オレンジ色

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窓から差し込む日差しで今朝は目が覚めました。まだ6時前ですが、ずいぶんと寝た気がします。

 

昨日は「釧路夕焼けフォーラム2017」に参加してきました。釧路の「世界3大夕日」といわれているこの資源を活かし、地域の活性化につなげようとするものです。

夕日や夕焼けは天気によって左右されるため、いつでも見られるわけではありませんが、その分見れた日ははとてもきれいで、幻想的な景色に変わります。たぶん2度と同じ表情はないいだろうなってくらいに・・・。そのくらい釧路の夕日夕焼けはきれいです。北欧のオーロラのような観光資源になることを期待します。

 

地域では夕日や夕焼けにちなんだ、飲み物やお菓子など、夕日とのコラボ商品の開発も進んでいます。魚屋さんの自分にとって、あの夕日の輝かしいオレンジ色と球体は、「いくら」の粒を想像させます。商品開発へのさらなる妄想が膨らんだフォーラムでした(笑)。

 

 

さて、今週は幕張メッセで行われる、FOODWX JAPAN2017に参加します。

お近くの方、関係者の方、皆さんお待ちしております!

 

弊社ブースは、ブース番号「9C10」北海道中小企業総合支援センターのブース内にて、展示しております。3月7日~10日までの開催となっていますので、お気軽にお立ち寄りください。

 

つづく・・・。

 

 

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いくらづくり

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今朝の釧路はとても寒い朝でした。しかし日中は気温も上がり、日差しはとても柔らかな感じがします。三寒四温、徐々に春に近づいている感じがします。

 

釧路応援ファンド「北海道 塩いくら・塩すじこファンド1・2」は、おかげ様で目標に達しため、募集を締め切らせていただきました。投資くださった多くの方々に、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。今後は着々と準備を進め、「美味しい」塩いくら・塩すじこづくりに取り組んでまいります。

 

今日はいくらづくりについて・・・。

北海道の家庭では秋になると、生のすじこを買ってバラバラにし、それを思い思いの味付け液(醤油ベース)で数時間から、一昼夜漬け込みをします。そして液を切れば、美味しい味付けいくらの出来上がりです。既成の製品を買うよりも少し安く、何よりも好みの味付けにできるのが特長です。でも家庭で塩いくらを作るのは難しい・・・。

チョット古い画像ですが、塩いくらの製造現場をのぞいてみましょう!

とあるカナダの島の工場です。

 

鮭から取り出された生のすじこです。

 

卵の方を下に向け(皮は上)並べます。

 

コンベアで運ばれた卵は、バラバラになって出てきます。

 

それを塩水の入った攪拌機(かくはんき)でグルグルと攪拌します。

 

水分の抜け具合や、卵の締り具合を見ながら撹拌機からあげます。

そして水切り後ケースに詰めます。

 

テクニシャンは卵の鮮度や熟度を見ながら、攪拌時間を微妙に調整していきます。

この卵の状態の見極めが重要なポイントとなります。簡単そうに見えて難しい!

 

昔はバラバラにするのも、いくらもみ職人(バラバラにすることをもむと表現する)が手作業で行っていましたが、今ではほとんどが機械で行われています。もみ台の上で早朝から深夜日付が変わるまで、毎日毎日卵をもみ続けた時代、とっても懐かしいです。

 

 

 

 

 

 

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テクニシャンというお仕事②

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少し冷え込んだ釧路地方の朝です。

釧路応援ファンド 「北海道 塩いくら・塩すじこ ファンド」の2次募集の応募は、残すところわずかとなりました。3次募集はありませんので、ぜひお急ぎください。

 

今日は塩いくら・塩すじこのテクニシャン(職人)のお話を・・・。

日本人がアラスカにわたり主に塩すじこを作るようになってから、すでに50年以上が経過しています。サケマス漁がさまざまな規制で減少し、職を失った乗組員が、鮭の買い付けとともに塩すじこを製造するために海を渡ったのが最初といわれています。その当時の先駆者で草分け的水産会社が釧路にあったのです。その会社では多くのテクニシャンを採用し、アラスカへ送りだしていたといわれています。現在釧路の魚卵の製造メーカーの社長さんは、この会社の出身者が多くいらっしゃいます。

 

テクニシャンの出身地は乙部町や鹿部町など道南出身者が多く、主に出稼ぎで生計を立てる方々です。「船に乗るのも、海外出るのも、家を空けるのは同じなので・・・。」とあるテクニシャンは話してくれたことがあります。

 

テクニシャンの多くは年間雇用ではなく、季節雇用が普通です。サケのシーズンは限られているので、それが終わるとまた次の仕事に就き、またシーズンが来たらアラスカへ渡るといった感じです。うまく仕事がつながれば、アラスカ(紅鮭)⇒秋鮭(北海道)⇒北欧(トラウト)といった具合に、5月~1月くらいまで仕事がつながりますが、多くの方は他の土木建築の出稼ぎや、家業の漁師や養殖業などを合わせて年間の生計をたてています。

 

