大沢可直のブログ

中高年のための元気が出る提言!!

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日銀が重い腰を上げ、事実上の調整インフレ1%をターゲットにする政策を発表した。市場には意外感があったのか、若干だが円安に舵を戻し日経平均株価を小幅ながら押し上げる効果はあった。

ここまでデフレを放置して国民の懐を苦しめた日銀は真摯に反省すべきであり、このたびの政策転換は如何にも遅すぎたという感は否めない。俄か経済評論家の私ですら2010年4/11のブログ31において2%の調整インフレを提言している。その他、2010年11/4のブログ74、2011年9/27のブログ146も併せて参照頂きたい。

本日の国会中継を見て頂きたい。
衆議院インターネット中継を検索→2月23日をクリック→予算委員会をクリック→質問者の項で自民党中川秀直をクリック

能力不足の民主党に代わり中川議員が白川日銀総裁を激しく責め立てていた。白川総裁の表情が疫病神に見えたのは、私だけであったのだろうか?この日の質疑は民主党の閣僚たちにとって貴重な勉強になった。

学べば学ぶほど海兵隊の存在価値が解ったと、のたもうた鳩山サン、林芳正議員に乗数効果などの経済学を教わった菅サン、石破議員に防衛のイロハを教わった田中サン、鴨下議員に年金問題の根本を指摘された岡田サンなどなど。民主党は政権を取ってから勉強するのでは遅すぎたのです。

円が100円を超える円安になれば、更なる大地震が起きない限り日本経済が未曽有の好景気になることは必定である。日銀は及び腰にならず、更なる通貨の供給をして円安誘導をしてもらいたい。白川総裁に、それが出来ないのならば、日銀法を改定して政府が罷免すれば良いのである。それくらいの胆力を持って民主党が取り組めば、国民から再評価をされないとも限らない。

***事実無根の風評から私のブログに入って来られた方にお願いです。***
ブログの161と162をご覧ください。

2月23日
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バレンタインデーは、ローマ帝国時代に兵士の士気が低下することを嫌ったローマ皇帝が、兵士の恋愛と結婚を禁止した命令にそむき、異論を唱えた司教のバレンティヌスが処刑された命日である2月14日を[愛の日]としたことが起源であると御存じの方は多いと思う。
当然ながら、男女双方からの愛の告白を奨励したキリスト教の教えであり、プレゼントの品も花束他、様々である。

ところが我が国においては、バレンタインデーに女性がチョコレートを贈り、愛の告白をするという宣伝企画が大手の菓子メーカーと百貨店によって仕掛けられた。
1960年代の女性たちは現代女性よりも奥ゆかしかったから、そのキャンペーンの後押しにより意思表示をするという事で、一定のブームを招くことは出来た。

ところが1970年代に入るとブームが下火になりバレンタインデーは、日本には根付かないだろうという新聞の論調を読んだ記憶がある。そこで登場したのが[義理チョコ]である。
日本社会と日本人の精神構造に食い込むメーカー側の逆転ホームランであった。その結果、今日では売り上げの大半が義理チョコらしい。
先日、バレンタインの日にたまたま百貨店の売り場を歩いたが、日本人の好きなイベント(お祭り)的な要素を感じ楽しかった。

つまり昨今の女性はバレンティヌス司教とチョコレートの力を借りずとも自由な意思表示が出来るようになったという事だが、人間関係の義理は果たすという日本人の美徳を保持しているというならば、現代の日本人も捨てたものではない。

わが身においてもブログの前項(161参照)にて触れたように、沈黙は美徳ではあるが、言うべきは言い、つまらない濡れ衣は晴らそうと思っている。


2月19日
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2月10日、衆院の予算委員会において自民党鴨下一郎議員が年金問題の集中的質問をした。
その内容は見事!の一言につきます。その詳細を紙面にて書き表すよりも、私のブログ読者はインターネットに精通されていると思いますので、是非とも以下の手順にて質疑を閲覧して下さい。

