早稲田アイスホッケー BLOG -2ページ目

『引退ブログ Vol.5 #22 江島陸人』(早稲田高等学校出身)

ブログをご覧のみなさん、こんにちは。

本日の引退ブログを担当させていただく江島陸人です。

このブログは、以下の順序で書かせていただきます。

1. 入部に至った経緯
2. 4年間の振り返り
3. 後輩へのメッセージ
4. 高校生以下のみんなへのメッセージ
5. 今までお世話になったコーチ陣の皆様へのメッセージ
6. 両親へのメッセージ

最後までお付き合いいただけますと大変嬉しく思います。


1. 入部に至った経緯

早稲田のスケート部ホッケー部門は、高校またはそれ以前から『早稲田でホッケーをしたい』という目標を持って入学・入部する選手たちが多いです。一方、私自身は高校生の時、早稲田大学でプレーする姿を思い描いていなかったです。しかし、早稲田に進学することが決まり、大学で何をするか考えていた時、臙脂のユニフォームに袖を通してプレーをしたいという思いが強く沸きあがりました。

振り返ってみると、その理由は大きく分けて2つあったと思います。

1つ目は、私自身ホッケーが大好きであり、より高いレベルで競技に取り組みたいと思っていたからです。特に、高校生の時に東京都代表として参加した国民体育大会で強豪校出身の選手と共にプレーしたり、逆に強豪チームと対戦したりした際にそう実感しました。

2つ目は、私の尊敬する方々が早稲田ホッケー部のOBであり、自分が小学生の頃からその方々が早稲田でプレーする姿を見てきた、憧れの存在であったからです。具体的には、私が小中高時代在籍していたクラブチーム(明治神宮外苑IHC)でコーチを務めていらっしゃった金子亮介さん(平成22年卒)とアメリカに住んでいた際に参加したホッケーキャンプでアシスタントコーチを務めていた勝田貴之さん(平成26年卒)です。



2012年に撮った勝田さんとのツーショット



『憧れの方達がプレーしていた早稲田に自分も入ってプレーしたい』

時間が経てば経つほどこのような思いが強くなりました。そして、当時監督であった内藤さんも私の入部を快く受け入れてくださり、同期より1ヶ月ほど遅れてチームに合流しました。


2. 4年間の振り返り

1年生

新型コロナウイルスの影響により練習や試合ができない日々が続き、気づけば公式戦を1度もすることなくシーズンを終えました。部活に入ったばかりでホッケーに対するモチベーションが高かった中このような結果となり、私自身かなり腐りかけていました。そのような時、当時の4年生が『えじ、腐ったら負けよ』や『試合させてあげられなくてごめんな』といった声をかけてくださったことを今でも鮮明に覚えています。自分のことばかり考えていて周りが見えていなかった中、試合ができなくて1番悔しいはずの4年生が後輩を気遣ってくださる姿に感銘を受け、このような先輩になれるように頑張りたいと思いました。

今まで何事もなくできていた練習や試合が全くできなくなるこの辛いシーズンを経験したからこそ、日々活動できていることは当たり前ではないということを痛感し、ひとつひとつの練習や試合に感謝の気持ちを持って臨む意識がより芽生えました。



2年生

かなり苦しい期間でした。ようやく公式戦ができるようになったものの、自分自身が思い描いているプレーが上手くできず、理想と現実のギャップに苦しみました。そして、学業上の理由により海外へ留学することとなり、夏合宿後にチームを離れました。


3年生

6月に留学先から帰ってきて、7月の陸トレ期間からチームに合流しました。気がつけばチームの中でも上級生の立場になっていました。何より、1年経たないうちに同期たちがホッケー面でも人間的にも成長していて、チームを引っ張っていく存在になっていることに驚きました。自分も負けじと食らいつこうとがむしゃらにプレーした結果、秋リーグではかなりアイスタイムも増えました。個人としては、のびのびとプレーでき、結果もついてくることがあったのでとても楽しかったです。しかし、チームとしては勝ちきれない試合が多く、シーズンを通してとても悔しい結果となりました。


