2011-03-04 17:28:28

予防接種は効くのか? 岩田健太郎

テーマ:何のことやら
予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える (光文社新書)/岩田 健太郎
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 週に一回、メルマガを発行している。
 今日のお題は「入試ネット投稿事件」


 暦の上では3月は春なんですけど、まだ寒いですね。先週の金曜日は横浜では20℃を超えて春一番が吹きました。
三寒四温といって、この時期は三日寒くて、4日暖かい日が続く。そうやって冬から春になる、なんていうのは昔の話のようです。今は日替わりメニューです。
これを、異常気象とか、気候変動っていうんでしょうかね。


 さて、世の中、まさに激動してます。


「京都大学など4大学で入試問題が試験中にネット掲示板に投稿された事件」


長いですよね。最近のテレビ番組みたいに。そこで、略しました。
「入試ネット投稿事件」
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)みたいに、NNTにしようかとも考えたんですが、それだと誰にもわからない。
説明するのに時間がかかる。意味がない。
ということで、「入試ネット投稿事件」


この事件、世の中の激動とは、ちょっと路線が違うような気がしますが、ひょっとしたら、まさにその「激動」の原点ではないかなと。

昨日、あっけなく19歳の浪人生が逮捕されちゃいました。新聞報道では、「一人でやった」
 新聞報道っていうのは、基本的に、記者クラブでの警察発表です。だから、主要メディアは、新聞もテレビもいっしょです。


知りたいのって、「誰がやった」ではなくて、
「どうやったか」いわゆるHOWTOですよね。


それほどIT関係に強くないので、ドンパチな発言だったらお許しください。


始めにこの報道を聞いた時の疑問は
携帯で試験問題を「ネット掲示板」にリアルタイムで投稿するのは、ある意味可能かもしれない。でも回答を得るのはどうするんだろう?
それから、リアルタイムで「ひとり」で実行したとして、ネット掲示板から正解を、それも時間内に得る可能性ってそんなに高いだろうか。


つまり、手間暇、リスクを掛けて見合うメリットがあるのだろうか?
メリットっていうのは、無事に京都大学に合格すること。


30年以上前の加山雄三主演の若大将シリーズ。
青大将がペンタイプの送受信機を使って、
ドイツ語の試験で、カンニングをする。
そのカンニングの方法は、ペンタイプの送受信機(だったと思うが)から試験会場で、問題文を読んで外にいる江口に伝わる。(江口ってのは、若大将の所属するクラブのマネージャーで、若大将の妹の彼氏)その江口、トランシーバーで問題文を聞き、それに対応した応えを逆に伝える。


この場合は、大学の第二外国語ドイツ語の試験で、出題範囲が決まっていた。
青大将の隣の席には若大将がいて、結局、試験官(担当教授)にばれて、若大将も巻き込まれて、ふたりとも停学を食らってしまう。
まあ、そこからがおもしろいんだけど、
確か、「ハワイの若大将」だったと記憶している。
ご興味のある方はご覧になってください。
1965年前後の作品です。


ということで話を戻します。


この手のカンニングは、テクノロジーとしてはどんどん新しくなってるでしょうけど、発想は、昔からありました。
ということは、大学側も起こり得る可能性を考えて試験官も対応していたでしょう。
だから、もし「一人でやった」とすれば、ふたつのことしか考えられません。


既存の携帯電話のテクノロジーを使ったとすれば、当日の試験官がよっぽど注意力散漫で、尚且つ、周りの受験生の集中力も凄かった。

もうひとつは、周りに一切覚られずに、ネット投稿して、回答を得るための、「画期的な装置」を使ったかです。


ここからはわたしの勝手な仮説、想像、妄想です。
まず、「一人でやった」のではないと思います。
たとえ「画期的な装置」があっても「一人」では荷が重い。


007にも、ミッション・インポッシブルにも、名探偵コナンにも登場する、
メガネ型の送受信機。
問題文を動画で撮影して、会場の外にいる人間が、それを受け取り、
ネット掲示板に投稿する。AICEZUKIは試験会場の受験者じゃなくて、
外にいる別人。得た回答を今度は会場の受験者に送信。
その送信された情報は、メガネのレンズに現れる。
小説にするなら、この技術はCIA絡みで、だからメディアはどっかで幕引きしたい。
まさに、「行くぜ、CIA」である。


本当に言いたいことは、昨今の新聞、テレビなどの大メディアの報道は
頼りないし、偏っているということです。
「大相撲の八百長事件」やちょっと前の「海老蔵事件」も
どうでもいいっていえばいいし、今回の「入試ネット投稿事件」も
世の一大事ってわけではないけど、「本当のこと」は知りたいですよね。

この事件が激動の「原点」かもしれないというのは、
一つはメディア対応です。
どう見ても、何か隠してますよね。
というより、どこかから圧力が掛ってる。
つまり、あの検察の暴走と同じで、ある方向に誘導して、
落とし所をすでに決めている。


この世の中、何が真実か?なんてわかりませんけど、
「ああそうか。」って納得したいわけです。

既存メディアが頼りなくて、偏ってるとすればそれに代わる情報源が必要になります。
昔なら、「大本営発表」しかなかったんでしょうけど、今はあります。


つまり、これからこの社会で生きていくためには、既存のメディアは横に置いておいて、自らが納得できる
情報源を持たなくてはいけないのではないかと思います。


わたしが参考にする情報源をいくつか挙げておきますね。
これはあくまでわたしの情報源で、みなさんが納得できるかはわかりません。
「正義」はひとつじゃありませんから。
100人いれば、100人の正義があります。


「ヤスの備忘録」 というブログです。
始めて読む方は、目を廻すかもしれません。
右脳と左脳の統合?
未来予測としては、ラビ・バトラに匹敵しますね。


「超プロK氏の金融講座」
朝倉慶さんの船井幸雄.Comのコラムです。
ビジネスマン必読です。


中矢伸一さんが主宰する「日月神示」のブログです。
神道系ですけど、宗教団体ではありません。
スピリッチュアル系といえばそうですけど、
結構カテゴリーキラー的ですね。


バランスを取るってわけじゃないんですけど、
より現実志向なのが、本田健さんのHP。
「幸せな小金持ち」 って惹かれますよね。
でも、本田さんのいう小金って、結構大金です。



今や大人気の内田樹さんのブログ です。
内田さんは、いわゆるレヴィナス学者です。
実に真っ当です。

世に真っ当なご意見の持ち主は結構いるんですけど、
割と理系の方が多かった。
養老猛司さんとか、池田清彦さんとか。
ふたりとも『虫』好きですね。


http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/
脳科学系でいえば、やっぱり茂木健一郎さんですか。


http://www.tomabechi.jp/
こちらは脳機能学者の苫米地英人さん。
茂木さんは理系で、苫米地さんは一応文系です。


http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/
この人、勝間和代さんのブログはめったに入りません。
が、凄いおばちゃんです。敵いません。


http://tanakanews.com/
田中宇さんの有料サイトです。


http://www.snsi.jp/
副島隆彦さんの同じく有料サイトです。
両方とも、わたしは無料ページで満足してます。
金融関係にお勤めの方は有料ページでもお得かと。


http://diamond.jp/category/s-uesugi
政治ネタはやっぱり上杉隆さんでしょうか。
ジャーナリストはこうでなきゃね。


http://uekusak.cocolog-nifty.com/
はい、そして冤罪事件の張本人、植草一秀さんのブログ。
上杉さんのコラムと植草さんのブログを読むと、
いかに既存メディアが頼りなくて、偏向しているかがわかります。


http://ameblo.jp/yabunokouji
最後にわたしのブログ「今考えていること」
書評形式を取ってますけど、題名通り、今わたしが考えていることです。
不定期ですから、あんまり当てになりません。


もういくつかあるんですけど、まあこの辺で。

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2011-03-01 18:58:23

21世紀の歴史 ジャック・アタリ

テーマ:歴史
21世紀の歴史――未来の人類から見た世界/ジャック・アタリ
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 そもそも人には未来を予知することは可能なのだろうか。ある人には可能であるなら、それは能力というべきものだろうか。そしてその能力はもって生まれたものなのか、努力や訓練によって後天的に獲得できるものなのか。

 さて、それでは歴史とは何ぞや。もう少し範囲を狭くして、「世界史」について考えてみる必要がある。

 今もそうだと思うが、大学受験の分類で、どうしても『日本史』と「世界史」というふたつの歴史を考える。
 日本史というのはそう言う意味ではわかりやすい。日本という国の歴史である。もちろん、深く考えれば、その日本というのも、地理的な今の日本が、いつ成立して、それこそ日本書紀にある神武天皇を起源とする紀元2671年前から語り始めるのか、邪馬台国あたりからなのか。
 