衆議院のページを開く→2月10日をクリックする→予算委員会をクリック→質問者の項で鴨下一郎をクリックする。

TVワイドショーやニュースで一部の不勉強なコメンテーター(評論家)が、しばしば以下のような発言をする。

*自民党は反論ばかりせず、建設的な野党として提言せよ
*民主党の支持率低下にもかかわらず自民党の支持率が上昇しないのは、政策の論議をせずに総選挙を狙う政局に終始しているからである。
*社会保障、年金問題について民主党の呼びかけに応じ議論せよ。

国会中継をご覧の方々には、上記の批判が的を得ていないことは解る。しかし田中防衛相との質疑場面のみを、面白おかしく摘みあげている場面しかご覧になっていない方には、鴨下議員の品格溢れる知的な質疑など知る由もない。
自民党はもっと丁寧にマスコミの論調を精査して、抗議、反論をせねば正確な情報が伝わらず損をしているという事を自認して欲しい。

わが身に置き換えると、昨年、名誉棄損に値する誹謗中傷を受けたが、反論する材料があっても諸事情により一切の反論を控えた。その為、正しい情報が伝わっていない一部の方には誤解を払しょくするに至っておらず忸怩たる思いがある。
しかし、再度の名誉棄損があれば、今後は粛々と各種の対応をとるのが自明の理である。

やはり、情報社会の今日においては“黙して語らずが”美徳とはならないことがあることを自民党にも大いに反論を願いたい。

国家と国民の生活を守るために、石破茂首相、林芳正蔵相に加え、鴨下一郎厚労相の就任を渇望する。更に書き添えれば橋下徹文部大臣は如何でしょう?

2月10日
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東大が現状の春入学から秋入学に変更する検討を開始した。どうやら東大とは学術交流の深い米エール大学(ハーバード大学、オックスフォード大学などと並ぶ世界大学ランキングの上位校)がアジアで開校するにあたり、シンガポール大学を提携先にしたことが東大にはショックだったらしい。

英語に精通する留学生たちにとって日本語授業という大きな障壁があるから、せめて入学時期だけでも世界のすう勢に適合させることは必要であろう。

かつて東大は世界ランキングの上位にいたが、5年前には19位、2011年は30位まで下落してしまった。シンガポール大学、香港大学とほぼ同格の評価のようである。

青春時代には東大卒、現役の知己が多く、私も頭の回転と知識では負けまいと大いに議論をした思い出がある。しかしシンガポールにおける体験はある種の戦慄を覚えるほどであった。今から35年ほど前のことであるが、シンガポール政府高官の意を受けて設立したシンガポールフィルハーモニー交響楽団の理事4名はいずれもシンガポール大学出身者であり、そのうちの一人は現役の3年生で法科の首席であった。彼女はシンガポールTVのキャスターも兼ねる美貌も備えた才媛であり、現在まで、私が出会った誰よりも優れた頭脳の持ち主だったと思う。(ブログ58,59シンガポールに学ぶ格差社会のすすめ 参照)

一例を披露するが、私の母親は英語を一言も話せないから、彼女に対し日本語だけで5分間ほど一方的に話をした。その後、彼女が私のところに来て5分間分の日本語をそのまま私にオウムのように正確な発音で喋り続け、意味を尋ねたのである。そして、意訳をしてやると即座に記憶して他の日本人との会話にも使用するといった具合で、その頭の良さには舌を巻いたものである。

もちろん彼女は天才であり、ピアノは協奏曲をオーケストラと共演する腕前で、バイオリンもシンガポールフィルの奏者になるという音楽の才能があったから、耳も良く、日本語を聞き取る能力も他を圧していたとは言え、驚くべき能力を目の当たりにした。

東大が入学時期を変更すれば、世界各地の頭脳が集まり活性化することは必定である。シンガポール大学などに負けて欲しくはないので今回の制度変更には大いに期待している。

1月29日
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野田さんがトカゲの尻尾切りのような内閣改造をした。4か月前に適材適所と胸を張っていたが、任命責任はどうなのだろう?今回は最強の内閣だそうだ。
鉄仮面岡田氏の入閣だから硬くなったという意味なのだろうか?

