禍福人生 奮闘日記

松山市住宅情報館の会長 二宮秀生です。

禍福人生 奮闘日記



 私は宗教家でも理想主義者でもありません。現実重視の実務家です。人は必ず死ぬ。二度と過去には戻れない。二度と生まれ変わることもできない。私たちは現実の今を価値あるものにしなければならない。私の仕事観・人生観は宇宙論から始まっています。


 人類が見ることの出来る128億光年の彼方に広がる大宇宙、私達の銀河系(星雲)だけでも太陽のような恒星が2000億個ある。そんな星雲が大宇宙には更に2000億個もあると言う。途方もない広さの宇宙の中の一点の地球に私たちは生きています。宇宙の誕生から138億年、太陽・地球の誕生から46億年、人類の誕生から500万年、人間らしくなって20万年、日本が出来て2000年、途方もない時間、悠久の命の繋がりの中の今の一瞬に私たちは生きています私たちは生まれ変わる事のない一点・一瞬の奇跡の存在です。日々の出会いは奇跡の出会いです。どんな不動産の取引も、よっぽどのご縁による取引の関係になります。


 小枝を集めて大木を流すという言葉があります。一得一失という言葉もあります。利他(譲歩)の決断で安寧なしあわせを手に入れた人がいます。小利小欲(執着心)にこだわって不幸(問題)を残した人もいます。太陽(地球)に寿命があるように地球最期の日は必ずやってきます。地球に寿命があるように人生にも終わりがやってきます。人生は禍福終始。良い事も始まりがあったものには必ず終わりがあります。悪い事も始まりがあったものには必ず終わりがあります。


 二度と過去には戻れません。二度と生まれ変わることもできません。人間万事塞翁が馬。終わってみなければ何が正しくて、何が間違っていたか分りません。終わってみなければ、どちらが勝者(成功)で、どちらが敗者(失敗)か分りません。真に生きる。自分の死を覚悟して初めて真実の生を実現することが出来ると思っています。死の淵に立って正しい判断・正しい決断が出来ると思っています。


 生きている今現在のあなたが全てです。過去も未来もありません。生きている今の自分の持ち時間が全てです。日々消滅して行く人生の中で、人とのご縁・仕事とのご縁・不動産とのご縁があります。時の流れの中で、誰の人生にも夢や希望に満ちた取得、進出や拡大の時期があります。また不本意な売却、縮小や撤退、後始末の時もあります。人生は大河ドラマです。時の流れは止まりません。全ては自分の持ち時間の中の出来事です。不動産を取得する事も手放す事も、ある意味では全て正しいのです。お客様の個別事情(人生観)に最適な選択が必要だと思っています。


 お客様の今にとって、又お客様の将来にとって何が大切か、お客様の人生観(立場)を重視して考えます。不動産の取扱いを通してお客様の本当のしあわせ利益)の為に、お役に立てればありがたいと思っています。たった一度の人生です。残りわずかな人生です。二度と来ない人生です。本当のしあわせ(成功)とは何か。皆さんへのお役立ちが私の仕事観・人生観です。あなたの人生哲学に沿って一緒に考えさせて戴きたい。お気軽にお声をかけて戴きたいと思っています。

 

 歳をとると夜明けが速くなります。本投稿はAM4時からAM6時の早朝散歩の前後の時間、ボケ防止と時間つぶしのために、思いつくまま気の向くまま一気に書きあげています。読み返しや推敲を重ねていたら書けません。思いつくままに書いています。支離滅裂で矛盾した文章、誤字脱字、変換間違いが多々あると思います。不遜な表現や不適切な表現もあると思います。不愉快な点は年寄りのたわごとと思ってご容赦願いたい。寛大な心でご笑覧戴きたいと思っています。

 

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禍福人生 奮闘日記 『梅雨明け』

 

松山地方は一昨日19日梅雨明け宣言となった。気のせいか空気が変わった。雲が消えて山が渇いている。梅雨が明けた途端、早朝のパトロールがとてもすがすがしい。昼間の高温と違って、この時期の早朝は植物に朝露の付く爽やかさである。梅雨が明けたら緑深い木々の葉は、紅葉まではせぬものの、乾燥してカサカサになる。私には梅雨が明けたら秋の兆しが見え始める。私が感じる5時の空気は秋の空気である。パトロール時のこの感触は無料である。元気で歩けることのありがたさ、今日も無事に目が覚めたことに感謝している。