 日本史でさえ、実はよくわかっていないのだが、世界史は、日本以外の歴史ということでは、日本史以上にわかりやすい。しかし、待てよ、世界史を日本以外の歴史と定義してしまうと、もし地理的な枠組みで分類して語るとなれば、とてつもないことになりはしないか。
 そもそも世界史というのは、地理的な各枠組みの人々の営みの総体を時系列に並べたものなのか。
 
 さて、最初に世界史を書いたのはどこのどいつだろうか。

 人はひとりでは生きてはいけないし、勝手にひとりで生まれてきたわけではない。少なくともここ3000年ぐらいの中での人類は、気がついた時にはある「社会」、共同体の中にいたのである。
 わたしの場合でいえば、それが日本という名の共同体だったわけだ。
 たまたま日本人に生まれたお陰で、その氏を遡っていっても、少なくとも調べられる範囲で、日本を出ることはない。


 世界史の始まりは「アッバース朝がユーラシア商業圏というネットワークを形成した」ところにあるらしい。


 宮崎正勝さんの『イスラム・ネットワーク』の提案である。これは松岡正剛さんの千夜千冊、「世界史の誕生とイスラーム」に載っている。

世界史の誕生とイスラーム/宮崎 正勝
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イスラム・ネットワーク―アッバース朝がつなげた世界 (講談社選書メチエ)/宮崎 正勝
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 中東、北アフリカ(マグリブ)で今も続く、暴動なのか、反政府デモなのか、革命なのか、が中国や北朝鮮まで波及してきている。
 日本のマスメディア報道は、ニュージーランドで地震が起これば、それも日本人が多数巻き込まれたなんてことになると、もうこれ一色である。
 大学受験の問題が受験中に漏洩したといえば、すわ一大事と、地震も中東も吹っ飛んでしまう。
 
 何が今一番大事な問題かは、もちろん個人個人違うだろう。婚活、就活に忙しい方にとってはNZ地震も中東デモも、朝鮮半島有事も大した問題ではない。
 
 それは今回の北アフリカの騒乱のきっかけとなったのが、一人の男性の焼身自殺である。そのチュニジアの焼身自殺した男性は決して、これからの世界の行く末を儚んでの行動ではない。思想があったわけでもない。自分に向けられた理不尽な行為に対する怒りである。


 世界史は、つまり歴史は「過去」である。人は過去はわかっていると思っている。すでに起こってしまったことだからだ。わたしたちが生きているのは現在、「今」である。起こってしまったこと、つまりもう変えられることのできない過去を知ってなにになるのか。
 わたしたちが世界史を知りたいと思うのは、未来を知るためである。いや、知りたいのだ。知りたいのは、わたしの、わたしたちの未来である。わたしたちの未来を知るために世界史が生まれたのである。

 表題の本の副題は、「未来の人類から見た世界」とある。この本は、アタリ氏が考える世界史から演繹した来るべきこれからの未来予測である。



 2050年には大災害でもない限り世界人口は95億人を突破する。


 しかし先進国においては平均寿命が100歳近くになるが、出生率は人口の現状維持率を下回ることになる。
 日本はすでにこの超高齢化社会に突入している。2009年の統計でも、80歳以上の高齢者は789万人もいるのだ。
人口の6.2%である。

 日本人の平均寿命は現在82.6歳(2008年)である。ご存知の通り、女性のほうが男性より10歳近く長命である。
 平均寿命というのは、「現在の死亡傾向が変わらないとして予想される0歳での平均余命である。
 それではその「平均余命」とは何か。「ある年齢の人々が、その後何年生きられるかという期待値」のことである。

 厚労省が発表している「完全生命表における平均余命の年次推移」 を見てみると、80歳の女性の平均余命は11.13歳あるのだ。2005年のデーターなので、今はもっと大きい数字かもしれないが、5年前に80歳だった女性は、平均すると91.13歳まで生きることになる。その年の女性の平均寿命は85.52歳である。


 年金が破綻したのはまさに、この人口構成の劇的な変化である。
 1955年、男性の平均寿命は63.60歳である。55歳まで働いて、年金を払わせ続け、60歳から支給しても3年ちょっとの給付でいいのだ。死んだら年金はもらえない。
 ところが、平均寿命は上がり続けた。いや、今でも延びている。このままいけば、男性でも80歳を突破する。女性は限りなく100歳を目指す。
 30年払い続けて、10年ぐらいなら給付しても親、胴元は損はない。それも着実に年金を払ってくれる人口を確保できれば。


 ところが、高齢化と同時に少子化が始まった。


 2005年、65歳男子の平均余命は18.13歳である。65歳から給付を始めても、平均して18年間も給付し続けなければならないのだ。
 それが高齢化だけで、年金を払ってくれる働き手が十分いるなら、給付金の減額とか、手はあるかもしれない。しかし、その働き手は平均余命と反比例して減ってしまって、今後も増えることはない。
 つまり年金制度はすでに破綻しているのだ。
 破綻した制度に無理に加入させようとしても、自分から払う国民年金に払う若者がいるはずがない。制度そのものが破綻しているのだ。その破綻している制度で無理やり払わせるとしたら、それは詐欺である。20年間払って、もらえるのは40年後である。


 話を元に戻そう。


 日本の人口は、移民でも呼びこまない限りは減少の一途である。2050年には8000万人ぐらいになるなんて予想も出ている。
 しかし世界は違う。95億人である。現在67億ぐらいだから、20億ぐらい増える計算だ。
 これは何を意味しているのだろうか。食糧不足、食糧危機である。

 中東、北アフリカの騒乱も、昨年の異常気象や、投機による食糧不足で価格が暴騰したことが原因している。エジプトの人口はここ20年で倍に膨れ上がったのだ。
 
 日本はデフレ脱却などと騒いでいる。デフレで国は潰れない。近い将来、デフレを懐かしむ時が来る。世界はすでにインフレの危機にさらされているのだ。


 「今やあり余った資金が世界中でインフレを起こすのを待っている。」

 リビアにアメリカが軍事介入するのではないかという観測が流れています。オバマさんはしたくないが、軍産複合体は、ドンパチを始めたいでしょうね。
 
 イランもお尻に火が点いている。イスラエルだって爆撃したくてしょうがない。

 中国も事情は同じである。『市場経済』はOKだが、『民主化』は困るのだ。


 「国内の混乱が始まれば海外との緊張を作りだすのは国家の常套手段」


 日本にとっては北朝鮮の動きが気になるかもしれない。中国とアメリカの覇権争いの巻き添えを食って、ドンパチ始めちゃうかもしれない。


 2035年や2050年のことを考える前に明日のことを心配しなければいけない世の中になってしまいました。



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2011-02-17 17:47:49

金正日の正体 重村智計

テーマ:ジャーナリズム
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 2月16日は北朝鮮、金正日総書記の誕生日だそうである。金正日総書記の健康問題は2008年ぐらいから重病説や、それこそ重村さんは、すでに死亡していて、表の顔は「影武者」なのだと言っている。
 
 その真偽はともかくとして、金正日総書記、現在の北朝鮮体制と今回エジプト大統領を辞任したムバラクさん、大変仲がよかったようだ。北朝鮮国内ですでに30万台以上普及しているとされる携帯電話網もエジプトのオラスコム・テレコム社が構築した。


 辞任したムバラクが83歳で矍鑠(かくしゃく)としているのに、片や69歳の金正日は余命いくばくもないか、もはやこの世にいない。
 ムバラクは息子のガマルに後を譲ろうとしたが、果たせなかった。しかし金正日はすでに三男正恩を後継指名して、着々と権力移管を進めているように見える。

 次男の正哲が14日の夜、大ファンのエリッククラプトンのシンガポールでの公演に取り巻きと現れた映像が流された。
 ニュースソースは韓国KBSテレビである。


 現在の北朝鮮体制を支えているのは、大方の見方としては中国とされている。もし、エジプトのムバラク体制がアメリカの被護の元で成り立っていたように、北朝鮮が中国の被護だけで成立しているのなら、北朝鮮とエジプトとの『親密度』は中国公認のものであるはずである。
 そしてわがまま息子ではあっても時の総書記の息子がその親父の誕生日を前に中国人が多いとはいえ自由主義の国、シンガポールでのアメリカ人ロックスターの公演に取り巻き共々顔を出すなどということを中国当局が許すだろうか。


 何が言いたいかといえば、エジプト革命同様、北朝鮮問題も決して簡単な構図ではないということである。簡単な構図ではないが、突き詰めると、根は同じということが言いたいのである。
 もちろん、重村さんのように、朝鮮問題に関するエキスパートでもないし、その方面に人脈をもっているわけでもない。ただただ、いろいろな情報を観て、想像するだけである。
 
 専門家が同じことをすると、素人だと「想像」とか、「妄想」「創作」というところを、「分析」というらしい。その「分析」がいったん日本では権威があるとされるメディアやジャーナリズムの世界で発表されるとまるでそれが「真実」であるかの如く独り歩きを始める。


