deliciousさんからコメントを頂いた。有難う。

deliciousさんの写真はとっても、綺麗。

フォーカスが心のフォーカスと、一体となり、美しい。

・・・景色は、こうありたい。・・・見てて楽しくなるし、感心させられる。

澄んだ心でしか理解できない風景が、・・・あると思う。嬉しい。

嵯峨野を去ろうとしている。・・・水尾の村と、樒が原を。通り過ぎて。

水尾天皇の事は、また。樒(しきみ)の事は、・・・たぶん、空海の風景の中で。

波の怒涛と共に、話したい。ただ。・・・

気になる言葉がある。本書の中に。

嵯峨野を歩いて。秦氏を、語らぬは、・・・ローマの遺跡を見て。ローマを語らぬに、等しい。・・・

秦氏。はだ。田の人。・・・広大な嵯峨野の。・・・多分、農耕指導者。朝鮮からの、来人。・・・が。日本の有力者。

(わだ・・・と。なれば。海からの人。・・・ここらは。taizoさんが詳しい)

ことごとに、出所を、あきらけく事が、大事なこととは、思えない。
特に。この、5世紀の、日本において。大切は。出所でなく。技術と、財力と。

人となり。・・・である。今も、今からも未来永劫。人は、民族では判断されない!

5世紀の近畿において。蕃別。壱千有氏。・・・つまり。外人が、1千家族あまり居る。と言うことが、書かれている。

古事記。日本書紀。

その正誤を判じる。のではなく。・・・いかん。ちょっと熱い。

話せば話すほど。・・・古代から。血統などという柵(しがらみ)を、持ち合わせてない日本人が。
妙に拘ると、国際社会から思われている。

政治は、地域その、人々に。投網を、掛けたようなもの。・・・司馬さんの言葉。

まだ、あまり理解できてないのに。披瀝するのは、危険なこと。ジップ。

・・・この、嵯峨野散策は。結構、短い。・・・何時ものことであるが。
私の。思い入れが、激しすぎで。永くなった。

司馬さんの26巻は、これから。仙台に。向かうが。

私は。洛北に、あの、骨酒を。飲みに。行こうと思う。

期待の割りに。・・・また。短い司馬さんの言葉だと思う。

岩魚が、鉢の中で。酒に恍惚としている。・・・ちょっと。私の好きな酒の無駄話。を
息抜きを・・・したい。

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桂川あたり

松尾大社は、その位置といい。構えといい。私は。好きだ。
古代が。見える。・・・ただ。・・・

哀しいかな。時代の流れと言うか。場所が、マッチしなくなった。
しかし。これは、古代人の責任ではない。

渡月橋から松尾大社に行くまでの、雰囲気は。京都も緊張が、維持出来てない。・・・司馬さんは、そう言う。

松尾大社は、松尾山の麓にある。一般に神は、人である。・・・がしかし。此処は。

山の恵み・・・水・・・稲作に必要な。をもたらす山が、祭られている。
山頂には磐座(いわくら)の遺跡がある。

鳥居から見える松尾山。山の麓に水なる神への、感謝の入り口様に、構える大社。

静けく。美しい。

ただ。・・・その水のお陰でか。・・・酒の神さまに、なっている。秦氏のニガの、微笑が、聞こえるようだ。

車折神社。この神社は、そう、悪い神社ではないと、思う。艶やかさはそれで、いい。

ただ。剋太画伯が好きになれない雰囲気も、理解できる。・・・表現できないが。

表情に表れたそれに。・・・にこっと。頷く。そんなやり取りは出来たと思う。

・・・これは、同行してない。独り善がりの・・・想像である。

画伯は、この朱色が嫌いと言うわけでは、ないと思う。・・・勿論。なんの、説明も出来ないし。実際、画伯は司馬さんに、そう言われている。・・・私が間違っているのだが。

参道の朱の板の玉垣に、芸能人の名が、大きく書かれている。ずらりと並んだ、



の名前。・・・舞台の成功を祈願する。心に邪心があろうはずはない。・・・

が、その、数の多さ。と、大きさ。

何かに、求道の心を追って止まない。画伯の。心。とそぐわない。信じたい。

祭神は、芸能には、関係ない、平安時代の大学者。清原頼業であった。

