奇跡5

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二週間の退院が終わり

病院に戻ると、すぐに手術の予定でした。

やっと、癌と戦う事が出来るのです。

西洋医学の中で、たった1つだけできる手術です。


その手術を明日に控えて、私は夕方病院から帰宅しました。

何も知らずに・・・

その日の事は、yamauchiが、詳しく書いてます。

売店に行かされた事、自分で準備をした事、


病院側には、ひとこと言って欲しかった!と思いました。

確かに、本人は元気でしたけれど・・・

後で聞かされて、切なくなりました。何の為に私は毎日・・・と、


その日の夜、携帯に主人から電話があり、

とにかく詳しい事は明日話すから~明るい声でした。

それは、私が落ち込まないようにする為の

主人の優しさだと直ぐに解りました。

でも、それよりも何よりも

中止・・・なのです!耳を疑いました。

翌朝、病院に駆けつけて聞きました。

何故?!

腹水だって!やはり明るい主人です。

出来ないの?!みたいだね、気付いて良かったらしいよ、手術前に。

そう・・・・

どうなるのでしょう・・・言葉がありません・・・

とにかく、薬で何とかしてみましょう!が、病院側の意見でした。

利尿剤を増やし、他の薬も・・少しずつ・・・


13の喜びの中の、一番大切な事が・・・消されました。

でも、主人が言いました、気付いて良かった・・・そうです、そう思います。

とにかく、そう思う事にしました。


その日、担当医から、家族一緒に、その説明をしますと言われ、

改めて話しを聞く日を指定されました。


そして指定日に、先生は、主人と家族との間に、

とても不自然な感じで、数分・の時間の差を、つけられました。

家族だけを先に部屋に案内され腹水の事を言われ、

このような状態では、手術は無理だと言われました。

主人が来ないように何度も廊下の様子を伺いながら、です。

とても嫌な感じでした。


主人が、良いでしょうか~と、後から遠慮がちに入って来ました。

結局・同じ事を言われた・・・と思います。

なので、何故・・・時間の差を、つけられるのか、とても不思議でした。


それから、一週間程して・・・

順調に薬が効いたのだと思います、

あの腹水が、消えました!!

私達は、奇跡!!!だと思いました。             yamatsuma




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その後(家族)1

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指輪


三週間程前です、

娘は新しい薄紫のワンピースを着て、お迎えの

T君は薄ピンクのカッターシャツにスラックス姿で、

いそいそと出かけて行きました。

どちらへ~~??つい聞いてしまいました。


婚約指輪を買いに~!!でした。


形に拘らず囚われず・・・と育ててきたつもりでしたが、

娘がT君と、1つ1つ相談しながら、2人で歩き始めてるのを見るのは嬉しい事です。


帰宅して興奮した2人?1人?に聞きました。

T君は、いつも使わないのに、今日は本当に在り難かったぁ~!!!と、

クシャクシャのハンカチを見せてくれました。

とても緊張して、汗が異常に出て止まらなかったそうです。

それに引き換え、娘は涼しげな顔をしてました(笑)。


某店で、婚約指輪を~そう伝えると

特定の席に案内されて、それなりの品々を次々と持ってこられたそうです。


その席で、まず汗が出て~その金額でまた汗が出て~逃げ出したかった~~!!と、

T君は烈しく訴えてました。でも、何だかとても嬉しそうです。


丁度アンティークフェア中で偶々・凄い(見当もつかない)品があり、

珍しく、なかなか出会えない貴重な品だから、と見せてくれたらしいのです。


まだ興奮冷め遣らないT君が、さらに、話してくれました。

ゆ~が、ゆ~がその中から、一番安いのにしてくれたんですよ~~!!!