 ここから書くことはわたしの想像である。何の根拠もない。しかし、こんなことがあっても決しておかしくないのである。この世の中、今や何でもありだからである。


 昨日「アメリカの国益」について書いた。東アジアでの覇権争いには、どうしても日本を、「実質的属国」にしておく必要がある。民主党の中で小沢さんを表舞台から引きづり降ろそうとしている勢力は、まさにアメリカの「ジャパンハンドラー」たちの手下である。


 そしてもうひとつ、アメリカにとっては、東アジアが常に『有事』であって欲しい。アメリカの存在感を示すためには、東アジアが「平和」では困るのだ。


 東アジアでの平和を脅かす存在は何だろうか。そうです、北朝鮮こそ、アメリカが指定する「悪の枢軸」なのです。


 勝手に核爆弾の製造は始めるは、テポドンやノドンは撃つは、韓国の哨戒艇をミサイルで撃ち落とすは、果ては韓国の島に発砲事件である。


 見方を変えれば北朝鮮は、極東『有事』を演出するアメリカにとってはなくてはならない存在ではないか。
 
 東アジアの覇権を狙うのはアメリカだけではない。経済力では日本を抜いて第2位に急浮上した中国が狙っている。覇権争いの2国にとっての切り札、ジョーカーが北朝鮮カードなのである。


 はっきり言って、本当の金正日が生きていようがいまいが、そんなことは問題ではない。アメリカにとっては北朝鮮がいつ何をしでかすかわからない存在でいてくれればいいのである。偽札と覚せい剤が北朝鮮の国家ビジネスとされているが、今やアメリカは本当のドル紙幣を湯水のように刷って世界中にばら撒いているのである。偽札など怖くもなんともないのだ。
 
 北朝鮮が怖いのはやはり中国である。あんまりアメリカ寄りになり過ぎるとお灸を据えられる。ライフラインはやっぱり中国が握っているはずだ。


 話は変わるが、こんど金正日から政権委譲されると見込まれている三男の正恩は、本当に正日の息子だろうか?実は金日成の子ではないかと疑っているのだが。


 それがどういう意味があって、今後の展開にどう影響されるのかは、それこそ、イマジネーションの世界である。


 そんな小説、読みたいと思いませんか?


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2011-02-16 12:21:58

日本の独立 植草一秀

テーマ:ジャーナリズム
日本の独立/植草一秀
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 14日の民主党役員会での小沢一郎氏への「党員資格停止」提案を受けて、15日、党幹事会は、「党員資格を判決が確定するまで停止する処分」を決めた。


 「検察審査会の起訴議決を受けた民主党元代表、小沢一郎被告の強制起訴は、戦後、連綿と続いてきた『金権政治』に対する市民の拒絶反応だったのではないか。」


 これは今日2月16日、朝日新聞朝刊の記者有論という村田治さんという編集委員によるコラム記事の書きだしである。


 限がいいので、今年の3月末あたりで朝日新聞を定期購読するのは止めようかと思っている。


 全くわたしのメンタリティーと合わなくなってしまったからだ。いや、朝日新聞そのものは、ひょっとしたら以前とそれほど変わっていないのかもしれない。つまり、わたしのメンタリティーが変わってしまったということか。


 この村山さんという論説委員の方は本気で、本心でこのコラムを書いたのだろうか?ひょっとしたら、誰かに脅かされているんじゃないの?と思うくらい、このコラム、いや、これまでの小沢さんに関する朝日の記事、社説全てが変である。

 朝日新聞だけでなく、メディアは「市民」という言葉が好きである。検察審査会そのものが、「市民の代表」による審査なのだという。だから、検察審査会の2度に渡る起訴議決は、「市民が下した審判」なのだという見事な三段論法である。



 しかし、そもそもその検察審査会が、「一般市民」から見るとよくわからない。わたしから言わせれば胡散臭い。今回の検察審査会で審判を下した「市民」は11人。一応無作為に選ばれたことになっているが、その全員が小沢さん「黒」と「思った」からといって、1億人全員がそう思っていると勘違いされては困る。
 たった11人のそれもどこのどなたかもわからない人の判断を少なくとも「わたし」の判断といっしょにされるのは心外である。たぶんそう思っている「市民」のほうが、「金権政治に対する市民の拒絶反応だ」と思っている人より多いのではないか?



 そもそも小沢元代表の容疑は、「政治資金収支報告書虚偽記載共謀」である。現在、裁判が進行している大久保被告の「政治資金収支報告書虚偽記載」を小沢元代表が知っていたのではないかということで起訴されたのだ。それも、検察審査会に廻ってきたのは、(無理やり廻したようにみえるが)検察が立件できなかったからである。


 ここだけ捉えても、小沢元代表の強制起訴そのものが、なんだか胡散臭い。それを、民主党全体で、野党の攻撃から守るならまだしも、民主党内で「処分」するというのだから、正直訳がわからない。


 その訳を分からなくしている元が、朝日新聞などの新聞、テレビのメディア、日本のジャーナリズムの世界である。



 表題の「日本の独立」の著者 植草一秀氏は、ご存知の通り、ある「猥褻事件」で起訴され有罪判決を受けている。

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 わたしは一度、植草氏は講演会だったか、セミナーでお会いしたことがある。会ったといっても単に聴講させていただいただけだが。
 
 植草一秀氏は、2つの事件を起こしたとされているが、普通に考えると、やっぱり「変な」事件である。つまり、植草氏の言うように、「嵌められた」としたほうが辻褄が合うのだ。
 
 とすれば、日本は非常に怖い国になってしまったということである。ある権力に逆らうもの、ある権力に反旗を翻すもの、ある権力に抗うものは、どんな手を使ってでも排除しようとすることが平然と大手を振って行われているということだからだ。


 植草一秀氏は、『日本の独立』に「主権者国民と『米・官・業・政・電』利権複合体の死闘」という副題を付けている。


 昨日のブログで「エジプト革命」と「小沢バッシング」の根はいっしょ、と書いた。その根とは、「アメリカの国益」である。 



 もちろんどこの国でも一枚岩ではない。「アメリカの国益」が、アメリカ全市民の国益であるわけではないが、少なくともアメリカで権力を行使している人たちは「エジプト革命」を起こさせたのはアメリカ国民のためになることだと考えている。また、イランで反体制デモを煽るのもアメリカの国益のためである。

 小沢一郎氏を何故、アメリカは排除しようとしているのだろうか?小沢一郎を政治の舞台から抹殺することがアメリカの国益に繋がるのだろうか?



 まず前提を整理する必要がある。植草氏が「日本の独立」という題名を付けたのは、日本がまだ独立していないと考えているからである。
 一般常識でいえば、日本は立派な独立国である。しかし、実際はどうだろうか。エジプトも、チュニジアも立派な独立国である。しかし30年間ムバラク政権を支えていたのはアメリカである。
 日本もそれと構図は何ら変わることはないと、どれだけの人が思っているだろうか。実は形式上は独立国で、GDPも中国に抜かれるまでは2番目の立派な経済大国という外面を観ていれば、誰も日本がアメリカの属国だとは思いはしない。



 しかし、現在の状況、よくいわれる閉塞感というのは、日本が真の独立国ではなく、アメリカの属国なのだ、と考えれば非常にクリアになる。


 小沢氏を民主党内でも執拗に表舞台から遠ざけようとするのは、小沢氏の存在が「アメリカの国益」に反するからである。属国日本を操る「ジャパンハンドラー」たちにとっては、小沢氏は邪魔なのである。だから、どんな手を使ってでも、小沢氏を抹殺しなければならない。



 世の中、それほど複雑ではない。分からない人たち、特にマスメディアが入って複雑にしているのである。

 小沢氏の存在がアメリカの国益に反しているとアメリカの権力者に思われているのは、小沢氏が日本を「真の独立国」にしようとしている首謀者だからである。



 さて、日本国民の中にも日本はアメリカの属国でいいんじゃないの、と思っている人もいるでしょう。小沢さんの顔が気に食わない人もいるでしょう。だから、日本が「真の独立国」になることが、「日本の国益」だと主張するつもりはありません。
 
 また、現在の対外的な軋轢、たとえば、尖閣諸島での中国との問題や、北方領土のロシアとの問題は、全てそれぞれの国の「国益」の対立です。そもそも戦争というは国益の対立を武力で解決しようとすることです。だから戦争は絶対に勝てるならやったほうが、国益には合致するのです。
 
 イラク戦争がアメリカでその当時絶対的な支持を得たのは、まさに「絶対に負けない」と国民が信じたからである。

 ということで、戦争の話は次の機会に譲るとして、小沢さんが民主党の党員資格を失って、政治の世界はどう動いていくのでしょうか。
 
 アメリカとしては、日本をアメリカの属国のままにしておくというのが第一義である。つまり、アメリカに逆らわない、アメリカの意のままに動かせる政権にしておくことです。だからそれには邪魔な小沢一郎を何が何でも排除する。
 
