21

また日曜日を迎えた。本当に静かだ。もう、十月も終わろうとしている。今週は楽しい忙しさが待っている。

早朝の風はまだ、眠ったままで、ぐずぐずと雲を指先でもてあそび鳥の挨拶も許さない。いつもならここそこにある朝挨拶の集団もなく、陽を待つ樹木のひそひそ話の声がかすかに聞こえるだけだ。


同窓の忘年会・・・そう、もう忘年会の季節なのです・・・の段取りは脚本家のBが仕切ってくれるようで、一年ぶりの再会できそうです。光坊は来週の日曜日に。哲ちゃんはプライベートツアーを犠牲にして木曜日に来てくれるそうです。同級生の告別式に集まったクラブの仲間からの、がんばれの伝言も貰い、あとは、私が無事に強く進むことだ。そう、言い聞かせた。


炒飯。掛かりましたね。(パクリです)これ作る人多いと思う。が、光坊。懲りすぎ。一体どこにそんな時間あるのって聞きたいくらい多忙なのに。冷やし中華。ソーメン。料理それも男の料理の話を聞くと楽しくなる。ワインや焼酎飲みながら、わいわいやる。オープンリビング。キッチンには料理をやらないつまみ食い部隊。たたわいない話をしながら料理作ってギター弾いて。四季を問わずやりたいなあ。私は、炒飯係を諦めて、芝生の上にレンガを積み、燻製ソーセージでも作りながらビールを飲み干したい。遠い海潮風。いつかみんなで・・・きっと出来るよね。


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20

友が死んだ。病院で訃報を聞くのは堪える。同じ病気と20年戦ってきたようだ。知らなかった。学生時代同じクラブに一時いた。トレーニングのときよくパートナーになった。正直、少し肥満の彼とはきつかった。私が自分の病気を知ったのはつい最近。20年戦った彼の重さを思う。私には自覚症状がなかった。妻はそれを悔いている。正直、私は、心の片隅にいつも病院行ったら入院だなと覚悟していた。所謂ビクビクしていた。

自分がどの段階にいるのかわからないが、20年戦う時間があると思えば、まだ闘争心は漲る。もう時間と体力が残っていなければ、考えると少し怖い。今日彼の通夜。冥福を祈る。


今日は、外出の許可をもらった。仕事と言っておいたが実は違う。仕事や雑用ももちろんある。しかし、食い意地である。おいしいうどんと炒飯が食べたかった。

妻に同行を頼みグルメ散歩としゃれた。美味しかった。東京のうどんは苦手である。醤油味のうどんは辛すぎて合わない。醤油自体も違う。私は東京に来て16年になるが、いまだ九州から醤油を送ってもらっている。関東の人に九州の醤油で煮物を振舞ったが、甘くて食えない・・・らしい。私からすれば逆である。

うどんは故に関西風と呼ばれるだしが好き。讃岐はブッカケゆえ麺は好きだが、醤油に生卵で食べようとは思わない。かつお昆布だしのスープ?がいい。

炒飯は自ら作る。ずっと食べてない。我慢できなかった。自宅で奥さんの手料理で食べた。味付けはなにか聞かなかったが、美味しかった。本当に。


病院に戻って深夜、向いの病室が変だ。そのまま寝てしまったが、翌朝病室はきれいに片付けられていた。人はみんな進むんだ。死・・・とは、いいたくない。今は。

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19

国家とはその地域に投網をかけたようなもの。即ち、後先でいえば住民はそこに暮らしていて、邦が後から出来上がり線を引いてその内側を国家としたと言うことである。

司馬さんが好きなのは、古代からの野太い習慣で生きている人々であり、その国家を作った人たちの昔話ではない。

自分の仕事に反して、私は昔話が嫌いである。そうある。

また、街道をゆきながら、実際その地を訪れることが本当に正解かどうか、逆に行かないほうが街道をゆくことであるとまで言われる。

すこし、先日は、間違っていたようだ。種子島の巻の冒頭に熊野がある。よく司馬さんが使う方法として、K氏はと言う始まり方がある。ほとんどの場合、その方は自分の身近の人であり、何かをくれている人である。そして、その旅の案内人である。熊野ではK氏である。もう一冊は壱岐対馬であった。