頼業の死後。清原家の所領であった。神社の付近に、埋葬され。生前好きだった桜を沢山植えたそうだ。・・・桜大明神とか、車折神社と、呼ばれていた。

嵯峨野が好きな亀山天皇が、ここを。行き来し、あるとき。その、祠の前で、牛車が、動かなくなった。

天皇がこの場所を尋ねたところ。かの、清原の頼業の・・・と言うことで。

車折。「折」は、前・・・か。私は、そう思いたい。司馬さんに習って。

心地よい。この響き。

ただ。頼業さんは、掛け取の、神さんに、なっているらしい。

おたかさんと言う女将と、司馬さんの。笑顔と。司馬さんの真面目さ。

風が。・・・微笑み、遊んでいるようで。・・・心地よい


・・・好きなくだりで、しつこく書いてしまった。・・・


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豆腐

「森嘉」さんの事が、書かれている。・・・いまだ、ニガリで造られていた。勿論。
今でも、評判。京一美味しい。・・・と。

ちょっと、時代が、動いた。その頃は、ニガリよりも、塩化マグネシウムを、凝固剤に、の、風潮があった。・・・その時代にがりに固執することは大変だったと思う。

・・・現在。ブームとして、ニガリは、評判を博している。・・・牽引しているのは。

・・・女性・美容・ダイエット・・・。うちの風呂場?にも・・・ある。

テレビでだが、中国の、豆腐つくりを、みたことが、ある。

凝固剤は、石灰。豆腐を、取り出すため、カナヅチで、叩いていた。
祝いの席で食べる。所謂。特別食。だったようだ。

数年前、私は、中国の豆腐・・・なにか、腐豆腐・・・と聞いたような記憶がある。・・・を、試食したが。・・・香りに、負けて、口にする事は出来なかった。

中国からきた、豆腐は、土佐で、造られ始めた。渡来人の技術である。
・・・縄で括って、持ち帰った。・・・そんな、言葉がある。 硬かったようである。

ことさら、司馬さんが、豆腐を、サブタイトルにしたのは、「花神」の、村田蔵六の、残影のようだ。
蔵六は、人としても(他人から、見て)、人との対応にしても、どこか、豆腐のようだ。

・・・それ自体、・・・人としてツマリ。みんなの先を行き過ぎて。・・・薬味無しでは、私のような凡人には、味わいにくい。

戦の、慰労会に、料理・・・豆腐だけの・・・に、怒って、席を蹴飛ばした方が、いて。・・・名前は言いたくない。・・・

・・・反動として、蔵六を、理解でき。・・・る。ような気がした。

嵯峨豆腐森嘉

deliciousさん
トラバ有難う。天竜寺と鯖寿司。垂涎です。
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豆腐と渡月橋3

司馬さんは、剋太画伯と渡月橋の復旧を昭和にされた、親谷さんと、湯豆腐を食べながら、思いつく儘、話をされている。

元の渡月橋は、いつ、造られました?

それは、専門外です。・・・から。

不思議な事に、その、橋脚は、岩盤に根ついていない。・・・らしい。
昭和の時は、故に、その、橋脚に円筒をまいて、コンクリートで固めたらしい。

そうして、豆腐が、出来るのですね。(剋太画伯)・・・??

三方の、頭の中にいろんな物があり、会話が。問答のようになっている。のが、面白い。

画伯は目の前の、親谷さんを、豆腐の老舗。森嘉の人と勘違いしていた。

司馬さんは、都江堰が、ずっと、あったようだ。

都江堰を、人工じゃないでしょうかと、想像されたのは、森浩一教授。

その、勘のいい、説明が、司馬さんのなかには、あったようだ。

考古学で、有名な。・・・著書を少し、かじった。・・・また、いつか。

休題。・・・とうとう、ダウンで、毎日が、途切れてしまった。
ダウンは、体でも、あり。頭でも。あります。・・・休んでしまい、・・・反省です。
・・・仕事も。

豆腐と渡月橋2

無窓疏石は、権門が、嫌いである。。。。いきなりですが。

禅のひと。・・・は、こぞって。そうですよね。 当り前のこと。

・・・人は。難しい。かつて。には。禅僧にも。色々と。いらっしゃいました。・・・悪意がない。が。ちょっと。した。やり取りの中で。 本意でないのに。・・・・売僧と、非難されたり。・・・ちょっと、哀しい。