 アメリカが日本を属国にしておきたいのは、東アジアでの覇権を握っておくということです。努々、中国やインド、ロシアと日本が仲良くなってもらっては困るのだ。
 
 東アジアは常に緊張状態にあってもらわなくてはならない。すでにアメリカがこれからも世界の覇権国でいられるための選択肢は減ってきています。つまりドルの弱体化である。これまでは、経済力と軍事力でアメリカは世界をリードしてきた。しかし、これから経済力でリードすることは不可能に近い、とこれは理解している。となれば、軍事力一本で勝負しなければならないわけです。


 軍産複合路線の強化しか、アメリカの生きる道はない、と考えてもおかしくないでしょう。


 アメリカはこれからも、アメリカの国益のために、「日本の独立」と「東アジアの平和共存」勢力にはなりふり構わず矢を放っていくことでしょうね。


売国者たちの末路/副島 隆彦
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誰が日本を支配するのか!?政治とメディアの巻/植草 一秀
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2011-02-15 19:14:27

日本マスコミ「臆病」の構造 ベンジャミン・フルフォード

テーマ:ジャーナリズム
増補・改訂 日本マスコミ『臆病』の構造/ベンジャミン フルフォード

 情けないことに先週の金曜日、建国記念日の2月11日、ストマック・フルー、正式な病名はわからないが、胃だか腸だかにノロウイルスが感染して、下痢、嘔吐、腹痛で一晩中のたうち回っていたのだ。
 
 時系列でいけば2月10日、エジプト、カイロではアメリカに引導を渡されたムバラク大統領が即時辞任するという情報が流れた。自由広場に集まった何十万という民衆は当然ムバラクが逃亡したか、さもなくば軍部に押さえられたと想像する。

 ところが、辞任したと思われたムバラクが、「辞任はするが、今すぐではない。」という本人の演説が流されるではないか。

 おいおい、話は違うぞ、と思ったのはカイロのデモに集まった民衆だけではなかった。一番驚いたのはアメリカは、CIA長官だったかもしれない。
 ということで、エジプト革命の最終章への秒読みが始まった。日本とエジプトの時差は8時間。ムバラク辞任、ひょっとしたら、ムバラクが軍部が用意したヘリコプターに乗り込み、カイロを後にするところの映像をアルジャジーラのネット放送で観れるかもしれない。
 満を持していたのだが、私自身それどころではなくなった。経験したことがある方はおわかりだろうが、下痢、嘔吐、腹痛が波状攻撃のように襲ってくるのだ。エジプト革命どころの騒ぎではない。よって、決定的な場面は見ていない。
 一夜明けて、わたしの症状は緩和して、アルジャジーラに見いったが案の定、事は済んでしまった。これはまるで、アジアカップサッカーの決勝戦を生で見逃したようなものである。残念だが仕方がない。
 ということで、エジプト革命の復習である。

 今日の朝日新聞朝刊の一面に、エジプトデモを呼び掛けたとされる30歳アフマド・マヘルさんの記事が載った。見出しは「これは革命だ 止まらない」である。

 日本のメディアがこれまで一貫して流してきた「市民デモ」からの反政府デモであり、独裁者を葬ったのは、市民の力によるものだということの裏付け報道のようなものである。しかしどうして今さらこんな情報が日本の新聞の一面に載らなきゃならないのか?誰でも違和感を覚えるはずである。
 日本の一大事は、前日、民主党役員会で小沢一郎氏を党員資格停止にするように提案したことである。
 日本のメディア、特に新聞、テレビといった大メディアはこぞって、小沢一郎氏の検察審査会による強制起訴は「市民感情に鑑みて妥当なもの」という前提でいる。

 つまり小沢一郎は「政治と金」の問題を抱えた利権政治家の典型だから、強制起訴されるのは当然で、尚且つ、民主党が小沢切りをするのも至極当然のことだと、メディアはこれまでずーっと伝えてきた。
 この問題はまた次の機会ということで、今日はエジプトの復習である。

 といいながら、話が前後するが、小沢さんの問題もエジプトの問題も、根はいっしょである。

 エジプトの「革命」が成就したのは表向きはツイッターやフェイスブックを利用した市民革命に見えるが、それはやっぱり作られた「革命」である。もちろん1789年のフランス革命だって、作られたといえば作られたものだ。純粋な市民革命などというものは存在しない。

 さて、エジプト革命の先導者はいったい誰か。もちろん誰でもおわかりのアメリカは、中央情報局(CIA)である。
 どうして、親米のムバラク政権を倒さなければならないの?

 ムバラク政権を支えてきたのはアメリカである。中東での覇権を維持するにはエジプトを親米にしておく必要があったのだ。そのために毎年十三億ドルもの軍事費をエジプトに援助している。

 ムバラクも30年もその地位にいれば勝手もしたくなる。というよりもともとが大した器ではないのだ。民衆のことより私財を肥やすことしか考えてないからいずれは民衆の反感を買うのは時間の問題だったのだ。ムバラクが息子に次代を譲るといったのでアメリカは切れたのではなかろうか。ムバラクの息子のカマルが形の上では軍部を握っていた。

 エジプトは、軍部とアメリカがツウカーの中である。軍部がまたエジプトの国営企業を握っているといってもいい。つまりアメリカは軍を介してエジプトをコントロールしていたのだ。
 今回のエジプトの革命は一応、アメリカの筋書き通りである。ということは、アメリカの属国である日本にとっては、今のところ大した影響は出てこない。成り行きによっては原油の値段が上がるなんて言ってる『専門家』の方がいらっしゃるが、現実には、エジプト革命で原油価格は下がったのだ。今や、日本の石油業界はどうやって生き残っていくかの瀬戸際である。原油相場が需給関係で左右されるのではなく、投機で動いていることはもう誰でも知っているのだ。

 それでは、アメリカはもう使い物にならなくなったムバラク切りのためにこの「革命」騒ぎを演出しただけなのだろうか?
 
 アメリカ、CIAの狙いは、もちろんイランである。

チュニジア、エジプトときて、実はイランでデモが頻発していることを日本のマスコミはあまり伝えない。

 しかし、アメリカが画策しているのは、イランで民主化の反政府デモが頻発して、現政権のアフマネディネジャド大統領がそのデモ鎮圧に強行姿勢をとってもらうことである。
 現在もっとも中東地域で懸念されているのは、第5次中東戦争の勃発である。第4次中東戦争は1973年エジプトとシリアがイスラエルに奇襲を掛けたことによって始まった。日本への波及はいわゆるオイルショックとして現れた。

 わたしがちょうど大学に入った年で、ある意味ではそこまでは日本は高度成長を続け、ここで頂点から坂道を転げ出すのである。
 1973年はエジプト、シリアというアラブ側からの攻撃で始まったが、今、もっとも可能性が高いといわれているのは、イスラエルがイラクを攻撃することである。
 イスラエルはイランを攻撃したくてうずうずしているのだ。ある意味では必死にオバマがネタニヤフをなだめていると言ってもいい。
 ある意味ではイスラエルはあまり世論などということは考えない。ゴーイングマイウエイである。イランにしたところでそのゴーイングマイウエイは変わらない。お互いがお互いの正義のためなら、核爆弾でも発射しかねないのだ。
 
 しかしアメリカはそうはいかない。昔のブッシュなら、馬鹿だから、ネオコンの言うがままにイラク戦争のようなこともできたかもしれない。しかし、もうアメリカにそんな力は存在しない。そして政権はオバマである。
 
 イスラエルがいつイラクを攻めるかわかったもんじゃない。となれば、そのイスラエルがイランを攻めた時にそれなりの口実を作っておかなければならない。そうしないとアメリカも表だって派兵しにくいし、イスラエルを庇えない。

 イランで反体制デモが激化し、そのデモを体制側が武力で制圧、なんて筋書きがアルジャジーラで毎日流れればしめたものである。イスラエルが攻撃しなくてもイランの現体制はひょっとしたら転覆するかもしれない。

 朝日新聞の今日の一面の記事は、まさにそうしたこれからのイランでのデモは、市民革命なんだ、ということを印象付けたいに違いない。

 朝日新聞は、ニューヨークタイムスよりアメリカの国益のために頑張っているのである。

 最初に小沢さんの問題もエジプト、中東の問題も根はいっしょである、と書いた。
 もうおわかりだろう。全て、アメリカの国益なのだ。長くなるのでつづきは明日。
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2011-02-08 19:00:50

ガラパゴス化する日本 吉川尚宏

テーマ:ジャーナリズム
ガラパゴス化する日本 (講談社現代新書)/吉川 尚宏

 ジャーナリズムについての考察の続きである。「ジャーナリズム崩壊」ときて次に「ブログがジャーナリズムを変える」と来るとまだジャーナリズムは崩壊してないし、ブログ(もう少し大きな枠組みで言えばinformation Comunication Technology情報通信技術)がジャーナリズムを変えてないのだろうか?


