yabumoto



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便利は不便

2009-11-20 13:33:53 テーマ:ブログ

娘のクラスが学級閉鎖になってしまった。

娘は、元気。だけど、外出するならマスクをしないといけないという

連絡があったので、言われるまま、マスクをしてお買い物。

平日二人でランチなんて、久しぶり。パスタにしよう。

そういえば、私のママが、電子レンジでパスタ茹でるの、ラクチンよ~と

先日しきりに言っていた。

そんな便利グッズがスーパーに売っていたので、思わず購入。

娘と、どれどれ、とパスタの分量図って、ふんふふんのふーん、と

セッティングして、レンジに入れた。茹で時間、ナベなら8分だから、

それに8分プラスして、16分ね。かーんたん。

途中で、はっと気がついた。

塩入れ忘れた!


パスタに塩をいれないなんて、大変だ。

私はイタリア人からちゃんとしたパスタの茹で方を習っている。

塩は、えっと驚くほど、たっぷりが基本。

その塩分でいけるのでソースには余計な塩は入れない。


その感覚があるので、慌てていったんレンジからとりだし、

いつものように、ドバッと塩を入れた。


ツナ入りトマトソースであえて、見た目は豪華。

パルメジャーノを、テーブルですり下ろす。


しかし・・・・・・

からっ。何じゃ、この塩辛さは。

理解するのが遅すぎた。

パスタとともにタッパに入れた水はとっても少ないってこと。

パスタ用の大鍋の10分の1にも満たない。

当然、塩分濃度を加減しなければならなかったのである。


あー私にもう少し理科の素養があったなら!

そういう問題じゃないって話もある。

とにかく、塩辛いパスタを私はガマンして食べた。

でも、途中で、頭が痛くなったような気がした。

もしかすると、脳の血管が破裂するだろうか・・・という不安を

抱えながら食べるパスタはちっともおいしくない。

っていうか、からい。まずい。


娘も一口食べ、苦笑いしながら、チーズを大量にすりおろしていたが、

二口目、「ママ、食べられない・・・・」


パスタばかりは、アレンジのしようがない。

水で洗い流すか?

塩抜きでもう一束茹でて、それと混ぜるか?

でも、それも無駄が出るし、そこまでするか?