この辺の詳細は、34巻の、反芻。になる。

言いたいことは。その無窓が、嫌いな権力者から、とっても。愛されたこと。

土佐まで逃げた。 けど。

13世紀頃。の話。後醍醐天皇や、嵯峨天皇。に、愛される

天竜寺を建立することになった。

・・・資金を、調達するため。中国に、貿易船を渡らせた。5千貫もの、お金。その頃。中国は元。

天竜寺は、南北朝の乱を弔うために、建立された。

後醍醐天皇は、夢想に南禅寺までも与えた。

・・・どこか。豆腐に、移る糸口を探しながら。独白を、続けている。

豆腐と渡月橋

この本の。カバーには、素敵な絵が描かれている。(京都図絵)

嵐山。亀山。小倉山。の、俯瞰図。・・・その、亀山と嵐山の間を、保津川が流れている。そこに橋が架かっている。

渡月橋

中国。蜀の、・・・都江堰。(とこうえん)との、対照は、面白い。
・・・つまり。人工の、・・・美観・・・と言う意味。

どうも。私は。ずっと。このことだけを記憶していて。渡月橋を作ったのを、角倉了以と決めて罹っていた。

橋ではなく。川。中州を、含めた。その、景観。川の機能。それ自体が人工で。あった。

蜀の場合。昭襄王が、作らせた。
保津川は。角倉了以が。・・・作った。

何故。表現が、違うかと言うと。了以の場合。私費で。ばくだいな。工事を完成させた。と。言うことである。

例によって。剋太画伯の了以の、木像の、絵は。強烈。

了以の絵を探したが。・・・渡月橋の。くだりではなく。大悲閣に、あった。

渡月橋の。・・・司馬さんの。賞賛は。

水平が、静かに。自然に。溶け込んだよう。・・・主張がない。

夕暮れの。高瀬川の。セセラギを、その橋の上から。眺めるようで。

あたりの。紅葉を。・・・思わせる。

気分

小説のことを。・・・言っている。司馬さんは。
自分が書いている時代と随分。違って。私は。これから先も(小指を示して)間違いはかけないんです。・・・

現代はそれだけ、忙しく、情報が激流のように流れている。

仕事柄。青森の中学生の方から、携帯電話の仕組みや、電波のことを教えてくださいと。オファーが、あった。修学旅行の、一グループ。五名。だった。

私が?教師?・・・無理。お断りしたのだが。・・・

いろいろの質問の中に、所謂。変なサイトの、対処法を、聞かれた。

これだけは多分聞かれると。・・・思い。考えておいた。

・・・情報を、よける事は、社会。企業。含めて。システムとしては無理。

・・・皆さんも今から、膨大な情報の中で。生きていく。

・・・避けるのでは無く。情報を自分で判断し。・・・生活していって欲しい。

・・・納得してもらったようで。メールを後日頂いた。

・・・あの時の写真。送ってくれー。今、授業中。眠たいよー

・・・こらっ

「虞美人草」の、一場面。
・・・寺の裏に回り、これが。天竜寺さ。なんて気安く言う。・・・英国帰りの何かに対する怒りか。
傍若無人は。その小説の此処そこにある。
・・・こんな、屋根や静けさも。大燈や無窓を、知らなければ。ただの景色だ。
・・・甲野さんの口を借りて。

無窓国師。疏石。・・・漱石は誤りでした。

天台宗から、禅に。・・・大悟29歳。

またしても、大悟の。言葉は。「む」と「つ」

・・・虚空の骨・・・が、砕けた。 (何かを悟ろうと努力し、只管、地面を、掘っていた。何も見つからず、・・・ある夜、その穴に、足を取られ、転び)

老熟の破戒僧とは、違い、中庸の、穏やかな僧と書かれている。

・・・三人の国師は。私の勘違い。無窓一人で、三個の国師号を、得ている。

・・・大燈の瓜好き。・・・無窓は、何が、好きだったのだろう。

人間。以外に。・・・「避ける」禅に。・・・・共通している。



忘れていたこと

どこか。この巻にあると。思っていたことが。違う所に顔を出していたり。人間の記憶は。相変わらず。曖昧で模糊としている。

天竜寺船のことが。あの街道をゆくの。・・・34巻に、あると、思っていたが。
別巻だった。・・・大燈国師と、無窓国師も。違う窓辺に。いた。

嵯峨の件は。仙台の松島のと。同じ本の中にあった。

地図的にいえば。京の。西エリア。山の中。

国師。三人しかいない。一人の無窓・・・は。国師と言うより。漱石。と。呼ばれる。

んーーん。あの。夏目も。確か。漱石。

ただ。無窓国師の場合。そうせき。と言う発音より。ソセキと発音したい。
気分。・・・・だが。

あの頃は。ゆったりとしていた。少しの間違いもゆるされた。今は違う。。。。