 

 

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禍福人生 奮闘日記 『健康な死に方、日野原重明先生の最期』

 

  聖路加国際病院の日野原重明先生が18日105歳でお亡くなりになられた。同病院の福井院長によると今年の3月頃より消化機能の衰えによって食事が困難になっていたと言う。日野原先生は径管栄養や胃ろうなどの延命措置は拒絶されていたようだ。死亡前日の17日、福井院長が「つらいところはありませんか」と聞くと、顔を左右に振って答えられたと言う。そして翌日家族が見守る中、静かに息を引き取られた。闘病生活3カ月のご臨終だった。

 

  日野原先生自身は終身医師(現役)を貫かれ末期がん患者の緩和ケアを続けられた。テレビなどにも出演され理想的な長寿人生を実演されていた。最期の幕引きも理想的な幕引きだった。我々日本国民は日野原先生の姿を見て、先生の年齢から自分の年齢を差し引いて『まだある。まだやれる。まだ生きれる。』と勇気を与えていただいた。人間の致死率は100%である。「太く短い人生」と言う言葉があるが、日野原先生の様な「長く充実した人生」は少ない。延命措置の拒絶という事は「ここで終わりにしよう。」と、自分の意思で死を選択されたということになる。何と素晴らしいことか。

 

  私には103歳の伯母が今も健在である。103歳の伯母が7歳頃、そのまた祖母(ハルばあちゃん)が亡くなった時(今から100年前)のことです。その時の鮮明な光景を喋ってくれた。「Kや、お父さんとお母さんを呼んどくれ。」両親を呼んだら布団の上に座らせて貰い、自分の子である両親に向かって両手を付いて「世話になったのう。ありがとう。もうこれで、おいとまごい(さよなら)をするぞ。」と言って息を引き取ったと言う。何と言う礼儀正しい死に方なのか。100年前の話だが子孫として誇りに思う。「ばあちゃん!ばあちゃん!」と呼んでも二度と返事が無かったとのこと。人間はこんな死に方が出来るのだろうかと不思議に思っていたが、日野原先生は元気にお亡くなりになることが出来た。健康な死に方の良い手本を見せていただいた。色々なことを示唆して戴いた。見事な幕引きだった。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

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禍福人生 奮闘日記 『見たいもの、見たくないもの』

 

『人間は誰でも全てが見えているわけではない。多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない。』とカエサル(別名ジュリアス・シーザー紀元前100年‐紀元前44年享年56歳)は言っている。昔から100人いれば100人の正義があると言われている。人によって見方によって立場によって正義の定義が変わってくる。すべての出来事には二面性がある。良い面と悪い面である。人物だって同じである。人は自分が願望する方だけ見ようとしてしまう。政策だって同じである。万人が満足する政策なんかない。

 

政権与党の見えるものは、日々の庶民の感情より、現実的な国家の安全、繁栄・発展の問題に走りがちになる。政権に近い人々(日の当たる人々)の言動ばかりが見えてしまう。一方、野党政治家や反政府のマスコミなど反対勢力が見えるものは、社会的弱者(日の当たらない人々)の不満(感情)ばかりが耳に入り、政権与党の方針政策の問題点(不安や心配事)ばかりが目に付く。そして彼の名言に行きつく。『人間は誰でも全てが見えているわけではない。多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない。』となる。

 

カエサルは古代ローマの政治家である。軍人だったカエサルはヨーロッパ全土を征服しローマの独裁官となる。征服した属州にも議席を与え元老院を増やすことで元老院の機能と権限を弱めることに成功した。自らは終身独裁官に就任し権力を集中することで国家統治能力の強化を図った。カエサルは皇帝政治を嫌ったブルータスらに元老院の議場で暗殺される。最後の言葉があの有名な『ブルータスおまえもか?』となる。

 

