こんにちは
前回の ”ハイデッガー” の ”ライバル” とされた 哲学者に
ドイツの ”ヤスパース” が いました。
カール・ヤスパース(1883~1969年) は
精神病理学者・哲学者・政治評論家 などの さまざまな顔が ありました。
ヤスパースも ハイデッガー同様に ”ナチス政権” に 大きく影響され
彼の妻が ”ユダヤ人” であったことや ナチスに対する ”反抗” で
当時 教鞭をとっていた ハイデルベルク大学を 追われてしまい・・・
さらに 彼の妻が あの ”強制収容所” へ 送致されることになりましたが
ヤスパース夫妻は 自宅に ”2人で立て籠もり”
とうとう 阻止し通すという 勇気ある行動をとりました。
しかし その後 ヤスパース夫妻の ”収容所移送” が 決定されてしまい
もはや ”自殺” する以外に 打つ手がなくなるところまで 追い詰められましたが
その 移送予定日が あと数十日程度に迫った 1945年3月30日に
アメリカ軍が 彼の住むハイデルベルクを 占領したことで 収容所への移送を 免れたのです。
この 戦争体験は 彼の哲学に対して 大変な影響を与えたと 言われています。
ヤスパースは このような経験から
”限界状況” というものを テーマにして 思想を構築しました。
人間には ”限界状況” というものがあり
”死” ・・・ 死んでしまう という状況
”苦” ・・・ 苦しみの状況・ さまざまなことで 苦悩する状況
”争” ・・・ 争い・闘争・戦争の状況
”責” ・・・ 罪を責めること・ ”人間の原罪” を 責めること
などが 挙げられます。
そして これらは 人間の ”日常生活” を ”粉砕” してしまいます。
また ”人間の運命” と されるものです。
つまり 人間の力 科学の力でも 克服できない 決して 逃れられない状況です。
その ”限界状況” の 典型例が ”自己の死” なのです。
ヤスパースによれば 人間は 普段は ”気晴らしなどにふける” ことによって
すでに ”限界状況” の 内にある ということを 忘れてしまっている・・・としました。
人間は そのような ”現実” を ”自覚” すると
人間は 自分自身の “挫折” と ”限界” を 悟ります。
そして なぜ 人間には ”限界” が あるのだろうか?・・・
それについて 深く 考えることになるのです。
また この状況を ”誰にも頼れない”・・・と 自覚することになり
それまで感じたことのない ”孤独” と ”絶望” に 陥るのです。
そうして 人間とは 極めて ”弱い存在” だと 自覚することになり
やがて 人間を ”超えたもの” が 存在するのではないか? と 思い始めます。
それを ”包越者” または ”超越者” という表現で 表わそうとします。
そして 人間は その ”超越者” と ”交わる” ことで
”真実の生き方” である ”実存” に 目覚めてゆくと ヤスパースは 主張したのです。
さらに それだけでなく ”交わる” とは ”自己開示” を 意味しており
各人が 自分自身に ”閉じこもる” ことなく ”他者” へと向かい
それにより 自己自身の 存在に対する意識を ”反省するべき” とも 説きました。
そして 最終的には・・・
”超越的存在” に 面することにより 自らの 有限的な存在が ”反省” させられ
そのような ”超越的存在” に 面している 自己自身という
自分の存在の ”確信” が 得られるのです。
そして これを ヤスパースは ”絶対的意識” と 説いたのです。
この思想は ”誰かの思想” と よく似ていますね。
それが あの ”キェルケゴールの思想” でした。
ヤスパースは ”キェルケゴールの思想” から 大きな影響を受けて
自分の思想に 大きく 取り入れて
自分自身が かつて ”窮地に立たされた時” における ”解決策” を 導いたのです。
ヤスパースは 自分自身と 愛する妻が 収容所に送られて ”虐殺” されるという
”どうしようもない状況” になり・・・
そこで 自分自身の ”無力” を 自覚して “挫折” して ”絶望” するという
自分の ”限界” を 知ることになりました。
そうなったときに 人間は 何を 求めるのか?・・・・・
それこそが この世の ”真実” であり
それに従うことが ”真実の生き方” であると 導き出されたわけなのです。
人類の ”絶望的な経験” から 導き出された 論理というものは・・・
やはり 何か ”説得力が違う” ような気がします。
皆さまは どう感じられたでしょうか?
