モネ展にいく
テーマ:アート07年5月30日(水)
モネ展 国立新美術館
きのう、会社を抜け出してモネ展へいった。
金曜日がいいんでは、と言ってくれていたが、どうも金曜日
は怪しそう。そしたら、今日だって思った。それに、雨も
降ってる、どんよりとして空模様。こんな日は*有閑マダム?
たちの出足を鈍らせそう、という読みもあった。
案の定、大正解だった。
混んでいないことはないが、余裕をもってみられる余地があった。
情報がなければ、混んでいる、混んでいないなんて考えずに
行ってしまったろう。それに気をつけさせてくれたAさん、ありがとう。
*有閑マダム
別に変な意味ではなく、美術や展示会等のイベントのとき、いつも
多いな~と思われる人たち。ちゃんとしたサンプルがあっていっている
わけでもない。それに、美術品を見ようとするのはとてもいいことだと思う。
でも、差別的な言葉?そうかも知れないとは思う。
1時間30分くらいだろうか、そこにいたのは。
でも、集中できた。
以下、思ったこと、感じたことを書きたい。
モネの連作っておもしろい。
たとえば、ポプラ並木
たとえば、積みわら、
たとえば、雪の風景
そして、 睡蓮
間隔をあけないで、描いたものもある。何年も経ってから
描いたものもある。それを比べることによって、モネの
感じ方がわかるような気がした。
あえて分類すると、対象物に対するモネの絵は
第1期 60~70年代は写実的(ん~む、うまい、きれいだ)
第2期 80~90年代はデフォルメ(すごい、大胆だな~)
第3期 00~20年代はパッションのおもむくまま(なんか、幼稚な感じでもあるな~)
といった感じかな。
(感性でみてるものを、論理であらわすことのむずかしさ、初体験!)
第2期と3期のターニングポイントになったのが、あくまで僕の視点だが、
<ウォータルーの橋曇り>シリーズだと思った。
そのころ(01年ごろ)のモネは、煙や蒸気、霧といった移ろいやすいもの、
はかないもの、切ないものを描こうとしていたという。
本来それは見えないものであり、描けないものであるはずだ。
それを描こうとすることに、感動してしまう。
そういえば、きょうのAM2:00くらいにやっていた
「レオナルド・ダ・ビンチのモナリザ」について、全体をとりまく
空気を描こうとしていたといっていた。
(これは偶然です。しかし必然のような気もする)
すべてのものは変化するのだと悟り?、
「睡蓮」に入っていく。こどものような幼いタッチのものがある。
感じるままに、見るままに・・・。
そんなことを思った素敵な時間と空間だった。
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