熊野でK氏の兄が舟を準備し待っている。その舟に乗り込んだ。小さい舟に乗る順番は剋太画伯、司馬さん、そして、H氏(地元の史家)。小雨の中、幽谷の自然。司馬さんはその感傷に浸っていたかった。しかし、何かの義務感か。H氏は、頻りに後南朝の話をされた。それが、とても嫌なようだ。画伯は岩がむき出しの対岸をみて、抽象画のようですねと満足している。司馬さんは画伯に近い感性で自然そのものの言葉に耳を傾けている。ただ一人。義務感・・・有名な作家をもてなす・・・から、頻りと歴史の話をされている。

イデオロギー政治の入った袋は今は無用なのだが、伝わらない。それを知ってか、画伯の雨避ける傘が2対1に別の世界を作ろうとし、自然傘の雫はH氏に落ちたり、傘自体がツンツンとH氏の頭に当たることになる。

間が同じとしか言いようがないこの風景。またしても、私の思い入れか。読み直すと数頁もない。

憶劫離れて須ゆも離れず 尽日対して刹那も対せず

まさに、尽日対して、の舟の中の様子である。


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18

満ち月の三日月となりぬ夜明け前


折鶴が届いた。届けてくれた同級生とも久し振りだった。受け取った妻が急に涙ぐんで、戸惑う。よくなってやる。来週カテーテルを挿入れる。母からの体に異物を挿入れるまえに一度会っておきたかった。上京するよう連絡しておいた。

哲ちゃんが見舞えに来てくれる。楽しみだ。

忘年会をするよう話した。同級生との忘年会が、こんなことで途切れることはよくないし、私自身も普通どおりみんなに会いたい。看護婦(妻)同伴で参加を提案した。


街道をゆくを少しずつ読み始めた。読書が長続きせず、ほんとに少しずつだが。無意識に持ってきたのが、熊野と種子島。その熊野に日田湯布院も含まれており、A氏K氏が混じりあい、西郷隆盛の、所謂若衆がテーマとなっている男の道だらけの二冊。混沌として、整理がまだついていない。

熊野編の川下りの件は面白い。剋太画伯の純粋な勘違いの振り(本当は勘違いそのもの)は、人の真理を見るようで、あっち側より、こっち側にいたいと思う。また、落ち着いたらゆっくりと書きたい。


光坊もハンセン病が一段落したら構ってくれるそうで、楽しみにしている。


来週過ぎれば、朝焼けに笑顔を送ることができそうである。

17

マスコミの反応にハンセン病の担当弁護士は、少し満足だったようだ。私達は、森の下草のように、目立たず少しずつ根を増やしていくしかないようだ。少しの光に養分を蓄えて。

弁護士というのは、どうもイメージが違う。も少し派手で時代の脚光を浴び、世間を引張っていく素敵な服装、ブリーフケースは国際ブランドで。・・・


彼を見ていると、森の私達下草のゴミをひとつひとつ取り除き小さな心を大切に育む静かな清僧。木漏れ日の中、そう感じた。


やっと。カテーテルでの抗がん剤投与が決まった。いろいろな合併症が障害となり、延び延びになっていた。ただ、100%絶対の治療ではないことを、何度も先生は告げた。妻の心は段々沈んでいくように、頭を重くした。無口になっていく。嗚呼、君よ、心強く生きよ。私は頑張る。

病院は、検査でぶらぶらといるうちはとても快適な場所である。が、しかし。何かの順番を待っているひと時の優雅さは儚く現実・・・絶望の崖はすぐそこにある。


気付かないだけだ。できれば、このまま気付かず居られたら、どんなに幸せか。

16

眩暈。


張り切り過ぎたかなあ。朝からのふらつきに不安が付きまとう。しかし、顔面麻痺の完治。実は、治療をすっぽかして、M先生が病室まで来られた。先生のこんなところが、好きだ。忙しいのに。小さい病原の快癒は小さいけれど積み重ねでうれしい。

しかし、検査の結果は意に反し、腫瘍の進行。新しい合併症の出現で思わしくない。なんにしても、新しくのみはじめた薬の効果がないことに、妻はショックだったようだ。私は、そう早く効果が出るとは思ってなかった。それに、短い期間での変化はないと覚悟していたから。