4年生

最上級生としてチームの中での自分の立ち位置を意識・模索し続けた1年でした。セットは中々上がらず4セット目になることが多かったです。それでも、後輩たちと組むことが多かったので彼らを引っ張っていくことを意識していました。今振り返ってみても、この1年間のチームはとてもいい雰囲気で団結力があったと感じています。東洋大学や中央大学といった今まで負け続けていた強豪校に勝つことができ、これは自分たち4年生が後輩たちに遺すことができた大きな成果だと感じています。最後のインカレの明治戦ではあと一歩及ばず敗退しベスト8という結果になりましたが、それでも自分たちの力を出し切った試合だと思ったので悔いはなかったです。インカレ優勝の夢は後輩たちに託します。

そして一番印象に残っているのは最後の早慶戦です。一緒にプレーした#16仲見と#8田中の活躍もあって自分たちのセットで2点決め、勝利を収めることができました。4年間通して慶應相手に勝ち続け、先輩たちが守ってきた記録を継続させることができたこともまた、自分たち4年生が後輩に遺せた財産だと思います。あの大舞台で選手がプレーできるよう準備してきてくださったマネージャー、主務・副務、親御さん方、そしてOB・OGの方々には本当に感謝の気持ちしかありません。



早慶戦入場シーン

簡単にですが、4年間を振り返ってみました。全体を通してきつかったことや上手くいかないことが多かったです。心残りもあります。

ただ、それら全てを含めても

『4年間楽しかった』

と言い切れます。


今また過去に戻って大学で何をするか自由に決めることができたとしても、私は早稲田でアイスホッケーをすることを選ぶと思います。それくらい、4年間この恵まれた環境で仲間と共にホッケーをできたことは貴重でまたとない経験でした。朝4時から8時という、本来なら全て睡眠に費やしていたであろう時間帯に眠い目をこすりながら起きて、みんなと氷上練習・陸トレをして、その後騒ぎながら寮で朝ごはんを食べるあの時間がなんだかんだ好きでした。あのありきたりだった日常がもう二度とこないのが心惜しいです。





我らが同期。卒業旅行は沖縄へ行きました。8人全員揃って卒業できて本当によかった。みんな進路はバラバラだけどそれぞれの道でがんばろーね



3. 後輩たちへ

今年は人数が少ない中、後輩たちが自分たち4年生についてきてくれた、いや自分たちを押し上げてくれたおかげで良いチームを作ることができた。本当にありがとう。先輩に物怖じせず意見を言える選手が多くてこっちも助かったし、あまり先輩/後輩だからどうとか意識せずにいれて、とても一体感のあるチームだった。特にあさひはよく懐いて(?)くれたし、後輩ながらもホッケーで学ぶことがたくさんあって楽しかったよ。来シーズンも活躍期待してる。のあもプレーヤーで唯一同じ学部だったから授業を結構一緒に受けたよね。楽しかったぞー!

来年度からはメンバーが大きく入れ替わり、今年とは全く違うチームになるけど、新4年生中心に、春大会・秋リーグ・インカレ優勝を目指して頑張ってください。試合見に行きます。


4. 高校生以下のみんなへ

もし過去の私みたいに大学でも部活でホッケーを続けようか迷っている人がいたら、ぜひ続けてほしいです。特に関東では早稲田以外にもホッケー環境が整っているチームが多く、また大学ではプレーのスピードや強度も上がるのでとても面白いと思います。でも、やっぱり早稲田が1番かっこいいと思うよ。



5. 今までお世話になったコーチ陣の皆様へ

4年間大変お世話になった早稲田のコーチ陣に感謝申し上げます。

また、小中高と所属していたクラブチーム(明治神宮外苑IHC)でお世話になった野村総監督と小阪監督、そして高校の部活動でお世話になった石垣先生にこの場をお借りして感謝申し上げます。高校までの経験があったからこそ、大学でもこうしてホッケーを続けることができました。本当にありがとうございました。


6. 父と母へ

自分に競技を始めるきっかけを与えてくれたこと、そして長い間競技生活をサポートしてくれたことに感謝しかありません。特に、アメリカに住んでいた時は長い時間かけて運転して練習に連れていってくれたり、ホッケーキャンプに参加させてくれたりしたけど、今思い返すととても大変な思いをさせたと感じます。これから恩返しします。






4年間通して父兄の皆様、OB・OGの皆様、応援してくださったファンの皆様と本当に多方面の方々にお世話になりました。ありがとうございました。

たくさん支えていただいた分、これからは自分もOBとしてチームをサポートしていきます。

今後とも早稲田の応援をよろしくお願いいたします!