満面の笑みです・本当に嬉しそうです~~私もつい笑顔になります。


夕方には本店に返される数々の品の中に、

娘の指にピッタリ!!の指輪が、あって、それは、

一番初めに持ってこられた品だったそうです。

娘は、つけた時に決めてたの~と、涼しい顔で言いました。


その指輪は100年前のイギリスの品だそうです。

あまり宝石に興味がない私ですが少し見たい気がしました。


その指輪が届く日に、四人で食事をする事にしました。

娘の希望で、家族の思い出の場所の1つ

もう何年も前に行った恵比須ガーデンプレイスの38Fのお寿司屋さんです。


主人の写真を持参するつもりです・・・   yamatsuma













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思い出の場所(家族)1

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娘の婚約者・T君の事を~少し・・お話しします。

T君と娘は小・中学校の同窓生。

付き合い始めて6年めの二人の事を、

主人は始めから、ずっと認め~見守ってきました。

そうです、娘と早く結婚させようとしていた

彼,、T君です。


それはT君が好青年!!だという事は勿論・ですが、

もう一つ決定的な事がありました。

娘が年頃になった頃に何故か

「付き合うならラガーだよ!!」主人は何度も言ってたのです。


以前にも書きましたが、主人は娘に対して、結婚の時期・仕事・とても気にしてました。

仕事に関しては娘も途中まで主人と同じ夢を目指してましたが、

ある日その学部の推薦を総て取り止め浪人生活に突入しました。

その時の主人の落胆は言うまでもありません。

それから娘は、その一年で自分の考えを固め進む道を決めました。

それまで特に反抗期がなかった娘の初めての反抗だったのかもしれません。



その娘が、ある日突然、紹介したい人が居るといい、

彼を家に招待しました。

その彼T君は~なんと、

ラガー!!!でした。

主人は、後から私にだけ、   

やられた・・・何も言えん・・・と唸ってました(笑)

その時娘は単なる偶然なのに~と涼しい顔です。


そのT君ですが、

娘が留学中に、突然一人で家に遊びに来てくれました。

ちょうど、主人がギックリ腰!で一週間程仕事を休み、

ようやく歩く事が出来るようになった、その日の夕方でした。

娘が居ないのに来てくれた事と、タイミングの良さに

主人は、とても喜び(勿論私も)

お祝いを兼ねて、初めて三人だけで宴会~をしました。

今思うと三人での宴会は、その一度だけです・・・。


娘の居ない宴会?ですが、

T君の人柄でしょう~とても温かく楽しい時間でした。

話好きな主人ですが、その日はT君の話を聞き~~私も、いつの間にか聞き入ってました。

その時間の中で主人は、もっとガツン・と言えよ!と、

気が強い娘への接し方を力説!!してました。

T君は、とても素直に返事をし、ハイ、今度からガツン・と行きます!!と言ってました。


その日、気付いたら深夜2時まで~話し~飲み~

その時、息子も留学中の寂しい我が家だったので~

久しぶりに賑やかな時間は、あっという間に過ぎました。


T君の自宅は、わりと近いのですが、さすがに遅すぎます、

泊まってもらおう・と夫婦で随分引き止めましたが、

T君は遠慮して、帰って行きました。 当然でしょうか・・・

後で娘から、当然だし!!もっと早く帰してあげて!!と怒られました。

自転車での帰り道、あまり覚えてなかったそうです。

T君ゴメンナサイね!


その後、娘が戻り、又皆で食事をする機会がありました。

やはり、以前と変わらずT君は娘に優しく接してくれてます。

その様子を見ていた主人は、

お~い!T君!!あの約束はどうした~?と質問しました。

T君が、何か言おうとした、その時娘が言いました。

何のこと???いったい何のこと!!!

女性の弟六感でしょうか、鋭い眼差しです。


主人もT君も、一瞬・考えたようでしたが、

いや、別に・・・・殆ど同時に呟きました。

私はひとり心の中で爆笑しました(笑)


あの日から、

T君はずっと、娘を励まし・慰さめ・傍で支えてくれました。

主人の病気の事を早い時期に知らせる事になってしまった

ご家族からも、沢山のお気遣いを頂きました。

貴重な秘薬を早い時期から、負担にならないように御見舞と称され

・・そして、その後も何度も・・さいごまで。

主人は、娘から手渡された秘薬を喜んで飲み本当に嬉しそうでした。


T君と、ご家族の存在が、家族だけで頑張っていた我が家にとって

どれ程、心強かったか解りません。

感謝の気持ちでいっぱいです。


そして、

主人の希望であった2人の結婚が、

今・・主人が旅立った我が家に・・・とても明るい光となってます。


主人に、改めて感謝します・・・      yamatsuma

























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その後(終末期医療)

