魔法使いーその2 | 幻想百物語

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猫を愛するApple教信者。
絵を描いたり、小説を書いたり、菓子作りや家庭菜園をやったりしている。

 二人は警察病院の隔離病棟にいた。一通り治療と検査を終えて、ガラス張りの待合室で長椅子に並んで座っている。外に立っている見張りの警官が差し入れてくれた自販機のコーヒーは手付かずで、既に冷めてしまっていた。

「警察の監視下ってーのが、気に喰わねぇけど。『悪意の法(ヴィシャス・コード)』の汚染がなくて良かったな」
 長く続いた沈黙に耐えられなくなったマサムネが口を開いた。
「……うん。あんな蜥蜴のゾンビになんかなりたくないね……」
 よほどショックだったのか、余豊はどこか上の空な返事をする。
 マサムネはこんな時に気の利いた言葉が出てこない自分が苛立たしいと思った。
「遅いな、レオン」
「旧人類(オールド・エイジ)だからね。僕達みたいに『悪意の法(ヴィシャス・コード)』に対する抵抗力がないから……」
 余豊は思い詰めた様子でずっと下を向いて言葉を続けた。
「あいつ、カテゴリー6なのに……危ないの分かってて、僕達を助けようとして……」
 カテゴリー6。また聞きなれない言葉が出て来た。
 余豊はあの化け物に通常弾が効かない事も知っていたし、レオンが有効な手段を持っている事も事前に知っていたみたいだった。彼等は小学校時代から付き合いがあり、お互いの事をよく知っている。
 マサムネなどはレオンが旧人類(オールド・エイジ)の出身だという事すら知らなかったというのに。
 大学入学当時、まだ十五歳だったマサムネはまわりから確実に浮いていた。そんな彼に一番最初に声をかけてきたのが彼等だった。明るく、気さくなレオンと、お調子者で人懐こい余豊。友達を作るのが得意でない少年の傍には、いつの間にかいつも彼等がいた。
 マサムネは自分に言い聞かせるように、祈るようにつぶやいた。
「平気さ。……絶対──」
 対処法がない現在、『悪意の法(ヴィシャス・コード)』の感染が確認されれば凍結処分か、経過によっては都市外追放処分とされる。それは死の宣告と大差なかった。
 部屋の外ではレオンを心配して様子を見に行った店長が帰ってきて、不満そうな様子で警官と話をしている。
 店長はこちらに入って来るなり、溜め息をついた。大変な目に遭って皆、疲れていると云うのに、これから事情聴取をするらしい。
 その溜め息を勘違いした余豊が心配そうにがたりと立ち上がった。
「レオンは?」
「大丈夫よ、心配ないわ。怪我もたいした事ないみたい。でも、念のために一週間から十日ばかり入院するそうよ」
 そう言って店長は脂ぎった顔でにこりと微笑んだ。
 入院といえば聞こえは良いが、事実上の隔離だ。個室で一日、二十四時間監視される。
 余豊が安堵の息を漏らした。だが、マサムネは嫌悪感を感じずにはいられない。
「──入院ね」
 『悪意の法(ヴィシャス・コード)』の危険性は重々承知しているつもりだが、人を物のように扱う政府のやり方が気に喰わない。レオンは本当に大丈夫なんだろうか。
「会えないのか?」
 マサムネはレオンの無事を自分の目で確かめたかった。無性にあの明朗な笑顔が見たい。きっと、余豊も同じ気持ちだろう。
「──ん。あのね、これから事情聴取があるみたいなのよ。その後にお願いしてみたらどうかしら?前に厄介な感染症で入院してたお友達がいたんだけど、その時は窓越しでお話出来たわよ」
 店長は腕組みをして、腰をくねっと捻った。
「う、……そうする」
 マサムネはなんとなく不快感を感じた。どうもこういう類いの人種はトラウマがあって苦手なのだ。

