Sun, March 14, 2010 11:58:44 posted by xinminglai

武田信玄被害者友の会(1)武田信虎編

テーマ:戦国をdigる!
武田信玄といえば、正当に家督相続されたわけではなく、信虎が駿河国に出張中、信玄を擁立したクーデター派が国境封鎖をしたことで、半ば強引な形で渡ったいきさつがあります。

天文10年(1541)6月14日のお話です。



その理由については、いくつかの説があります。

★外交問題説
天文5(1536)年に今川義元と同盟を組んで、外交戦略方針が「反今川」から「親今川」に変わった説。

★大飢饉説
天文9(1540)年7月の台風と、それがもたらした未曾有の大飢饉説。



から、ほかにも、

★妊婦腹割き説
→ごく最近も、ある漫画でピックアップされた。極悪人のレッテルを貼るにためは、古代の大昔からよく見られる勧善懲悪のパターン説。

★領民虐殺説
→鉄砲伝来前に信虎(鉄砲伝来は、信虎追放の翌年)が鉄砲で領民を撃ち殺すという、時空の概念を超越した物凄い説。

★親子共謀説
→信虎が今川の様子を探りに行くために、信玄が当主になったという、余計に怪しまれる事間違いなしな、親子相談の上での同意説。

なんてトンチンカンなものまで、沢山あります。



一級資料にしても、信虎追放の理由を「悪行」としか書かれてなく、まるで会社を「一身上」の理由で辞めるかのように曖昧です。



以下が、資料ってやつです。

★『高白斎記』
→信虎公甲府御立駿府へ御越、於甲府十六日各存候

★『勝山記』
→武田大夫様、親ノ信虎ヲ駿河国ヘ押越申候、余リニ悪行ヲ被成候間、加様被食候、去程ニ地下、侍、出家、男女共喜致満足候事無限

★『塩山向嶽禅庵小年代記』
→信虎平生悪逆無道也、国中人民、牛馬畜類共愁悩、然駿州大守義元、娶信虎之女、依之辛丑六月中旬行駿府、晴信欲救万民愁、足軽出河内境、即位保国々、人民含快楽咲

★『王代記』
武田信虎六月十四日駿州へ御出、十七日巳刻晴信屋形へ御移、一国平均安全ニ成

★ついでに『甲陽軍鑑』
→信虎公が次郎殿(信繁)を総領にたてたという意図は、重大な手違いであったから、先祖の新羅三郎公の御憎みを受けて、あのような御牢人の身になられたのかと思われます(腰原哲朗訳『甲陽軍鑑』(上)教育社)



信虎が追放されるまでは、国内は不安定で、信玄に代わったことで落ち着いた内容になってます。



なら「悪行」とは、具体的に何か?



飢饉が原因のひとつにあるのは、間違いないでしょう。
これは『勝山記』の天文10年の記事に「百年ノ内ニモ無御座候ト人々申来リ候」とあり、その直後に前述した追放記事があるからです。


なので『勝山記』の記事をばらせば、こういうストーリー展開になります。

起:百年ノ内ニモ無き大飢饉

承:信虎の「悪行」

転:信玄が駿河国へ押越

結:男女共喜致満足

『塩山~』によれば、悪逆無道とか、家畜まで喜ぶという物凄い感情的な書き方です。


今風に直せば、こうなります。

起:百年に一度の大不況

承:与党政権の「悪行」

転:野党が与党を逆転

結:国民みな満足


これは普通に考えたら、悪行とは「増税」になりますね。

不況で税収が減った政府は、国民の苦しみよりも、政権がなんとしてでも昨年レベルを維持したいという気持ちのほうが強くなります。
38兆円しか収入がないのに、昨年並の70兆円以上の政治をしたがるのと同じです。

草の根の立場なら、収入に似合った政治をやれと言いたいのでしょう。
不況下の増税策は、まさに逆上政策になります。

しかし国債という逃げ道のない時代では、ストレートに増税策しかなかったと決意します。

しかし民の不支持は、下剋上につながります。
その民の不満を信玄が汲み取り、支持する家臣とクーデターを起こしました。
こんなかんじでしょうか?

やっぱり増税で、信虎は追放されたのでしょうか?

「不況→増税」とは古今東西例外なく普遍的な、無能無策のセオリーです。

増税をすることで、甲斐は民は大事な家畜を売りに出さなければならないくらい、窮地に陥る程でした。
しかし信玄が無血クーデターを起こし、代替徳政(最近よく言われてるやつ)を宣言したことで、民は大事な家畜を手放す必要がなくなりました。

代替徳政の背景には、やはり増税があったのでしょうか?
理屈として、分かりやすいと思います。


またこの大飢饉で、今川や北条はなんらかの対処策をしてます。
小笠原家では、家督が長棟から長時に代わってます。
これは代替徳政でしょうか?
資料が皆無のため真相は分かりませんが、可能性はあるかもしれません。

なので周辺諸国は飢饉対策をしてるのに、なんで甲斐は●×▲と、ネガティブに比較してしまった理由も、信虎不支持を助長させたのかもしれませんね。



信虎が信玄の被害にあったのは、税政と外交のミスリードにあるようですが、次回はその外交で…。

コメント

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1 ■なんだか

結局は斎藤道三、義龍親子と似たようなパターンですかね。道三もあんまり内政はやってなかったらしいですし。結局鍵となるのは「家臣団(国人衆)」の支持を取り付ける事が大事なんですねぇ。
一つ間違えれば能登の畠山家みたいになるわけですし。

2 ■無題

>私の碇で沈みなさいっ!さん
コメントありがとうございます。
シビアな民、ドライな家臣、そんな中で生きてる大名は、大変ですね。
守護家で戦国乱世を乗り越えたのは、島津氏と宗氏と、あるいみ伊達氏くらいですからね。

勉強しがいがあります。

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