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終末期医療の問題


延命  最期の選択


読売新聞で特集・連載され先日終わりました。

江原さんも注目されてました。(毎日、江原さんの日記を読んでます、今の私にとって学ぶ事が満載です)

とても考えさせられる素晴らしい内容で、今後も継続して欲しいと書いてあります。


私は、あの日から、あえてそういう記事は読んでません、読まないようにしてきました。

主人は最後まで在宅を望みましたので、終末期の病院関連は、あまりよく解らない気がしてました。

ところが、江原さんの言葉から~とても気になり始め、しかも手元にある新聞です、とにかく読んでみました。


あまりにも様々な事が起こってる事に驚きました。

江原さんは、本人は勿論・残される家族の事をとても心配されてます。

一部の病院側の配慮の無さに、心に深い傷が残るのではと、私も、そう思いました。

現実、病院側に、そういう配慮がない事の方が多いようです。確かに難しいのでしょうが~

患者側から言わせてもらうと、殆どの患者が一生に一度の経験をするといっても過言ではないと思います。

しかも初めての思いがけない経験なのです、何も解らないのです、

なので、どうしても・・

数多くの経験をされる病院側に期待してしまいます、今後も期待して止みません。

それは、いけない事なのでしょうか。


主人のその時を思い出せば~結局、最後の二日間、本人の意思ではなく入院する事になり、

その誓約をさせられました。輸血、人口呼吸器、その他・・・色々と決めてくださいと云われ、

とにかく動転してましたが、息子と相談しながら別室でサインをしました。

実は、まだ、その日の事を詳しく書く気持ちには・・・・

一つだけ・・今でも心に残ってる事があります。

その誓約の事、以前に

もう時間が殆ど残されてない主人の傍に居られなかった事です。

別室で症状の説明があり、今後意識は戻らないでしょう!と云われ、とてもショックを受けましたが、

まだ、その時に主人の意識はありました!あったのです。

結局、その後、私が病室に戻ってから意識は戻らず言葉は聞けませんでした。数分・・の事でした。

とても残念です・・・       



その延命措置をテーマにした

8月13日「編集手帳」で、興味深い記事がありました。


「延命措置」という言葉に象徴されるような、終末期医療の在り方が論議を呼んでいる。

どんな処置を望むか、患者自身が事前に選択できないような空気も社会にはある・

死に付いて考える時に思い出すのは、詩人の青木新門さんが書いた「納棺夫日記」(文春文庫)だ。

葬儀社に勤務し、納棺の仕事に携わった体験をつづっている・

この仕事を始めた30年以上前には自宅死亡も多く、「枯れ枝のような死体によく出会った」という。

しかし、事故死などを除いて病院での死亡が当り前になった今日では、

「ぶよぶよした死体」が多くなった・口から食べ物がとれなくても点滴で栄養が補給されているためだが、

時には喉や下腹部から管などをぶら下げたまま、病院から運び出されるケースもあったという。

「晩秋に枯れ葉が散るような」、そんな死の形が姿を消した・

朝から晩まで、猛烈会社の営業部のように周囲から「がんばって」と言われる中で、

患者はひとりぼっちで死と対峙しなければならない。こんなことも書かれている・

青木さんにうかがうと、「私は枯れ枝のような死を選ぶ」と話された。

医師とはまた別の視点で死と向かい合ってきた人の言葉には深みがある。

自宅死亡は望むべくもないが、病院でも、

それぞれの人の希望に沿った死の迎え方ができればと思う。

 