味方の筈だったブルータスには油断していた。自分を支持していてくれていた筈のブルータスによって殺されることになったからである。カエサルの築いた権力集中システムは、元首政治として後継者のアウグストゥスに引き継がれ、帝政ローマ誕生の礎となるのである。シーザーの目的はローマ帝国の安定であった。ブルータスたち反対勢力は元老院共和制の崩壊を心配した。元老院政治には長所と短所の二面性がある。独裁官政治にも長所と短所の二面性がある。

 

現在の日本の政治を見ていると、『人間なら誰でも全てが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない。』と言う言葉が当てはまる。バイブルにも似たような言葉がある『あなた方は聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。』とある。安倍晋三総理はカエサルと同じように国家の安全・繁栄発展のために全力を尽くしている。しかし全ての国民や反対勢力には総理の心(願い)が見えていない。自民党内には虎視眈々、獅子身中の虫もいる。野党や批判勢力は安倍晋三総理の目指している安全保障政策のメリットは見えていない。メリットが見えないのではなく見たくないのである。

 

  野党勢力によって政策の心配点や問題点のみが強調される。彼らは安倍総理の政権放棄・政権消滅だけが願望となり、国民は野党が言う甘い言葉(ユートピア社会実現に向かう)の政権を望むようになる。世界中どこを見ても問題だらけである。ユートピア社会(青い鳥)なんてどこにも存在していない。人はそれぞれの厳しい環境の中で必死で生きている。野党の政権攻撃を見ているとジュリアス・シーザ暗殺前夜のような過激的な人たちを増やしているように見えて心配になってくる。

 

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禍福人生 奮闘日記 『映画、セント・オブ・ウーマン』

 

   どう生きるべきか。どういう生き方が正しいのか。どう生きれば幸せか。人はこだわりを持って生きている。人は何かに縛られて生きている。その枠(鎧)をとることは、何かからの解放なのか、何かからの自立なのか、映画から学ぶことは多い。『セント・オブ・ウーマン』という25年前の映画である。戦争で失明し人生を悲観し捨て鉢となった孤独な退役軍人と心優しい青年とのヒューマンドラマである。二人の交流を通じて、自分の人生を見つめ直し、どう生きるべきか、人間として何が正しいかを問うドラマである。

 

   アメリカボストンにある全寮制の名門校に奨学金で入学した苦学生チャーリーは、裕福な家庭の子息ばかりの級友たちと違和感を持ちながらも無難に学校生活を過ごしていた。ある日、校長の愛車に対するいたずら事件が発生した。現場を目撃したのがチャリーだった。いたずらに激怒した校長は犯人探しを始める。目撃者の一人はコンタクトをつけていなかったと言い逃れに終始する。一方、チャーリーは、現場を見ていたが友達の名前は言えないと拒絶する。校長は犯人探しに協力すればハーバード大学へ推薦する。断れば退学と二者択一を迫られる。通りかかって現場を見ただけの仕打ちである。校長からは感謝祭休日後の回答を待つと最後通告される。

 

   苦学生のチャーリーは感謝祭の休日を返上し、アルバイトをすることになっていた。チャーリーは同級生を売りハーバードへ進学するか、黙秘して退学するかで苦悩しながらのアルバイトとなった。そのアルバイトとは、盲目の退役軍人フランク中佐の世話をすることだった。気短かで気難しく周囲の誰をも拒絶し、一人で生活する毒舌家の中佐にチャーリーは困惑する。貧乏学生であるチャリーは報酬の為に中佐の盲導犬役を引き受けることにする。

 

   中佐はチャーリーを強引にニューヨークに連れ出し、名門ホテルに泊まり、豪遊に付き合わされることになる。スーツを新調してもらい、高級レストランで食事をし、高級コールガールを買う。共に過ごすうちに中佐の飾らない人間的な魅力とその裏にある孤独を知り、徐々に親近感を持つようになる。中佐はチャーリーにある計画の手助けをしろと命ずる。その計画とは失明が理由の中佐の自殺だった。厄介者となった自分に拳銃で決着をつける計画だった。ついにその時が来た。時を察知したチャーリーは現場に戻り、自分の命まで差し出して、自殺を必死に阻止し自殺願望を思いとどまらせる。チャーリーも自分の学校での悩みを中佐に打ち明け、互いの苦悩を胸に二人は帰途につくことができた。

