どうして廊下を走ってしまったんだろう?
無事に年が明けました。今年もどうぞよろしくおねがいいたします。
今年の初記事は、東方神起的なタイトルではじめます。
新年といえば、箱根駅伝。
若者が走っている姿は、なんともいえない心躍る感覚をよびさまされます。
そこで、ふと、最近、運動不足というか、ほとんど運動していない、
つまりだいぶ長い間、全力疾走していないなぁと思い当りました。
僕の記憶が正しければ、
小学生時代の僕は、しょっちゅう学校の廊下を走っていた気がする。
廊下を走らないというのは、全国共通の校則だと思うが、ほとんどの
小学生は、破ったことがあるはずだ。だから校則も消えない。
中学・高校も校舎が直線形になっていたので、廊下をよく走っていた。
大学に入ったあたりから、校舎を走った記憶がなくなる。
でも、社会人になってからまたよく走っていた気がする。
すでに全力では走れなかったけれど小走りで。
現在、大学院生という身分なので、家で本を読んでいることが多く、
ほとんど走らなくなってしまった。外の空気が恋しくなることもしばしばだ。
いかなるときに僕は、走っていたのだろうか。
あらためて考えてみると、必ずまわりに人がいたなということに気づく。
気がついてみれば当然だ。
人は、他の人のために「急ぐ」のだ。
あるいは、人は他の人がいるから「急ぐ」のだと言い換えてもよいかもしれない。
ひとりで「急ぐ」奴を僕は知らない。
というよりも、「急ぐ」は比較する対象を必要とする形容詞だから、
ひとりでいるときは、どんなスピードでも「マイペース」であるはずだ。
そんなものかもしれない。
新年早々、平凡なメロス的結論に落ち着いてしまった。
でも、廊下を走るときって、だいたいなんか楽しい。テンションが上がっている気がする。
シティー・ボーイズの名作コント『廊下を走る人々』が思い出される。
そんなんふくめて、全力疾走とは言わないまでも、
小走り程度まで、徐々にスピードを上げていきたい、と思う新年でありました。



