~!」

ケンさん「ちょっと考えてみればわかることだ。」


そんなわけで、この先が不安なスイッチです。

皆さんコメント欄に、励ましのお便りを……。

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2006-10-25 22:00:20

AtoZ展終了

テーマ:ブログ

奈良美智+graf AtoZ展、無事に終了致しました!

青森県にある弘前の煉瓦倉庫に、会期中訪れた人数約7万9千人。


今頃になって、

五ヶ月間をかけて廃材で街を創り、

世界を創るというのは、

もう二度とないことなのかもしれないなあ…と思ったスイッチです。


会期中に何度も絵を観にいったのですが、

毎回見える絵が違っていました。

同じ絵なのに、見えるものが毎回違う。

やっぱり、絵は観る人の心の状態と深く関わっているのかなと

思いつつ。

ある時はボランティアで関わりすぎて、絵がきちんと見れない時もあった。

突然絵が迫ってくる時もあったし、深く深く吸い込まれそうになることもあった。


だけども、

驚くほどに。私はAtoZの街の建物の一つ一つと、絵の一つ一つを憶えている。

世界は、何かをきっかけに 無限に拡がっていくような気がした。

この扉を開けたらどこに繋がっているのか、先はわからない。だけども、

開けたら今までとは違う世界に私は行く。

意識が変われば見えるものは違ってくる。

そして私の中で問う人がいる。

「では、何を見たのだ?」


よしもとばななさんが、新刊ですごいことを語っていた。


よしもと ばなな
ひとかげ

「子どもたちの心と体は、聖堂だ。僕が作ったのではないし、僕には修理もできない。でも神聖なものとして敬意を持って扱いたいんだ。…(中略)」


「それでは、私の、私の聖堂を、取りもどさなくては。」

この、体を「聖堂」と呼ぶシーンにゾクッと来た。



そして私はこの聖堂のイメージに、奈良美智さんの作品である

Fountain of life の八角堂、あるいは

Shallow Puddles のイメージを見た。

 展覧会のShallow Puddles という小屋は、中に入ると貝殻のように渦を巻いていて、中心に黒い天蓋を持つお堂に出る。六枚の皿絵が中心を囲むように配置された白い空間は、手前が漆黒の枠一つ一つに区切られていて、二重構造になっている。漆黒の柱が聖なるものを守るように手前に配置されており、作品に手を触れることはできない。

 作品は壁の白さに反射して強烈な光で照らされている。

 

 手前に配置された漆黒の黒枠と天蓋に続く闇がコントラストになり、絵と光がまばゆいばかりに差し迫ってくる。私にとっての「聖堂」だ。


 ばななさんの作品と奈良さんの作品は、どこかリンクしていると思う。

そしてそれが思いもよらぬほどに、先を行っている。

 ばななさんの小説が真に新しいと感じさせられるのは、きっとばななさんが、常に人の心というものを探求しているせいであろう。


「ひとかげ」は、十四年前に書かれた 「とかげ」のリメイクだというが、

まるで違う小説に思えるほど、文章が美しく、柔らかだった。


 会期終了の二日前に、よしもとばななさんが煉瓦倉庫を訪れた。

どこかの場所に行くというのは、運命なのだと思う。

 運命は何があっても必ずその人を運んでいく。行きたい場所と行くべき場所は違うと思う。きっと、行くべき場所は体の中の装置が勝手にその事実を知っていて、自分がそこに行くように意識と関係なくセットしているのだと思う。


 必ず人は、自分にあった運命の場所

 訪れる仕組みになっているんだと思う。


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2006-10-20 13:43:40

クレーン車

テーマ:子育て

最近になって師匠(子)が突然、「クレーン!クレーン!」と、クレーン車を指さして叫ぶようになったので、
まるでヘレンケラーのサリバン先生のような気持ちです。

 サリバン「ヘレン、コレが水よ!ウォーターよ!」
 ヘレン「ウ、ウオ、ウオオ…」
 サリバン「そうよ、ウォーターよ!」

 ヘレン「ウォ…ーター!」


 と、いうように。

もしも将来、師匠が三十苦に陥ってもクレーン車に触れば思い出すんじゃないかと思っています。

スイッチ母さん「師匠、コレがクレーン車、クレーン車なのよ!」
師匠「ク、クレ、ク…クレーン!」

スイッチ母さん「師匠!そうよ、クレーン車!そしてこれがダンプ!これがバス!そんで、電車!上は飛行機!!」


…って、乗り物ばっかり!?

