2009年08月22日

清水の舞台から飛び降りた田舎青年

テーマ:30万人のワーキング・ホリデー


最初はシドニーで暮らした。生活は楽しかった。英語学校へ行くと同年代の日本人が集まっているから、修学旅行の延長みたいなものだった。 横山 重隆さん


[profile]
・滞在国 オーストラリア
・滞在期間 1985年11月~1986年4月
・渡航時年齢 25歳
・現在の職業 会社役員(不動産会社経営)





『清水の舞台から飛び降りる』―――。 







私はワーキング・ホリデーでオーストラリアへ行った時の体験を話すとき、よく時々この言葉を使う。



24年前は、今のようにインターネットで簡単に情報が手に入る時代ではなく、本屋へ足を運んでもそれらしき本はなかったし、私のまわりには海外に行った人もいなかった。そんな九州の田舎青年がオーストラリアに行くのはすごく勇気が必要だった。



『田舎青年』は「命」をかけて大きな事に挑む覚悟で、オーストラリアへ旅立った。

ところが、現地に着いてみれれば、私と同年齢、同じような日本人がいっぱいるではないか。『井の中の蛙、大海を知らず』という言葉の意味を身にしみて思い知らされた。今考えれば、笑い話である。オーストラリアへ「命懸けで行く」人はもういないだろう。だが少なくとも、『清水の舞台から飛び降りる』という当時の気持ちは嘘ではなかった。



最初はシドニーで暮らした。生活は楽しかった。英語学校へ行くと同年代の日本人が集まっているから、修学旅行の延長みたいなものだった。



しかし、田舎青年は考えた。「毎日は楽しいが、もっと何か違うものを見つけたくて来たのではなかったか?」。何かを見つけたいといっても、何を見つけたいのかさえ分かっていない。とりあえずヒッチハイクでオーストラリアを回ることに決めた。



私の人生において、オーストラリアの旅は私に大きな自信を与えてくれた。 これも、2回目ではあるが『清水の舞台から飛び降りる』気持ちだった。今でもあの光景を覚えている。ヒッチハイクをしようと道路の脇に立った時のことを! 行動とは裏腹に、「手を出して車が止まったら、どうしよう」と、考えながら道路脇に立っていた。車が目の前で止まったら、なんて言えばいいのだろうと思ったら、手があがらなくなった。もちろん、ヒッチハイクは車が止まってくれないと話にならない。そうわかっていても、「あの角を曲がったら」「もう少し大通りに出たら」「あの分かれ道を越えたら手を上げよう」と考えているうちに、10キロも歩いてしまった。



それでも、結局ヒッチハイクで50日間オーストラリアを旅することになった。途中、色々な人に助けられた。オーストラリア人の家に泊めてもらったこともある。カンガルーハンターの家に知らずに泊まって、カンガルーのシューティングもさせてもらった。エアーズロックでは、シドニーを別々に発った仲間と出会うことができた。



思わぬアクシデントもあった。ゴールドコーストで、泳いでいる間に全財産を盗まれ、一文無しになってしまったのである。ビーチサンダルまで盗まれ、かろうじて残ったのは自分が履いている海水パンツ1枚。しばらく呆然として立ち尽くしたが、ヒッチハイクの旅ですっかりたくましくなった田舎青年は、こう考えた。



「ゴールドコーストからシドニーまでは約900キロ。ヒッチハイクで3日あれば着ける。夜は野宿。食い物は3日間くらいなら食べなくてもなんとかなるだろう。シドニーにさえ着いたら何とかなる」。
途中、なかなか車が止まってくれないため、近くを走っている列車に飛び乗った。見つかって駅員に降ろされたが、失うものが何もない人間は怖いものもない。



 『人間なんとかなる』。



私は、これをアタマではなく体で覚えた。八方ふさがりでも必ずなんとかなる。何とかならないのは、本当に何とかしなければならない状況にまで、まだ、追い詰められていないのかも知れないのだ。
「自分探しの旅」などという言葉がある。今までの旅が自分探しの旅かどうかは分からない。ただ、私の人生において、オーストラリアの旅は私に大きな自信を与えてくれた。



帰国後も、私は何度かバックパックを背負って旅に出た。あの時のハラハラ・ドキドキ感が時々無性に味わいたくなるのである。ピラミッドを見にエジプトへ、オーロラを見にアラスカへと、数カ国を旅して回った。35歳の時には、三蔵法師が通った道を辿ってシルクロードからインドへ「悟り」を開く旅に出た。そして、これで「旅」は終わりにした。悟りは開けなかったが、ある答えにたどり着いたからだ! それは、「世の中、嫌なことやつらいことは避けて通れない。ならばそれを避けて通らない」ということである。楽しいことはそのまま楽しく経験しよう。そして嫌なことやつらいことも経験して、もがき苦しもう。その経験が自分を成長させ、大切な経験となるからだ。その経験を乗り越え、解決していくことが出来れば、嫌なことが少しずつ嫌で無くなっていく。もし、乗り越えられなくても、人の痛みが分かる人間になる。人間は楽しいことも嫌なこともつらいこともどれだけ経験しているかで、その人の価値が決まるのだ。
こうした信念をもって人生に向かえるようになったのも、ワーキング・ホリデーでの「旅」の原点があったからこそだと思う。



「清水の舞台から飛び降りた」九州の田舎青年は、現在、東京で会社を経営している。気がつけば、あの当時オーストラリアで一緒だった仲間達が会社を経営していたり、上場会社の役員だったりしている。今も時々この仲間と飲みに行くことがあるが、楽しいことも嫌なこともそれぞれ経験してきた奴らとは、飲んでいても楽しいのである。 

                                   (よこやま しげたか)

『30万人のワーキング・ホリデー』より抜粋

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