現代語訳 神祇講式 おわりに
2011-12-23 13:07:48 Theme: 現代語訳 神祇講式シリーズ
◎おわりに
明治以降の「神仏分離令」や「廃仏毀釈」、「廃神毀社」と云う、それまでの我が国の信仰を弾圧する政策以前の姿とはこの「神祇講式」にあるように神仏習合思想の基づくものであった。
この神仏習合の見解は、長い間、日本人の心に深くしみ込んできたものである。
自然界の発展生成の威霊を神とし、内省に基づき道理に合った行為を仏の教えとし、これらが一つになることで日本の文化も形成されてきた。
たとえば農業に関して云えば、ただ自然界の生成力にまかせておくよりも、春に植えて夏に草を取り、秋に収穫し、冬に農地を休ませるという四季の循環に従った、道理にかなったあり方によって、その生産力が増大するのである。
自然界の威霊である神々と、正しい道理である仏法が一つになることで、その法(みのり)がこの国を形造ってきた。
仏教伝来以前から我が国はシャーマニズム(神降ろし)やアニミズム(自然崇拝)の信仰があった。
仏教伝来以降、それらと習合して教義体系が確立して行く。
例えばすべての自然界のものには魂が宿るとするアニミズムには天台でいえば「山川草木悉有仏性」と云うすべてのものには仏になる素質を持っている、或いは見出そうとする思想にすぐに結び付く。
これは真言のすべてのものは大日如来の現れとする「六大縁起説」とも直結する。
シャーマニズム的なものは天皇の祭儀に主に見受けられる。
我が国はこういった錯綜複雑なものを一つのものに集約していき消化してきた。
それをぶっ壊し全部バラバラにしようとし、迷信としたのが薩長らのテロリストたちがクーデターによって打ち立てた明治新政府である。
明治新政府の神仏を無理矢理分け、仏法や民間信仰の神々を毀釈(こわし、すてる)する政策によって、ただ表にばかり向かい、内省を失い、正しい因果の道理を失ったことによって分裂症状をおこしてしまった社会が、明治から現代に至る日本であろう。
その意味でも、正しく神仏習合を理解してゆくことが大切であると思う。
「神祇講式」は諸社の名に加えて、仏教で祀られている仏や菩薩、諸天の名が多く記されている。
また有縁無縁の諸霊にも廻向する文である。
これらの神霊のなかには荒ぶる神もいる。
しかしこの神仏習合によって、恐るべき神霊のうちに仏菩薩の大慈悲が見出され、荒ぶる神々も私たちを守ってくださるものとなった。
これらの祈りは、自然界の威霊を神とし、神と人が共に仏法(さとりのおしえ)にあった生き方をしようと願うことである。
それは残念ながら、現代人の心から遠くなった感覚ではないだろうか。
明治の神仏分離以前は、神仏習合の神社といっても特別なものではなく、当たり前のあり方であった。
日本中のほとんどの神社が神仏習合の神社であった。
そこで「神祇講式」にしめされているように慈悲の心を基盤に、人々の幸福と心の向上を願う教えが唱えられていたことを、私たちはもう一度しっかりと思い返してみるべきではないだろうか。
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明治以降の「神仏分離令」や「廃仏毀釈」、「廃神毀社」と云う、それまでの我が国の信仰を弾圧する政策以前の姿とはこの「神祇講式」にあるように神仏習合思想の基づくものであった。
この神仏習合の見解は、長い間、日本人の心に深くしみ込んできたものである。
自然界の発展生成の威霊を神とし、内省に基づき道理に合った行為を仏の教えとし、これらが一つになることで日本の文化も形成されてきた。
たとえば農業に関して云えば、ただ自然界の生成力にまかせておくよりも、春に植えて夏に草を取り、秋に収穫し、冬に農地を休ませるという四季の循環に従った、道理にかなったあり方によって、その生産力が増大するのである。
自然界の威霊である神々と、正しい道理である仏法が一つになることで、その法(みのり)がこの国を形造ってきた。
仏教伝来以前から我が国はシャーマニズム(神降ろし)やアニミズム(自然崇拝)の信仰があった。
仏教伝来以降、それらと習合して教義体系が確立して行く。
例えばすべての自然界のものには魂が宿るとするアニミズムには天台でいえば「山川草木悉有仏性」と云うすべてのものには仏になる素質を持っている、或いは見出そうとする思想にすぐに結び付く。
これは真言のすべてのものは大日如来の現れとする「六大縁起説」とも直結する。
シャーマニズム的なものは天皇の祭儀に主に見受けられる。
我が国はこういった錯綜複雑なものを一つのものに集約していき消化してきた。
それをぶっ壊し全部バラバラにしようとし、迷信としたのが薩長らのテロリストたちがクーデターによって打ち立てた明治新政府である。
明治新政府の神仏を無理矢理分け、仏法や民間信仰の神々を毀釈(こわし、すてる)する政策によって、ただ表にばかり向かい、内省を失い、正しい因果の道理を失ったことによって分裂症状をおこしてしまった社会が、明治から現代に至る日本であろう。
その意味でも、正しく神仏習合を理解してゆくことが大切であると思う。
「神祇講式」は諸社の名に加えて、仏教で祀られている仏や菩薩、諸天の名が多く記されている。
また有縁無縁の諸霊にも廻向する文である。
これらの神霊のなかには荒ぶる神もいる。
しかしこの神仏習合によって、恐るべき神霊のうちに仏菩薩の大慈悲が見出され、荒ぶる神々も私たちを守ってくださるものとなった。
これらの祈りは、自然界の威霊を神とし、神と人が共に仏法(さとりのおしえ)にあった生き方をしようと願うことである。
それは残念ながら、現代人の心から遠くなった感覚ではないだろうか。
明治の神仏分離以前は、神仏習合の神社といっても特別なものではなく、当たり前のあり方であった。
日本中のほとんどの神社が神仏習合の神社であった。
そこで「神祇講式」にしめされているように慈悲の心を基盤に、人々の幸福と心の向上を願う教えが唱えられていたことを、私たちはもう一度しっかりと思い返してみるべきではないだろうか。
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