あー、どうしよう。


企画変更し、パスタソースでオムライスをつくって食べさせた。

あ~あ~。パスタ、とりあえず冷蔵庫に入れたが、

どうするんだ。使い道、なし。

便利は不便。

普通にやっていれば、おいしいランチだったのに。


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伊波敏男さん

2009-11-19 18:09:32 テーマ:ブログ

今日は立教で伊波敏男さんがゲストスピーカーとして

話をされたので、聞きに行った。

伊波さんは沖縄出身で、ハンセン病の罹患歴があり、

まだ日本の本土に行くには、パスポートのいる時代、

沖縄の療養所から、暗闇の中、点滅する光信号を合図に脱走し、

鹿児島の療養所に潜り込み、岡山愛生園の国内療養所唯一

の高校に進学した。その話は、映画のシーンを想起させ、

聞いている方も、熱くなってくる。

その後、大学へ入り、就職し、社会にハンセン病を隠さず生きた

数少ない人。

1972年という時期に、テレビのドキュメント取材に応じ、

治っている病気に対する差別は不当だという当たり前のことを主張した。

いち早く、法律の誤りに声をあげ信念を貫くというのは、

摩擦が絶えないものだと思う。本人にとっても、周りにも。

だけど、時期がくるまで待っていればいい、

社会的な受け入れ態勢ができるまでじっとしていれば・・・・

なんて悠長なことを言う発想が、

漫然とらい予防法を存続させる原因にもつながった。

ホテル宿泊拒否事件のあと、

菊池恵楓園に、誹謗中傷の手紙がいくつもきた。

私は差別はしていない、という理解者の中には

「まだ社会には差別意識が残っている。性急に事を進めないで

待っていればいいのではないか」

というのもあったのだが、

それが、不作為の作為、やらなければいけないことをやらなかった

官僚・政治家の発想と同一線上の意識なのだと思う。

先陣を切るのは大変だけれど、誰かがやらないといけない。

伊波さんはそれをやった潔い人だと心から思う。

それを応援した人たちがいて、いい人たちに囲まれていたんだなーと

思う。伊波さんは、今日も、「面白い人生だよ」と言っていた。

そう言えるって、ステキなことだなあ・・・・。

ちゅー、はぐはぐー

2009-11-19 09:35:36 テーマ:ブログ

秋が深まって、気がつくと、色づいた落ち葉がたくさん。

また、今年も拾って、押し葉にして、絵をつくろうか。

ふと心にゆとりを感じられるのは、子供のおかげ。

自我に目覚めた下の子は、時に、手がつけられないほど

勝手なことで泣いたり怒ったりして、

私もキレることしばしば、なのだけど、

うれしいこと言ってくれることもある。

昨日も私がプリプリ怒っていて、ふと反省し、

「怒ってるママは嫌いだよねー」というと、

「まあまあすき」

「へー。泣いてるママは嫌いでしょー」

「それも、まあまあすき」

「へー。笑ってるのは?」

「一番すき。ぜんぶ、すき」

なーんてことを言われると、

むぎゅー、ちゅー、はぐはぐー、べろべろー、ぱくー

としたくもなります。はい。

育児は大変だし、手がかかるし、時間とられるし、

だけど、この子たちがいるから生きてるんだなーと思う。


アウシュビッツの強制収容所を体験して生き残ったフランクリンの

こんな言葉がある。

「自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した

人間は生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するか

を知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ」


私なんて、大した「どのように」なんて経験してないのだけど、

何と心強い言葉だろうか、と思う。

むらやま元気塾

2009-11-13 14:08:52 テーマ:ブログ

藪本雅子のブログ その2

山形県の村山市民大学『むらやま元気塾』で講演をして、

こーんな似顔絵をいただいた。

何だか、とっても、私。

頭の上に書かれた文字も、ほんとに、私。

そのことを考えて、もう10年が過ぎたのである。



いい加減、元アナウンサーというのはやめたい。

もうあの時の私ではないのだ。

人は変わる。成長する。進化する。発展する。

でも、私を人に何者かわからせるキーワードとして

元アナが便利なので人も私も使っている。

講演に来ていた山形新聞の記者からも、

肩書き何にしたらいいですか、と聞かれ、

主婦?学生?んーー、元アナかなあ、やっぱり、と答えた。

いやだ、いやだ、と思いながら使い続ける。

何で、いやなのか。

一つは、私は下手なアナウンサーだったからである。

「アナウンサー」のように、美しく、正しい日本語を

期待されるのがいやなのである。

言葉はツールだ。通じればいいじゃないか、と思う。

何を語るか、の方がよっぽど大事。

河川敷をかせんじき、茨城県をいばらぎけんと

間違ったって、別にいいじゃないか、と思う。

(正しくは、かせんしき、いばらきけん)