 

   休暇開けのチャーリーには、全校集会という形式の中で、校長による公開懲戒委員会の試練が待っていた。チャーリーは校長の追及によって窮地に立たされる。突然そこに親代わりだと言って中佐が現れる。校長に対する中佐の反撃が始まった。中佐は自分の利益の為、自分の保身の為に友達を売らないチャーリーの高潔さを示す大演説をおこなった。聴衆は水を売ったように静かに聞き入った。チャーリーのプライド信念こそ名門校の本来の姿ではないかと提言し、見事にチャーリーを救うのだった。懲戒委員の大人を含む満場の学生達の割れんばかりの拍手の中、中佐はチャーリーを引き連れ会場を後にする。自分の保身の為や自分の利益の為に、自分の魂まで売ってしまう風潮の中、考えさせられる映画であった。

 

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禍福人生 奮闘日記 『女城主直虎、死の帳面』

 

  28回目となったNHK大河ドラマ女城主直虎、今日のテーマは『死の帳面』である。人間の歴史とは生き残る事である。如何に非情で残酷な判断がなされてきたか。恐ろしいテーマである。気賀の城主となった直虎は、商人上がりの方久に城代を任せることで商人の自治を保障することにした。しかし戦国時代も終盤に入り周辺国の雲行きは怪しい。武田信玄の長男・義信の元に今川氏真の妹すずが嫁いでいたが、義信は信玄から『母の実家である今川と組んだ謀反』を追及され自害させられることとなった。その信玄はかつて父・信虎を今川に追放している。親子と言えども安心はできない時代である。。

 

  落ち目になれば側近だと思っていた者の裏切りが始まる。今川義元亡き後となった武田にとって、たとえ親戚でも今川が邪魔になりはじめる。登り龍の井伊(直虎)に対して今川宗家では離反者が出始め落ち目となっていく。生き残るもの、滅び去るもの、私の『禍福終始』哲学の通り、歴史とは残酷なものである。幾ら残酷で非道な歴史でも過ぎ去った事実は受け入れざるを得ない。是非もなく、残酷な歴史の延長上に我々はその子孫として生きているのである。

 

  危篤状態から生還した寿桂尼(今川義元の母=おババ様)は、死に際を前にして最期の仕事を始める。老衰を押して甲斐の武田家を訪れ、武田家に嫁いでいた氏真の妹すずを駿府に返すよう信玄に願い出る。さらに寿桂尼は北条氏康を仲介に立て武田への対抗策を考える。寿桂尼は更に恩顧の家臣たちと次々と最期の面談をして、今川家への変わらぬ忠誠をお願いするのだった。恐ろしいのが死に際に作成した寿桂尼の面談ノート(死の帳面)である。

 

 その面談ノートには信用できる家臣には筆で○が付けられ、信用できない家臣には×が付けられていた。×の付いた家臣は今の北朝鮮と同じで騙して呼び出され粛清されていった。直虎との面談では、井伊のお家を守ろうとする直虎のけなげな姿を褒め、わが娘に欲しかったと直虎を称える。直虎も色々なことを回顧し御恩に報いたいと誓うのだった。忠誠を誓った直虎との面談結果の評価は恐ろしいことに×印であった。

 

  寿桂尼の判断は冷徹である。『直虎は今川家より井伊家を大事にする。井伊家の為なら何でもする。即ち井伊家生き残りのためには裏切りもする。』これが寿桂尼の判断理由であった。寿桂尼も直虎と同じで、今川家安泰の為には何でもする女だったから、直虎の恐ろしさを察知したのだった。お家の為なら鬼にでも蛇にでもなる。お家の為なら地獄でも落ちる覚悟を持っている。邪魔になると思えば握手をしながら、にっこり笑って殺してしまう。

 

  戦国大名における寿桂尼の振る舞いは現代政治の舞台裏と同じである。現代政治における下剋上は、虚々実々の駆け引きと裏切り、恐ろしい権力闘争の中にある。どこの国だって生き残りをかける権力者は怖い。権力を手にしようとする側近は更に油断が出来ない。安倍さんも死の帳面を持っているのだろうか。内憂外患、油断をしたら何時ハシゴを外されるか分らない。政治家なんてなりたくないものである。怖い。怖い。

