最後の終わり方とか、そこにいたるまでの感じとか、時代とか??

ガルシア・マルケスの、100年の孤独を思い出した。

だから、不快なんだ。


とはいってもちゃんとは読んでいない。あまりに暗くて。

飛ばし読みした印象。


パフュームの主人公は、死んだあと、鬼になって1000年か1万年か、さまよいそう。

会いたくない!! (>_<)


このわたしの拒否反応は、なんかとっても深い感じがするわ。

フォーカスしないほうがいいようなきがするわ。

ひきずられるかんじがするわ。

なつかしくて。

あーもうやめやめ。

もう、パュームのこと考えるのやめよう。

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自分よりレベルの低いエネルギー(おだやかな人ならば、怒り、プライド、罪悪感、恐怖、欲望)には触れないほうがいいと思う。自分のエネルギーフィールドが汚れるから。せっかくあげてきたところを、また下がってしまうから。


グルヌイユのレベルは、欲望だったから、その次の上のステップは、怒り。

グルヌイユ、怒らなかったもんなあ。むしろ、欲望からもういっかい下の段階の、深い悲しみ。に

おちたよなあ。。。 やっぱ、一段階ずつクリアしていくものなのかな。


高いエネルギーを持った人は、存在するだけで低いエネルギーのものを高みにひきあげると思う。

よいエネルギーは悪いエネルギーを駆逐するっていうから。光と闇だったら光が闇を駆逐する。

優位フィールド、とかいうらしい。


善悪についてひとりよがりの絶対的な基準を押し付けるのは「モラル」の最大の落とし穴のひとつ、というけれど、モラル的にみなくても、


勇気、中立、意欲、受容、理性、愛、喜び、平和、悟り

は、何であっても生命を維持するものなので「善」として定義づけられる、らしい。


恥、罪悪感、無感動、深い悲しみ、恐怖、欲望、怒り、プライド

は、何であっても破壊的なもので、生命を維持しない「悪」であるといえる。らしい。


そっか。 わかりやすいなあ。


↓は、私の長年の疑問に対する答えだ。いま開いてる本に、急に出てきた。答え has come。だ。


「邪悪」に対しては、恐れたり戦ったりするのではなく、「ただ、避ける」というのが、もっとも伝統的にな知恵として受け継がれていることに注意を払うべきです。


しかし、それを実行するためには、まず、「邪悪」に気づく能力を必要としまます。

そのような能力がなければ、低いエネルギーのアトラクターフィールドによって若さ(すべての大人に存在し続ける若さを含む)が汚されてしまうと、ソクラテスは実際に述べています。


↑いつまでも若くみえるひと、ってこれなのかもね。いつも楽しいことに触れているように生きる努力してるひと。



ソクラテスはこの見分ける能力を教えようとするうために殺されましたが、彼の念願は残されています。



『パワーかフォースか 人間のレベルを測る科学』

デヴィッド・R・ホーキンズ 著


より。かなり抜粋。

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よのなかにおきることは、みんな必然で必要だという

一行であらわすと??な感じがするけど、結論だけ書くとこれだと思う


それでだ。

映画 パフユームを見に行った意味。わたしにとって。

やっぱり、主人公の男の子が、なめし皮職人の仕事が

「ぼくのやりたい仕事じゃない」って一瞬でわかって、

香りの仕事につくまでもくもくと目の前のことをこなして

いき、チャンスがきたら逃さない。行動力。


ってことにつきるんだろうなあ。

と思った。

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