なまったってええやんか、と思う。

プロのアナウンサーになってやろうという強い意志が

働かなかったのはこれである。


それと、「アナウンサー」というイメージの中に

閉じこめられるのが、いやなのだ。

とりわけ、「女子アナ」はやめてくれーと思う。

私にはもはや、蔑称にさえ聞こえる。

男は、男子アナといわず、男性アナ。

男に媚びて、愛想をふりまく女子アナ。

歌って、踊って、ミニスカートはいて、

私もそんなことを役割としてやってきたが、

何と愚かな姿を晒してしまったか、と赤面。

まあ、若いときの話なのでそれはいいんだけど、

「アナウンサー」は今の私とはあまりにも違う。


何だか、似顔絵がとても私だったので、

ようやく、本当の今の私を見てくれる人が

出てきたのかとうれしくなった。

どうもありがとうございました。


村山よいとこ~いちどはおいで~ふふんふん

紅葉の今も美しいが、6月はさくらんぼと薔薇がいいという。

また行ってみたいなぁ。

何より、人が温かかった。

駅まで手みやげ持参で見送りに来てくれた人もいた。

タクシーの運転手さんもいい感じの人だった。

心がとてもあったかくなって、帰京。

講演でいろんな場所にいって、そこの人と知り合うというのは

面白い。こんな活動ができるようになってきて、

よかったなあ、としみじみ思う。

日々、勉強、日々、研鑽、である。


ひさしぶりです

2009-11-11 08:03:06 テーマ:ブログ

ハッピーバースデーブログを書いてから、もう10日たつ。

ものすごい速さで毎日が過ぎていく。ぜーぜーぜー。

秋田行って、長野行って、

劇団四季のドリーミングを見て、

安食のピッパラのパン屋さんでパーティーがあって、

ダンナは湘南マラソンに出場し、

何だかんだと、記録しておきたいことがたくさんあるのだけど、

ゆっくりブログを書く余裕がない。

相当、追いつめられてきた。いい加減。しゅーろん。

取材はしたし、お宝もたくさん発見したし、

書けそうに思うのだけど、

ブログのように思いつくまま書くわけにもいかず、

情に流されてもいけないし、ってんで、

私にとってはほんとに窮屈な制限だらけの枠の中。

論文なんてダ・イ・キ・ラ・イーーーーと叫びたくもなるのである。

キーーーーー。

と、今頃、多くの学生は頭から火を噴いていることであろう。

同級生も日増しに顔がげっそりとしてきている。


しかし、この修論の取材過程は日々わくわくするような

発見の連続だった。

あ、アカデミックな世界では取材とはいわないか。

インタビュー調査とか、フィールドワークとか言うのかな。

でもやってることは取材活動そのものだ。

面白い。

ハンセン病を深く知ることは、自分を知ることでもあることを

再認識している。

テレビにいる時は、遠くから、典型的な「富士山」を描こうと

していた。だけど、今は富士山にのぼりはじめていて、

時々進む方向が見えなくなったりするのだけど、

本当の息吹を感じている、そんな感じだ。


想いは熱くなるばかりだが、それをクールにどう論文で表現するか

初体験の最も苦手なことをやっている。ふぅ。





ハッピーバースデー!

