ワークライフバランスで行こう!

仕事も家庭も地域も自分も大事にしたい!
毎日を活き活きと、充実した人生をおくるため、
日々、ワークライフバランスの実践に取り組むサラリーマンのブログです。


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PTA会長としての、最後の入学式が終わった。
振り返ってみると、あっという間の5年間。

学校のこと、地域のこと、他校のこと。
本当にいろいろな こと を学ばせてもらった。

PTA活動をしていなかったら出会えなかっただろう仲間がたくさんできた。

PTA活動はボランティアだ。
時には、できることをできるときにできる範囲での原則に収まらない場合もある。

5年間のPTA活動の報酬は何か。
それは、人脈というかけがえのない財産だ。

入学式の祝辞を自分の記録として残しておこう。


祝辞

 平成二十八年度、豊四季中学校新入生◯◯◯名のみなさん、ご入学おめでとうございます。ならびに、ご家族、保護者のみなさまにも、お子さまのご入学、心よりお祝いを申し上げます。
 さて、新入生のみなさん、これから中学生という新しい一歩を踏み出す、いまの気持ちはいかがですか。真新しい制服に身を包み、今日、はじめての登校をしました。見慣れたまちの景色も、いままでと違うように見えたかもしれません。期待と不安が入り交じる、緊張した気持ちで中学校の門をくぐったのではないでしょうか。

 これからはじまる中学校生活は、これまでの小学校生活とは、いろいろな面で違ってきます。勉強も専門的になり、先生も教科ごとに変わります。また、部活動や校内行事への取り組みも、より本格的なものになります。でも、安心してください。二年生、三年生の先輩たちも、一年前、二年前に、同じように期待と不安を胸に中学校生活をスタートしましたが、いまでは、中学生としての自覚を持ち、それぞれのペースで勉強に部活動に、日々、頑張っています。きっと、そんな先輩たちの背中から学ぶものも多いはずです。そして、みなさんには同級生という仲間もいます。何かにつまづいた時には、一人で抱え込まず、先輩や仲間に相談をしてみてください。

 みなさんが、中学生としての新しいスタートをきる、この中学校は、言うまでもありませんが、豊四季という名前がついています。この豊四季の地は、「御祖らが 拓きし 野なり」と校歌にもあるように、明治時代に、当時、小金牧と呼ばれたこの一帯の、四番目の入植地として、先人により開墾されました。豊四季は漢字で豊かな四季と書きます。四番目の入植地であることと、春・夏・秋・冬、四つの季節を通して、豊かな実りがあるようにという願いを込めて名付けられた地名だそうです。

 みなさんは、豊かな四季という名のついた、この豊四季中学校で、これから、三年間の中学校生活を送ります。季節にすると十二回の季節を過ごすことになります。
 春・夏・秋・冬という漢字を思い浮かべてみてください。少し強引かもしれませんが、四つの漢字には、それぞれ人という漢字が隠れています。みなさんは、この豊四季中学校を中心に、たくさんの人と出会い、人と笑い、人を支え、人に助けられ、そして、時には、人に悩み、人に傷つくこともあるでしょう。その経験が、みなさんの成長の糧となり、大人への階段を一つ、また、一つと昇っていくのです。先人が、四季を通して、豊な実りがあるようにと願いを込めて名付けた、この豊四季の地、その名を冠した豊四季中学校で、みなさん、一人ひとりが、四季を通して、たくさんの人と交流し、豊な心が実ることを願っています。 

 結びにあたり、今日の良き日に、ご来賓のみなさまにおかれましては、ご多用の中をご臨席賜り、新入生の門出をお祝いしていただきますことを、心より御礼申し上げます。校長先生をはじめ、教職員のみなさまには、温かく、そして、時には厳しく、生徒たちの成長を見守り、ご指導いただけますようお願い申し上げます。二年生、三年生のみなさんも、後輩たち一人ひとりの個性を受け入れ、良き先輩としての立ち居振る舞いをお願いします。新入生◯◯◯名のみなさんが、心ゆたかに成長し、三年後には、次の世界に飛び立つ、希望に満ちた翼を心に携えていることを祈念し、祝辞といたします。

平成二十八年四月七日
柏市立豊四季中学校 PTA会長 高橋祥彦
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PTA会長として最後の卒業式の祝辞。
仕事の都合がどうしてもつかず、副会長に代読をお願いすることになりました。
最後の祝辞も全文掲載します。