江島  陸人  
   



LET'S GO BOYS!


『引退ブログ Vol.4 #11 千葉琉矢』(武修館高等学校)

みなさんこんにちは、スケート部ホッケー部門GK#11の千葉琉矢です。早稲田大学に入学する前から、過去に引退していった偉大な先輩方のブログを読んでいた私がついに引退ブログを書くとは。なんか感慨深いですね。と同時に6歳の時から約16年続けてきたアイスホッケー人生に一区切りが付くのは、とても寂しい気持ちでいっぱいですが、人生の第2章が始まると思えば少し気持ちが楽になると思います。感傷に浸るのはこれからにして、そろそろ本題のブログを書いていきましょう。

 

まずは、私がアイスホッケーを始めた経緯を軽く説明させていただきます。確かな記憶ではありませんが、私がアイスホッケーを始めるきっかけは、小学1年生の時に飛行機の中で見たアイスホッケー映画の「Smile」だと思います。この映画がきっかけでアイスホッケーというスポーツを知りました。また、父が昔アイスホッケーをやっていた影響もあり、気がつけばスケートリンクに足を運び、高田馬場のクラブチームの練習に乗っていました。今でも色々な人に驚かれますが、最初からGKをやっていたわけではなく1年ほどプレイヤーをやっていました。今思えば、GKに転向したのはアイスホッケー人生で1番の正解だったかもしれません。なぜなら、GKでなければスポーツ推薦で早稲田大学に入れなかったと今でも思うからです笑

 

千葉琉矢(少年時代)

 

正直に、小学校・中学校時代はアイスホッケーというスポーツを舐めていたのかもしれません。なぜなら、別にそこまで練習しなくても体が人より少し大きいからシュートを止めることができ、割と試合で結果を残していました。(多分・・。)実際に中学3年生の時には、U16日本代表のセレクトキャンプに招待され、完全に天狗になっていた自分がいました。高校は、関東の名門校である早稲田実業高校にスポーツ推薦で入ることを目指し、ここまで競技で結果を残したら余裕で受かるだろと当時の私は思っていました。しかし、まさかの不合格。あの時は、本当に地獄の底にいるような気分で毎日泣いていたことを今でも覚えており、人生の厳しさを同時に実感しました。早実が不合格となり、私に残された選択肢は2つありました。東京に残りクラブチームに所属しながら関東の高校に通い勉強で大学に入る。アイスホッケーの強豪高校に入り、スポーツ推薦で大学を目指す。もちろん即答で、後者を選びました。ただ、中学校までクラブチームで競技を続けてきた自分が高校から強豪校のアイスホッケー部に入り、生きていけるのかと心配になりましたが、人生を変えるにはここしかないと思い北海道の釧路にある武修館高校に進学しました。もちろん、3年後必ず早稲田大学に入るという誓いを立てて。

 

高校1年生の時は、本当に苦しかった日々が続きました。(自業自得ですが...。) 入部して1番最初の陸上トレーニングのロングランメニューで迷子になったり、たくさん忘れ物をして先輩にウエイト室に呼ばれたり、何もやらかしてないのに自主的に頭を5厘にしてみたりなど、話すと広辞苑が東京ドーム24個分ぐらいになるほど書き続けられるのでこの辺にしますが本当に人生で最も過酷であり、濃かった1年だと断言できます。高校時代の話をすると長すぎるのであまり多くは語りませんが、指導者や同期、先輩、後輩、周りの人の支えもあり、アスリートとしても人間としても大きく成長でき、間違いなく人生がいい方向に向かっていったと思います。高校の3年間は文武両道に力を入れその結果高校受験の時には果たせなかった早稲田大学にスポーツ推薦で合格そして入学することができました!!!

