トンデモ・シネマの開祖 -3ページ目

トンデモ・シネマの開祖

トンデモ・シネマな日々を綴る

『ザ・ベビーシッター』2017年/マックG監督

コール・ジョンソン12歳はいじめられっ子、しかし、超イケてるシッターのビーが救ってくれる。

このシッター、セクシーで超美人で頭が良くて、遊び上手。

しかし、彼女の本当の目的は・・・恐怖の夜が始まった!!

 

ホラー・コメディだが、ベースは「ホーム・アローン」なので、安心して怖がられる。

「チャーリーズ・エンジェル」「ブラック & ホワイト」「ターミネーター4 」など、そこそこの予算でヒットを飛ばすマックG監督だけあって、今回も外さない。

 



スプラッターとは何かを分析し、研究しており、上手くコメディと調和を取っている。

ただ、残酷シーンがかなり多いので、未成年者はトラウマ確実なので、見せないようにしてください。

 

最初から最後まで、ワクワクドキドク、時々、甘酸っぱい・・・そんな映画。

かなりの人気で続編も公開された。



ブレット・トレイン

伊坂幸太郎の小説を原作にしたアクション・コメディ。
監督は『デッドプール2』のデヴィッド・リーチ監督。

 

ストーリーは、アタッシュケースを巡って、殺し屋たちが死闘を繰り広げるというもの。

詳細は知る必要もないと思う。
映画を観たら分かるし、兎に角、破茶滅茶ぶりが凄過ぎる。

 

監督のデヴィッド・リーチはアクション俳優で、元々、ブラッド・ピットのスタントダブルだった。
だから、今回、主演の抜擢をされてもブラッド・ピットは断れない。


ただ、原作では全員日本人だったが、映画では、ほぼアメリカ人。
日本の新幹線にあんなに外国人乗ってないし、貸切はないと思うが、まあ、そこは映画だし、いいんじゃないですか?

この手の映画は、兎に角、楽しめばいいわけで、そんなに深く考えない。
原作と違うとか、イメージと違うとか、いう人に悪いが、客を裏切るから面白い。
客の思う通りの映画を作る監督なんて、ロクなもんじゃない。

その腹づもりで観れば100%楽しめる。

台詞は楽しいし、ブラッド・ピットはいつも通り楽しましてくれる。
ゲストも兎に角、豪華で、ラストは、あの人まで出て来る!?

因みに日本勢からは真田広之さんがかなりがんばっている。

そして、アクションも兎に角、スゴイ。
まあ、元々、監督の専門分野だが、これだけ複雑で動きの制限がかかると大変だと思う。

見終わった後に、何か残るかと言われれば、そんな感動とか、愛とかはないかもしれない。
いや、多少はある。
でも、兎に角、爽快感は残る。

楽しみながら、ワイワイガヤガヤという感じ。
今日もビール飲んで、美味しいもん食べて、映画観たし、寝よう。

最高!!

『フラッシュ・ゴードン』サム・ジョーンズ主演版



1930年代に同時にコミックと映画化された活劇映画のリメイクで、ディノ・デ・ラウレンティスの製作で1980年に公開された。主演はサム・ジョーンズ。

二言目には本作を【クソ映画】だのいう日本人のネットウジ虫(ネットウヨの下)の節穴ぶりには嫌気がさす時がある。

本作は「TED」でも取り上げられたが、近年、海外では多くの評論家や研究者が本作の魅力に気づき、再評価されている。
今ではメイキング本なども発売されて、日本でも翻訳されている。
第二ブレランとまで言われる隠れた傑作SFだ。

この作品は何も考えずにも観れるが、細かく分析すると非常に良くできている。
しかしながら当時は評価が低かった。
その評価をいまだに日本人の多くが鵜呑みにしている。
そう言う点からもネットウジ虫は四十代以上が多く、後は評価に左右される洗脳されやすい意志と良心を持たない若者だろう。



批評の多くはポップカルチャー的なノリのセットと衣装のせいだと言われている。
また、何より古典的名作に対する冒涜と取った評論家が多かった。

当時はポップカルチャーは若者の文化で、受け入れられない年配が多かった。
すぐに消える文化とまで言われた。
しかし、今やポップカルチャーは海外ではアートとして成立し、巨額の絵画が飛び交うようになった。

また、衣装は全てジョルジュ・アルマーニー・デザインで今では超高級品。

「赤いシャツが笑えるー」とバカな批評を書いている日本人が、フラッシュ・ゴードンモデルのシャツが買える値段ではないのを全く知らないと思う。
ハッキリ言って、笑えない値段である。