 一歳六ヶ月児、只今乗り物に夢中です…。

クレーン車

最近のケンさん

(目玉の親父の声マネで。)

medamanooyaji


カツオ!?

katsuo

って、台詞は一緒か!!




ええと、



落ちナシ。

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2006-10-18 16:39:20

私の中の四天王…

テーマ:ブログ
はいどうもー、子供がムクムク大きくなってるスイッチ母さんです。

師匠が最近、優しいです…。

ものを喋るようになったにつれて、親をいたわってくれるようになりました…。うおおおお。な、何で……!?


師匠「いいこ、いいこ。」


そう言いながらちっちゃい手で親の頭を撫でるんですよ。

師匠!?

なんか、泣けてきた…。子供にされるいいこいいこ、半端ねえ…。

ヤンキーの総統だって明日から釘工場で働き出しちゃうよ。

そんな癒され加減ですよ。


育児の……荒波を、超えました!!

一歳六ヶ月にしてようやくゴールが見えたのですが、

私の見る限り師匠より一つ年上の坊ちゃんがいつも奇声を発しているので今のゴールは本当のゴールじゃないんでしょうね。

今に、「奇声を発する地獄」が待っているのでしょうね…。


まあ、それはその時になったら対処するとしてアレだ。

今月は出版ラッシュが続きましたね。

私の好きな作家さんばかりがどしどし本を出してくれて

「ふおおおお…!」と叫んでました。


スイッチの好きな女性作家四天王……。まあ、風・火・水・土で例えるならば、風は田口ランディさんで、火が金原ひとみさん。水が西原理恵子さんで、土がよしもとばななさんなんですね。

(何も風・火・水・土て例えんでもいいんじゃないか…。)

売れてる人ばっかりじゃん!と突っ込む事なかれ。売れてる本には売れてるなりに理由があるのですよ。まあとりあえず、好きな作家ベスト4

まずは風!!

田口 ランディ
寄る辺なき時代の希望―人は死ぬのになぜ生きるのか

ランディさんの本を読んでいると風に巻き上げられて上空50メートルを飛翔しているような感覚に陥ることがあります。

頭が巻き込まれていく感じ。きっとそれは文体のせいだと思う。

巻き込まれてたどり着いた先に新しい世界が拡がっている。


私は、ランディさんの本を読むまで神社に何の関心も寄せてなかったし、言霊の意味もわからなかったし、神様もいなかった。

なのに、言葉でその世界を表現された途端に私の世界で言葉は意味をもって動き出したし、神様の気配を感じるようになったし、神社がなんか、好きになった。

今まで知らなかった世界を知った途端に、私の世界は色を変えていくのが分かった。あまりにも面白い体験で、ただ単に本を読んだだけなのに、世界が変わってしまうのだ。


なんでかというと、ランディさんは常に物事に接するとき、「わからない」というスタンスでものを書き始めるから、本当にわからない状態から向かうと新しい扉が開かざるを得なくなるのではないかと思う。

わかったつもりで行くと、これ以上の新しい答えは出てこない。

そんなランディさんが選んだ次のステージが、痴呆であり、水俣であり、べてるの家であり、アイヌであったり縄文だったりするのだと思う。そこには新しすぎる答えがある。


そして、次は火!