 

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福人生 奮闘日記 『ビュリダンのロバ』

 

   あるレポートでビュリダンのロバという言葉を発見した。ビュリダンのロバとは心理学の分野に用いられている例え話だそうだ。空腹のロバが、左右2方向分かれた道路の岐路にさしかかる。双方の道の先には同じ距離の場所に同じ量の美味しい餌(干し草)が置かれていた。迷ったロバはどちらの道にも進むことが出来ず岐路で餓死してしまうという例え話である。決断しなかったことの悲劇である。会社経営は留まっていれば必ず100%後退して地獄に落ちていく。前に進めば富か地獄で生き残れる確率は50%の半々である。100%の敗北を取るか50%の確率の生き残りを取るか決断しなければならない。もちろん50%の確率を取るしか方法はないのである。決断すべき時に逡巡して決断が出せない人をビュリダンのロバに例えることが出来る。

 

 私は過去に経営上の絶体絶命を何度も経験している。坪100万円で購入した土地が70万円になってしまい、分譲マンションも賃貸マンションも採算が合わないし転売もできなくなったことがある。1億円以上の損失である。銀行からはどうするのかと詰められる。朝のパトロール中に閃いた。私は生き残り確率50%の勝負に出た。こうなれば自分で別事業をして支払いをする。更に凄い金額の借金をして施設を創ったのだ。自分でやろうかと思っていた事業だったが、神風が吹いてその施設を借りて貰えると言う奇跡が起こったのだ。絶体絶命でも私にはギブアップが出来ない。なぜならギブアップすれば倒産するからです。退路を断つと言う言葉があるが退路(退路と言う余裕)のあるうちはまだ良い。私の場合は前に進んで行くしか生き残りの方法はなかったのです。私は過去に40数棟建てているが私の会社経営はこれの繰り返しだった。

 

 私を含めてリーダーには戦うか撤退するか決断しなければならない時がある。責任問題が絡む時この選択の壁は大きい。見えないリスクがある時でも右か左か、リーダーには決断できなければならない時がある。私は神も仏も一切信用しないが、立派な経営者でも方角や年回りや占いを信じる人がいる。私に言わせたら神頼みも、それによってリーダーの腹が座れば立派な決断だと思っている。躊躇や不安が疫病神を呼ぶ。自信と信念は神風を起こす。安全が確保されていたり利益が明確であれば誰だって飛びつく。そんな選択なら誰かが先に決断を下している筈である。リスクや問題があるから自分のところに届けられたのである。リスクが残っていても、思い切って勝負に出るから神風が吹いて生き残れることが出来る。富も手に入れることが出来るのである。昔の経営者が言っていた。勘と経験と度胸とハッタリが案外当たっているかもしれない。絶対に勝つと言う信念が大事である。役職で長の付く人は自分を診断してみてほしい。付和雷同型の人や優柔不断な人はリーダーには向かない。

 

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禍福人生 奮闘日記 『お金とは何か』

 

殆ど多くの人はお金に使われている。お金に拘束されていると思う。お金に対する見方は、まず一番は生活の為、将来の安心の為と言う人が多いと思う。パチンコに競馬に競輪などギャンブルの為、献金や寄付金など他人に使うのが好きな人もいると思う。旅行が趣味の人もいる。収支を考えず、お金がなくても使う人もいる。借金しても使う人がいる。私の場合は収入の多くを次の勝負(投資)に使う事が多かった。収入に対する私の消費は交際費に使うお金が大きい。私にとっての飲食費は人への投資だと思っている。人くらい大事な投資対象はないと思っている。人への投資は大きな富に繋がっている。会社のお金で飲むお金は投資とは言わない。なぜなら、接待する方も接待される方も、心が違うから、投資ではなく消費になっている。

 

高級官僚や大会社に勤め、高給取りで沢山のお金があってもお金を使わない人がいる。お金に余裕があってもケチで人には奢らない人がいる。使わないどころか貪欲にため込んでいる人がいる。しかも卑怯な手段や姑息な手段でため込んでいる。しぐさ振る舞いで分かる。お金に汚い人である。口には出さないが周囲の人は気付いている。一方で低賃金でも出すべき時にはキチンと出し合って楽しく使っている人もいる。いわゆるお金に綺麗な人である。人生が終わる時、お金とは何だったのか、振り返って反省しても手遅れである。私は借金があっても良いと思っている。借金があっても、人に迷惑をかけずお金を回すことが出来れば、無借金のような生き方が出来るからです。