2009-11-02 15:00:20 テーマ:ブログ

娘の7つの誕生日。

早いものです。生まれてきてくれて、ありがとう。

娘がいるから、生きている、と思うことがよくある。


週末から祝いの宴をしているが、

今日がメインイベント。子供の友達をドーーッと

招待している。

といっても、夕方開始だし、ケーキ焼いたし、

1年生なのであんまり食べないだろうから、

大して気合いの入った料理はしていない。

唐揚げと、ポテトグラタンと、サラダとうずらのたまごと

一口サイズのお赤飯と・・・ぐらいのもんだ。


子供の時の、お誕生日会って一番大事。

私は毎年、やってもらった。

ママがたくさんごちそうを作ってくれた。

友達が、たくさん来てくれた。

2年のときに京都から滋賀に引っ越したのだけど、

京都から仲良しだった5人が来てくれたりして。

えっちゃん、ゆかり、どうしてるかなあ。

すごくうれしかったな。

ひらはんは、しょうらいやぶもとさんとケッコンしたい、

って言ってくれたりしたな。


おっ、そろそろだ。用意しなくっちゃ。



えらい。娘。よくやった。

2009-10-27 10:11:58 テーマ:ブログ

とにかくメモリーをなくしたショックが大きかったのだが、

最近の修論データがパソコンに残っていたことがわかった。

小学校1年の娘が、ゲームをやろうとして、

私の書きかけの修論をドキュメントに保存したらしい。

なーんとできた娘であろうか。なでなで。


財布の中に入っていたカードはすぐに使われていた。

隣のデパートで、40数万と別のカードで30数万円と。

これはおそらくプロの犯行。出来心でここまで大胆に

使えるもんじゃない。

婦人靴売り場なんて、狙い所なのだろう。

一瞬の隙だった。

私が甘かった、ということだ。

あー、免許証再発行いかなきゃー。

愛生園にて

2009-10-25 20:04:28 テーマ:ブログ

置き引きにあったショックを引き摺りながらもともかく長島愛生園へ。

愛生のはまさんに邑久駅まで迎えに来てもらって、

お昼どうしましょうか、ということになって、

そりゃあー、目の前が海で瀬戸内海なものだから、

美味しいお魚食べたいわ!とお願いしたら、

日生の漁港に連れて行っていただいた。

ほんと、おいしい。しあわせなひととき。いろんな種類の白身魚、

地元ならではの海鮮丼。

初対面のはまさんなのだけど、共通の友人がたくさんいるので、

何だか昔から知っているような心地よさである。


光田健輔元園長の家や、鐘や、監禁室跡や、収容桟橋などを

くまなく案内してもらい、戦後、ようやくできた全国の療養所唯一の高校跡へ。

これかー。第一期卒業生の森元美代治さんの言葉が

「希望の碑」に刻まれている。

「病苦と闘いつつも人間らしく生きたいと願い 

社会復帰を目指して・・・

397名 新良田教室 それは

ここに学んだわれわれの青春と栄光のシンボルである」

今も残る講堂の床はぴかぴかに磨かれ、卓球台がおかれ、

校庭は、芝生が敷き詰めら、いかにも気持ちよさそうで、

思わず、ごろっと横になり、のんびりと

当時の思い出話に聞き入った。


その後、愛生の資料館や神谷書庫等を見せてもらう。

そして、光田健輔元園長を敬愛する入所者に、会う。


・・・・・・・・。


裁判がおきたとき、その裁判に反対する人がたくさんいたのは

知っている。国がいたから助かったのだという人たちがいることは

知っていた。だけど、そういう声を直接聞くのは初めてのこと。


マスコミが報道したことは、ハンセン病の歴史のひとつの見方に

すぎないのかもしれない。

国が悪いというのは簡単、でも、その国をつくっているのは

社会なのだということを、改めて考えさせられた。

わかったつもりでいたことなのだが、ほんとにわかった、と

はじめて思えた。


そのよは福山にお泊まり。

お寿司屋さんのきさくなマスターが美味しいひれ酒を

ごちそうしてくれて、心がとってもあたたまる。

財布も名刺入れも手帳も全部なくなったけど、

ま、いいかっ。なんとかなるさ、という気になってきた。







盗まれた

2009-10-23 19:40:25 テーマ:ブログ

何てこった。まだショックが続いている。


院に入ったときに買ったカジュアルな革靴があって、

そればかり気に入って履いているので底がすり切れてきた。

UKの製品でちょっと特殊な底なので、修理のために

それを買ったデパートへ行ったのだ。

その場では直してもらえないことはわかっていたので、

あれこれ新しい靴を買おうと試していて、ふっと、カバンから意識が

離れた。そのスキに、やられた。持って行かれた。

カバンごと、そっくり、置き引きにあってしまった。


にわかには信じられない。

だって、その売り場は品のいいご婦人ばかり、10数人ぐらい。

私が何かおかしくなっただろうか。

いや、でも、私のほとんど動きのない行動ルートを何度も見てまわり、

やっぱり、ない。ない。ない。ない。

どどどどどどどどどどどどどどどどどうしよう。

防災センターへ行って下さい、と店員にいわれても、

信じられない。誰?どこ?まだそばにいるはず。

だってわずか3分ぐらいしかたってないんだもの。

でも、わからない。私のカバンはない。


オーーーーー、マイガー。

防災センターで、各種クレジットを停止させている間も、

頭がぐるぐる、倒れそう。

だって、カバンの中には、メモリーが入っていた。

修論・・・・修論のための取材メモ・・・・・・・・・・・・・・。

パソコンも壊れることがあるから、ネット上のヤフーのブリーフケース

にしようか、バックアップとらないとまずいな、と考えていた矢先だった。

かばんごと、盗られるなんて想定外だ。


警察で被害届を出す間も、時にうなだれ、涙し、大混乱。

カバンは時価いくら?財布は?

値段なんてわからない。安いもんだし。

いくらだったら、売りますか?と聞かれ、

じゃあ、カバンは古いけどCOACHだし、2000円、財布は100円。

欲しい人にはあげますよ。それより、メモリー。

いくらですか?と聞かれ、100万円渡すから、返して欲しい。

いや、メモリーはいくら?だから、100万あっても売らないですって。

と意味不明なやりとりを繰り返し、結局、時価500円と書かれる。

メモリーには、母にもらった十字架ストラップもついている。

値段じゃないのよ。大変なのよ。どうしたもんだ。


携帯もなくなった。

日曜日に福山で講演があるのでその前に岡山の長島愛生園に

立ち寄ることにしていて、諸々関係先の連絡先も全部入っていた。

そうそう、新幹線のチケットも。

いたい。いたすぎる。

その他、修論で引用したいと思っていた貴重な冊子や、林力さんの本や・・・。

オーマイガー。オー、マイジーザス。


警察で、地下鉄運賃160円をかりるために、あれこれ書いて、

拇印を押して、泣きながら、地下鉄に乗って帰った。

身ぐるみ剥がされ、てぶらで。

いつまでも、現実感がない。どうしたんだろう。私。何があったの?