 上杉隆さんが「ジャーナリズム崩壊」を書いたのは2008年7月で、「ブログがジャーナリズムを変える」を書いたのは2006年のことである。


 現状認識で言えば、日本のジャーナリズムはすでに崩壊していて、SNSと言われるインターネット上のメディアがジャーナリズムを変えた。

 今たぶん世界のジャーナリストが一番気になるのはエジプトの行方である。


 事の発端はチュニジアのベンアリ大統領が民衆デモに抗しきれず、国外に脱出したことである。それがエジプトに飛び火した。


 エジプトのムバラク大統領というのはチュニジアのベンアリよりも長く君臨する『独裁者』である。ムバラクが何故、30年以上も長きに渡って独裁政権を敷いていられたのか。それはもちろん、あの地域では唯一と言っていいくらいの「親米政権」だったからである。


 ある意味でアメリカの傘の元にいる日本にとっては、「国益」を考えるなら、それが独裁だろうと何だろうと、親米政権であることに越したことはない。親米国家だからこそ、日本は安心して企業が進出できたのだ。


 独裁政権だろうとその国の国民の満足度が高いなら暴動など起きるはずはない。国民の満足度は単に『モノの豊かさ』だけでは計れないが、国民の半分以上がそこそこ『物質的な豊かさ』を享受しているなら、それこそイスラム教からキリスト教に国が改宗でもしない限り、大暴動が起きることはない。そしてある域値を越えても徹底的な統制が、軍事的にであれとれていれば暴動が広がることはない。少なくとも「革命」revolutionと呼ばれるような民衆デモにはならない。


 しかしエジプトは今、まさにその革命の嵐の中にいる。本来なら守ってあげなければいけないアメリカがムバラクに引導を渡したのだ。

 チュニジアやエジプト、そしてこれから起こる中東での出来事は、まさに「革命」だが、日本のメディアは決して、「革命」とは言わない。「暴動」とか「反政府デモ」と呼ぶ。


 たぶん日本で既存のメディアだけを見ていれば誰もそれを「革命」とは思わないかもしれない。


 既存のメディアにとっては今までなら情報を独占することができた。特に日本では、新聞社も放送局(中でもNHK)も大量の「紐付き」ジャーナリストを抱えている。世界にいるそうした特派員の情報をそれなりに加工してメディアに載せれば、それが「流れ」を作ることができた。


 しかし、今や、一般の国民がネットを通じて「アルジャジーラ」の英語放送が見れるのである。流石にアラブ語を理解する日本人はそれほどいないかもしれないが、英語ならかなりの人間が理解する。


 もちろんアルジャジーラに限らず、取ろうと思えば、ツイッターでもフェイスブックでも現地の情報をリアルタイムで『一般ピープル』が取得できるのだ。

 日本のジャーナリズムが崩壊したのは、決して情報通信技術の発達によるものではない。本来であれば、情報通信技術の発達で、本来のジャーナリズムとしてのメディアの重要性は増していなければならないのだ。


 情報通信技術は、具体的にいえばツイッターもフェイスブックもプラットフォームに過ぎない。「今を伝える道具」に過ぎない。

 日本のジャーナリズムが崩壊したのは、日本にある「記者クラブ」という制度である。


 現在日本のメディアでの露出ナンバーワンの「大相撲の八百長問題」にしたところで、たぶん「記者クラブ」の方たちは当の昔から知っていた話ではなかっただろうか。


 いわゆる「プロ」の間では、それが八百長相撲かそうでないかは一目瞭然だという。

 日本の記者クラブ制度が日本の「ジャーナリスト」と呼ばれる人の「才能の無駄遣い」の温床なのである。

 上杉隆さんは「ジャーナリズム崩壊」のエピローグでこう書いている。


 「日本には、筆者などよりずっと取材力に長け、文才もあり、真摯に仕事に取り組んでいる記者がザラにいる。彼らに才能がないわけではない。当たり前の取材をする機会がないだけなのだ。」


 大相撲の八百長問題が日本独特の記者クラブ制度が一役かっているいるのは間違いない。それは決して記者クラブの紐付きジャーナリストが見て見ぬふりをしていたといているのではない。そんな大相撲の世界では『暗黙の了解事項』をあえて暴こうとはしなかったのだ。


 もし記者クラブ制度がなかったならどうだろう。想像するのは容易い。誰かがかつて「週刊ポスト」や「週刊現代」のフリーの記者がやったように、スクープ記事を追いかけるものがでてきて当然だろう。
 
 今ある「大相撲の八百長問題」は日本のジャーナリズムが崩壊した結果である。

 崩壊してしまったものは残念だが元には戻れない。だから速やかに崩壊の原因となった「記者クラブ制度」を廃止すればいい。そこから新しいジャーナリズムの形が出来上がっていくだろう。

 さて、大相撲の八百長問題、前にも書いたけど、個人的にはどうでもいいけど、周りに相撲好きな後期高齢者はいないし、相撲取りになった知り合いもいないから。しかし、前にも書いた通り、この問題にどう形をつけるのか。それは見ものである。
 
 何でも、海外の関心は、日本の政治家の動向なんかよりも高いとか。しかし、この問題、『相撲』や日本の大相撲の制度を知らない外国人に説明するのは至難の業のような気がする。


 インターネットで取ったアンケートでは、日本人の90%以上の人が「大相撲に八百長はあっただろう」と思っていたのだから。


 日本の国技ともいわれる「大相撲」って、スポーツじゃなくて、「興業」だったの?


 そう、相撲は日本の「プロレス」なんだから、八百長なんて別に不思議でもなんでもないんだよ。


 それなら、何でそんなに大騒ぎしているの?


 ここでどうしても詰まってしまう。

 「ガラパゴス化」って聞いたことあるでしょ。日本はガラパゴス化してるからね。大相撲もそれなんだ。

 さて、それでどこのどなたが納得してくれるものでしょうか。

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2011-02-08 12:15:52

ブログがジャーナリズムを変える 湯川鶴章

テーマ:ジャーナリズム
ブログがジャーナリズムを変える/湯川 鶴章

 ジャーナリズムとはいったい何だろうか。それこそその「ジャーナリズム」の世界に身を置かない我々には、漠然と「報道」の世界としかわかっていない。ウィッキーペディアにはこうある。

「ジャーナリズム(英:Journalism)とは、日本において報道姿勢、報道活動、報道機関やその業界のことを総括した意味をもつ言葉である。」


 はてなキーワードには、「報道精神」としてこう載っている。

「時事的な題材を扱うにあたっての考えかた、あるいは規範。時事的な題材を扱うメディアそのものを指す場合もある。メディアが時事的な内容に関して報道や解説する活動」


 もうひとつネットから探してみた。


「ソキウス」 のジャーナリズム論にある文章を引用しておこう。長いので、詳しくはサイトを見てください。


「ジャーナリズムとはなにか-では、ジャーナリズムがジャーナリズムである本質はなんだろう。」
 -新井直之によると、それは「いま言うべきことを、いま、言う」ことである。「いま伝えなければならないことを、いま、伝える。いま言わなければならないことを、いま、言う。『伝える』とは、いわば報道の活動であり、『言う』とは、論評の活動である。それだけが、おそらくジャーナリズムのほとんど唯一の責務である。」-


 ジャーナリズムというのはもちろん英語である。ウィッキーペディアであえて、「日本においては」とただしているので、言葉の本家、英米ではJournalismはどのように解釈されているのか見てみよう。
 
Journalism is the practice of investigation and reporting of events, issues, and trends to a broad audience.

「ジャーナリズムは事象一般やトレンドを調査し広く民衆に伝える行為である。」


 昨日紹介した上杉隆さんは、以前ニューヨークタイムズで働いていらした。そのニューヨークタイムズの一面には毎日「All the News That's Fit to Print」(記載に値する全てのニュースを)という言葉が記載されていたという。
 
 ジャーナリズムの世界に身を置く人間をジャーナリストという。日本ではそのジャーナリストを大きくふたつに分けることができる。


 ひとつは「紐付き」のジャーナリストである。日本にいるほとんどのジャーナリストがこの分類に入る。新聞、テレビ、雑誌など特定の企業に正規に雇われている社員である。


 もうひとつが「紐の付かない」ジャーナリストで、フリージャーナリストと称される。
 
 既存の媒体(メディア)、新聞、テレビ、雑誌の中では新聞とテレビの報道は「紐付き」のジャーナリストによって作られている。雑誌の場合は予算の関係で高い賃金を必要とするそうした「紐付き」ジャーナリストをそれほど多く抱えて置くことなどできない。となればフリーの「紐の付かない」言い換えれば、抱えておく必要のないジャーナリストを使うしかない。フリージャーナリストの書いた原稿に手を入れるのも、採用するのも、没にするのも、それは「編集長」、いやその発行する雑誌の組織の裁量である。

 上杉隆さんも書いているが「日本には『客観報道』という欺瞞」がある。わたしは、ある種の呪縛ではないかと思っている。


 客観報道とは主観を入れない報道ということである。ありのままを報道する。

 しかし、そんなことが可能だろうか。


 上杉隆さんも言っている。


 「偏向しているのにも拘わらず客観を装っているという点が問題なのだ。客観を装った偏向報道ほど性質(たち)の悪いものはない。」


 表題の「ブログがジャーナリズムを変える」が発刊されたのは2006年の7月7日のことである。まだ日本ではツイッターもフェイスブックもほとんど知られていない頃である。筆者はこの本を書いた時は時事通信にお勤めでしたが、根がアメリカシリコンバレーのIT記者ですから、2010年に独立して現在は「テック・ブロガ‐」の第一人者になってます。

TechWave

 話を戻しましょう。日本と欧米でいう「ジャーナリズム」はいっしょなのでしょうか?