 

 

いよいよ早稲田大学スケート部の4年間を振り返るブログになりますが、今の1,2,3年生やこれから早稲田大学スケート部に入部してくる人達に伝えたいことがあります。それは、心の中で常に自分が建てた「目標」を掲げ、それを達成できる生活してほしいです。

 

1年生

コロナに見舞われ、散々な1年を過ごしました。シーズン当初は、早稲田のユニフォームを着てやっと練習や試合ができると思った矢先の出来事でした。入寮してから早々にチームが解散してしまい、その後も何度か集合はしましたが思うように練習ができませんでした。また、寮内でもパンデミックが起こり、約半年間は部活再開の目処が立たず、公式戦が1試合もできないままシーズンが終わりました。しかし、私にとって人生で初めて経験する寮暮らしはとても楽しかったです。辛い時や寂しい時にはみんなでその苦しみを乗り越え、楽しい時にはみんなで楽しむ、本当の家族のように生活できました。コロナで授業もオンラインとなり、人と会う機会が激減した中で、みんなで生活できる環境があった事に本当に感謝しています。欲を言えば、コロナ前に早稲田大学の1年生が経験できる事全てを経験してみたかったなと思います。

 

2年生

コロナが少しずつ落ち着きをみせ、マスク着用やコロナ対策が必須ではありましたが、春大会、夏合宿、秋リーグ、インカレなどが開催され、ようやく学生スポーツをやっているという実感が湧いてきました。また、個人的にもアメリカのNAHLというジュニアリーグのトライアウトに参加して、海外の同世代の選手たちに大きな刺激を与えてもらったのがいい経験でした。正直海外のレベルは本当に高かったので、今現在海外でプレーしている日本人選手にはリイスペクトの気持ちしかないです。話を戻すと、2年目はシーズン後半から試合での出場機会が減り、気持ち的にも落ち込んだり、練習でもフラストレーションが溜まった姿勢を見せてしまった事が多く、今では心の底から反省しています。私が落ち込んだ時に、常に背中で励ましてくれる男がずっといました。それは去年この部を卒業した#17の林風汰です。彼を褒めるとすぐ調子に乗るのであまり言いませんが、彼の競技に対するストイックさをみて、もっと自分も頑張らないといけないと思っていました。林風汰、先輩でいてくれて本当にありがとうこれからもよろしく。競技面以外では、部内において木綿会なるものが結成され、1年目には知る事ができなかった、大学生はどういうものなのかを木綿会を通じて知る事ができました。木綿会は秘密結社なので、去年引退された木綿さんのブログを見るとその存在について少し知れるかもしれません。興味がある方は、是非木綿さんのブログを読んでみてください。

 

3年生

世の中がほとんどビフォーコロナの状態にもどり、ちゃんとした大学生を実感できた年。シーズン前半は良いパフォーマンスができたり、できなかったりとコンディションにかなり波がありましたが、春の締めの試合である早慶戦では自身が納得のいく結果を残す事ができました。これから秋リーグ・インカレに向けて体を作り直していこうと考えた矢先、半月板を損傷してしまい約半年の間競技から距離を置いた生活が続きました。怪我のせいで、先輩方をはじめたくさんの人に迷惑をかけてしまい半年間は本当に申し訳ない気持ちをずっと抱えながら生活していました。正直、今シーズンはもう復帰は無理だろうと思っていました。けど、入部して1年も経っていない後輩のGK(ゴールキーパー)のたくみが必死にシュートを止めている姿を見て、俺も頑張ろうと強く言い聞かしながらリハビリに励みました。その結果、インカレまでにはなんとか怪我が治り、怪我する前よりプレーがよくなったと感じました。インカレでは、これまでずっと大差をつけられて負けていた東洋大学に過去1番の試合ができました。3年生は、辛い事が1年の半分以上を占めていましたが、インカレを通してなんとか次のシーズンへの希望を見出せる事ができました。