祝辞
 ◯◯◯中学校、平成二十七年度卒業生、◯◯◯名のみなさん、卒業おめでとうございます。ご家族、保護者のみなさまに対しましても、ご卒業のお喜びを申し上げますとともに、これまで、PTA活動に、惜しみないご支援を賜りましたことに、御礼を申し上げます。
 今日の良き日を迎えることができましたのは、温かく、そして時には厳しく、子どもたちに寄り添い、熱心にご指導くださいました、校長先生をはじめ、教職員の先生方のご尽力の賜物と、深く感謝を申し上げます。また、日頃より、子どもたちの安全と、健やかな成長を見守ってくださいます、ご来賓のみなさまには、ご多用の中、ご臨席を賜り、卒業をお祝いしていただきますことを、心より御礼を申し上げます。

 さて、卒業生のみなさん、卒業という晴れの日を迎えた、今の気持ちはいかがですか。勉強に部活動に、そして、さまざまな学校行事に、一生懸命取り組んだ三年間も、今日が最後の日となりました。たくさんの楽しい思い出とともに、くやしいこと、つらいことも、数知れずあったのではないでしょうか。みなさんと一緒に過ごしてきたご家族にとっては、みなさんの成長が何よりの喜びでした。みなさんが元気で楽しそうにしていれば、うれしい気持ちになって、胸を躍らせましたが、反対にみなさんに良くないことがあり、元気がなければ、悲しい気持ちになって、胸を痛めました。そのように、みなさんの成長を見守ってくれているのが家族です。いつもみなさんのことを支え、応援してくれた家族への感謝の気持ちも、どうか忘れないでください。

 五年前の三月十一日。忘れもしない東日本大震災が発生しました。当時、みなさんは小学四年生でした。大きな揺れが建物を破壊し、津波が町をのみ込み、それまでの平穏な生活を一瞬にして奪っていきました。五年が経った今でも、被災地では不自由な生活を余儀なくされている人たちが大勢います。わたしは、震災直後の四月にボランティアとして被災地を訪ねました。その時の出来事でいまでも忘れられないことがあります。避難所となっていた陸前高田市の、ある幼稚園を訪ねたときのことです。震災から一ヶ月。まだ、町はがれきの山で、当然ながら、電気、ガス、水道といったライフラインは、何ひとつ復旧していませんでした。避難所となっている幼稚園には、家族を亡くした人や安否がわからない人たちが、不安と悲しみの中、身を寄せ合って日々を送っていました。そのような状況にもかかわらず、ボランティアで訪ねたわたしたちをねぎらい、レトルトではありますがカレーライスを用意し、もてなしてくれました。避難生活を送る中で、大変、貴重な食料であるはずなのに、自分よりも他人を優先する、そんな思いやりの心に触れ、とても胸が熱くなったことと、このとき食べたカレーライスの味は、一生忘れることはありません。

 今、世の中がどんどん便利になっています。車は自動運転になり、人間に変わってロボットが作業する、そんな時代が近い将来、必ずやってきます。だけど、変わらないし、変わってはいけないものがあります。それは人の心です。相手を思いやる心、そして、相手から受けた思いやりに感謝をする心。これは日本人の誇りでもあります。

 これから、みなさんは、今までよりも広い地域に友人ができると思います。また、自分の考え方と全く違う人とも交流をしていかねばならないことも出てきます。そして、みなさんが暮らす社会も、ますますグローバル化が進み、みなさんが活躍するフィールドも日本から海外へと移っていきます。日本の中にいても、多様な国籍、多様な価値観を持った人たちと一緒に仕事をするようになります。その時々に、みなさんには決して忘れないで欲しいことがあります。それは他人を尊重し、違いを受け入れることです。その根底にあるのが、思いやりの心ではないでしょうか。
 
 今日、◯◯◯中学校を卒業するみなさんは、それぞれの進路に向けて新しい一歩を踏み出します。その一歩は◯◯◯通りの道となって、一人ひとりの将来へとつながって行きます。その道のりにおいては、楽な道ばかりではなく、寄り道や回り道をすることもあるかもしれません。人生は選択の連続です。もし、自分の進むべき道に迷いそうになったら、一度、止まってみることも大切です。「正しい」という漢字は一つ止まると書きます。一度止まってみて、いま、自分はどこにいるのか、正しい道はどれなのかと、自分に問いかけてみることを忘れないでください。