交通事故に突然あって、バタッと人生を終わらされることも

大いにあるんだから、持ち物がなくなるなんて、大したことではない。

フォローできないことはない。原稿は一度書いたんだ。

だから、思い出せばいいのだ。

大事なインタビューは幸いICレコーダーに残っている。

生きているんだから、感謝すべきなんだ、なんて言い聞かせつつも、

ショック状態は続いている。


日本は、それほど、治安が悪化している。

お金がなくて困っている人がいる。そういうことなのかな。

私ゃ現金なんてほとんど持ち歩かない。

盗ったって、意味ない。財布の中身みて、がっかりして、

トイレなんかに置き去りにしてくれるといいんだけど。

お掃除の人が拾って届けてくれている、そういうかすかな望み・・・

どうだろうか。あーーー。このやり場のない怒りをどうすりゃいい。

命の講演

2009-10-22 18:24:08 テーマ:講演

今朝、死を感じた。

それは、単なる夢なのだけど、ひどくリアルだった。


豪雨で、床上浸水がはじまってきたので、

逃げなきゃ、と思いながら台所でおにぎりをつくりはじめたら、

台所の床が抜けてしまって、落ちてしまった。

泳ぎは得意なのに、どっちが上かわからない。

ゴミとか、服が絡まって身動きできず、

水の中で叫ぶ。タスケテ、タスケテー、

下の子が気づいて手をさしのべようとするが、

そんなことしたら道連れだ、というのがよくわかっていて、

危ないからあっちへ行けと言いたいのだが言えない。

誰かきてー、と思いながら、誰も来てくれない。

そして、あー、私、死ぬんだ、ダメだー、と落ちていく。


とそこへ、上の娘が、「ママ、ママ、どうしたのー」と

やってきてくれて、目が覚めた。

息苦しい時間だった。冷や汗がいっぱい。

あー、よかった。生きていた。

いつ死んでもいいと思っているが、

いざ死が迫るとジタバタする。そういうことだ。

思わず、娘をしばし抱きしめる・・・・。


なんだろなー。これ。

「命」についての講演をすることになっているから、

こんな夢、見たのかな。

生きることと死を考えることは常に同時作業である。


今日は早起きして、こだまに乗って三島、それから

東海道線で富士、また乗り換えて、ワンマン電車で西富士宮へ。

富士山に、どんどん、どんどん近づいていくと、

おおーーーーっ、と心躍る。

車窓から見えるのは、青い大輪の朝顔。

朝顔は我が家でもこの夏は育てていたのだが、それとは違う。

密集、群生していて何とも華やか。なんだろう。なんだろう。

アメリカアサガオというものに似ているが、よくわからない。

空気は澄んでいて、何と心洗われる町だろうか。

講演でおよびがなければたぶん来なかった町かもしれない。

うれしいことだなーとしみじみ感じる。


800人の生徒の前でお話しするなんていう状況に、ドキドキ。

いつまでたっても、アガリ症は治らない。

生徒全員がインフルエンザ対策でマスクをしているので、

ちょっとぎょっとする光景・・・。

でも、インフルエンザで3歳の子が亡くなったとニュースで聞いた。

過剰報道、過剰防備、と言ってもいられない。


先生方曰く、当校の生徒は、言われたことをきちんとするし、

はみだすような子はいない。とても良い子たち、という。

サザエさん文化が残っているというのか、

子供を大人たちが大事に大事に見守っている、

古き良き日本が残っている地域なのかな、と想像する。


でも、苦労したり、つまづいたり、悩んだり、それもまた大事かな、と思う。

傷ついたことのない人に、どうして人の痛みが実感できるのだろう、と思う。

でも、親としては子供が傷つかないように、保護して、安全な道を

歩ませたいと、思う。

それでもあえて、とても素直で真面目だと聞いている生徒を見ていると、

石橋は叩いて渡るのもいいけれど、落ちてもいい。

落ちてからのぼっていくときにわかることがある。

大いに、悩んで下さい。人は憂いがあるから優しいんです。

なんてことを言って、終わった。

私の講演は、あまり台本がない。

その時に感じたことを大事に話している。

今日は何だか、こんな感じだった。


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