それよりも。ハンセン病の判決は眩暈以外の何者でもなかった。このblogにコメントくれている光坊。実は担当の弁護士。もちろん原告側の、である。ぼやきは、東京の盛り上がりのない人々の集団である地域性だ。陣取り合戦の言葉に違和感を憶えた。

私のような素人から見れば、簡単な裁判である。ハンセン病の全面補償が決まり、それが日本ではなくとも台湾や韓国にも当然のように適用される、当たり前である。

印籠に恐れ入った悪人に藩侯からきっと厳しいご沙汰があろう。・・・で終わったご沙汰に連絡ミスで漏れがありますよと、また黄門様にお越し願った。後は、再び恐れ入り、それでちょん。と。


陣取り合戦の彼の言葉の意味が判った。

それにしても難しい巧妙な判決だ。差し出したリンゴを、見事に二つに割り、一つをゴミ箱に捨てた。

相変わらず姑息な国だ。こんな絶妙の技がこなせるのなら、違う方向に使えないのか。


眩暈。・・・それは、私の体を蝕む病気ではなく、そこで生きて行かねばならぬ国の艫だ。

15

日曜日。静かで穏やかで、秋の美をやっと見せてくれた。寝起きの気分も最高。というか、しばらく自分の位置が解らずじっとあたりを見回していた。深刻だった病状の哀しさや慌しさが周囲から消えて、心のリハビりをしているだけのようだ。

休日の病院はいい。此処にいると何か得したようなきがする。登院する先生や看護士さんやスタッフの人が少ない。通院の患者はもちろんいないし、入院の人たちも外泊なのか人数が少ないように思える。

広い空間を独占して森も酸素の一人占めだ。

ベットに寝転んで本を開いても、朝日が私専用の明かりのようでうれしい。


再入院のとき、司馬さんの本を2冊選んで持ち込んだ。紀行文や講演物があれ以来多く、司馬さんの本を何かの記念出版で、売らんかなが見えて書店にも行く気がしなかった。久しぶりの私に春秋さんは、小説2冊をくれた。連載は昭和30年代。忍者ものと時期的には近い。語り口の若々しさが、とても新鮮で500ページのほうは一晩で終わってしまった。小説を・・・司馬さんの・・・読みたい・・・高名な方があとがきで書かれていたが、私の、司馬さんが亡くなられる前の切なる願いであった。


その恋心ゆえか。分厚さを・・・いつもながらのことだが・・・感じさせない、目をそらせさせない、私の好きな司馬さんが、そこにいた。


14

午前中ウォーキングをさぼって、ゆっくりした。久しぶりのシャワー、惰眠は快適だ。午後、妻が娘を伴って訪れた。フコイダンを飲ませるため(ペプチドプリマも)とても嬉しそうだ。フィコイダンは、入院後飲用を決めた。いろいろ紹介を頂いたが、実績を自ら語っていただいたものに決めた。効くそうだよは頑として拒否する。私は、実験用のマウスではない。

このフコイダンの効果に、アポトーシスというのがある。元来、人間の細胞はある一定の期間を過ぎると自殺するように遺伝子が組み込まれているらしい。ところが、癌細胞は、突然変異でできたもの故、その法律を知らず永遠に増殖していく。(おまけに自分の党派を躍進させるため新しい血管まで構築していく。)結果、母体は衰え、消滅する。この二つの癌の無礼さを諫め、ルールに従うよう教育するのがアポトーシスなのだ。


癌細胞のことを考えているときに、ハンセン病の判決があるときいた。朦朧とした頭の中で、癌細胞と行政司法が同化し、混ぜるうちにいやな色と臭いがしてくる。弱者に冷たい行政は、前回のハンセン病のこともあり、今度は負けないぞ!と腕まくりしているようだ。勝たなければいけないところはほかにたくさんあるのに。


地元の崩壊。地域の利益の代表である代議士のはずが、近頃の選挙ではちょっと違う。明智光秀に日向守となずけるように信長の手配よろしく真似て采配されている。器量がが天地ほども違う輩が。


