ローマ<共和政ローマ・ローマ帝国>の地図と歴史 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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ローマ 地図

ローマは,イタリア半島中部,ティベル川の河畔に存在する都市で,古代に共和政ローマ・ローマ帝国の首都となった都市である。

成立

伝説によれば,ローマは,トロイアの英雄アエネアスに始まるとされる。

トロイアの英雄アエネアスは,祖国の滅亡後,流浪の旅をへてイタリア半島に到達し,そこで新たな国家を築いて王位についた。その数百年後,アエネアスの血を引くロムルスは,王位をめぐる戦いに勝利をおさめた後,前753年に新都を建設し,この都が彼の名前にちなんでローマと名づけられた。

このような伝説がどの程度まで史実を反映しているかはわからないが,いずれにしても,ローマは前8世紀頃にラテン人の都市国家として成立したと考えられている。初期のローマでは王政がとられており,ロムルスを初代として7代の王が即位したとされるが,この王政期の後半にローマでは広場・道路などの設備が整えられて都市化が進んだと見られている。

発展

ローマは前509年に王が追放されて共和政へ移行したとされる。国内の体制を整えたローマは,イタリア半島を統一すると,つづいてカルタゴやヘレニズム諸国も破っていき,地中海世界の統一を果たした。こうして,ローマは地中海世界全体を支配する大帝国となり,ローマ市はその繁栄の中心となった。

ローマ市では歴代の皇帝によって,フォルム(広場),コロッセウムパンテオン,公衆浴場など多くの公共建築物が建設された。人口も急増してその数は100万人にも及び,都市の民衆に対しては,「パンとサーカス」とも称される,穀物などの食料や剣闘士競技などの興行が提供された。

衰退

3世紀以降,ローマ帝国は内外の危機に直面して動揺していき,そうしたなかでローマ市もその地位を低下させていく。

すでに3世紀には帝国におけるイタリアとローマ市の地位の低下が明らかになっていたが,330年に皇帝コンスタンティヌス1世ビザンティウムコンスタンティノープル)に遷都したことで,ローマは名実ともに帝国の中心の座から下りることになった。

その後のローマ市は,410年には西ゴート,455年にはヴァンダルの略奪を受けるなど,ゲルマン人の侵入によって甚大な被害を受けた。そして,476年には西ローマ帝国がオドアケルによって滅ぼされる。

こうした戦乱のなかで,かつて繁栄を誇ったローマ市はすっかり荒廃することになった。しかし,その未来には,キリスト教の中心として,またイタリアの中心として,再び輝きを取り戻すことになる。