不退転の覚悟で、消費税を上げるための人事だそうだが、自民党は中途半端に総選挙に持ち込む政局マターとしての対応をせず、野田政権に引き上げをさせる方がよい。民主党政権だから税の一体改革成立後でも、別の事で必ず行き詰まり解散になるのは明白である。

消費税引き上げの前に議員定数の削減、公務員給与カットなど身を削ってから消費税の引き上げに着手すべき!というマスコミの論調に惑わされることなく増税させてしまえばよい。
その論拠は極めて感情的なセンチメンタリズムに満ちており、議員や公務員も我々と同様に買い物をすれば、消費税を支払うのであると割り切れば良いのである。

増税よりも我々が備えるべきはインフレ対策であろう。イスラエルがイランに易々と核兵器を保有させるはずがない。核施設への空爆、最悪のケースでは中東戦争の勃発=ホルムズ海峡の封鎖という事態となる。

調整インフレを提案してきたが、オイルショックによるインフレが起きてしまうと通貨の供給量や金利調整などでは追いつかないハイパーインフレになってしまう。
勿論、国の借金も軽くなるので100兆円の国債残高が実質的には5割、またはそれ以上に軽減されるような超インフレになるから、国家財政にとって結構な事ではあるが、世の中高年には、退職金などの預金で老後の生活が成り立たない悲惨な状況になってしまう。来るべきインフレに備えるため、財産(生活資金)の保全のための方策を勉強しましょう。

野田どじょう内閣が誕生したときに、野田さんの人柄から、かつての小渕内閣のような安定感が生まれると言う観測もあった。しかし、小渕内閣の主要閣僚は、宮沢喜一蔵相、中川昭一農相、与謝野馨通産相、野田聖子郵政相、甘利明労働相、野中広務官房長官、額賀福史郎防衛長官、堺谷太一経済企画庁長官、高村正彦外相などの重厚な人事であった。野田さんには残念がら枯渇した民主党の人材しか居ないので、孤軍奮闘しても無能な閣僚に足を引っ張られる。

結論からいえば、早急にプロの政治家集団に政権を戻さねば国歌存亡の危機に有効な政策を打てないと考えるべきであろう。インフレへの自衛策と同時に、素人に政治を委ねる異常事態を一刻も早く解消させるのが国民の責務である。

1月16日
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元日に放映されたテレビ番組で、日体大女子の集団行動(マスゲーム)パフォーマンスを視た。マスゲームと言えば北朝鮮を連想してしまうが、日体大の訓練は、軍事教練のように政治的な理念が含まれていないのは当然のことである。番組ではひと月に渡る訓練期間の涙ぐましい苦労が描かれており、ハラハラしながら画面にくぎ付けになっていた。その結果、横浜マリーナにおける本番は見事な出来栄えだったから、思わず感動の拍手を贈った視聴者も多かった事であろう。

「個人の行動は集団を想い、集団の行動は個人を想う」という理念の基で結束した学生たちにオーケストラ演奏の本質を教えてもらった。まさに良質なオーケストラというのは、そのようなものである。明日の大学駅伝からも同じような感動を得るだろうが、個人主義のはびこる平成の若者に美しい団結心を持たせた日体大の集団行動は、素晴らしい教育手段であった。
元旦早々、体育会の清々しさを改めて実感する番組を見せてもらった。

反面、大晦日に行われたボクシングの世界タイトルマッチにおける「君が代」の独唱には疑問を感じた。

試合自体は、井岡選手のパンチの切れが素晴らしく、同世代のタイ人選手を圧倒して1ラウンド1分38秒KOという見事な勝利であった。

世界タイトルマッチに先駆けて両国国歌を吹奏するのが恒例であるが、最近の流行として歌手の独唱で「君が代」が歌われるケースが増えた。昨夜の井岡戦では「ふくい舞」という歌手が担当したが、過度の緊張のためか?国歌を歌うという責任を果たせる歌唱力がなかった。今回の醜態を切っ掛けにしてボクシング界も珍妙な風潮を改めて貰いたい。国歌こそ相撲の国技館のように集団で歌う方が美しいと思う。