金原 ひとみ
AMEBIC

金原ひとみさんの「アッシュベイビー」という小説を妊娠中に読んでいたのですが、この人は本当に天才だと思う。

読んでるうちに身体が焼かれるみたいだ。身体の中に炎を燃やしながらギリギリのところで書いてる気がしてくる。

そして言葉が降り注いでくる。

実をいうとまだ「AMEBIC」を読んでいない。本棚にある。だけどこのタイトルと「さあ私の太陽神よ舞い上がれ 安宿に泊まる私を照らせ」だけで充分じゃないかと思う。


それで、水!!

西原 理恵子
いけちゃんとぼく

西原さんの本は、「ぼくんち」を紹介したいのだけど、新刊も。いつも最後は号泣してしまう。

頭の中を海に飲み込まれて、波に押し寄せられてザザンザザンと洗われていく感じ。

読んだ後に何もかも失って、新しく旅立つような

そんな心境に立つ。

一番最初に読んだのは「ゆんぼくん」。友達に勧められて、読んで、もう何もいらないと思った。


そしてラストは、土!!

月影先生も風火水土を演じろと言いました。マヤと亜弓さんは紅天女になるために風火水土を演じます。

さて、トリを飾るのはこのかた!


よしもと ばなな
ひとかげ

ばななさんは、私の相方に勧められて読みました。

はじめて読んだのが「ハチ公の最後の恋人」すごく良かった。

とても大切なものを、土のように静かに、冷静に、育むように

書く人だと思います。土の匂いを嗅ぐような、本当のことに向かってだんだんと土に潜るような…そんな印象があります。

関係ないですけどばななさんの本の表紙を描いている原マスミさんは

ミュージシャンで、高校の頃よくCDを聴いていました。

「身体が 心のように自由に 動けば どこへでも いけるよ」

という不思議な声と歌詞を覚えています。


以上!次は男性お笑いエッセイスト四天王の発表をしたいと思ってます。

掟ポルシェさーーーーーーーーーん!!

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2006-10-16 15:10:20

稲刈りしてました…。

テーマ:青森よいとこ一度はおいで

おおう…。ここ数日、ブログを書いてる場合じゃなかったです。

なんでかというと、稲刈りはしなきゃいけないし、面白い本はぞくぞく出てるし、

大変でしたよ!


kome

今年も脱穀の季節だ~。


米はいいです、米は。年に三回田植えと稲刈りと脱穀をすれば、

一年間家族でご飯を食べられるんだから。

プチ自給自足の山田家では米と野菜に困らないんだけど、

ケンさんめっちゃ肉食うから家計は大変なのかもね!


konnbain

ヒサオさんのコンバイン。


脱穀も稲刈りも、近所の人の助けを借りて一斉にやります。

近所のおじいちゃん、ヒサオさんがいないと我が家は脱穀もできません。

籾殻のままで食べます。(嘘)


tanbo

田んぼの脇のあぜ道に座ってブドウを食べるバッチャ達。



プロの田んぼニスト達の手にかかれば、

このくらいの田んぼの脱穀に二時間もかかりません…。

そう、田植えも二時間、稲刈りも二時間、脱穀も二時間。

合計六時間で一年分の米を生産するのです!



ただし、この二時間はものすごく濃密な作業であるので、

翌日は体の節々が痛くなります…。

スイッチは若手なので、新しい田んぼニストとして期待されてるみたいです。

来年もがんばらにゃー

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2006-10-13 14:05:59

はじめての記憶~AtoZなび~

テーマ:ブログ

フリーペーパー「AtoZなび」を作っていました。

ここ数日、奈良美智+graf AtoZ展のフリーペーパー作業に

没頭していたスイッチですが、

ようやく今日、最終号の入稿にこぎつけました…!


AtoZなび

こちらは3号の「小屋」特集。ピンク色が可愛いです。

折りたたむと小屋の形になるこのフリーペーパー。

1号(茶)、2号(青)、3号(ピンク)、4号(キミドリ)を並べると

、小さな街が出来上がります。


県内のアート関連施設、図書館、観光館、青森空港、能代空港、

東京はAtoZカフェで手に入れられると思います。

(売り切れゴメン!)