ちなみに月のお給料は経験等で差はありますが45万~60万くらいで、嗜好品以外の食事代や現地での生活費等、経費はほぼ雇い主側の負担です。とても好条件に聞こえますが、年間仕事が安定していないのが一番大変だといいます。

 

 

 

 

 

 

 

2003年の写真です。北欧の小さな島ですが、ここで11月上旬から翌1月中旬までの2か月半を2年間過ごしました。3名のテクニシャン仲間との同居生活でした。

 

住居の裏には湖が広がり、とてもきれいな空気と、景色が今でも思い出されます。

 

 

つづく・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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テクニシャンというお仕事

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釧路応援ファンド 「北海道 塩いくら・塩すじこファンド」の2次募集も残り半分残すのみとなりました。この事業を応援してくださる多くの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。と同時に、「感動するほどの美味しいいくら、すじこを作ってやるぞ!」と気合も入ります。

 

さて今日は、テクニシャン(通称:職人)という職業のお話です。

われわれ水産業界には、切っても切れないのがテクニシャンという職業の方たちです。特に輸入原料を扱う業者にとってはテクニシャンの目利きや技術が、買い付けする原料の良し悪しを決めるといっても過言ではありません。

 

海外から買い付けする日本の水産系の商社は、現地に日本人のテクニシャンを派遣します。そしてテクニシャンは現地の生産指導や品質管理を行い、原料状況など様々な情報を日本へ送り、日本の加工メーカーへ販売する際の参考とするのです。

 

そしてそれらは大まかに、塩いくらや塩すじこ、蟹のように末端の製品として現地でほぼ製品として仕上げ輸入するものと、冷凍の鮭や鱈のように原料として輸入するものの2つに分類されます。

 

テクニシャンも大まかに分類され、魚卵系の強い人、魚系の強い人、海老蟹に強い人、あるいはアジアの好きな人、EUの好きな人、アラスカ・カナダの好きな人・・・。様々です。世界にはたくさん行ってるんですよ!テクニシャン(職人)といわれる人達が・・・!

ちなみに、アラスカ入りの窓口(今はアンカレッジ直行はないらしい)になるシアトルの空港の入管では「魚のテクニシャン」(正式にビザ申請後)だと言えば、だいたい問題なく入れてくれます。ちょっとこじれると、別室に連行されますが(自分も危険な入国試みて2度ほど経験あり)、だいたいは何とか入れてくれます。でも中には入国できずに強制的に日本へ戻されるケースもあるみたいです。トランプさんになってどうなるやら・・・。

 

 

 

話が逸れましたが、そんな自分は30歳になりたてのころ、ヨーロッパすじこの製造を手掛ける水産会社より

「デンマークのトラウトサーモンのすじこ事業を手伝わない?」

と声をかけられます。

「デデ・デ・デンマーク???」

このころは転職して水産業界に飛び込んだばかり・・・これ以前の海外はソウル3泊4日の観光のみでした。もちろんパスポートも期限切れしてるし・・・。でも、そこから始まったんです。テクニシャンとしての生活が・・・。たぶん人生を変える大きなきっかけとなっただろうなという瞬間です。

 

 

写真は2004年のアラスカブリストル湾に面する工場での写真で、この工場は陸の孤島みたいなところなので交通手段は飛行機です。それも数人乗りのセスナで、滑走路がないので干潮時に砂浜に着陸します。セスナの後ろ側の海(湾)では、紅鮭の流し網漁がすぐそばで行われています。すごいところでしょう(笑)!でも漁獲される紅鮭は超新鮮、すじこもこんなにきれいに仕上がります。

 

次回のブログではテクニシャンと、この水産都市釧路の結びつきについて少し書かせていただきます。

 

つづく・・・。

 

 

不思議な巡り合わせ

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昨夜はうっすらと雪が降ったようで、今朝の釧路の朝は一面真っ白でした。でもこの雪も日中にはとけそうな感じです。春近し。

 

21日夕方から募集開始の釧路応援ファンド 「北海道 塩いくら・塩すじこファンド」ですが、おかげ様で第一次募集が締め切りとなりました。ありがとうございます。続けて第二次募集を開始しておりますので、そちらをお願い致します。

 

「塩すじこ」のマーケットはせいぜい関東から北側、北海道や北陸、東北と言われているので、西や南の方ではあまりなじみがないかもしれません。でも北海道の人々は昔からずいぶんと食べてきました。

そんな自分も、父が昭和30年~40年後半にかけサケマスの独航船の漁師だったもので、家の食卓には賄いで持ってきたすじこや鮭が、いつもある環境でした。その頃はそれが普通でしたが、今思うととても贅沢なことに気づきます。魚好きはそのころから始まっていたのかもしれません。

 

自分は中学卒業したら漁師になりたい!って思っていましたが、両親の猛反対にあって(そのころ遠洋は規制が厳しくなり、沿岸は漁獲量が減り漁業は斜陽産業になりつつあった)、敢え無く断念しました。

でもそれから約15年が過ぎ、かつて父が漁場としていたアリューシャン海域で、自分がアメリカの加工船に乗船し、鮭と卵の生産にかかわることとなります。不思議な巡り合わせです。

 

つづく・・・。