宝くじの思い出

私がカーライルに移住し、初めて得た職がデパート勤務であった。
そこで出会った元同僚のおばちゃんが癌である事を知ったのは先週の事。
その癌が最終ステージである事、脳の他3か所に転移している事などを聞いたが、今週、元同僚で友人のヒラリーからメールがあり、おばちゃんがホスピスに移った事を聞いた。
今日は元同僚のおばちゃん数人と一緒に、ホスピスに行ってきたのである。

おばちゃんはユニークな人だった。
私が初めて職場に行った日、おばちゃんは私に「私、外国人の事信用してへんねん」と言った。
しかしその目が何言うのか、悪意の無い言い方というのだろうか、本当のこの非国際都市カーライルから出た事の無い人ゆえの私への本音なのだと何故か受け取れたのである。

以来、私は嫌味と取れる言い方も面白く取れる事が出来た。
この人のストレートさが、気にならなかったのは何故だか今も分からない。
以後、私はおばちゃんの売り場である子供服売り場を半年ほど共に担当した事から、おばちゃんと信頼関係が築けたように思う。

ある時、スタッフルームでランチを食べていた時の事。
おばちゃんが「1人でチマチマと宝くじを買っても当たらん。皆でお金を出し合い、共同で買ったら当たる確率増えるんちゃう?」と言い出した。
それから毎週土曜、おばちゃんに1ポンド(当時、宝くじは1枚1ポンドだった)を午前11時までに渡し、おばちゃんがその枚数を買いに行き、それを経理のおばちゃんに預け、月曜に照合するという事が1年続いた。

毎週それに参加する者は多く、たいてい40枚前後は買っていた。
ある時、24億のチャンスがあった。
その時は12人しか共同で買わなかったため、もしも当たったら!!!話が最高潮に盛り上がり、ババアらはキャーキャー言いながらはしゃいだ。
「私、ファーストクラスでニューヨーク行くわー!!」と言い、ババアらは踊った。

そうして1年が過ぎ、私達が勤めていたデパートは閉店を迎え、この宝くじ共同購入も無くなったのである。
デパート最後の日、私は出産3週前であった。
おばちゃんは「あんたの事、好きや!出産頑張りや!」と言い頬に熱いキスを受け別れた。

今日ホスピスに行くとおばちゃんは「結局、宝くじ当たらんかったな・・」と笑った。
「あんだけ枚数買って当たらんねやから、当り番号なんか無いんちゃうか?騙されたわ」と笑った。
それでもあの1年、毎週1ポンドに賭ける夢があった。
「当たったならば・・」「もしも当たったならば!!」
あれが妙に楽しかったのである。

おばちゃんには2人の息子と1人の娘がいた。
長男は10歳で病死、次男は23歳の時に失恋で首つり自殺した。
残った娘さんが結婚し、孫に囲まれ暮らしていたが、今回の癌である。

おばちゃんは「私が死んだと知らせを聞いても泣かんといてな。私は10歳で亡くした息子にやっと会えると思ったら、死ぬことも怖くない、むしろ楽しみでもあるねん。病気で遊ぶことも出来なかった息子と今度こそはいっぱい遊べると思うと、嬉しい気持ちもする」と言った。

わずか20分、これが最後の別れになると思う。
おばちゃんが私という外国人を初めは拒絶し、最後は母のように妊婦の私を守ってくれた。
私を大きく成長させてくれた人である。

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  • ”宝くじの思い出”

    ホスピスで過ごす末期癌の元同僚を見舞うという話なのだけれど、カラッと明るいタッチで書いている。筆の運びが小気味良く、そしてしみじみとした温かさを感じる。「こんな風に自分のストーリーを語りたいものだ」と思わせてくれたblogを、リブログする。

    aki

    2017-12-12 11:53:23

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