「うん。不法入国者の統計と解説の参考資料として『在日朝鮮人運動』(篠崎平治 令文社 1955)を見るの」
三 密入国取締実施状況
密入国者の取締は昭和二十一年四月より開始されたのであるが取締開始以来昨年までの八年間の取締実施状況は次表の通りである。
A(総検挙数)
検挙数 | 検挙者数 | 逃走確認数 | 強制送還数 | ||||
検挙機関別 | 警察 | 海上保安庁 | 合計 | ||||
年度別 | 上陸地 | 上陸地以外 | 計 | ||||
昭和21 | 17,737 | 1,374 | 19,107 | 3,683 | 15,925 | ||
〃22 | 5,421 | 716 | 6,137 | 1,467 | 6,296 | ||
〃23 | 6,455 | 460 | 6,915 | 1,358 | 8,273 | 2,046 | 6,207 |
〃24 | 7,931 | 1,249 | 9,180 | 729 | 9,909 | 2,700 | 7,663 |
〃25 | 2,442 | 534 | 2,976 | 330 | 3,306 | 1,170 | 2,319 |
〃26 | 3,704 | 364 | 4,068 | 721 | 4,789 | 1,143 | 2,172 |
〃27 | 2,558 | 481 | 3,039 | 371 | 3,410 | 705 | 2,320 |
〃28 | 1,404 | 499 | 1,903 | 313 | 2,216 | 387 | 2,685 |
計 | 47,652 | 5,677 | 53,325 | 3,822 | 57,151 (57,147) | 13,311 (13,301) | 45,587 |
B(警察検挙数)
年度別 | 密入国者数(上陸地) | 検挙率 | 上陸地以外の検挙者数 | 検挙者総数 | 強制送還数 | ||
検挙数 | 逃走確認数 | 合計 | |||||
昭和21 | 17,737 | 3,683 | 21,420 | 83% | 1,374 | 19,111 | 15,925 |
〃22 | 5,421 | 1,467 | 6,888 | 79% | 716 | 6,137 | 6,296 |
〃23 | 6,455 | 2,046 | 8,500 (8,501) | 76% | 460 | 6,915 | 6,207 |
〃24 | 7,931 | 2,700 | 1,641 (10,631) | 70% | 1,249 | 9,180 | 7,663 |
〃25 | 2,442 | 1,170 | 3,612 | 68% | 534 | 2,976 | 2,319 |
〃26 | 3,704 | 1,143 | 4,847 | 77% | 364 | 4,068 | 2,172 |
〃27 | 2,558 | 705 | 3,263 | 78% | 481 | 3,039 | 2,320 |
〃28 | 1,404 | 387 | 1,791 | 78% | 499 | 1,903 | 2,685 |
計 | 47,652 | 13,311 (13,301) | 60,963 (60,953) | 78% | 5,677 | 53,329 | 45,587 |
取締結果をみると昭和二十一年が圧倒的に多いが、これは終戦直後計画送還により一旦帰国した彼等が、本国の社会不安から逃避の為に多数再入国して来た結果であり、この傾向は同年夏頃に至りその極に達したかの観があつたが、その後密航監視哨の設置等による沿岸警備力の強化によつて急激にその数を減少した。昭和二十二年より同二十四年までの三年間は、逐年累増のの傾向を示したが、これは朝鮮における諸般の事情が依然として好転しないのに反し、日本は敗戦による一時的混乱を脱却して漸次平常の状態に向いつつあつた為、いやが上にも朝鮮人の対日憧憬心をそそつた為であるとみられている。これに反し、昭和二十五年度の激減の原因は、明らかに同年一月実施した我国の外国人登録証明書の一斉切替措置により証明書の偽造変造又は不正入手等が比較的困難となり、延いては密入国が容易に発見されること、及び同年六月の朝鮮動乱の発生により国外逃避者に対する厳罰方針、これに伴う沿岸取締の強化等の朝鮮本国の諸方針が総合反映した結果と思料され、遂に前年度の三分の一に減少したのである。その後現在までに停戦問題、南鮮における徴兵令の施行等若干の情勢変化はあつたが、密入国の趨向乃至数量等には差程の変化はみられなかつた。強いてあげれば徴兵忌避の為と認められる学生の密入国が稍々増加した程度である。