フリーペーパーとはいえ、初めての責任編集。

しかも、最終号はずっと形にしたかった「記憶」特集をやることができ、

本当に嬉しかったです。


「はじめての記憶」に何かあるのではないかと思い、

今年の三月頃からずっと、たくさんの人に

「はじめての記憶」を、語って頂いていたのですが。

それを、アルファベットと同じ数26個集めて、

小屋状にデザインした家に収めたいと思っていました。


AtoZに関わった方々の記憶を26個集めて、

奈良美智さんの初めての記憶や、graf 豊嶋さんの何故か忘れずに憶えている

熱を出した時に見る夢の話とか。

八十歳の倉庫のオーナーの「はじめての記憶」や、

小さい頃に自分で水を溜めて顔を洗えなくて、お父さんに濡れたタオルで顔を洗ってもらっていたという、女の子の記憶。純粋に、はじめての記憶って、ピュアなものばかりなのです。


なんで憶えているのだろう?

何故こんな記憶が残っているのだろう。

私のはじめての記憶なんて、「丸くて平ぺたい石を拾う瞬間」ですから、

なんで憶えているんだか、全く見当もつきません。

だけど、この記憶になぜか、癒されることがあります。

最初のうちは、なんのイメージなのかわからずに

時折繰り返していたのですが、

これが「はじめての記憶なんだ」と分かった頃から、

そのイメージに意識を集中すると、

三歳の頃の、石を拾うことだけに意識を集中していた

感覚が残るのです。


何かあるのか、何もないのか全然わからないのですが、

そんなはじめての記憶を26個集めた今回の「AtoZなび」vol.4は、

なんかすごいものができたといった自負があります。

単に、やりたかったことができたから、それで嬉しくて得意になってるだけなんですが。

だけどフリーペーパーを作成するに当たって、集まった仲間でとにかくわけもわからず取材、文章書き、イラスト、デザイン、マップ制作にここ三ヶ月の間、走り続けてきて、昨日で最後の作業で全員でパソコンの前で校正作業をして(何かすごかった!)


ああ、また新しい仲間ができた!と

嬉しくて泣きたくなっちゃったんですね。


スイッチ母さん今年で30歳だから。

この年で新しい仲間ができるなんて、すごく嬉しかった。


いつも奈良展の時って、ボランティアなんて私の性に合わないはずなんだけど

行くとすごい私の求めていた人達がいて、闇雲に作業しているうちに、

そんな大好きな人達と仲間になっちゃってるのが

本当に嬉しいのです。


とにかく、感謝します!


刷り上がりは来週の火曜日。10月22日の最終日まで、吉井酒造煉瓦倉庫のみの限定配布で一万部刷ります。

AtoZを訪れたら、このフリーペーパーを探してみて下さいね!

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2006-10-04 21:42:30

ダンケシェーン

テーマ:アート

昨日息子(一歳五ヶ月)が、初めてドイツ語で挨拶しました。



師匠「ダ……ダンケシェーンッ!」




って、なんで、ドイツ語?

ダンケシェーンは日本語の「どっこいしょ」に似ているせいか、

「どっこいしょ」と「なんまいだ」が言える師匠には意外とすぐ覚える

ドイツ語だったみたいです。しかし、

どうして日本語でありがとうもまだ言えないのに、

ドイツ語教えるかなあ?? 

ケンさんってばよお!!



ケンさんが今まで息子に教えて言葉は、

ダンケシェーンと「十把一絡げ」です。

「十把一絡げ」はまだ言えないのですが、

一生懸命「じっぱ、じっっぱ!」

と言ってる姿が可愛らしいです。


ところで、我が家にビックニュースが訪れました。

先日、4月にアラーキーに写真を撮ってもらったニュースをお伝えしましたが、

その写真集の表紙にうちの家族が選ばれたのです。

こいつは……ダ、ダンケシェーン!?