本当に・・・そう思う内容の文でした。

そして、青木さんの本は、職業柄、表現が強烈・だと思いましたが、

主人を通して貴重な体験をした私には、今とても読んでみたい一冊です。     yamatsuma







奇跡4

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その二週間は、yamauchiが書いてるように

瞬く間に過ぎました。

晴れた日の朝は散歩に始まり~

雨の日・・主人は、がっかりだ!と言いましたが

少しホッとしてるようにも見えました。

私は一緒にノンビリできる雨の朝が好きでした。


主人が一日のスケジュールを立てます。

ある日は車でスーパーに食材を買いに行き~

料理好きな主人は何度も台所に立ち一緒に作りました。

家族一緒の食時の時間を其々が大切にし~~主人は子供達と沢山の話をしました。

又、ある日はBOOK OFFに行き司馬さんの本を買い~書棚の本を整理しました。

大好きな万年青の手入れをし~家の周りの樹を切り~主人は自宅での毎日を静かに楽しみました。

自宅での時間を満喫してる主人を見るのは、とても心地良いものでした~私はずっと主人の傍に居ました。



病気が判ってから私は沢山の本を図書館で借りて読みあさりました。

末期癌・・・どの本を見ても落ち込む事ばかりです。

ただ、総て知らなければ!初めはその思いだけでした。

西洋医学が見放すのなら、東洋医学です。

書店に行き他の病院の別の手術法も調べました。

免疫療法という画期的な療法も見つけました。

でも、例の手術を受ける事は決まってます。

主人には言わず、密かに資料を集めました。


九月のその日以来、我が家から全てのお酒が消えました。

結婚生活26年めにして初めての事です。

様々な癌が治ると言われる飲物で主人が納得したものは、

強い期待とともに早い時期から飲み始めてました。


飲物同様食事も肝臓に良い物に切り替えました。

今更?いえ無駄な事とは思えません、主人の命がかかってます。

例え僅かな効果でも、何でも試して欲しいと願いました。

塩分が限られ添加物は良くない(殆どの物に添加物が入ってる事に驚きました)

どうしても美味しくない食物になります。これは後々美食家の主人が一番辛い事でした。

熱々の物、冷たい物、辛いもの、甘いもの、 身体に良くないことの数々、

それをあたりまえにしてた日常に気付き愕然としました。

結婚して朝食を欠かした事がない!主人の自慢でした・・・虚しく聞こえます。


幸い、この二週間、なま物以外は何でも良い!病院からの制限は特にありませんでした。

主人が好きな物が食卓に並んだと思います。

ユックリのペースで、あっという間に過ぎた自宅での時間でした。


毎日体重を測っていた主人は、退院時より少し増えた体重と

お腹が少し出たことが快調な事だと喜びました。

それが・・・腹水というものだとは夢にも思いませんでした。            yamatsuma









その後(スピリチュアル)5

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主人が旅立ち~~まもなくの頃です。

息子が、父の夢を見た!!と、わりと明るく言ったので、どんな夢?と尋ねました。

とにかく生き返って~(その時期に、表現がリアルすぎます・・)  えっ?何?

生き返ったんだよ~~息子は夢の中で驚いて、

約束してた友人に電話をし、親父が生き返ったから今日は行けない、じゃあ又~と、約束を断ってる夢!!淡々と話してくれました。

私は、驚きながら~微笑むくらいは出来たでしょうか~フ~んそうなの~エ~そうなの~ただ、繰り返してました。


それから、数日後、今度は娘が・・・父の夢を見たよ!!!と言いました。

え~(あなたも!!)すぐに、聞きました。どんな夢???興味あります。


それが、父が生き返るのよ!!!

え~、生きてるのでしょう?~夢の中で~

違う違う、夢の中で生き返ったのよ!!ちゃんと生き返る夢よ!!


私は言葉を失くしました。

なぜ二人とも・・なぜ・・そんな夢を・・・

後は、私だけ・・・

それから、妙なプレッシャー?期待?で、就寝しますが、全く夢を見ません。


そんな時、テレビ・オーラの泉で、

尊敬する江原さんが、

恋人を亡くされたばかりの長谷川理恵さんに、言われました。(私は涙・涙で観て、その後、何度も観た回です)