なお取締開始以来一昨年末までの密入国検挙人員は、上陸地検挙者、四七、六五二人、上陸地以外の検挙者、五、六七七人、海上保安庁による検挙者(但し昭和二三、五以降)三、八二二人、合計五七、一五二人で、年間平均約七、一四〇人である。又上陸地検挙を免れて日本国内に潜入した密入国者の中には、上陸地において逮捕された共犯者の自供によつて逃走の事実が認定された者と、全然官憲の視線に触れていない者が含まれているわけである。前者については前表に示した通り、一応の数字が出ているが、後者についてはその概数を知ることさえ不可能である。試みに逃走認定人員と上陸地以外の検挙人員を対比してみると差引七、六三四人が現在未逮捕となつて居りこれに視線外密入国者を加えると相当数の密入国者が逐年累積しつつあることが判る(情報によれば逮捕されるのは三回に一回とも言われているが何れにしても視線外密入国者が相当多いことは推定に難くない)。
「著者の篠崎は警察庁警備2課に所属してた人なの。( )内の赤字は実際に各欄を足した数字だよ」
「解説のほうは森田とほぼ同じだね。『逃走確認数』っていうのは共犯者の自供で存在が判明した人だけじゃなくて、警察が追跡したけど逃げ切って逮捕できなかった人も含んでいるんだろうね」
「『情報によれば逮捕されるのは三回に一回とも言われている』って33%やね。えらい低い確率やで」
「新井さんの打率よりはかなり高いよ(涙)」
「ただね、1951(昭和26)年5月28日の衆議院行政監察特別委員会で、大橋武夫法務総裁が逆の割合を発言してるんだよ。国会会議録検索システムで発言番号499を見てみるとこんなのなの」
密入国に関する取締りにつきましては、大体今日におきまして密入国者のうちでその検挙と申しますか、取押えと申しますか、取締りにかかつて参りますものは約三分の二強ぐらい、あとの三分の一弱というものは検挙不能に終つておるということが想像されておるのでございます。その原因といたしましては、密入国の方法がきわめて辺鄙なところへ上陸をいたして参る。そうして海上に対する監視がいまだはなはだ十分でないというようなことが痛感されておるわけであります。すなわち海上保安庁におきまして海上の監視をいたしておるのでございまするが、この監視船の数が十分でない。従つて一隻当りの受持ちの海岸線というものは非常に広大でございまして、これについて完全なる警戒監視の網を張ることが困難であるといわれております。また使用いたしまする船舶につきましても、装備等において必ずしも十分でないために、せつかく発見をしても逃がしてしまう。これが他の機会において、またこちらの気がつかない間に上陸をするというようなことも想像されておるのでございます。特に関係機関といたしましては海上においては海上保安庁、陸上におきましては警察がこれに当つているのでありまするが、現在の実情から申しますると、自治体警察におきましては、この方面の職務に対する熱意がいまだ必ずしも十分でないように見受けられております。従つて主として国家地方警察がこの監視並びに取押えに当つておるというような状況でございまするが、しかし国家地方警察はその管轄区域の広大なるに比較いたしまして人員がきわめて少く、また通信簿の施設におきましてもなお充実を要する状態でありまするので、かような機能的な面におきましても、相当な欠陷がある、こう考えておるのであります。
それから海上保安庁と国家地方警察との連絡でございまするが、この連絡につきましては国家地方警察本部並びに海上保安庁の各首脳部の間におきまして、それぞれこの問題につきましての職務分担の範囲を協定をいたし、また互いに情報の交換等につきまして協定をいたしておるのでありますが、末端におきましてこれが必ずしも協定の通り十分に行われておらぬという点もあるのではないか、かように考えておる次第であります。
「この発言のあった1951年から『在日朝鮮人運動』の書かれた1955年の間に逮捕率が低下して割合が逆転したのかな?」
「つうか、これって『現在の実情から申しますると、自治体警察におきましては、この方面の職務に対する熱意がいまだ必ずしも十分でないように見受けられております』って自治体警察をdisったり、『海上保安庁と国家地方警察との連絡でございまするが(中略)末端におきましてこれが必ずしも協定の通り十分に行われておらぬという点もあるのではないか、かように考えておる次第であります』って現場レベルの摩擦をばらしとるやんw」
「どうしても、協定や合意通りにすんなり分担と協力がうまくいくってわけにはいかないんだろうねぇ。なんにしても、存在を確認把握できていない不法入国者が多いだろうってことは言えそうだね」