 ちなみに、上杉隆さんは、「ジャーナリズム」と「ワイヤーサービス」を別けています。「ワイヤーサービス」というのは、湯川さんの居た日本で言えば時事通信や共同通信、世界的にはロイターが有名だが、そのロイターは純粋な民間会社であるがために現在は「経済情報サービス」にほぼ特化して生き残っている。


 もうひとつUPI(United Press International)というアメリカ資本の通信社があった。一時はAP(Associated Press)を凌駕する勢いがあったが、1991年に倒産。1992年にサウジの実業家に買われたが、経営が回復せず、2000年に統一教会が出資しているNWCに買収された。現在、UPIから配信を受ける真っ当なメディアはどこにも存在しない。
 
 だから現在、いわゆる「ワイヤーサービス」をしているアメリカの通信社はAPとロイターだが、ロイターはさっき書いたように経済情報サービスに特化している。
 総合的な通信社はAPだけになる。
 何故、APは現在もアメリカ唯一の通信社として君臨していられるのだろうか。
 
 APは営利企業ではないからだ。Not-for-profit cooperative、言ってみれば非営利協同組合である。米国内のほとんどの放送局や新聞社がその組合メンバーで、各社はAPを通じて記事を配信し、同時にAPから記事の配信を受ける。アメリカ以外の新聞社や放送局もAPに加入できるが、組合メンバーではないので、記事の配信に対しては料金を支払うことになる。

 つまり、米国では端から、(APは1846年5月に設立 )「ワイヤーサービス」と「ジャーナリズム」は分離していたのだ。


 APのウエッブサイトを見ればわかるように、APのサイトには、時々刻々と伝える情報が「広く一般に」知らされているわけではない。APの役割は世界のありとあらゆる情報、ニュースをメンバーに配信することである。そのメンバーは世界の放送局や新聞社であって、決して一般の個人を対象にはしていない。

 最初に引用した新井直之の言葉を読み返して欲しい。

 「いま言うべきことを、いま、言う」ことである。「いま伝えなければならないことを、いま、伝える。いま言わなければならないことを、いま、言う。『伝える』とは、いわば報道の活動であり、『言う』とは、論評の活動である。それだけが、おそらくジャーナリズムのほとんど唯一の責務である。

 ジャーナリズムの本質は「いま言うべきことを、いま、言う」ことだとすれば、「いま伝えなければならないことを伝える」ワイヤーサービスとジャーナリズムは区別してかかる必要があるだろう。

 つづく

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2011-02-07 12:46:54

ジャーナリズム崩壊 上杉隆

テーマ:ジャーナリズム
ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)/上杉 隆

 世の中が騒々しいけれど、その中でもまあ、一番どうでもいい話が最近は新聞の一面に載る。


 今日の朝日の一面なら、『大相撲の八百長問題』である。ほとんど観ないテレビのワイドショーもたぶん事情はいっしょに違いない。


 どうでもいい、と言いながら、これだけ騒がれると一応、記事を読み、有識者といわれる方のコメントを読んでしまう。読めば、人は考えるから、文句のひとつもつけたくなる。まんまと新聞社側の策略に乗ってしまっていることに気づく。

 どこかで、どなたかが、こんな発言をされていた。インターネットの誰かのブログだったのか、ラジオの放送だったのか?たまたま観た朝のワイドショーだったのか?

 「問題なのは、発覚しちゃったことですよね。」

 正確な物言いはわからないけれど、今まで暗黙の了解としていた事実が、本当の事実として白日のもとに晒されてしまったことが問題の核心なのだ、ということである。
 
 実はこれって、テレビや新聞といった大マスコミでは言えないし、載らない発言である。でも、よく考えれば、多かれ少なかれ、相撲に八百長は付きもので、それも昨日、今日始まったことではないのは、よっぽど人を疑うことを知らない純情無垢な人でない限りはわかることである。


 ある種、相撲はプロレスにも似た『興業』であり、ショーであることをほとんどの人は了解しているのだ。
 にもかかわらず、「空気を読めない」警察官僚が、決定的な証拠を掴んでしまった。


 ここで活躍したのが、やっぱりITのテクノロジーだった。
 昔の八百長はたぶん固定電話か、証拠の残らない「人伝」で行われたのだろうが、今や携帯メールのやりとりが主流となった。素人は、メールも消せば証拠は残らないだろうと思ったのだろうが、残念ながら、復元ソフトがあった。今の世の中、証拠隠しも中々大変なのである。

 大相撲がこの先どうなろうとあまり関心はないが、こういう状況を当の本人、相撲関係者、メディア、文科省の役人、政治家はどう決着を付けるのか?ということには大変興味がある。というより興味が湧く。

 たぶん、これから先、芸能マスコミにとっては100年に一度の事件だから、『新事実』とやらは続々出てくることは間違いない。何しろ、八百長は相撲界に現前としてあったのだから、そのあった事実がただ「やっぱりね」と追認される作業に過ぎない。
 
 朝日新聞、今日の一面の見出しは、


「本場所 解明まで中止」である。

 いつかは解明するだろうけど、その解明は、ひょっとしたら、理事長が相撲界に入る前から八百長はありました、ってことになるかもしれない。いやたぶん江戸時代まで遡るのかもしれない。


 何を解明とするかが問われるけれど、全貌を全て明らかにする、という言葉の原義の通りだとすれば、そう簡単にはすまないでしょう。


 となると、大相撲を愉しみにしている後期高齢者の方たちが今後大相撲を目にすることはないかもしれない。

 残念ながら、今の世の中は、「なかったことにしましょうか」と口が裂けても言えない状況だから、どツボに嵌っていくのだが、もう後戻りはできない。

 相撲なんて、八百長があってもいいんじゃないの、

ってネットでは囁かれていても大新聞やテレビで声になることはない。

 一連の「小沢バッシング」がまさに現代の「ジャーナリズム崩壊」の象徴である。


 奇しくも、今日の朝日の一面の隅に、名古屋市長選、愛知県知事選で河村氏と大村氏の圧勝を伝える記事がある。
 朝日新聞にとっては大相撲の八百長問題の方が、名古屋、愛知の選挙結果より重要なのだ。
 また社説にも、その選挙と大相撲の話が出ているが、その「名古屋選挙」の書きだしは、

「衝撃的な結果である。」

とある。
 
 今回の名古屋市長選、愛知県知事選、そして市議会の解散を問う住民投票の結果は、果たして「衝撃的」だろうか。
 このひとことを持ってしても、朝日新聞の論説委員が世の中の声と離れていることがよくわかる。


 たぶん、世の中の大多数の人が、今回の「名古屋選挙」の結果をしごく真っ当に受け止めたのではないか。

 ついでにもうひとつの社説、『春場所中止」の見出しは、

「土俵の信頼取り戻せるか」とある。

これも実はドンパチである。


 何しろ、現状認識に欠ける。誰も、大相撲が紳士淑女のスポーツだなどとは思っていない。八百長だってあって当然だと思っているのだ。「がちんこ」という言葉があるのだから「がちんこ」でない勝負があることの証である。


 大相撲存亡の危機、というのは事実だが、過去を消せないことも事実である。「悪しき部分」を含めて、伝統なのである。ファジーでグレーな格闘技が相撲なのである。

 後期高齢者の愉しみを奪うのは酷である。

ひょっとしたら栃錦と若乃花の時代から八百長はあったと『解明』されるかもしれない。死んだじいさんに何と申し開きができるものか。生きてるばあちゃんは悩むかもしれない。


 ここは、高齢者の娯楽のひとつとして相撲協会の経費は介護保険料からねん出してはどうか。そして相撲は昔から「興業」、ショーだったんです、と居直ってしまうのはどうか。管轄の役所は、文科省から厚労省に移してしまえばいい。


 どうしてもがちんこの相撲とクリーンさを出したいなら、新しい組織を作ればいい。新しい格闘技のスタイルとして「SUMO]は国際的なスポーツに発展していくかもしれない。まあ、その時は日本人なんてひとりもいなくなっちゃうかもしれませんが。