 

4年生

早稲田大学での4年目は新入生が異例の1名だけで、波乱のシーズンが始まりました。ただ、私は怪我も完治していたので、ラストシーズンは走り抜けるだけだと心に決めていました。春大会、韓国遠征、夏大会と徐々にチームの状態が良くなり、秋リーグでは中央大学や東洋大学にも勝てるようなチームになっていきました。正直4年間で1度も練習試合・公式戦を含め東洋大学に勝つことができなかったのでとても嬉しかったし、アイスホッケーをやっていて良かったと心の底から思う事ができました。結局、秋リーグで決勝リーグに進むことができませんでした。しかし、チームの状態はみるみる良くなりインカレを迎えました。結果は、4年連続でベスト8敗退。どうしてもこの壁を越える事ができませんでした。ベスト8の壁を越える夢は、後輩たちに託します。どうか早稲田大学スケート部ホッケー部門がインカレで優勝できますように。

 

と稚拙な日本語ではありますが4年間を私の言葉で振り返る事ができました。

 

先輩や後輩、同期には本当にたくさん迷惑をかけてしまいましたが仲良くしてくれて本当にありがとう。後輩たちには、前のブログで1人1人にメッセージを書いたので割愛しますが本当に頑張ってください。同期は、本当に何から何までありがとうの言葉しか出てきません。これからも仲良くしてください!!

 

 

 

 

最後に同期のみんなへ一言だけメッセージを送りたいと思います。

 

杉林へ

 

俺らの代のマネージャーをやってくれて本当にありがとう。そして4年間、俺らを支えてくれてありがとう。いぶきがいなかったら早慶戦もできてないし、韓国遠征も行けていなかったと思います。これからも僕達と仲良くしてください。そして、お幸せに❤️

 

りくとへ

 

終始、謎めいた生活を送っていた、りくと4年間ありがとう。途中でアメリカに行ってしまったけど最終年はりくととホッケーができて幸せでした。これから横浜に住むとのことなので、暇な時は遊びに行かせてください。押忍。

 

周平へ

 

部屋が一緒だった川本陸軍二等兵掃除補佐もまた、私生活が謎に包まれていたね。飲み会でも中々あの時期の事を教えてくれないけど、社会人になったら教えてくれる事を願っています。北海道で政治家になれるよう頑張ってください。

 

ほうようへ

 

漢字探すのがめんどくさすぎるので、平仮名にしたすまん。まぁ、ほよシャンはめちゃくちゃ努力家で、決めたことには真っ直ぐ突き進める男だと思っているのであまり心配してない。ただ、努力と引き換えに髪はなくすなよ。。。。

 

鎌田へ

 

とにかくゴツすぎ。デカすぎ。横にいるだけで肩が削られる。プロでも頑張れ。

 

金井へ

 

とりあえず、キム=シャンなのでこれからもよろしく。

 

剛へ

 

。。。

 

 

本当の最後に、両親へ感謝の言葉を述べてこのブログの締めとさせていただきます。

 

この16年間、車での送り迎えや、防具を買ってくれたりと、アイスホッケーにおけるあらゆるサポートをしてくださり本当にありがとうございました。両親のサポートがなければ今の自分は存在していないと痛感しています。これからもたくさん迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

 

千葉琉矢

『引退ブログ Vol.3 #20 松下剛』(早稲田実業学校出身)


ブログを読んでいるみなさん!こんにちは!

