腑に落ちるということ | 独断と偏見

独断と偏見

20年前に書いたブログがまだ生きていました。
すでに60歳を超えて老年になり、過去を振り返りつつ思うところを書いてみたいと思います。

 たとえば今の会社に嫌気がさして

 考えれば考えるほど、嫌なことばかりが目について

 こんな会社ほどひどいところはないに違いないと

 転職するけれど

 結局、そこでもまた問題が目について

 どこかにまともな職場があるはずだと

 凝りもせずまた他へ移る。


 そうやって

 何回か転職をするうちに

 程度の差はあれどこでも似たようなもんだとわかる時が来る。

 テレビドラマのような理想の上司などいるわけがなく

 上司だって雇われ者だから

 自分の身が一番で

 自分の評価が上がるからこそ部下の話を聞いてくれるのだし

 企業だって、適材適所というのは建前で

 頑張っている人ほど報われるというきれいごとよりも

 都合よく使える人間がいれば

 どんどんこき使う。


 どこに行っても変わらないのは

 結局環境が変わっても自分が変わっていないからで

 自分が変われば、同じ環境の中でさえ

 今よりも快適に感じられるのだと

 そう気づくのはいつからだろう。


 どこに行っても同じならば

 理想を夢見て現実に腹を立てるよりも

 そこしか自分の居場所はないのだと腹をくくって

 そこしかないのなら

 どうやって今よりも快適に過ごせるかを考えるほうが

 精神的にもいい。


 何処かに楽しい場所を求めるのではなくて

 今ある場所でどう楽しむか。

 そういう力をつけたならば

 どんな場所にいても楽しめる自分でいられる。


 そういう風に、思えるようになるまでには

 やっぱり、現実に不満を持って

 青い鳥を当てもなく探す体験が必要だったのかなと思う。



 「どこに行っても変わらないよ」

 「今いる場所で、頑張るしかないよ」というのは

 真実だとしても

 それが腑に落ちるまでは

 やっぱり、いろいろさまよったり挫折したりするんだろうな。


 親は自分の体験から

 こうしたほうがいいんだよとアドバイスするけれど

 子供がそれを頭で理解しているうちは本当にわかっていない。


 親としてはどうしてあんなことするのかと不安だけど

 そういう馬鹿みたいなことを繰り返して

 「あぁ。親の言うとおりだった」と腑に落ちるわけで

 そういうものだから

 いろいろ回り道している子供を

 それも体験だと見守ることも必要なんだろうと思う。