SAD VACATIONを見てきました。

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 

これだけを見て面白いと感じるのは少々難しいので、

 

見に行かれる方は、SID AND NANCYを見てから行くと分かりやすいと思います。

 

 

 

SID AND NANCYもかなり監督の主観で撮られたもので、

 

これが事実だという事は言い難いのですが、

 

二人の物語の概要を知るには最適の作品。

 

 

 

SAD VACATIONと題されたこの映画は、

 

セックスピストルズのシド・ヴィシャスがこの世を去って、40年を目前に

 

当時、二人と交流のあった人々に彼らの性格や人間性、

 

更に二人の最後をどのように解釈しているかというインタビューで形成されています。

 

かつてのSEX PISTOLSのローディーや、

 

PISTOLS解散後、シドとナンシーが拠点としたチェルシーホテルのかつての住人、

 

二人の長年の友人と多くの人が二人について語っているものでした。

 

彼らが口を揃えて言うのは、

 

「二人はまるで母と子のような関係性だった」

 

という事。

 

純粋で無邪気なシドと、ロックスターとしての彼を売り出そうとしたナンシー。

 

世間的には恋人同士とされていたが、その関係の実は恋人関係とは少し違った。

 

ナンシーはシドにドラッグという首輪を付け、

 

完全に自分の支配下に置き、自らの征服欲を満たしていた。

 

それが結局のところ、恋人関係とは少し違う関係性を生み出していたという。

 

 

何故、今になってもシド・ヴィシャスという存在がこうやって燦然と輝けるのか?

 

と常々疑問でした。

 

それは彼が

 

『PUNK』という音楽ジャンルを規定した

 

という事だとこの作品を見て分かった。

 

ライダースジャケットにレザーパンツ、レザーブーツ。

 

短い髪を立て、演奏よりもステージ上のパフォーマンスを重視する。

 

これがパンクという音楽の基本理念と正装であるとなってしまった事が、

 

シドを今も尚、パンクのお手本として踏襲される事態となっている。

 

元々、PISTOLSはプロデューサーのマルコム・マクラーレンが

 

当時、まだアンダーグラウンドな音楽ジャンルだったものを

 

SEX PISTOLSを結成する事によって広める役割を担った。

 

Vivienne Westwoodとボンテージファッションを提唱し、

 

それがスタンダードとなるのが自然な流れだが、

 

シドという強烈な個性がライダースファッションをパンクのスタンダードにしてしまった。

 

それによって、ボンテージとライダースのダブルスタンダードが誕生する事になった。

 

そして、パンクという音楽ジャンルの精神性をシドが担う事になった為、

 

パンクはマルコムが提唱していたものではなく、

 

シドの生き方がパンクの精神性として浸透したのだと理解しました。

 

 

この二人の関係性は決して正当なものではない。

 

ナンシーがシドを求めたのは自らの欲を満たす為であり、

 

ロックスターの恋人というステイタスを求めた結果だった。

 

ドラッグでしかシドを繋ぎとめておくことが出来なかったナンシーは、

 

決して恋人としてシドを見ていたとは到底思えない。

 

恋人同士というのは周囲が既に存在していた人間関係の形に収める為に

 

用いた表現でしかなかった。

 

と強く感じました。

 

 

シドとナンシーはパンクだけでなくロックでは有名な二人になっている。

 

ジャンキーでトラブルメーカーだった二人だが、

 

自分の思い通りに世界を動かすことが出来た。

 

それが今でも一つの理想の形として語り継がれる部分がある。

 

本人達が存在しない世界では、どんなに許されない事も美化され、

 

許容されてしまうんです。

 

相手が自分の事を知らなかったり、自分とは遠い世界に居る人間の事を

 

人は都合よく称賛し、罵る。

 

結局、自らが耳触りや納得する理由をでっち上げのように形成し、

 

そこに安心感を得る。

 

それが多くの人々の心の安寧を生み、欲求を満たす。

 

シドとナンシーはそういう対象としてうってつけだったのかもしれない。

 

それがスターとして担うべき事柄なのかもしれないが、

 

何ともやり切れないものがありました。

 

仮に自分が死んで、こういう風に人々に都合の良いように解釈されて、

 

自分が人々の中でどんどん変化して行くのは、

 

誰かの心の中に残れるという喜びはあれど、

 

その残った自分が結局、自分自身とは程遠い存在であるというのは

 

少し悲しくなる。

 

自分自身が誰かにとって何かになるというのは、

 

一体どういう事なんだろう?

 

そんな疑問を持った作品でした。