 殺風景な白い壁に無機質な白い廊下。しんと静まり返った隔離病棟は神経質なまでに清浄さを追求した牢獄のようだった。静かな足音が大袈裟に響く。
 しつこい事情聴取から開放された後、無理を言ってレオンとの面会を取付けたのだ。
 個室の引戸を潜ると奥の病室はガラス張りの壁で仕切られており、患者と面会者を隔てる構造になっている。
 面会にやってきた友人たちを認めたレオンは慌てて立ち上がった。
「大丈夫か、マサムネ? 俺がやらせた事とだけどさ、滅魔弾(デビル・スレイヤー)をあんな銃で撃ったんだ。その反動は尋常じゃなかったはずだぜ?」
 レオンはガラスの壁際に自分で椅子を運んで来て座る。水色の入院着が少し肌寒そうだったが、いつもどおり元気そうだった。
「まあ……打撲の緩和治療を受けたから、多分問題ない」
 マサムネは軽く肩を持ち上げて見せた。薬がよく効いているのか、痛みは全くない。
 ──しかし、滅魔弾(デビル・スレイヤー)って……──
 事件現場で保護された時、対魔法特殊部隊(S.W.U.)の隊員たちが前代未聞の偉業だと口々に賞賛の言葉を添えて肩を叩き、頭を撫でて行った。
 薄々おかしいとは思っていたが、かなり無茶をさせられたらしい。後で隊員の一人から話を聞いたところ、魔法弾にはたくさんの種類があり、あの銃弾は対悪魔用特殊弾だという。
「ごめんな。他に方法がなかったんだ」
 申し訳なさそうに眉根を寄せた彼の肉声は、ガラスに阻まれ、くぐもった振動となる。その不明瞭な音声を機械が補正して手元の小さなスピーカが吐き出した。
「あ──謝られる事なんかない!おまえの適切な判断のおかげで俺も余豊もこうしていられる」
 ガラスに手を当て、マサムネは怒ったように言い返す。
 レオンの謝罪の言葉が心外だった。あの時レオンがいなかったら、自分などなにもできなかっただろう。その事をはがゆく思うと、ついむきになってしまう。
 一緒に来ていた余豊は元気そうなレオンを見て安心したようだ。その証拠に彼の間延びしたいつもの声に戻っている。
「レオン、ありがとなぁ。店長も店は直せるから気にするなって言ってたよ」
 店長もレオンに会いたがっていたが、『悪意の法(ヴィシャス・コード)』に憑かれたあの若者と直接関わりがある人物という事で、事情聴取が長引いているらしい。しかし、実際のところ、おばさんの世間話的な取り留めのなさに担当捜査員が苦労していただけなのだ。
 レオンは派手に壊れた店内を思い出して苦笑した。あれだけの被害だ。全面改装した方が手っ取り早いに違いない。
「そうか」
 マサムネは部屋の隅に置いてある椅子を二脚引っ張って来ると、一方を余豊に勧めて、自分も腰をかけ、ガラスの壁を挟んでレオンと三人で向かい合う形になった。
「レオン、話がしたいんだ」
 いつも何処か斜めを向いている少年が、まっすぐな視線を投げかけてくるのが、なんだかくすぐったい。
「──どーしたんだよ。改まってさ」
 レオンは愛想よく笑いながら、背筋を伸ばして手を広げた。
「……カテゴリー6」
 マサムネは言いにくそうに呟いた。誰も進んで語りたがらない、この聞きなれない言葉を。やはり、口にするべきではなかっただろうか。
「話してなかったのか、余豊?」
 レオンは意外そうなまなざしをちらりと余豊に向けた。
「おまえの問題は、おまえが語るべきでしょ」
 親しいからこその配慮であろう。余豊はさくっと言った。
 レオンは眼球に指を当て、あのエメラルドグリーンのレンズをつるりと取り外した。
 その瞳は色素の薄い浅緑色で虹彩の奥にはうっすらと光を湛えていた。レンズの色が不自然に見えたのはこの光の所為だったのだ。
 マサムネは開いた口を一度閉じてから、言葉を紡いだ。
「──魔法……使い……?」
 魔法使いたちはその秘めた力を溢れさせて、虹彩の奥にぼんやりとした光を湛えているという。
 レオンはもう片方のレンズも外すと左手に握り、その手を包むように右手を乗せ、両腕を膝の上に当てて背中を丸めた。
「正確には違う。俺は法力適性値がカテゴリー6だから、特種能力者ではあっても厳密には魔法使いとは呼ばれないんだ」
「カテゴリー6。……法力適性値?」
 また聞きなれない言葉。マサムネはついオウム返しをする。
 ──面倒臭い話になるぜ?──とレオンは言い、語り始めた。



To be continued……