平成24年 元旦
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八ツ場ダムの建設再開を国土省が決めたが、前原さん(民主党政調会長)が反対している。
政権交代直後、民主党マニフェストの「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズのもと、当時の前原国交相が強引に工事を凍結した。だから前原さんは子供大臣と揶揄されている本領を発揮(?)して駄々をこね,意地を張っているだけなのである。

民主党のマニフェストという絵に描いた餅に翻弄されてきた住民にとって、前田国交大臣と前原さんの民主党同士のバトルは実に腹立たしい限りであろう。ダムの建設区域に住む住民たちの2年有余にわたる苦渋を思うと腹が立つ!前原さん、いい加減にして欲しい。
今さらマニフェスト順守などと吠えても道化師の謳い文句程度にしか聞こえない。

八ツ場ダムの迷走によって民主党政権には明日が無いということを改めて実感させられた。

12月22日


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NHKで放映中の「坂の上の雲」に明治という近代国家の誕生によって、国民と言う意識を持ったばかりの明治人が描かれている。学問をすれば立身出世が出来る希望と高揚感、欧米列強、特にロシアと国家の存亡を賭けた日露戦争の203高地攻防戦が見事に映像化されている。私の祖父は第一師団の兵士として旅順要塞正面攻撃から203高地陥落まで従軍していたから、私が祖父から聞かされていた旅順攻防の詳細とNHKの映像を掛け合わせて鑑賞した。

明治45年生まれの人でも今年で満101歳になるので、明治生まれの人は少なくなった。私の幼年期に中高年と呼ばれていた人たちの大半は明治人であり、大正生まれの人は、20代後半から30代で、昭和初期生まれの人と併せ、当時の現代青年でモダンボーイ、モダンガールと呼ばれる新人類扱いをされていた。つまり明治人から見れば豊かな時代に生まれ、国家の創成期を知らない現代人という事であったのだろう。加えて言えば、私が5~6歳の頃、江戸幕府崩壊の年に生まれた人は87歳だったから、当然ながら江戸人にも会ったことがある。

江戸時代の道徳教養、自然に受け止めていた身分の上下、つまり格差は教養、貧富、職業などにより生じていたが、江戸時代の倫理観において調和を保っていた通念が、明治期において江戸人から明治人に引き継がれていたのである。その明治の名残りの話題である。

私が少年の頃、祖父が日露戦役の勇者であり、学者肌の教養人であったから、そのお陰で私も近所の大人たちから「坊やちゃん」と呼ばれ、いつも慇懃に扱われていた。
東京の下町は大東亜戦争の際、集中的に焼夷弾を食らった傷跡が癒えず町民の暮らしも楽ではなかった。その頃の私は、山の手地区を含む世間一般とは別にして、下町地区の比較感の中では多少なりとも余裕があったのか、近所の子供たちに駄菓子などを分け与えるということも隣組的な互助精神に従い日常的に行っていた。

江戸という大都会には武士という官僚階級に一握りの豪商と商業に従事する人たち、そして一番大きな比率を占めた職人たちの大半が下町に暮らしていた。
私の幼児期において、渋谷区、世田谷区、豊島区、練馬区などは畑の耕作地に過ぎず、親類が世田谷区豪徳寺の駅から徒歩数分の新興住宅地に転居した際には何故、神田から一面の大根畑に引っ越すのか不思議だったが、御承知のように今や高級住宅地となった。当時の足立区、葛飾区、江戸川区などは田園地帯であり、昭和30年代までの東京には農民も職人と並んで多かった事になる。

さて、下町に多く暮らしていた職人と、その末裔たちの話である。
一部の裕福な職人家庭では石油コンロなどで飯を炊いていたが、大半の家ではマキや練炭で炊飯していた頃の往来(道路)には飯炊きの香が充満していた。私は街に溢れる女将さん達の活気と米を炊く臭気が好きで、寒い冬の朝でもドテラ(ちゃんちゃんこ)をはおって散歩するのが日課であった。すると「坊やちゃん、お早うございます」とオバサンたちは調理の手を休め、腰を折り挨拶してくれた。大工仕事に出かける親父さんも私を見かけ、わざわざ自転車から降りて挨拶してくれた。風呂屋に行けば顔見知りのオジサンは「坊やちゃん、お背中流します」と真顔で、子供であった私の背中を洗ってくれた。大人が子供に対する目線ではなく、幼い私に若干の畏敬の念を込め、接していた明治人の行動が平成人には理解出来ないはずである。