次回は ”実存主義思想” での
”サルトルの思想” について 考えてゆきたいと思います。
前回の ”ハイデッガー” の ”ライバル” とされた 哲学者に
ドイツの ”ヤスパース” が いました。
カール・ヤスパース(1883~1969年) は
精神病理学者・哲学者・政治評論家 などの さまざまな顔が ありました。
ヤスパースも ハイデッガー同様に ”ナチス政権” に 大きく影響され
彼の妻が ”ユダヤ人” であったことや ナチスに対する ”反抗” で
当時 教鞭をとっていた ハイデルベルク大学を 追われてしまい・・・
さらに 彼の妻が あの ”強制収容所” へ 送致されることになりましたが
ヤスパース夫妻は 自宅に ”2人で立て籠もり”
とうとう 阻止し通すという 勇気ある行動をとりました。
しかし その後 ヤスパース夫妻の ”収容所移送” が 決定されてしまい
もはや ”自殺” する以外に 打つ手がなくなるところまで 追い詰められましたが
その 移送予定日が あと数十日程度に迫った 1945年3月30日に
アメリカ軍が 彼の住むハイデルベルクを 占領したことで 収容所への移送を 免れたのです。
この 戦争体験は 彼の哲学に対して 大変な影響を与えたと 言われています。
ヤスパースは このような経験から
”限界状況” というものを テーマにして 思想を構築しました。
人間には ”限界状況” というものがあり
”死” ・・・ 死んでしまう という状況
”苦” ・・・ 苦しみの状況・ さまざまなことで 苦悩する状況
”争” ・・・ 争い・闘争・戦争の状況
”責” ・・・ 罪を責めること・ ”人間の原罪” を 責めること
などが 挙げられます。
そして これらは 人間の ”日常生活” を ”粉砕” してしまいます。
また ”人間の運命” と されるものです。
つまり 人間の力 科学の力でも 克服できない 決して 逃れられない状況です。
その ”限界状況” の 典型例が ”自己の死” なのです。
ヤスパースによれば 人間は 普段は ”気晴らしなどにふける” ことによって
すでに ”限界状況” の 内にある ということを 忘れてしまっている・・・としました。
人間は そのような ”現実” を ”自覚” すると
人間は 自分自身の “挫折” と ”限界” を 悟ります。
そして なぜ 人間には ”限界” が あるのだろうか?・・・
それについて 深く 考えることになるのです。
また この状況を ”誰にも頼れない”・・・と 自覚することになり
それまで感じたことのない ”孤独” と ”絶望” に 陥るのです。
そうして 人間とは 極めて ”弱い存在” だと 自覚することになり
やがて 人間を ”超えたもの” が 存在するのではないか? と 思い始めます。
それを ”包越者” または ”超越者” という表現で 表わそうとします。
そして 人間は その ”超越者” と ”交わる” ことで
”真実の生き方” である ”実存” に 目覚めてゆくと ヤスパースは 主張したのです。
さらに それだけでなく ”交わる” とは ”自己開示” を 意味しており
各人が 自分自身に ”閉じこもる” ことなく ”他者” へと向かい
それにより 自己自身の 存在に対する意識を ”反省するべき” とも 説きました。
そして 最終的には・・・
”超越的存在” に 面することにより 自らの 有限的な存在が ”反省” させられ
そのような ”超越的存在” に 面している 自己自身という
自分の存在の ”確信” が 得られるのです。
そして これを ヤスパースは ”絶対的意識” と 説いたのです。
この思想は ”誰かの思想” と よく似ていますね。
それが あの ”キェルケゴールの思想” でした。
ヤスパースは ”キェルケゴールの思想” から 大きな影響を受けて
自分の思想に 大きく 取り入れて
自分自身が かつて ”窮地に立たされた時” における ”解決策” を 導いたのです。
ヤスパースは 自分自身と 愛する妻が 収容所に送られて ”虐殺” されるという
”どうしようもない状況” になり・・・
そこで 自分自身の ”無力” を 自覚して “挫折” して ”絶望” するという
自分の ”限界” を 知ることになりました。
そうなったときに 人間は 何を 求めるのか?・・・・・
それこそが この世の ”真実” であり
それに従うことが ”真実の生き方” であると 導き出されたわけなのです。
人類の ”絶望的な経験” から 導き出された 論理というものは・・・
やはり 何か ”説得力が違う” ような気がします。
皆さまは どう感じられたでしょうか?
次回は ”実存主義思想” での
”サルトルの思想” について 考えてゆきたいと思います。