八木さん週刊ポストにもの申す

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 今週発売の週刊ポストに「死刑囚78人、獄中からの「肉筆」」という特集が組まれています。この企画は死刑囚の人たちにアンケートを送った内容を公開するというもので、我らが八木さんもコメントを返信しています。掲載されているコメントは「猛反対です。(トリカブトで殺害した事になっている)私のような100%冤罪の者がいるからです」というものでした。非常に力強い字ではっきりと無罪だと主張しています。さすが八木さん。その意気や良し。
他にも1992年に医師ら生き埋め殺人事件で死刑になった高橋義博氏も「冤罪の人が確実に数人いる」と述べて死刑制度に反対しています。

 我々八木弁護団は八木さんの無罪を主張しているのであって,死刑制度の問題を再審で訴えているわけではありません。ですから、このブログで死刑制度の事について述べるのはおかしいことかも知れません。

 しかし、死刑制度の最大の問題点が、八木さんや高橋氏の指摘する冤罪の危険にあるとすれば、八木さんは、まさに日本の不合理な刑事制度の犠牲者ということになります。

八木さんは刑が重すぎるといっているのではありません。殺人をやっていないと訴えているのです。そのような訴えの内容であるのに、捜査機関は国費で収集した証拠を弁護側に全面開示をしてくれません。裁判所も開示を促してくれませんでした。「みなくても分かる」というわけです。しかし、人間である裁判官がどうしてそのようなことがいえるのでしょうか。

 国が死刑制度を合憲であるというのであれば、死刑という究極の刑を科するために、最大限冤罪の危険をなくすため、被告人に十分な防御をさせる必要があるはずです。そのためには全面証拠開示が不可欠です。いくら確信を持っていても人間である以上思い違いもありますし、自分の常識や経験では考えられないことがいくらでもあります。これまでの再審無罪事件の経験則から再審事件の無罪証拠が検察官の未開示証拠にあることはあまりにも明らかなことです。
この世に存在する証拠を徹底的に収集・吟味して、被告人に対して防御の機会を十分に与える。この前提があって初めて「犯人に対する」死刑制度の存否が論じられるべきですが、本庄事件ではこの前提条件が無視されて死刑判決が確定してしまいました。

 八木さんは、「全部証拠を見せてもらって、きちんと考えてもらってそれで死刑って言うならまだ納得がいく。それでいい。しかし、証拠も見せない、見ようともしないじゃあ納得できるはずがない」と言っていました。全くもっともな話です。

 ただ八木さんはこうも言っていました。「証拠が開示されれば無罪になってしまうからだろう。有罪の被告人には有罪の証拠があるように、無罪の場合には無罪の証拠があるんだよ」
と。八木さんのこの自信は自分の無罪、無実を確信しているからこその発言なのです。
 
kawame
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