 

自分で言うのも何だが、私も女房もサラリーマン時代からお金には綺麗な方だった。女房など現在まで何十年間も地球の裏側に難民救済のボランテァ募金を続けている。経営危機の時も『彼らの危機と会社の危機は次元が違う』と中断しなかった。『天の蔵の貯金』と言う言葉を妻から教わった時でもある。そんなことで貯金は出来なかったがお金は有効に使った。私は貯金どころか借金が増え続ける人生だった。借金を増やしながらゴルフに酒と、お金は有効に使った。私の本性はケチでがめつい質素倹約の性格ですが、自分が飲んだり食ったり楽しんだりする自分のために使ったお金、即ち出すべきお金はきちんと出す人間です。多くの人は借金が終わったらお金を使って楽しむと言う。余裕が出来たらお金を使って人生を楽しむと言う。それって果たして正しい生き方なのだろうか。お金持ちの年寄り達に言いたい。『間に合いませんよ』と。お金はあの世に持っていけない。借金だってあの世にもっていかなくて良いのです。

 

私の場合など、年ごとに借金が大きくなり死ぬまでに借金は返せないかもしれない。では私は人生を楽しめないのでしょうか。とんでもありません。自分で言うのも何だが、借金を増やしながら私ほどお金を有効に使った人間は少ないと思う。頭取の娘で大事に育った娘だったが、両親が亡くなって、莫大な資産を持ちながら、餓死した姉妹の新聞記事を読んだことがある。かつて妻の知人でお分譲マンションも買ってくれた人で、お金の綺麗な使い方をしたおばあちゃんがいた。毎年使う結構な額のお金を決めていて、余ったら一族を集めてハワイに連れて行く人だった。疚(やま)しい使い方はいけないが、お金は有効に使ってこそ価値がある。今日から北海道旅行に出かける先輩がいる。有言実行の人である。まさに彼は溜まったお金を使いきる人生をやっている。豊かな生き方の手本のような人物である。あやかりたいものだ。

 

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禍福人生 奮闘日記 『煎り豆とカラスミ、苦痛は至福の種』

 

  時代劇ドラマで料理対決の場面に出くわした。私は立ったまま画面に釘付けとなる。殿様の料理をつくる御殿料理人の番組だった。最高の食材を誇る老舗と素人娘の対決だった。当時の珍味であるカラスミを使った老舗に対して娘は〆コンブ料理の勝負となった。御殿料理人の老舗が勝ったが、評価人の本心は素人娘の〆コンブ料理の素晴らしさだった。対決の終わった後、殿様料理の味見役の言葉が素晴らしい。『私は何の味も付いていない煎り豆が好きだ。』毎日、毎日、珍味のカラスミを食べていたら美味しモノが無くなる。この考え方は全てに通用する。

 

  人間社会では、好きなモノ、嫌いなモノ、どちらでもよいモノ3つとも大事である。支持する人、反対する人、どうでもよい人、3つとも大事である。仕事のできる人、仕事のできない人、普通の人、3つとも大事である。協力する人、邪魔をする人、普通の人、3つとも大事である。美味しくないものがあるから美味しいモノがある。5つのオカズがあれば私は美味しくないモノから食べ始める。最高の美味しさを4回味わう事が出来る。おいしいモノから食べ始める人は食事のまずさを4回感じる筈です。

 

  達成感は仕事だって同じである。遣り甲斐のある仕事だと思ったり、楽チンな仕事だと思うのは、基準の仕事があるからである。何でも比較対象の存在が必要であると言う事が分かる。嫌な仕事や難しい仕事から取り掛かることに進捗の感動がある。辛い仕事があるから休日がありがたい。煎り豆とカラスミについては煎り豆があるから、カラスミに価値が出る。毎日、日曜日だったら妻子に対して父親としての存在感は無くなる。苦痛があるから普通の暮らしに感謝出来るのである。苦痛こそ最大の至福の種である。人生の意義についての答え探しをしていると『人生の教訓』はどこにでもある。