今になって思い起こすと、あの職人気質が明治の国家と国民を構成した美しい心だったと理解出来る。明治の人たちは自己の分限を知り、江戸時代から培った秩序を重んじたのである。自己主張と可笑しな平等主義がはびこる現代とは異なり、今の人の眼には「明治人の面白み」としか映らないかも知れないが、江戸人のDNAを継承した明治人たちは、無意識のうちに格差を甘受していただけで、当人たちは痛く真面目に暮らす中の礼儀であった。街は貧しかったが、温かみ溢れるコミュニティーが築かれていたので、大半の家は鍵をかけずに眠り、また犯罪も驚くほど少なかった。

関東大震災の折、明治人たちは近隣で助け合い食料も共有したが、平成の東日本大震災ではコンビニなどからカップ麺やパンなどが姿を消した。おまけに昨今では連日のように凶悪犯罪のニュースがひきも切らない。

私は貧しくなっても構わないから、昭和30年代の下町、出来れば明治時代にでもタイムスリップして暮らしたいと夢見ている。
あの美しい明治人たちに再び会えることが願いなのである。

12月18日
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昨今の吹奏楽は、女子の体育会的な様相を呈しており、女子学生でも大バスや小バスなどの大型金管楽器でも勇ましく吹いている。コンクールの出場校には演奏者に加え、指揮者も女性教師による、逞しい棒さばき姿も数多く見受けられるようになった。ブラバンと呼ばれ、男ばかりで行進曲を勇壮に演奏していた頃と比べれば昔日の感があり、技量水準も格段に向上している。
私も時折、吹奏楽コンクールの審査員を務めるが、巨大な音響やアクロバットのような超絶技巧の演奏に舌を巻かされこそすれ、音楽として感動することは、殆どないのが実情である。

吹奏楽の指導法には大雑把だが二通りしかないと思う。基礎技術の反復指導→合奏前のテューニング(各楽器の音程を合わせる)などに長時間を消費する団体が多い。続いてコンクールなどで演奏する曲においても、リズムを揃え、音程を合わせ、音量の設定、テンポの設定、音質の調整、更に高度な水準を目指す団体では、各楽器のセクション間(例えばクラリネットが10人いれば、同じ楽器同士でのバランス調整)→木管楽器や金管楽器、打楽器などのグループ間での調整→そして全体合奏という具合であって、その他にも多々ある細部の調整作業を書けば紙面が足りない。

要するに技術指導の積み重ねの結果、舞台で見事な演奏を繰り広げるという指導法が大半なのである。一方で、かなり少数ではあるが指導者が表現したい音楽解釈を提示して、その具現化のために必要な技術を自然に習得させる。まずはビジョンを提示すれば良いのだが、そのためには崇高な音楽理論に基づく指揮者としての能力が無ければ演奏者に具体性を持った提示が出来ない。残念ながら我が国の吹奏楽指導者には、このような資質を持つ人材が少ないため、前記のような積み上げ式指導法を取らざるを得ないのである。

私は昭和45年、二十歳のころ法政大学応援団吹奏楽部という、やけに男くさいブラバンの指導を始めた。昭和49年に渡豪してメルボルンのオーケストラを指揮するまでは、吹奏楽団しか棒を振る機会が無かった。桐朋学園ピアノ科の生徒は、いつも指揮のレッスンの手伝いで交響曲などを弾いてくれ、指揮棒に合わせながらピアノを弾くのが得意であった。私も小澤征爾さんやカラヤンになったつもりで2人のピアノ連弾を相手にベートーベン、ブラームス、マーラー、ベルリオーズなどの交響曲を振りまくっていたが、2人の4手による演奏では、私の棒を読み、感じ方に誤差が出ても100名のオーケストラ団員が100通りに感じる解釈の誤差から得る音楽の味とは別物であった。