今・あなたの中に、一緒に居ますよ、だから、夢は見ないはずです。


これだ!!と思いました、私は一緒にいるから・・・何だか少し、嬉しくなりました。

ずっと居続けるのは、良くないそうですが、

その時は、一ヶ月と少しの頃です。間違いないと思いました。


ところが、その数日後、

主人が夢に現れました。

そこには、元気な主人が居ました。

何かのパーティーで、沢山のカップルが、伝言ゲームのような事をしてます・・


途中は、あまり覚えてませんが、

最後に、そのゲームで私達夫婦は、負けてしまいます。

主人が、伝言をしなかったから~だったような感じでした。

それで、私は主人に

どうして伝えてくれなかったの~!!と、尋ねました。

すると、主人が私ををシッカリ見据えて(今でも、その顔を覚えてます)


「バカ!!俺は、死んでるんだぞ!!!」


そこで、目が覚めました。

暫く、呆然としてましたが・・・・そうです・・・そうでした・・・現実です。


その朝、すぐに子供達に、伝えました。

やっと見たよ~母も!!

聞きたい?  二人とも別に~の顔です。

私は、言いたい!とにかく、見たし・・・生き返った夢ではないけれど

とにかく、夢で逢えたのだから。


あのね、怒られたのよ!!俺は死んでるんだよ~だって、ヒドイよね~

わざわざ夢で言わなくても良くない?

二人とも、ふ~んそう・・・

うちの子達は、こういう時・とても冷たいと思います。


私の夢でも、生き返ってくれても・・・良かったのに・・・と思いながら

その日の午後、一人の時間を過ごしてました。


そして、ふと・気付きました。

夢から覚めて、辛かったのは、子供達だったのでは・・・と。



その夜、娘が本を貸してくれました。 

スピリチュアル夢百科 という、江原さんの本です!!

その時は何故か、あまり理解出来ず~


昨日、何となく・・読み返しました。

まだまだ、全てを理解するのは難しいですが、今度は、とても興味深く読みました。

夢の中で、私達は、故人との再会があり、さまざまな気づきや励まし、

時には指針までも、与え、サポートしてくれているそうです。


この本で初めて夢の本当の意味を知り、とても驚きました。

今後、夢の神秘を知り、より感動に満ちた人生を送れるようになりたいと思ってます。


そして改めて、

あの夢の事を、私なりに理解することにしました。


主人は、子供達に、死んでない!傍に居る!という事を伝え、私には、

シッカリしろ!!と言いたかったのではないかと・・・     yamatsuma





 







思い出の場所(車)

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子供達~

娘と息子、

男女平等~が当り前の時代ですが、

女性と男性では、違いが沢山あります。

うちの場合、性格も、違います~似たところは・・と、考えてみると

クールなところ?冷めたところ?

これは、主人がシッカリ植え付けてくれました。

江原さんの言葉で、

「肉体は遺伝するが、魂は遺伝しない」 ナルホド~~と、納得しました、実は昨日・知ったばかりです(笑)。

江原さんの言葉は、私の中のもやもやしてた部分を、一つ一つ解決してくれます。

子育て

二人の子供達・・同じ様に育てたつもりですが、個性が違う為に、受け取り方が違います。

子育ての難しさを、痛感しながら、ただ、必死~夢中~で、一緒に過ごしてきました。

その間~子供から教わる事の方が、多かった気がします。


年頃になり

娘とは、一緒に行動する楽しみが沢山あります~次々に色々な場所に出かけました。

これからも、たぶん、ずっと~~そうだと思います。

息子は、年頃になって~私と二人で出かける事は、殆どなくなりました。

高校一年の頃でしょうか~~突然言いました。

お母さん、ゴメンネ!!何のことだか解りません。

大好きな先輩が、母親と二人で、とても仲良く~~近くの駅を歩いていたそうです。

それを見て、恥ずかしがってた自分が恥ずかしい~と、言ってくれました。

その後すぐに二人で、何処か忘れましたが、出かけました。

何だかぎこちなく、とても気を使ったのを、覚えてます。

無理は良くない!