 

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禍福人生 奮闘日記 『行政は歪められたのか正されたのか』

 

10日に今治家計問題について衆参両院で参考人証言があった。まず、文部科学省の元事務次官であった前川氏は『官邸周辺からの圧力があり行政が歪められた』と従来の主張を繰り返した。何ら新しい証言は出なかった。後は『安倍総理が私が圧力をかけた。』という証言を引き出すしかない。安倍総理は『解明も何も、言っていないモノは言っていない』を繰り返し、水掛け論の平行線になるだけである。一方、元愛媛県知事の加戸守行さんは、新設校が必要な理由の意義を述べ、長年の誘致活動を振り返り『安倍政権が岩盤規制(新設排除=既得権保護)に穴をあけ、歪められてきた岩盤規制に穴をあけてくれた。』と反論した。

 

また加戸元知事は地方の現場を預かる者の立場から『文部省は硬直的で、国民的感情(地方の要望)と乖離している。』と古巣を批判した。ここのポイントは『行政が歪められた』という意見と『歪められた行政が正された』という真反対の意見である。報道だって同じである。事実に対して一部を強調し、市民の声と称し自分の考えに誘導すれば『報道が歪められた』ということになり、相反する2つの意見を掲載すれば『歪められた報道が正された』ということになる。

 

 一つの政策には、利益と不利益、反対と賛成、必ず相反する面がある。得る利益と失う利益である。放置しないでやった方が良いから法案となるのである。どちらが国民にとってより良いか、ある意味どちらも正しい面があるのです。マスコミは自分と意見が違う人達を悪魔の様に言ってしまう。マスコミは気に入らない法案を一刀両断に切り捨ててはいけない。マスコミは国民に分かるように提案者の心(メリット)と反対者の心(デメリット)を平等に掲載してほしい。納得できない言い分を、決着させるのが多数決による採決ではないのでしょうか。採決は数の力の横暴だろうか。自分達の提案が多数決採択(採用)された時も横暴の行使だと言うのだろうか。

 

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禍福人生 奮闘日記 『NBF松山日銀前の樹木と山草』

 

先日NBF松山日銀前公開空地の樹木を剪定をした。ここの樹木は私の分身であり子供の様なものである。私はここの山草を誰よりも愛している。何故なら私の手植えの作品だからです。私は樹木や山草と対話が出来る。喉が渇いた。水がほしい。虫で体がかゆい。太陽光不足でビタミンが足りない。樹木達とそんな対話をしている。NBFの植木ボックスは樹木の根がぎっしり詰まってしまった。満員電車状態で全ての樹木は疲れ気味である。近々全てを植替える時期が来る。もう少しこのままで頑張ってもらうつもりである。

 

私が生まれ育った東宇和郡宇和町岩城村(現在の西予市)では生まれた時から野山が遊び場だった。鎌を持って山に入るのが遊びだった。山草たちは鎌と鍬を持った悪ガキに戦々恐々だった。日陰で育つ山草、太陽が必要な山草は、大自然の中で役割分担を果たしている。倒れたクヌギの木に野生のシイタケが鈴なりになっているのを見つけたこともある。松茸やシメジはスーパーにあるものとは思わなかった。ハゼの木にカブレたり、ぎんなんの汁でおチンチンが大変なことになったこともある。蜜蜂に足長蜂そしてスズメバチなど危険動物も居る。石を動かしたら下に三角頭の赤マムシと出会ったことだってある。その名の如くお腹は異様なモンモンの赤紫の腹をしている。

 

私は子供のころ自然から随分学ばせて頂いた。プロの植木屋は机上の知識だが私の知識は大自然の知識である。NBF松山日銀前の高木以外は私の実家がある田舎の山から私自身が掘り起こして持ち込んで私が手植えしたものです。太陽が当たってはいけないもの、多少の太陽光が必要なもの、私の剪定の判断基準は、大自然の木々が指示する声なのです。その声が私の診断なのです。AM6時までが山草との対話時間です。すっきりした姿は幾ら眺めていても見あきない。

 

 

 

 

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