当時の法大ブラスは、よりハイレベルの音楽を演奏したい意欲に溢れていたが、ノウハウが無かった。そこにピアノの連弾では物足りなかった私が、情熱の限りをぶつけて指揮をしたのである。
基礎から積み上げて指導するという吹奏楽の常識を飛び越え、まるでベルリンフィルを指揮しているかの如く瞑想(妄想)してクラシックの名曲を続々と演奏させたのだから、昨日まで応援団の行進曲程度しか演奏したことのない楽員は目を白黒させ驚いていた。交響曲をピアノ連弾以外で振りたいという私の想いは、やがて古今の名作を純粋に解釈して演奏したいという願望に浄化され、演奏者にもその意図が伝わり、やがて交響曲の表現が出来る音楽団体に成長してくれた。

その後、私も海外での指揮経験を積み、帰国するたびに法政大学応援団吹奏楽部を指揮した頃、団員に浸透していた音楽観は、他のアマチュア団体を凌駕する水準に達していたので、ブラバン本来の行進曲を演奏しても交響楽的な演奏となり、特に軍艦行進曲の演奏解釈に至っては圧巻の名演であったと自負している。

一国の総理大臣はオーケストラの指揮者のような存在である。小泉総理の掲げた市場原理主義に全面的な賛同をしたつもりはなく、米国(ユダヤ資本)に追従するだけの郵政民営化にしても私は潔しとはしなかった。しかし子供のような無邪気さで、郵政一本に絞った選挙では国民の支持を得た。政策の是非は別にして、私が法政大学ブラバンに交響曲を要求したように、夢とビジョンを明快に示したという点では、類似しているように思えるのである。

一川防衛相、山岡国家公安委員長に対する問責決議の可決後においても野田サンは意図不明な妄言を繰り返している。野田政権というより民主党政権の病巣は、ビジョンが不明確である事なのである。野田サンは国家、国民よりも民主党内の融和にエネルギーを注いでいる。その証拠に小沢一郎氏のグループに気遣うあまり、問責を受けた大臣の罷免も出来ないと言われているではないか!
そもそも民主党には綱領が無く政策の意思決定が出来ない集団だから、鳩山―菅―野田という迷走政権が続いてしまうという本質的な欠陥がある。

八ツ場ダムにしても前原サンの過った判断が現地の住民に多大な迷惑をかけたのにもかかわらず、口先番長、子供大臣と揶揄されている前原サンは、ここにきてもダムの建設中止と言っている。
そもそも、コンクリートから人へというキャッチコピーだけではなく、マニフェストそのものが崩壊しているのに!前原サンは不可思議な人物である。鳩山サンも厚顔無恥であり、辺野古以外の移設先をさがすべきだと、今でも言い続けている。誰が沖縄の基地移転問題を混乱させた張本人だと思っているのか!!恥と良識を知らない人たちの政党だと言わざるを得ない。

次の総選挙では、良識ある国民は民主党には投票しないが、その受け皿となる自民党も頼りない。野党経験が少ないために環境の変化にうろたえてしまい、建設的な野党として対案を出して民主党を追い込み、国民の信頼を勝ち得るのではなく、民主党の失点を追及して解散総選挙に持ち込もうと焦りまくっているようにしか国民の眼には映らない。
時には堂々と民主党と組み、復興法案以外でも法案を成立させ、民主党の政策に不備があれば正面から論破すれば良いのである。真の保守政党が復活することを渇望している。

とにかく野田サンは何がやりたいのか国民にビジョンを示す情熱的な指揮者(総理)であって欲しい。党内融和が最大の目的であるならば即刻、退陣すべきだと思うが皆さんの意見は如何ですか?