早稲田大学スケート部ホッケー部門4年の松下です。

 

現在私は、実家で現役時代の3時起床からの朝練とは程遠い生活を送っています。起床時間のせいか、私は実家において一人で朝食をとることが多いです。そのふとした時に、朝練後の食堂の朝番組をチーム全員で見ながら占いやじゃんけんなどで意味が分からないほど盛り上がったり、些細なことから笑いが起こる寮のことを思い出して寂しさを感じるようになってきました。そんな私も大学生活が残すところ1ヶ月を切り、引退ブログを書かかなくてはなりません。今までの先輩である4年生が引退するのを見ながら「今どんな気持ちなんだろう?社会人になれて嬉しいのか、それとも寂しいのかなぁ?」なんて考えていたのですが、いざ自分が卒業・引退するとなると全く実感が湧きません。やはり、大学4年間は「人生の夏休み」や「社会人になる前のモラトリアム」と言われるようにあっという間です。入部初日のキックオフミーティングでは、各高校の卒業式などの関係から我々新入生の代は一部の選手のみが集合となったのですが、千葉、金井、鎌田の3人がインハイや同じ入試方法での健闘を讃え合い和気藹々と談笑する中、僕と川本の2人が特に会話を交わすわけでもなく、まるでおしくらまんじゅうをしているかのように端の方でガッチガチに緊張しながらモジモジしていたのが、つい半年ほど前のように感じられます。

 

そもそも私はアイスホッケーをアメリカで始めました。私の住んでいた地元では、あたたかい季節に野球やバスケ、冬にアイスホッケーをプレーするというのが一種の慣習のようなものになっていたため、当時5歳だった私は「アイスホッケーを嗜む」程度のモチベーションでした。日本に帰国後は所属した西武ホワイトベアーズという、早稲田大学と同じく東伏見を拠点に活動するクラブチームに所属しました。そこでは、コーチを務めていた弊部OBでもある佐曽谷(平成9年度卒)さんにアイスホッケーのイロハを9年間に渡って教わりました。また、当時は家族で週末にプロの試合や大学のリーグ戦を観戦していました。その際に父に何の気なしに質問した、「この中で強くて頭もいい大学はどこなのか?」という質問に対する「早稲田」という回答を聞いてから、臙脂色のユニフォームでプレーする選手がとにかくカッコよくて見えました。この父の返答と小中学生時代のコーチの影響から、私の中では将来的に早稲田大学でのインカレ優勝が大きなモチベーションとなっていました。



それからは、アイスホッケーの傍ら勉強をするという生活が続きました。中学3年間は、特に忙しく、塾の帰りの阿佐ヶ谷駅から自宅までの間、私の塾の道具を乗せた自転車で家事の合間を縫って出てきた母が伴走しながらランニングをする日や、仕事帰りの父の運転で他チームの練習に参加する日々が続きました。私なんかよりもよっぽどハードな役を担っていた両親には頭が上がりません。そんな周囲のサポートを存分に受け続け、早稲田実業学校高等部に進学し、弊部に所属したという運びになります。

待ちに待った、大学一年生次はコロナの影響をもろに受け、チームとして活動できた時間が非常に短かったです。ただその限られた時間の中でも、寮での共同生活やついていくので精一杯だった練習が楽しかっただけに、公式戦に参加することなく解散してしまったのが非常に残念で悔しかったです。

そして、二年目です。今まで東京でアイスホッケーを続けてきた私にとって、所属チームで試合に出れないということは初で、精神的にも辛い時期がありました。また、このシーズンは、当時のチームのDFの柱としてプレーしていた務台(昨年度卒)さんと同部屋となり、寮生活を共にしました。DFとして絶対的なポジションを確立していたけれども、試合に出ていない私にもフランクで優しい先輩でした。練習に対しても常に丁寧かつ全力で、誰よりも多くの自主練をこなしていました。そんな、プレーヤーと生活を共にできたことで、ほとんど出場機会のないシーズンでも投げやりになることなく真摯にアイスホッケーに取り組めたと記憶しています。

折り返し地点となる三年目では、私も試合での出場機会が増え、徐々に試合勘を取り戻すことが出来ました。早慶戦ではMVPまでいただきました(ハットトリックを達成した大塚がたくさんペナルティをしたため僕に白羽の矢が立ったという裏話があります)。この早慶戦では、4年間でも3本の指に入るほどうれしいことがあったのですが、それは前述のMVPでも、憧れの早慶戦の舞台で勝利したことでもなく、「早慶戦」という興行を成功させられたことでした。主務としてマネージャーと二人三脚になりながら一つの興行を作り上げたことは、前年まで試合に出場できていなかった僕にとって、はじめて部に貢献できたと感じられた瞬間でした。