 新聞、テレビといった大メディアがもはや機能しなくなったのは、まさに「記者クラブ」制度のせいである。


 「日本の新聞・テレビ記者たちが世界中で笑われている。」

らしい。それも昨日は今日の話ではなく、結構前から。

 その上杉隆氏を中心にした現状を憂えるジャーナリストが、「日本自由報道記者クラブ協会」を1月27日に旗揚げした。
 もちろんそのことを伝える報道が大マスコミから流れることはない。

週刊上杉隆


 最近の新聞、(わたしの場合、朝日新聞しか読んでませんけど)TV(NHKのニュースを時々見る程度)の報道とネットで取る情報があまりに違うので本当に驚く。

 最近で言えば、

「小沢氏強制起訴」


 週刊上杉隆のコラムと一連の報道を読んだら、まるで正反対のことが書いてある。でもやっぱり普通に考えれば、上杉隆さんのコラムのほうが真っ当ですよね。

 このコラムの最後で上杉隆さんはこう書いている。


 「今回の『小沢氏強制起訴』は、民主主義国家としての日本の否定ではないか、筆者はそう疑念せずにはいられない。」


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2010-09-14 18:48:39

現代思想入門 仲正昌樹

テーマ:思想
現代思想入門 グローバル時代の「思想地図」はこうなっている!/藤本 一勇

 一年ぶりにこのブログに書く気になりました。ブログのページはこのほかにも持っていて、昨年中は、せっせとフライバーのブログを書いていました。


 つい最近までは、USオープンというテニスのグランドスラムイベントがあったので、テニスのブログに書いてました。


 そのテニスのブログも応援していたフェデラーが準決勝で負けてしまったので、そこで終わり。

 このブログに書きたくなったのは、他でもありません、民主党の代表選挙で、大マスコミの嫌う小沢一郎が菅直人に負けてしまったからです。


 小沢一郎の大ファンというわけではないのですが、どうしてメディアが大々的なネガティブキャンペーンをしてまでも小沢一郎を総理大臣にしたくないのかが不思議でしかたなく、そんなに新聞やテレビが嫌うぐらいだから、小沢一郎って人は相当な人なのではあるまいかと。

 確かに小沢一郎さんを嫌う一般庶民は多いです。その一般ピープルは、別に小沢さんに何かされたってわけではありません。顔が気に食わないとか、態度がでかいといった、マスコミが流す情報で判断しているに過ぎません。

 正直なところ、小沢さんが代表選に立候補した時は、驚きました。と同時に、民主党の中も相当アメリカ・官僚支配が進行しているのかということです。


 鳩山さんが辞めたのは、まさにアメリカ・官僚に屈したわけです。次になった菅さんも、鳩山路線を引き継げば、どうなるかわからない、とたぶん脅されたんでしょう。だから、菅さんはアメリカ・官僚路線に戻らざるを得なかった。

 菅さんにとっては、実は勝っても地獄なのではないでしょうか。結局はアメリカ・官僚に牛耳られた政権になります。

 さて、これからの日本はどうなってしまうのでしょうか。今の時代は、日本だけが勝手に進路を決められません。いや、日本は戦後から今まで、そして今もその進路を日本人が決められないのです。

 それは今回の民主党代表選挙でよくわかりました。民主党の議員でさえが、アメリカと官僚には盾突きたくないから、菅さんを選んだのです。別に自分たちで自分たちの国の進路を決めなくてもいいじゃないか。アメリカと官僚に盾突けば、鈴木宗男さんのように塀の中に入れられるかもしれません。村木さんが何にもしてないのに、160日間も塀の中に閉じ込めることはアメリカと官僚にはむずかしいことではないのです。そしてそれをバックアップしているのは、大マスコミです。

 漠然と小沢さんが新しい代表になるんじゃないかと思ってました。いくらメディアが小沢さんのネガティブキャンペーンをしても、議員さんはそれなりに、政治思想をお持ちではないかと。


 多くの議員さんが、確固とした政治思想をお持ちでないのか、その確固とした政治思想がアメリカと官僚が持ってる政治思想と一致しているのか、アメリカと官僚に怯えているのか。それはわかりません。

 しかし、いい機会ですから、「現代思想」という観点で、日本や世界の現実を観てみるのもいいのではないでしょうか。


 巷では、ハーバードのマイケル・サンデル教授が人気を博しています。

 現代思想って、響はいいけれど、何をもって、現代として、何を持って思想なのかがよくわからない。この本を読めばわかるかといえば、「はじめに」で仲正先生が書いているように、書いてる本人もよくわからない。

 今は、現代です。これは誰からも異論は出ない。それでは、昨日は?まあ、一応現代でよしとしましょう。それでは、去年は?10年前は?


 見方を変えてみましょう。現代の前の時代は何でしょうか。一応「近代」といいます。近代があっての現代です。

 それでは『思想』とは何ぞや?哲学とは違うのか?人気のマイケル・サンデル教授の「正義」について考える講義は、一応政治哲学という分類に入りますが、政治思想といってもおかしくありません。

 たとえば、古いところでは古代ギリシャのソクラテス。彼を哲人なんていうけど、あまり思想家とは言わない。ところが、同じ古代ギリシャの哲学者でもアリストテレスだと、サンデル先生の信奉するコミュニタリアニズム(共同体主義)の創始者だといわれる。

 現代の思想を流石に古代ギリシャまで遡るとなると、現代まで来るのに大変なので、ひとつのエポックメイキングである戦後(第二次世界大戦)からの思想の流れを辿ってみたい。

 思想で観ると戦後の構図というのは実にわかりやすい。資本主義の果てで世界戦争になって、いわゆる『マルクス主義』というわれる共産主義を標榜する国が現れた。つまり戦後になって、ソ連と中国が共産主義国になってしまう。


 つまりいい悪いではなく、思想の原点が「マルクス主義」をどう捉えるか?ということで、戦後の思想がスタートするんですね。


 マルクス主義というのは、経済思想です。つまり、資本主義なのか?共産主義なのか?
 これが政治思想になると自由主義と社会主義ということになります。
 自由主義と社会主義の違いを一言でいえば、自由主義は自由が勝っていて、者がい主義は平等が勝っている思想といえます。

つづく


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2009-10-22 21:16:02

インフルエンザワクチンを疑え 近藤誠

テーマ:何のことやら
成人病の真実/近藤 誠

 「解熱剤は危険。だからワクチン」でいいのか?


 巷では、新型インフルエンザワクチンの接種を廻ってマスメディアを賑わせています。
 ただその賑わせ方というのが、誰に早く新型インフルエンザワクチンを接種するのか?ということが主体です。
 そもそもこの新型インフルエンザが脚光を浴びたのは今年の4月ぐらいからです。鶏インフルエンザから豚インフルエンザという新しい名前が登場しました。


 4月、5月から日本でもこの豚インフルエンザ水際感染予防作戦が始まります。この豚インフルエンザは、メキシコを震源としていますから、北米からの渡航者をふるいにかけます。メキシコから北米、南米、ヨーロッパ、オセアニアと感染が広がれば、それぞれの国からの渡航者もふるいにかけていきますが、所詮いたちごっこ。時間の問題として日本国内でも感染者が見つかります。
 幸いといっては何ですが、北半球は夏を迎えます。それなりに世界に拡大した新型インフルエンザの感染者の数は南半球のオセアニア地域を別にして下降線をたどります。しかし、WHOはフェーズを上げて、パンデミック宣言を行います。


 パンデミック宣言に反旗を翻すがごとく、日本では、新型インフルエンザ騒ぎが鎮静していきます。その鎮静した根拠は、ふたつあります。


 ひとつは、どうがんばっても感染を予防することはできないというあきらめです。それこそ、世間との接触を全く避けない限り、今の時代、感染しないはずはありません。特に、この新型インフルエンザは感染力が強いのです。
 ふたつめは、この新型インフルエンザは、鶏インフルエンザと比べて弱毒性で、感染しても重症化することは少ないのではないかという報道がなされたことです。


 この弱毒性報道と今の世の中感染しないはずはない、という至極まっとうな考え、そして現実には日本が夏場に入ってインフルエンザウイルスの活動が鈍ったことも合わせて、日本国民の関心は新型インフルエンザよりも、政権交代に移ります。


 そして、政権交代も終わって、インフルエンザの季節が到来しました。夏が終わって、秋になり、冬の到来です。
 流石にもう、水際感染予防作戦は行われていません。身の回りに感染者がうようよ居るからです。
 しかし未だに、厚生労働省の政策は、感染予防です。感染者が増えた学校は、学級閉鎖や学校閉鎖になります。しかし、学校での感染がなくなっただけのことで、感染して発症したこどもは隔離されたわけではないのですから、塾に通うかもしれません。水際感染予防に限界があるのと同じで、感染予防には限界があるのです。
 
