エロ本が落ちているわけ
テーマ:涙の評論“道端にはどうしてもエロ本が落ちている”
これは女性の間では知られていない情報なのかもしれない。
まったくメリットのない情報かもしれないが、今日は存分に与えたいと思う。
まず、そうそう道に雑誌が落ちていること自体少ない。
そりゃそうだ。
至るところに雑誌が打ち捨てられている世の中はちょっとまずい。
しかしながら、どうしても道端に落ちてしまっているのがエロ本なのである。
ananが道端に落ちているだろうか?CanCamが落ちているだろうか?
不要な雑誌はゴミ収集所にしっかり束ねておいてあるのが、当然だろう。
ダヴィンチも落ちていない。サンデー毎日も落ちていない。
モーニングも落ちていない。近代麻雀はたまに落ちている。
ではなぜエロ本だけ道端に落ちてしまうのだろうか?
最近ではそれも減ってはきているが、昔は相当だった。
その理由について、まずは14歳まで遡って触れていきたいと思う。
“あなたは私の青春そのもの”
男子にとってエロ本とは思春期そのものである。
その思春期の真っ只中では、エロ本は女子よりも女子なものであった。
置き換えてみてほしい。
少女漫画でも何でもいいが、女子諸君は男子より男子であるものと。
さすれば必然的にエロ本の存在意義が浮き彫りになることだろう。
“隅から隅這いつくばり、強く生きなきゃと思うんだ”
あの頃は毎日下校中にエロ本が落ちていないか、犬のように嗅ぎ回って帰ったものだ。
エロ本落下率激高のスポットは、地元の少年たちの間で言葉少なに情報交換された。
エロ本以外にも有力な情報は次々と現場から上がってきた。
パンチラの見れる階段。
覗ける銭湯。
無人のエロビデオ自販機。
兄貴の会員カードでエロビデオを貸し出してくれるビデオ屋さん。
少年たちは集められた情報を絶対に忘れないよう必死に心のノートに書き込んで、白紙のページをピンクに埋めていった。
僕たちはそれを思春期ウォーカーと呼んだ。
“閉ざされたドアの向こうに、新しい何かが待っていて”
今でも忘れない。
友達からエロ本をまとめて12冊もらったことがあった。
衝撃的だった。
おそらく俺の生涯で一番エロい日だったと思う。
12冊という分量は、当時の俺のエロキャパシティーを遥かに超えていた。
14歳の俺は震えた。
とにもかくにも一刻も早く家に帰りたかった。
帰りの道中、ずっと地に足がついていなかった。
それでも人生で一番交通事故に気をつけた日だったことは間違いあるまい。
その晩、四回打席に立った。
“誰も見たことのない顔、誰かに見せるかもしれない”
端的にいえばそれがエロ本だった、という話。
どうにも最近は思春期の話に熱が入るようだ。
今はネットがあるので少年たちは昔より手軽にエロに触れることができるだろう。
夜な夜な近所の公園にエロ本を探しに行ったり、父親や兄の物を漁ったり、深夜両親が寝静まった頃にドキドキしながら12chをつけたりする必要もない。
便利なのはいいことだが、思春期のエロには多少の困難と障害はあったほうがいいと思う。
その頃に色々と手に入れていたら、今違う人生を歩んでいたと個人的には思うから。
エロというか性欲は本能的に原動力になっているので、その在り方はちゃんと形成できるようにならないとまずい。
そしてそれがエロ本が道端に落ちている理由という本題にもつながる。
なぜ落ちているか?
エロ本を所持している人間が雑だから。
ただそれだけだ。
どうにもエロと触れている時、人は雑になるようだ。
道路の植え込みで、風にページを弄ばれているエロ本を見て、そう思ったのだった。