「でもね、篠崎の表Aの青字部分の数字が森田とは違っているのは気になるよ。森田だと1952年の上陸地逮捕者は2,558じゃなくて1,776、1953年の海上保安庁逮捕者は313じゃなくて341になっているんだけど、どっちが正しいの?」
「篠崎の方は出典を書いてへんけど、森田は注釈で上陸地の逮捕者は警察庁警備第二課資料、海上保安庁逮捕者は『海上保安統計年報』から持ってきたって書いとるんやし、森田の方が確実やと考える方がええんと
「そうだね。念のため『海上保安統計』第3巻(昭和27年)を見るよ」
「341人だね。ってことは出典が確実な森田の数字を採用しておく方が妥当ってことだね」
「篠崎の方は1946年からの数字もあるのに、ちょっともったいない気もするなぁ」
「それなら『在日朝鮮人運動の概況』(坪井豊吉 法務研究所 1959)の附録が『海上保安統計年報』出典の数字を使って1946年から1956年までの統計を出しているよ」
三、本邦不法入国者検挙一覧表 (32.4.入国管理局統計による)
国籍別 | 年次別 検挙場所 | 昭和 21年 | 〃 22年 | 〃 23年 | 〃 24年 | 〃 25年 | 〃 26年 | 〃 27年 | 〃 28年 | 〃 29年 | 〃 30年 | 〃 31年 | 累計 |
朝鮮人 | 海上 | 17,733 | 5,239 | 7,519 | 729 | 329 | 721 | 371 | 341 | 212 | 177 | 245 | |
上陸地 | 7,567 | 2,106 | 2,774 | 2,257 | 1,903 | 805 | 491 | 191 | |||||
国内 | 701 | 727 | 683 | ||||||||||
小計 | 17,733 | 5,239 | 7,519 | 8,296 | 2,435 | 3,495 | 2,628 | 2,244 | 1,718 | 1,395 | 1,119 | 53,821 | |
中国人 (台湾人) | 海上 | (4) | 43 (74) | 29 (164) | (30) | 10 (1) | 5 | 1 | 3 (2) | 2 | 2 | 2 | |
上陸地 | 13 (58) | 2 (14) | 75 (14) | 159 (5) | 95 (1) | 1 | 2 | 0 | |||||
国内 | 39 | 29 | 10 | ||||||||||
小計 | (4) | 43 (74) | 29 (164) | 13 (88) | 12 (15) | 80 (14) | 160 (5) | 98 (3) | 42 | 33 | 12 | 889 | |
その他 (外国人) | 海上 | 0 | 南西諸島人 65 | 南西諸島人 102 | 21 南西諸島人22 | 100 南西諸島人70 | 2 南西諸島人97 | 2 南西諸島人43 | 4 | 2 | 0 | 0 | |
上陸地 | 南西諸島人 293 | 南西諸島人 298 22 | 南西諸島人 724 117 | 南西諸島人 132 5 | 12 | 1 | 0 | 1 | |||||
国内 | 6 | 6 | 0 | ||||||||||
小計 | 0 | 65 | 102 | 336 | 490 | 940 | 182 | 16 | 9 | 6 | 1 | 2,147 | |
計 | 海上 | 17,737 | 5,421 | 7,814 | 802 | 510 | 825 | 417 | 350 | 216 | 179 | 247 | |
上陸地 | 7,931 | 2,442 | 3,704 | 2,558 | 2,011 | 807 | 493 | 192 | |||||
国内 | 746 | 762 | 693 | ||||||||||
小計 | 17,737 | 5,421 | 7,814 | 8,733 | 2,952 | 4,529 | 2,975 | 2,361 | 1,769 | 1,434 | 1,132 | 56,857 | |
(付)確認逃亡者 | 3,683 | 1,467 | 2,046 | 2,709 | 1,170 | 1,143 | 705 | 387 | 227 | 不明 | 不明 | 13,537 |
(註)1.検挙場所のうち、海上欄数字は海上保安庁統計月報から、また上陸地、国内欄は警察庁の統計資料による。
2.( )内の数字は台湾人を示す外数である。
3.確認逃亡者とは、警察官が目撃したが逮捕できなかつた者をいい、すべて朝鮮人であるとみられる。