体の癌と社会の癌。

まどろみの中のいやな夢だったのか。


入院して一ヶ月あまり。手術(というほどのものではないが)が、延期になり、悠々安穏な毎日を送っている。

採血も時々で。痛みはない。あと、時々宴会があれば、最高なのだが。



13

コメントいただき放しで返事も出来てない。沢山のコメントありがとうございます。実は、みんな、同窓生の博多っ子。悪がきもそれぞれ年相応に地位のある人々ばかりだ。

哲ちゃん:いろいろ心配かけて・・・宴会までつぶしてしまった。ごめん。哲ちゃんの「俺のせいで食事会やめ     た」には、泣きました。


ひろむ:本送る。万年青の。


いけちゃん:いろいろ手煩わせてごめん。


光坊:眼を20回も針でさされた?そんな面白い話は酒のときしてほしかった。


仲間のhpがある。しかし、プライベートなことなのでblogに書いているのを知って、コメントくれている。30年過ぎて会う懐かしさはいい。

研いだすぐの錐の鋭さは今はなく、適当に目尻の下がったいい顔になっている。争うことが少なくなったということか。争うことが商売の奴もいるが。

近頃よく会う。話しているとあのころからみんな大人だったんだなあと、感心する。私は少し遅れて歩いていて、幼稚な子供。痛感する。


月夜の散歩


不幸せの石や星の沢山詰まった幸せ宝箱。

満の月夜の砂浜でいっぱいになった宝箱。

新の月夜に空にした。

はさみかざして残せる命

産みおえて踊る蟹ダンス

満の月夜の草の中

ひとり奏でる命のメロディー

こおろぎの遅すぎる恋の君は

まだ、待っているのか


10月は秋、夏、冬のいろいろの舞台を見せてくれる。明け前の風の冷たさ強さに晩秋を思わせるとき

こおろぎは早く次世に意思を残し


安らかに眠らせてほしいと、啼いているのかもしれない。

12

再び病院へ入院した。というより、一時帰宅が終わった。解っていることではあるが、足取りは重たい。カテーテルさえ入れてしまえば、終わりではないが、勇気を欲しがっている。

看護士さんは、万全の準備をしてくれた。術後の強制固定は4時間。罰ゲームのガムテープのようなものですので、無駄毛をここからまで処理してください。太ももの中間からへそまでを手で示した。それとふんどしを購入してください。売店にあります。売店でそう伝えると、手術なのと聞かれた。はい。・・・返事の元気よすぎたかな。後は、明日を待つばかり。

夕方、先生が検診にこられた。張っている腹部をみてしかめ面。超音波の機械を私の腹部に当てた。

明日の手術止めましょう。

腹水。ですか。

そうです。

帰宅中の生活は健康的で、血液の状態に、良好の手ごたえを感じていた。しかし、急な体重の増加、腹部の張りはいやな予感を持たせた。


病気の宣告に関しては、一語一句オープンにしてくれるよう家族に求めておきながら、細かい症状に関しては無知、そして新しい知識を取り入れようとは考えてない。

妻はその点熱心だ。細かい指示が飛び始めた。それはそれでいいし。聞くしかないなあ。


本人としてはショートクールでの体の変化症状に敏感になることはいいこととは思っていない。少し、蕁麻疹が出ようと、何かの副作用くらいで構えていないと、持たない。そう思っている。

ただ、デジャブではないが、父を見ているだけに、同じような症状を自分に見たときは、ショックだ。わかる。のだ。自分がどういう状況にあるのか。

腹水は、いけない。願わくば本当にみずであって欲しい。父の場合、止む無く開腹したが、膿みだらけの腹を見て、閉じただけであった。

私は?  膿みではなかった。よかった。

利尿剤の投与で様子をみて、検討しましょう。飲み薬による抗がん剤も含めて。


入院から一ヶ月。やっと癌に反撃を試みることになった。飲み薬となると、それ相当の副作用も覚悟しなければならないが。

いまだ、自分が重症なのかどうか頭の中と体は理解できてないようだ。

心だけがそのときのために、まるで違う生き物であるかのように子供らに信号を送っている。


その落差に。戸惑いを感じている。