 そして湧きあがったのが、ワクチン騒動です。
 日本で製造できるワクチンの数には限界があるから、輸入しなければいけない。そして輸入しても国民全てには到底接種できる量を確保することはできない。
 接種する人にも優先順位をつける必要があるだろう。まずは、医療従事者。感染者が増えれば、まずは、医療体制を整えておかなければならない。医者や看護師がその時感染して発症していては話にならない。そして、弱毒性とはいえ、糖尿病などの持病を抱えている人は重症化する怖れがあるから、この人たちにも早期にワクチンを接種してもらおう。妊婦も感染すると胎内のこどもに影響する。それでなくとも少子化なのだ。
 1歳から小学校3年ぐらいの子供は免疫力が強くないから、この子たちにも必要だ。1歳未満の乳幼児にワクチン接種はできないから、その親には早めに接種をしてもらおう。その次が65歳以上のお年寄り。そして小学4年から中高の学生へと、接種順位が決まっていった。


 ここまで書いた人たちが全員接種するとして約5300万人分のワクチンが必要になります。


 「インフルエンザワクチンを疑え」を書いた近藤誠さんは、「がんと闘うな」で有名なお医者さんです。
 この記事は、2001年の2月号『文芸春秋』に記載されたものが「成人病の真実」という題名で2002年の8月に書籍化されたものです。


 当然、この記事が記載された当時に『新型インフルエンザ』またの名を豚インフルエンザウイルスは存在していません。
 今の言葉でいえば、季節性のインフルエンザのことです。しかし状況はその当時も今も見事に移し絵のごとくいっしょです。

 1999年にも「ワクチン品切れ騒動」が起こったそうです。そして今回もメディアの報道を観ると「ワクチン分捕り合戦」の様相を呈しています。

 そこで疑問がふつふつと湧いてきます。


 「このワクチンって、新型インフルエンザに効くの?」


 つまり、ワクチンを接種すれば新型インフルエンザに感染しても発症しないのか?という意味です。
 分捕り合戦まで起こるのですから、そのワクチンの効能が確かなものでなければなりません。つまり、ワクチンの効能とは、『感染しても発症しない』確立がワクチンを接種していない人より格段と高くなければなりません。

 中にはワクチンを接種しておけば、感染しない、と思っている方もいます。
 しかし、そこのところは、厚労省もちゃんと手は打ってます。


 「ワクチンを接種するのは、感染しない、感染を拡大しない、ということではありません。感染しても発症しないか、発症しても重症化しない、ことが目的です。」


 「ワクチンの効果は、『有効性』と『有用性』に分けて考えると理解しやすい。有効性とは、インフルエンザの発症がどの程度減るかという『割合』。有用性(有効であることを前提として)効率、手間、コストなどを勘案した『打つことの価値』と定義できます。」


 今回の新型インフルエンザワクチンの有効性は、どうでしょうか。実は、この有効性に関してのデーターは全くないのです。つまり、有効かどうか全くわからないのです。
 しかし、それは当たり前といえば当たり前のことです。これまで存在しなかった新型インフルエンザウイルスのワクチンですから、データーがあるはずがないのです。今までも、いろいろな種類のインフルエンザが流行しました。香港A1型だとか、2型だとか、ソ連B型だとか。
 そのインフルエンザウイルスに対して常に新しいワクチンが必要です。


 インフルエンザワクチンの製法というのは、日本と海外では全く同じではないようですが、日本では、「受精して孵化中の鶏卵にインフルエンザウイルスを注入し、ウイルスを増やします。つぎに卵からウイルスを回収し、不活化して(つまり殺す)、ウイルスタンパクを精製する。これがワクチンで、人体に注射すると、リンパ球などが反応して、『抗体』を生産します。(免疫反応)」


 インフルエンザワクチンの製造には、当該インフルエンザウイルスを必要とします。つまり、今回でいえば、新型インフルエンザウイルスH1N1です。

 新型だから、臨床実験のデーターがないのはわかります。それでは、いわゆる季節性インフルエンザワクチンの有効性を示すデーターは持っているのでしょうか。残念なことにそれも日本人を対象にしたものはありません。


 「インフルエンザワクチンの有効性を確かめるにはくじ引き試験が必要です。大勢のボランティアを集め、くじを引くようにして二群に分け、片方にはワクチンを打ち、他方には別のものを打ってみる調査法ですが、日本にはありません。」


 記事の中で近藤誠さんは、英国でのくじ引き試験を参考にしています。1973年の資料ですから、これをどう判断するかはむずかしいところはありますが、この時の近藤誠さんの結論は、「インフルエンザワクチンはある程度有効です。しかし、有用ではないようです。」


 1973年の英国の実験では、11歳から19歳の男子寄宿学校在籍者で親の許可をもらったものが対象になりました。
ワクチンを接種した群と非接種群では、インフルエンザ症状を発症した割合が接種群では、2.9%、非接種群では、14.8%になりました。つまり、ワクチンを接種した群は、接種してない群から比べて8割の確率で発症しなかったということです。


 「インフルエンザウイルスをみると、その表面には無数のトゲがあり、これで人体の細胞に取りつき、そこを足場にウイルス粒子が細胞内に入ります。そして細胞内でウイルス粒子の数を増やし、細胞内から飛び出て、別の(もっと多くの)細胞に取りつき侵入する、というサイクルを繰り返す。その結果、種々の症状が発症するわけです。ところが抗体が血中にあると、ウイルス粒子のトゲにまとわりついて、あたかもトゲに帽子をかぶせたようになり、ウイルスを無力化します。これが抗体の帽子効果ならぬ防止効果のメカニズムです。」


 近藤誠さんが「ある程度有効」とする根拠はここにあります。


 インフルエンザワクチンを接種しなくても85.2%はインフルエンザ症状を発症しませんでした。もちろんインフルエンザワクチンを接種すれば97.1%は発症しませんから、近藤誠さんのいうように、「ある程度の効果」は認めましょう。

 有効性に関する限り、もし副作用、最近の言葉で副反応が全くないのなら、それはそれで、任意で有償の接種ですから、本人の考え方で接種すればいいでしょう。
 しかし、もし接種することによる副作用、副反応がその有効性を凌駕するようであれば、ことは簡単ではありません。

 今回の新型インフルエンザワクチンの接種は任意で、有償です。しかし、以前、小中学生に対しては義務だった時期があります。その義務だった予防接種がまた任意になったのは、一時期、「ワクチンの副作用(副反応)によるショック死や脳症などが頻発したのです。」


 「副作用は、アレルギー反応(=免疫反応)によって起こります。通常は鼻の粘膜から(段階を踏んで)侵入するウイルス粒子を、不活化してあるとはいえ、注射で人体内部に押し込んでしまうので、(子供の体質によっては)激しい反応が起きるわけです。また、インフルエンザワクチンは製法上の限界から、卵タンパクの混入を(できるだけ少なくする努力はしているのですが、)避けられず、それもアレルギー反応の原因になります。あと、孵化中の卵に細菌が取りつくことがあり、菌体成分や毒素がワクチンに紛れ込む危険もあるようです。」


 今回の新型インフルエンザワクチンの優先順位を観ると、一番の医療従事者は確かに妥当だと思われます。医療従事者は基本的に健常者でしょうから、もしそこで副作用(副反応)が出れば、問題を把握できるからです。しかし、2番目、3番目、4番目の優先順位、持病のある人、1歳から9歳までや妊婦への接種に対して副作用の心配をしなくていいのでしょうか。


 有用性に関しては、ここで書くのはやめておきましょう。有効性があるということが前提の有用性ですから、その有効性が副作用やその他の問題と天秤にかけて、それでも有効ならば、それから有用性の話に移っても遅くはないからです。ただ、近藤誠さんは、ある程度の有効性は認めても、この有用性に関しては全く認めていません。


 「新型インフルエンザワクチンは、重症化を防止するためのもの」という解釈でいくと、実はその有効性さえ疑わざるを得なくなります。少なくとも現在持病もなく健康であれば、ワクチンを接種しなくても、インフルエンザ症状を発症しても重症化することはほとんどないからです。もっといえば、副作用と天秤にかけると、副作用のリスクのほうが大きいことになってしまいます。


 それでは、妊婦や持病を持っている人の場合はどうでしょうか。専門家ではないので、わかりませんが、それこそ、健常者より以上に慎重な判断が必要なのではないでしょうか。

 厚労省が、予防接種を任意で有償化したのには、この副作用の問題があるように思われます。もし、接種を義務化してしまったら、副作用が出た時、その責任を国が負わなければならないからです。
 任意で有償なら、例の『自己責任』で逃げられるからです。


 任意で有償にしておきながら、メディアを使って、まるで、ワクチンを接種することこそ、感染予防になるように思わせているのは、ワクチン製造会社の陰謀のように思えてなりません。

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