アラーキー撮影の我が家

日本人ノ顔 青森ノ顔 


この本、二万五千円もする写真集で本屋さんでは

販売されないらしいのですが、

写真撮影の応募動機に「うちのおばあちゃんは棟方志功に顔が似てる」

と嘘ついて出したかいがあるってもんです。

ア、アラーキー…!

ダンケシェーン…!!


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2006-10-03 15:04:45

雪雄子 東北野辺行脚 「薬玉・編」

テーマ:アート

サントリー野辺地蔵置場舞踏
                                          
                                           野辺地・サントリー蔵置場


今夏は、舞踏家の雪雄子さんに連れ添い、

東北中の神社や聖地を訪れ、彼女の舞踏をただひたすら

見る 行為を繰り返していました。

夏が過ぎて秋が来て。

ようやく、言葉が一つの形になったみたいです。


 野辺行脚は野辺地のサントリー蔵置場での舞踏に始まり、浪岡城跡、

小牧野ストーンサークル、西馬内盆踊り、市浦村・山王坊日吉(ひえ)神社、遠野・早池峯神社と。恐れなすほどの自然の力が凝縮した場所で、その土地の持つ神の声が聞こえているかのように彼女は静かに踊りました。


日吉神社
                           市浦村・山王坊 日吉神社

 

日吉神社・苔の森

                                      日吉神社・苔の神殿



早地

                                  遠野・早池峯神社


身体が動くというのは一体、どういうことを言うのでしょうか。その場所の空気に添わせるように彼女は動き、舞いました。


小牧野ストーンサークル


















小牧野

ストーンサークル



 













夏の蝉が産まれ、鳴き、夏を賛歌して死に至るように、生命には始めと終わりがあります。 雪雄子の生み出す舞踏は、舞踏の始まりと終わりの間に生きて、光となり、死ぬまでの全てが凝縮された、「エッジを持った生命」(中沢新一)であると、私は確信しました。  
   
 指先の、ほんのわずかな動きで。こんなにも多くのものを表現できるのかと震えが走ります。観ている我々は彼女の舞踏の中に引きずり込まれ、もう一度、生と死を認識するのです。

彼女は身体で蘇らせていく。忘れてはいけない光景を。生きている大切な光を。
 

早地峯神社

                        早池峯神社・鎮魂


野辺行脚の中で一つだけ異色を放った、富田町のライブハウスで行なわれた舞踏。 タイトルは、「ジャニスに捧ぐ」。
 

 舞踏生活三十五年目にして彼女は、七十年代的な穴蔵のようなその場所で、自身が舞踏家として初めて踊ったジャニス・ジョップリンの音楽で、まさに産まれるという瞬間を、彼女自身の身体で蘇らせたのでした。

 
 舞踏の音楽に使われたロシア語の朗読、ブリジット・フォンテーヌ、激しさを増すアブラゼミの哄笑、訪れる夏の残照、ジャニス・ジョップリンの「サマータイム」……。


サントリー野辺地舞踏花


 過去と現在を行き来して。どうにも哀しく世界と交わる瞬間が舞踏の中、何度も訪れます。彼女の踊りを見ていると、胸の奥から苦しいほどの何かが溢れてきます。
 身体の中で何かが死に、また一度、生まれる。このような感覚をもたらしてくれるのは、芸術に他ならないと思うのです。
 