 結びにあたり、保護者のみなさま、ご来賓のみなさま、そして教職員のみなさまにお願いがございます。ここにいる子どもたちは、大切な地域の宝であり、社会の宝です。新しい一歩を踏み出しましたあとも、そっと見守りいただき、手助けとなるお力添えを賜りますよう、お願いを申し上げます。立派に育まれた卒業生一人ひとりの心の種が、この◯◯◯の地、または、それぞれの行く先々の地で、色とりどりの花を咲かせてくれますよう祈念し、祝辞とさせていただきます。

平成二十八年三月十五日
◯◯◯中学校 PTA会長 高橋祥彦
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~阿嘉島|ニシバマ~

2015年12月3日から2泊3日で沖縄本島、慶良間諸島を旅してきた。
戦後70年。
2015年のひとり旅は戦跡を訪ねてまわることをひとつのテーマにした。


座間味島の戦跡

1945年3月26日。
沖縄本島への上陸を前に、米軍はまずは慶良間諸島を補給基地とすべく制圧した。
座間味港の近くに、太平洋戦争沖縄戦上陸第一歩之地という碑がぽつんと立っている。
「昭和二十年三月二十六日午前九時上陸」と記されている。




高月山の中腹には平和之塔が立っている。
坂道の途中にある平和之塔入口から階段を登って行くと、座間味の集落と慶良間諸島を見下ろせる高台にその塔は立っている。
軍人と民間人合わせて、1,200柱余の御霊を祀っている。






平和之塔入口からもう少し登ったところには、集団自決之地の碑が立っている。
産業組合の壕で当時の村長、助役、収入役とその家族らが集団自決をした。
民間人59名が亡くなった。
たくさんの子どもたちも一緒に星になった。




阿嘉島の戦跡

阿嘉島は米軍が最初に上陸した島だ。
阿嘉港の近くに「平和の火 採火記念碑」が立っている。
この場所で平成3年6月26日に「平和の火」を採火した。



沖縄本島の平和祈念公園で灯されている「平和の火」は、沖縄戦の最初の上陸地である阿嘉島で採取した火と、被爆地である広島市の「平和の灯」、長崎市の「誓いの火」のそれぞれの火を集めたものだ。


慶留間島の戦跡

阿嘉島から阿嘉大橋を渡って慶留間島に入ると、すぐ右側の断崖には海と水平に掘られた壕がある。
陸軍の特攻艇「マルレ」の秘匿壕だ。
海軍の特攻艇「震洋」と同様に、ベニヤ製のボートに自動車用のエンジンを搭載した、いわゆるモーターボートだ。
ボートの後部に250kgの爆雷を搭載し、敵艦船に体当たり攻撃をする。






慶留間島の集落に入るとすぐ「伊江村民収容地跡記念碑」がある。
1945年4月21日に米軍が伊江島を占領。
捕虜となった伊江村民2,100名が、渡嘉敷村と座間味村に強制収容された。
終戦50周年を記念して、慶留間島の住民に支えてもらった感謝の気持ちをこめて、伊江村民によって建立された記念碑だ。




伊江村民収容地跡記念碑の近くの、慶留間島の集落を見渡せる丘に「小鳩の塔」が立ってる。
ここ慶留間島でも集団自決が行われ、子どもを含む53名が亡くなっている。
戦争で亡くなった子どもたちを追悼する塔だ。
小鳩の塔が見つめる先には、慶留間島小中学校の学び舎がある。








戦火を免れた高良家にも、戦争の爪痕が残っている。



米軍機の機銃掃射による弾痕が、家屋を支える柱に生々しく残っている。





高良家の家主は、生前、戦闘機の増槽(燃料タンク)をサバニ代わりに使っていたらしい。
慣れないと、すぐに横転してしまうが、高良家の家主は上手に操ったらしい。
写真はその現物だ。




外地島の戦跡

外地島から慶留間島に渡る慶留間橋の手前に、海岸に下りていける脇道がある。
その坂を下ると、慶留間橋のたもとの真下に出る。
目の前には海を挟んで、慶留間小中学校が見える。

そこに「世界平和祈念碑」が立っている。
阿嘉島と同じく、1945年3月26日の早朝8時頃、この海岸に米軍が上陸した。

美しい白い砂浜。
ここに水陸両用の鉄の塊が、青い海から何台も上陸してきたことが信じられない。
でも事実である。






旅のおわりに。。

2015年は1月に慶良間諸島の渡嘉敷島にはじまり、6月の奄美群島、7月には八重山諸島、そして旅おさめの今回は慶良間諸島の座間味島、阿嘉島、慶留間島、外地島とまわった。
すべての旅で、必ず現地の戦跡を歩いた。
戦後70年という節目の年であったわけだが、戦後71周年の2016年の旅も、忘れてはいけないもの、風化してはいけないものを、自分の足で訪ね、目で見て、肌で感じて、自分の記憶に残したい。
そう思っている。