時が経つのは早いもので、あっという間に四年目が始まっていました。シーズン序盤は就職活動との両立でドタバタと時が過ぎ、「ようやくホッケーに集中できる」と思った頃にはソウルと北海道での合宿が終わり、秋リーグが始まっていました。秋リーグでは、アップセットを起こすこともできましたが、最終的にはファイナルリーグに進むことが出来ず、望んでいた結果は得られませんでした。しかし、インカレに向けてチームとしての確かな成長と一体感は得られたと個々人が思っていたはずです。

四年間で最後となるインカレがやってきてしまいました。弊部は、長らくベスト8から抜け出すことが出来ていないため、準々決勝の明治戦は正真正銘の大一番でした。結果的には負けてしまい、今までサポートしてもらってきた両親に対する最大の親孝行だと考えてきた「インカレ優勝の景色を見せること」は果たせませんでしたが、チームも自分自身もその時のベストを尽くせたため、どこかすっきりとした気持ちで最後のインカレを終えることが出来ました。

 

ここまでに記したこと以外にも本当に多くの出来事がありましたが、冒頭に記した通り一瞬で四年間が終わってしまいました。その四年間の中でも、私は体育会に入るという選択が本当に良かったのか確信を持てずにいました。というのも、休みの度に旅行に行く充実した周りの大学生のSNSを見て、「体育会には入らず、サークルに入り、たくさんバイトをして、飲んで、旅行に行く大学生活もまた違った楽しさがあるのではないか」と心のどこかで感じることが幾度かありました。ただ、最後のインカレの際に、「勝つか負けるかという、仲間と共に楽しめるこの緊張感が今後の人生ではもう経験できないんだ」という寂しさともいえる感情が芽生え、体育会に入り、スケート部ホッケー部門で唯一無二の時間を過ごすことが出来てよかったと感じました。もし、このブログを読んでいる人の中に体育会への入部を迷っている人がいるのであれば、ここでの4年間は他には代え難い経験のできる場所だと伝えたいです。

 

最後に、歴代の引退ブログの慣習に倣って各方面へのメッセージを記したいと思います。

 

後輩たちへ

僕は頼れる上級生というものを確立させることが出来ずに、シーズンが終わってしまったけれど、みんなのおかげで本当に楽しく充実した日々が送れました。本当にありがとう。普段は、ふざけたり、どこか抜けているような会話をすることが多いけれど、氷上では頼りになる選手ばかりで、そんなみんななら来年こそは結果を残すことが絶対に出来ると思います。いちOBとしてその活躍を見られるのが本当に楽しみです。



 

同期へ

本当に4年間助けられてきました。あらゆるところでいい加減でお調子者の僕を受け入れてくれて、ありがとう。バックグラウンドとか物事の考え方の違いから、時にはぶつかったりすることもあったけど共通の目標に対して4年間取り組むことが出来て楽しかった。卒業式のあと何年もずっと会わないなんてのも寂しいから定期的に集まろうね。



両親へ

何から何まで、自分が将来子供を産んだら同じようにサポートできるかわからないほどサポートしてもらいました。ここまで16年間本当にありがとうございました。最初はただ、試合中に父さんの指さす方向に走る競技としてプレーしていたから、何が楽しいのか全く分かっていなかったけど、少しずつ氷上で出来ることが増えて、小学校1年生から大学4年生まで本当に楽しい学生生活を送ることができました。明日からピヨピヨの社会人になるけれど、僕も周囲の人の好きなことを全力でサポートすることができるような人間になれるように頑張ります。



拙い文章ではありますが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。メッセージを書いた方のみならず、朝早い練習に来ていただいた監督、コーチ、トレーナー、部長先生。さらには、OBやファンの方々のご支援の結果、何不自由なく楽しいアイスホッケー生活を送ることが出来ました。本当にありがとうございます。今後とも、早稲田大学スケート部ホッケー部門への熱い応援とご支援の程、よろしくお願いいたします。