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2006-10-02 13:23:15

うんこ投げ。現代のしゃらくささとどう向き合うか

テーマ:子育て

一昨日、師匠がうんこをしたのでトイレにうんこを投げにいったのですが、

誤って途中でうんこを落としたのか、

廊下にボール状のうんこが転がっていました。

それを見た瞬間…私の中で、何かのスイッチがONになったのか、

うんこを素手で掴んでケンさんの元へと走っていきました。



私 「ケンさん!見て!うんこだよ!!」

ケンさん 「…イヤーッ!」

私 「廊下にうんこが落ちてたんだよ!」

ケンさん 「だからって、持ってこないでー!!」

私 「ほら! ほらっっ!」

ケンさん 「やめてー!」

私 「ケンさん、任天堂DSで遊んでばっかいないで、

 ウンコ投げでもして自分らしさを取り戻そうよ!!」

ケンさん 「わー(俺)は、ゲームをしているときが一番わ(自分)らしいのであって、ウンコを投げたりするわ(自分)らしさは、ねえ!」

私 「ほらっ ほらっっ」

ケンさん 「きゃー!やめてー!!やめてよー!!」



ってまあ、そんなわけでうんこが廊下に落ちていると驚くよね


ところでタイトルの「しゃらくささ」なのですが、

最近、口癖が「しゃらくさい」であって、何に対してしゃらくさい!と思っているのかというと、言葉と実態のずれに対してたいそう、しゃらくささを感じているわけなんですな!


この間「蟻さんぶっちん」の記事を新聞らしくアレンジして育児日記に載せたところ、「蟻を殺すなんて…。いのちは、大切にして欲しい…」との、読者様からのお電話が新聞社にあったそうです。

「い、いのちですか……?」新聞社の人「そう~。やっぱり、いのちというテーマは今皆さん敏感になってることですし、お電話された方は育児の活動をされてる方で、よそのお母様方がスイッチさんの記事を読んでね、蟻を殺したりするのが良いことなんだと伝えてはならないと思ったらしいんですよね…。」

「ハア。でも、昔の子供ってみんな、蟻つぶして遊んでましたよね…? 返って虫を殺さなくなった今の世代が、殺人とかそういう事件を起こしてるっていうか…。」

「ああ、そうですね。蝉の羽むしったりとか、やりましたね…。でもきっと、そういう気持ちはあの記事では伝わらなかったんじゃないかと…。」

(って、伝えるつもりないですもん!!蟻ぶっちんにテーマも何もないですよ!!)



少しだけ、人の「自分の思い通りに他をコントロールしたさ」を感じてぞっとした出来事でした。ひええ! 

コラムの内容を粛正せよというほど他人を直したい気持ちって一体、なんなんだ…。自分で「蟻は殺さないようにしよう」ってコラムを書けばいいのに…。



いのちっていう言葉を、深く考えて生み出した人は

まさしくこれしかない言葉で使ったはずなのに、

「そうだ!いのちだ!いのち、いのち!」

と、便乗して使われだすと、どんどんもとの形から遠ざかってしまう…

気がしてならないのです。



それで、自分では深く考えもせずにいのちがどうのと言われると、

どうにもしゃらくさく感じてしまうのです。

あと、実態から遠のきつつあると思う言葉…ボランティア。



ボランティアもね、聞こえがいい分損だよね。

普通に「ただ働き」って言えばいいのにね。

ただ働きの方が素晴らしいのにね。



なんといっても、タダで働いていいほど魅力的な人達と仕事するわけなんだから。

タダで働いていいほど叶えたい夢なんだから。ボランティア…みたいに、なんか他の良さげな意味も含んでそうな感じを持つと、多様化された意味に惑わされる気がするのですよ。奉仕精神でやってるわけじゃないと思うのね。自分で決めたただ働きッスよ。その方が潔いと思うのですね。


それで、しゃらくささはどこから来るかというと、

本当のこと(事実)を言ってない現場から現れるんだと思うんですね。

やはり、実体からの乖離が一番しゃらくさいと思う。

思っていることを言わない現場とか。そう、大概の場合は会社。

どちらかというと会社とか、お金で繋がった組織の方にしゃらくさいことは

多くあると思うのです。



が、ボランティアも言葉だけが横行して

「ボランティア、すばらしい」とか

そういう風潮が出て言葉と実体ががっちり一致しなくなってきたら

やばいと思う。


「タダでも働きますよ。

奈良さんもgrafさんも格好いいッスから!」


っていう、事実と違わないところが残っていけばいいなあと思ってる次第です。

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