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~阿嘉島|ニシバマ展望台~


2015年12月5日。
阿嘉島、慶留間島、外地島と歩き、外地島で折り返して、また阿嘉島に戻る。
慶良間諸島はそんな楽しみ方ができる。


ニシバマとケラマジカと

慶留間島の集落をあとに阿嘉島に向かう。
防波堤から砂浜におりて、波打ち際を歩く。
前方に阿嘉大橋が見えてきた。



阿嘉大橋を渡って、最後の目的地、ニシバマを目指す。
どこを見てもクリアブルーの海が広がっている。





阿嘉島の集落を左に見ながら、ニシバマへの登り坂にとりつく。
最後の最後でかなりの急登。

坂を登りきったところで、何か視線を感じる。
前方を見ると、こちらをじっと見つめる生き物が。
ケラマジカだ!



出会いは突然やってくる。
ゆっくりとカメラをかまえてシャッターを押す。
その瞬間、森の中に消えた。

ニシバマに向かって今度は坂を下っていく。
ケラマジカとあちらこちらで遭遇。
なかなかかわいいやつだ。





阿嘉大橋から歩いて20分くらいだろうか。
ニシバマに到着した。



修学旅行の女子高生たちがたむろっている合間をぬってビーチにおりる。
波照間島のニシ浜もきれいだが、阿嘉島のニシバマもきれいだ。



シロはここから泳いで座間味島のマリリンに逢いに行ったのか。
犬かきでよく泳いだもんだ。
しかし、本当にきれいだ。



かなり歩いてきたけれど、ここまできて展望台に登らないのももったいない。
木材で組まれた階段を登る。
結構、しんどい。





でもやはり登ってよかった。
展望台から眺めるケラマブルーは最高だ。




そして那覇へ

旅の終わりが近づいてきた。
ニシバマから阿嘉島の集落に戻ってきた。
フェリーの出発まで、少し時間があるので、売店でビールを買ってメーヌハマの東屋へ。
一本では足りず、二本目を買いにいく。



修学旅行の高校生たちがいたるところから港に向かって歩いている。
島の人口が一気に増えて一気に減る。
夏の花火のようだ。

泊港行きのフェローざまみが入港してきた。
高校生の団体も乗るようだ。



フェリーの中は若さで賑やかだった。
朝から歩きっぱなしで、ほどよい疲れにビールもまわって、フェリーの中ではウトウト…

気づけば泊港に到着。
この旅もそろそろ終わりだ。



次に来るときにはもう少しゆっくりしよう。
阿嘉島にも泊まってのんびりしよう。

2015年旅おさめ。

おわり。
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~高良家(重要文化財)~


2015年12月5日。
外地展望台から慶良間空港まで下りて、歩いてきた道を折り返す。
外地島の急な坂をゆっくり慶留間島に向けて歩く。
途中、慶留間橋の手前で左に分岐する脇道がある。
下っていくと、外地島の海岸に出る。
海が青い。




先人の残した歴史

慶留間橋を渡って、高良家を目指す。
高良家は琉球王府時代に建てられた民家だが、沖縄戦においても破壊されることなくその姿を残している。



沖縄ではよく見る、伝統的な赤瓦葺きの屋根が雰囲気を醸している。
周囲の石垣の造りなどを見ても、とても栄華をきわめていたことがうかがえる。

石垣はサンゴでできている。
精緻に組まれていて、相当な技術があったと思われる。



アップしてみると、サンゴであることがよくわかる。



当時はこの井戸が生活用水だったのだろう。




慶留間島の集落を歩く

高良家をあとに、集落を南に向けて歩いていくと、ほどなくして小さな港につきあたる。



桟橋から見る海は透明度が高く、ソーダ水の海だ。





慶留間小中学校の正門まで来たが、中には入れないようだ。
慶留間橋から見た、あのグラウンドを歩いてみたかった。
高良家の管理をしていた方が、この学校が今年で創立100周年であることを教えてくれた。



通学路にはハイビスカスが鮮やかに咲いていた。



集落は静けさが漂う。
都会の喧噪から離れて、島に住む人たちの、普段の生活を想像して心を寄せる。
いつも何かを追いかけ、何かに追われている自分が、何と滑稽なことか。

つづく
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