自然からの恵み アイヌ料理をつくる♪ / 2015年初冬 アイヌの聖地 二風谷の旅 その12 のつづき(^-^)/

滞在3日目は大雨となりました。※今は雪景色らしい
アイヌ料理体験の後、二風谷のある北海道日高地方、優駿の故郷へ馬
途中イザベラバードの道を通って日高町~平取町をバスで案内していただきました。
日高といえば、数々の名馬が誕生したところです。優駿のふるさと。

サラブレッドとは競走馬として速く走らせるために血統による種付けで生産される馬。すべてのサラブレッドの血統は起源まで辿れるといいます。ゴドルフィンアラビアン、バイアリーターク、ダーレーアラビアンという3頭のアラブの馬のうちのどれかの子孫なのです。
ゴドルフィンアラビアンは「名馬 風の王」にでてくるシャムのこと。

現在はゴドルフィンアラビアンの種はほとんど廃れてしまい、日高のサラブレッドのほとんどが、ダーレアラビアンの系統だそう。サラブレッドの子馬が車窓からみえました!
晴れていたら自由に駆け回るたくさんの馬がみえたのかなあ…。

宮本輝の「優駿」を思いだして涙する…。
渡海ファームがあった静内と二風谷は同じ日高地方なのですが、位置関係が把握できなませんでした。北海道は広く、日高地方といっても広いのでしょうね。


イザベラ•バードが歩いた道走る人
イザベラ•バードはイギリスの女性旅行家。1878年(明治11年)に日本人の若者をひとり通訳として連れて横浜から北海道まで旅をし妹への手紙として残しました。それが「日本奥地紀行」としてイギリスで出版され話題になったのだそう。当時の日本でもあまり知られていなかったアイヌの生活と文化について書き残された貴重な文献となります。

この沙流川を丸木舟で上流へ遡ったのだそう。開国したばかりの明治期の日本を旅したイギリス人女性がいたことに驚きますが、状況が許せば女性のほうが冒険心があるかも…と思うことは多々あり、そして女性ならではの視点で書かれている紀行文ということも貴重。イザベラ•バードの存在も旅の前には全く知りませんでした。


義経神社へ
幕末の北方探検家であり幕臣の近藤重蔵が義経を祀る祠を設置し御神像を奉祀したとされたのが起源。当初はハヨピラの崖に築かれていました。現在の社殿は1961年(昭和36年)に造営し遷座されたもの。108段の階段があります。この日は雨だったのでバスで登ることに。

義経伝説は多くの人に信じられ、モンゴルに渡って成吉思汁(ジンギスカン)となったともいわれました。あれ…、今さらですが、ジンギスカン(羊肉)と関係あるのかしら…?しかし江戸時代に羊は蝦夷地にはいないはず。ちなみに日本ではじめてウール(羊毛)の毛織物を織ったのは平賀源内です。
1667年(寛永7年)に蝦夷地を視察した徳川幕府の巡見使は、アイヌでは、オキクルミという織物や生活の知恵を教えた神が判官殿といわれ屋敷があったという証言を残しています。新井白石、水戸光圀も義経生存説があることを記録。
イザベラ•バードの日本奥地紀行にも義経神社と御神像のことが記録されているそうです。

義経神社の社伝には義経一行は羊蹄山を廻って平取の集落に落ち着き、機織りや船のつくり方、農業も教え、ハンガンカムイと敬われたと伝わるのだそう。
義経だったのかどうかはわからないけれど、義経に近しい人がやってきたのではないかと…、案内の方のお話でした。

源氏の文様とされる笹竜胆は、本来は清和源氏ではなく贈姓皇族の村上源氏の家紋。源平合戦のころは赤旗と白旗で軍旗を区別したと思われます。今では源氏の武家の家紋としての印象が定着しましたが、笹竜胆は元々は贈姓皇族の公家の家紋です。
幕臣の近藤重蔵がこの地で源義経を祀らせたのだとしたら源氏を祖とする徳川幕府によるアイヌ懐柔計画だったような気もしますが…、真相はわかりません。←朝香沙都子の私的見解です
ちなみに、この近藤重蔵の息子が「八丈実記」を記した近藤富蔵です。

宮司の奥様がお神酒をご用意くださっていました。
とても美味しくいただきました。ありがとうございます!


アイヌ料理つくりではしゃぎすぎた私は、このときには足がかなり痛く…、手をお借りしないと歩行困難になっていました(>_<) 

二風谷の旅、つづきます(^-^)/

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