「以前もちょっと触れたことがあるんだけど、著者の坪井は昭和32年度法務研究員で公安調査庁法務事務官だったの」
「あー、本名の坪井豊吉で『在日朝鮮人運動の概況』書いて、ペンネームの坪江汕二で『在日朝鮮人の概況』書いとるからややこしいいう話やったねぇ」
「うん。これは本来「法務研究報告書 第46集第3号」に所載されたものなんだけど、1975年に自由生活社から『〈戦前・戦後〉在日同胞の動き 在日韓国人(朝鮮)関係資料』として復刻されて非売品として頒布されたんだよ」
「あれ?ここの数字も森田とちょっと異同があるね」
「相違点を表にまとめてみようか」
年 検挙場所 | 昭和 21年 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 累計 | |
森田芳夫 『在日朝鮮人処遇の推移と現状』 | 海 上 | 1,358 | 729 | 329 | 729 | 371 | 341 | 212 | 4,069 | ||||
上陸地 | 17,733 | 5,239 | 6,160 | 6,324 | 1,572 | 2,410 | 1,776 | 1,404 | 810 | ||||
国 内 | 771 | 460 | 1,249 | 533 | 364 | 481 | 499 | 696 | |||||
計 | 17,733 | 6,010 | 7,798 | 8,302 | 2,434 | 3,503 | 2,628 | 2,244 | 1,718 | 52,370 | |||
逃 走 | 3,683 | 1,467 | 2,046 | 2,710 | 1,170 | 1,143 | 705 | 387 | 227 | 13,538 | |||
篠崎平治 『在日朝鮮人運動』 | 海 保 | 1,358 | 729 | 330 | 721 | 371 | 313 | 3,822 | |||||
上陸地 | 17,737 | 5,421 | 6,455 | 7,931 | 2,442 | 3,704 | 2,558 | 1,404 | 47,652 | ||||
上陸地以外 | 1,374 | 716 | 460 | 1,249 | 534 | 364 | 481 | 499 | 5,677 | ||||
計 | 19,107 | 6,137 | 8,273 | 9,909 | 3,306 | 4,789 | 3,400 | 2,216 | 57,147 | ||||
逃 走 | 3,683 | 1,467 | 2,046 | 2,700 | 1,170 | 1,143 | 705 | 387 | 13,301 | ||||
坪井豊吉 『在日朝鮮人運動の概況』 | 海 上 | 17,733 | 5,239 | 7,519 | 729 | 329 | 721 | 371 | 341 | 212 | 177 | 245 | |
上陸地 | 7,567 | 2,106 | 2,774 | 2,257 | 1,903 | 805 | 491 | 191 | |||||
国内 | 701 | 727 | 683 | ||||||||||
計 | 17,733 | 5,239 | 7,519 | 8,296 | 2,435 | 3,495 | 2,628 | 2,244 | 1,718 | 1,395 | 1,119 | 53,821 | |
(付)確認逃亡者 | 3,683 | 1,467 | 2,046 | 2,709 | 1,170 | 1,143 | 705 | 387 | 227 | 不明 | 不明 | 13,537 |
「三つとも細かい点で異同があるんだね」
「1950(昭和25)年以降の海上逮捕者数は坪井が正解だよ。原史料にあたる『海上保安庁統計』で確認済みなの。
「森田も坪井も警察庁の統計資料に拠ってるって書いてるのに違いがあるんだねぇ…森田は1947年の上陸逮捕者を5,239人としてるけど、坪井は海上・上陸地・国内の逮捕者総数で5,239人、48年は、森田の海上・上陸地逮捕者数は7,518人、坪井は総数で7,519人、49年は、森田の上陸地・国内逮捕者数は7,573人、坪井は総数7,567人って内訳もバラバラだし…」
「警察の統計のほうは原史料の確認ができてないから、上陸地・上陸地以外の逮捕者数と逃走者数の違いについてはどうとも言えないんだよね」
「どれか一個だけが完全な正解っちゅうわけ
「現時点ではその2つを最大公約数、近似値として扱うしかないかな。今回はここまでするね」
戦後の不法入国者(1)
戦後の不法入国者(2)
戦後の不法入国者(3)
戦後の不法入国者(4)
戦後の不法入国者(5)