葬儀むかしばなし

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こんにちわ、長野です。

きょうの札幌は「くもりときどき雪」でございます。

 

足元が冷えるのは運動不足ですきっと(笑)

 

さて、久々に葬儀ネタでございます。

今日は葬儀の「歴史」で参ります。

 

世界的には4万年以上前の墓地跡から、人骨と共に供え物が発見されていると言います。

古代はすぐには埋葬せず、長い間死者と寝食を共にししを嘆き悲しみ、歌い踊って死者の霊を慰めていたようです。(それを「もがり」と呼びます)

 

日本で古代から有名な史跡といえば「古墳」ですね。

それ以降の時代の流れを箇条書きで並べてみました。

 

3世紀(301~)ごろ:古墳が作られるようになる(財力のある者のみ)

645年:大化の改新で「薄墓令」が出され、以降は巨大な墳墓や殉死、副葬品が禁止に

700年:道昭という僧が没後火葬される(これより白骨化は成仏の象徴となっていく)

730年:持統天皇没(仏教的な法会が行われる)→一年後火葬

668~749:行基により民間仏教が広まる。同時に弟子たちが火葬の技術を伝える。

880:清和天皇没 即日火葬、法会。(以降天皇と貴族は仏教葬定着)

1011:一条天皇没 「臨終念仏・沐浴・納棺・葬列・荼毘(火葬)・収骨・七七日法事・一周忌」 が行われる(※現在の多くの葬儀に近い葬送習俗)

その後、

室町時代:農民自治組織「惣村」ができ、お寺を財政的に支えるようになる

江戸時代:「寺請制度」(檀家の法制化)

明治時代:

1868「神仏分離令」(神道を国教に指定)

1871:戸籍法ができ、「寺請制度」廃止

翌年には「自分禁止令」が作られ、「葬儀一切は神官(神社のひと)僧侶(お寺さん)に依頼しなさいよ」となる

戦後、

1948(昭23年):共済制度(互助会)の誕生

 

(↑初めて今の葬儀に近いもので送られた一条天皇)

 

 

どうでしょうか。

日本史の暗記みたいで面白いのは私だけでしょうか(学生時代は苦手でした)

ざーっくりとまとめますと、

今から1700年以上前にはお墓のはじまりがあり、

1000年前にはいまの葬儀に近い様子になっていたんです。

しかし一方で、この日本の葬送の歴史は時代の流れによって変化してきた、ということも見えてきます。

最初は踊っていただけだった(語弊がありますね)のに、途中で仏教が主体になったり、神道の要素が混ざってきたり(近年まで塩を振ったりしてました)、近代でも葬儀のやり方は少しずつ変化してきているということです。

 

 

「今まで参加した葬儀はこんなんじゃなかったから失礼なんじゃないのか」

「ふつうはこういうやり方はしないですよね」

葬儀とは、時代によって変化していくものです。

何も知らないから、一番よく知ってそうな親戚のおばちゃんなどに聞いてみますと、大体教えてくれるのはその方が葬儀によく参列していたころの、その地域でよく上げられていた葬儀なのです。

もちろん、そのやり方を大切にしている方々もいらっしゃるので、もしいらっしゃるならご相談ください。

 

ただ、本当に大切だと思うのは「大事な人が亡くなって一番辛い方々(ご家族)が、しっかりお別れができる空間となること」なのではないかと私は感じます。

大事な家族を失った人にとって、すぐに前に進むこと、辛さをなくす事は決して容易なものではありません。(ましてや核家族化、少子化が進み残された家族の悲しみを支えるマンパワーは不足しています)

ただ、しっかりとお別れが出来れば、少しずつ辛さに慣れていくきっかけになるのではないかと思います。

古代の人もすぐには火葬せず、寝食を共にしたとあります。忙しい現代、なかなか長い間というわけにはいきませんが、最後に一緒に過ごせる時間はぜひ忙しいその手を止めて、大事な方との思い出を思い出しながら、お顔に触れて頂ければいいな、と日々思っております。

 

長くなりましたが、「葬送のむかしばなし(れきし)」

長野でした。

 

 

 

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