多分、お互いにそう思ったのでしょう、一度だけでした(笑)。


主人が入院して、そういう機会が増えました。

初めて息子の運転で、近くのダイエーに買い物に行った時のことです、

駐車場に車を停めた途端、迂闊にも、私は助手席で泣いてしまいました。

突然こみ上げてきました。自分でも、どうしてだか解りません。

息子はビックリしてましたが、私が一番ビックリしました。

いつも、あたりまえのように、主人の助手席に乗っていた自分、そして、もう二度とそれが出来ない、出来なくなる、

その感情だった気がします。息子がどうの~ではなく・・


今では、それも乗り越え、時々・ダイエーに息子と二人で行きます。行ってくれます。

慣れては、きましたが、何だか落ち着かないのは、私だけのようで・・

気を使いすぎ!!と言われるのですが~どうしても遠慮してしまい、ゴメンネ・を連発してるそうです。無意識です。


先日、友人を送って、府中までドライブしました。

行きは、気付きませんでした~~後部に、友人と並んで座り、夢中で話してましたので。

さて、帰りです、もう、すっかり暗くなり

見慣れない街並みを、息子の運転で、

久し振りの長距離ドライブ!!

息子とは、初めてです。

考えてみたら、病院と自宅の行き来だけでしたから。


助手席に座り~~外の景色を眺めて~

主人とは、しょっちゅうだったドライブ~~色々なことを思い出し始めた頃・・

息子が言いました。

ドライブ・させて、あげたかったんだ・・・長い距離を~~ちょうど、いい機会だと思って~

嬉しい言葉です。  涙は、何とか我慢できました。


それよりも、私は、この提案が、

友人のトビキリ美人!!の、お嬢様お二人!!目当てか・・・(笑)

何て考えてました。(ゴメンナサイ・息子)


そらからの、時間~

亡き父の事まで・・思い出し(車の運転が好きで、よくドライブしました)

勿論、

主人の事・・・(数え切れない時間を、一緒に過ごして来ました)

次から次に思い出していました。


息子に感謝しながら~

府中に美人の娘さんが居る、友人に感謝し~

優しかった父に感謝~

そして、何から何まで、頼らせてくれた、

主人に感謝してました。



その時、私は、

今日まで、どれ程、人に、甘えて生きて来たのかを、痛感しました。

そして、また、今も~~

その日、色々な意味で、自立しなければと、決心しました。   



その息子と、いつも楽しみにしてる、新聞のコラムがあります!!

数年前から、偉そうに~文の批評をして来ました(笑)

最近、新聞を読むのをサボりがちな私に、今朝・教えてくれました。


先日の目黒美術館で、開催中の

熊田千佳慕 展!!の事が載ってたよと。


それはそれは、素晴しい方なのに、先日の私の文では、とても書ききれず、

実は、気になってました。   いい機会ですので、紹介します。

言うまでも無く、解り易く、素晴しい内容の文です!!(読まれた方もいらっしゃると思いますが、家では、危うく回収に出す直前でした)


読売新聞    


虫や花を描き続ける画家・熊田千佳慕さんの作品展が、

9月3日まで東京の目黒区美術館で開かれている。

この21日に95歳になった*

清流にはほど遠い目黒川を渡って会場に入ると、美しい野原に迷い込んだようだ。

しおれた花、虫に食われた葉も描かれている。

傷ものや形が規格外の野菜・果物は売り物のならない昨今だが、

不自然なことではないかと連想したりもした*

「私は虫、虫は私」と熊田さんは言っている。

「愛する花ともだちや虫ともだち」という言い方もしている。

確かに作品を眺めていると、自分も花と一緒に遊んでいる虫のような気になってくる*

熊田さんは今年に入って、子供時代の思い出をつづった

「横浜ハイカラ少年期」(フレーベル館)という本も出版した。

どんなに虫や花に没頭しても、医師だった父は「勉強のべの字もいわず」に見守ってくれた*

幼稚園の庭にクマンバチがたくさん飛んできた。黄色い背中に触りたくて跳びはねた。

うまく触れたのを見届けて園長先生が、「よくやったね」とほめてくれた。

今なら「危ないから」と、すぐ止められただろうと書いている*

遠い大正時代の話だが、周囲の大人たちが温かい。

小さな命に触れ、小さな命を知ることの大切さも説いている。

熊田さんの夏休みは「セミとりのスリルを満喫するとき」だった。


7月30日  編集手帳より           yamatsuma