12月11日
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今日(12月4日)の福岡国際マラソンは実に見応えがあった。デットヒートの末に川内優輝選手が日本人1位(全体では3位)となったのだが、特筆すべきは川内選手が実業団に所属する専門のランナー(プロという認識に近い)ではなく、埼玉県庁の一般職員である市民(公務員)ランナー(アマチュア)だという事なのだ。デットヒートを繰り広げた相手は今井正人、順天堂大学時代は箱根駅伝で山登りで新記録を連発、「山の神」と称されたエリートランナーであった。

川内選手は序盤で早々とトップ集団から脱落、後半から終盤にかけて追い上げた粘りは脅威的なものであり、プロのマラソンランナーの経験則では推し量ることの出来ない不思議な走りを見せてくれた。但し記録は2時間10分を僅かに切っただけの平凡なタイムだから世界の潮流には程遠いが、これが日本男子マラソンの厳しい現実でもある。

東京オリンピックでは、最後、国立競技場のトラックで英国人のヒートレーに抜かれ銅メダルに終わった円谷幸吉の苦悶の表情を、川内選手に掛け合わせて見た気がする。
裸足の王者、アベベ・ビキラには甘んじて金メダルを許したが、銀メダルを逃したのは悔しかった。続くメキシコ五輪では、君原健二がアベベの後継者であったエチオピアのマモ・ウオルデには届かずとも、円谷が逃した銀メダルを取っってくれたので溜飲を下すことが出来た。

その後、瀬古利彦の出現により日本男子マラソンは黄金期を迎え、宇佐美、谷口、中山、森下、宗兄弟などの雄姿が脳裏に浮かぶ。谷口が期待されながらも転倒して靴が脱げ、レース後の名言「こけちゃいました」などは皆さんの記憶にも新しいであろう。また瀬古は終盤まで先頭ランナーに隠れてエネルギーを蓄え、幾度となくトラック内でタンザニアのジュマ・イカンガーや宗兄弟などを、余裕綽々と抜き去った走りは、痛快そのもであった。翌日のスポーツ紙の一面、また瀬古が早大時代、駅伝を走った新聞記事の内容や中村監督のコメントなど、記事の寸法や紙面内の位置に至るまで覚えている。

福岡国際マラソンは年末の風物詩であり、往時は実質的に準世界選手権として扱われていたため、世界の有力選手がこぞって参加していた。その頃に瀬古は福岡国際三連覇を果たしていたのだから、名実ともに世界一の実力者であった。その力がピークであった頃、金メダル確実であったモスクワ五輪がボイコットされ、参加できなかったことは不運の極みであった。仮にモスクワ五輪で金メダルを取っていれば、続くロスアンジェルス五輪でも連覇したであろうと推測する。何故ならばモスクワ五輪が不参加であったため、ロス五輪に向けての調整は力みすぎて体調を崩し、惨敗した。だから予定通りモスクワで金メダルを取り、過剰な思い入れをすることのない環境でロス五輪を走れば問題はなかった。その証拠にロス五輪から二年後のロンドンマラソン、三年後のベルリンマラソンのような当時の精鋭が勢ぞろいしていたビックレースでも瀬古は圧勝したのである。

往年の名ランナーとして寺沢徹の名前も忘れられない。東京五輪の前年に行われた別府マラソンでアベベの記録を破る世界新記録を樹立したのだから、当然ながら東京五輪での金メダルを期待されていたが15位に終わり、無名選手であった円谷の銅メダル、君原の8位にも後塵を拝してしまった。ところが東京五輪の2ヶ月後に行われた福岡国際では日本記録の快走で優勝してしまった。
その記録も2時間14分だから現代とは比べるべくもないが、当時の寺沢は稲妻のごとく疾走しているように見えた。東京五輪での惨敗後も福岡のみならず、各地の大会で優勝を積み重ねた実力者であったが、瀬古と同様にオリンピックでの勝利には無縁であった。

従って、皆さんの記憶から寺沢の存在は消えてしまっているだろう。(寺沢の活躍を記憶している人は少なくなってしまっただろう)

ところが私は、彼の表情やフォーム、ストライドまで鮮明に記憶しているのである。今日はたまたまマラソンについて書き記したが、私には、他のスポーツ、芸能、時事問題においても寺沢的な記憶が満載されているから、それらを、どのように後進たちに伝承すれば良いのか想い悩んでいる。何か良い方法があれば御教授頂きたい。

12月4日

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