アルマーニーがデザインしたので、全体が赤と金を基調にしているが、これは今見ても神々しいほど、派手でSFファンでも、地味派は嫌う。



当時から古典映画の冒涜のように言われたが、よく考えて欲しい。

もう既に「スター・ウォーズ」などの作品が発表された後なのに、わざわざ金ピカの円形を用いたレトロな要塞やロケットは、古典名作へのオマージュなのだ。

また、博士が美人を人質に子孫を残すために、地球を離れると言うオープニングは、完全に漫画チックでリアリティのカケラもない。
しかし、そこが狙いなのだ。
「フラッシュ・ゴードン」は子供の描く夢で、大人のリアリティな世界ではない。
むしろ、ファンタジーなのだ。

つまり全体が古典的芸術への敬意があり、当時の60年代の世代が白黒の新聞のコミックであった「フラッシュ・ゴードン」を軌道修正した夢の映画なのだ。

そこには、子供が夢見たセクシーに対する勘違いの思い込みも含まれている。

それにヒーローは単純で無謀、子供そのもの。



だから、今見てもこの「フラッシュ・ゴードン」は面白い。

僕も若い頃、この映画を観て、衝撃を受け、映画館に3回も通って朝から晩まで繰り返し観た。

よく「フレッシュ・ゴードン」を引き合いに出す者がいるが、全く違う。
あの映画は単なるおバカ映画でエロを題材にしているだけの映画で、本来なら何十年も持て囃される映画ではない。(内容も面白くない)


また、古典のモノクロ版「フラッシュ・ゴードン」は連続もので、面白いが今見ると退屈する。

当時の子供向けに作ったからだ。

それに比べて、本作が飽きないのは、当時の大人が子供の頃、夢見たSFの世界を巨額の予算で再現したからだ。
だから、出てくるのは女性は全員美女で愛欲強め。
男はみんなムキムキでワイルド。
何かというと殴り合って、時には友情を育む。
こんな、イケてる映画は滅多に出会わない。

だって映画はエンタメなのだ。
無茶苦茶で良い。
リアリティや暴力満載の血だらけが面白いという変態映画趣味なんてクソ喰らえだ。

イカれた博士と宇宙船に乗って、美女と戯れ、宇宙人と酒飲んで暴れる。
時には地球まで救ってしまう。
掛かっている曲はクィーンだ!

最高じゃないですか?!
難しい事なんか、この世にはないとさえ、思ってしまう。

今度、この映画の悪口を僕の前で言う奴がいたら、ミン皇帝の前に差し出してやる!

カラー・アウト・オブ・スペース -遭遇-



田舎の一軒家。

魔女に憧れる少女、ヤクが好きなヤンチャな弟、分厚い眼鏡をつけて焦点が定まらない5歳ぐらいの弟、それとアルパカがやたら好きなお父さん、家で証券のアドバイザーをしているお母さんの5人家族。

隕石が落ちてきて、水が汚染されているとか、されていないとか、意味不明な事を言い出して、一人ずつ狂いだし、宇宙人と戦うぞーとか言ってるだけで、何もしない。

そのまま最後まで続く。

最後にこの事件を目撃した地質調査員の男性が「俺は水を飲まない」と意味不明な言葉で完結する。


内容らしい内容がなく、最後まで何がしたいのか?僕には残念ながら伝らかった。


テンポも遅く、正直、倍速で観れる様に作ったかと思うほど。

ずっと家族で喧嘩して、罵り合う描写が続く。

ニコラス・ケイジのお父さんをはじめ、全員がやたら口が悪く、下ネタを連発するので、隕石の水を飲んで狂ってからも、以前より少し怒りっぽくなったレベル。


「家を出る」を連発する長女は家を出ず、妻を撃ち殺すといった父は撃ち殺さず、家を出て助けを呼びに行くと言っていたのに行かず・・・


言語と行動が伴わないのは、100歩引いて理解できたとして、理由がわからない。


ただ、特殊メイクはすごく出来がイイ!

VFXなど使わず特殊メイクのみで表現したので、80年代のインディーズ系映画みたいで、なんか違和感しか残らない。


悪口は言いたくたいので、この映画の評価は書きたくないと思ったが、あまりにも凄まじく、ここまで反天才監督の映画は滅多に出逢えないと思ったので、描きました。


反対にこうして観れば、この映画は面白いという意見があれば、是非、教えて欲しい。


是非、観てください。

「発狂した宇宙」フレドリック・ブラウン
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主人公キースは雑貨屋で物を買う。
何かがおかしい?
小銭を渡すと、店の主人が2000クレジットでそのコインを買うという。
クレジットって何だ?
なんで小銭を買うんだ?
調子に乗って他の小銭も渡すと、いきなり主人が「スパイめ!」と怒り出す。
次の瞬間、大きな紫色の化け物が現れ、主人は銃で撃ってくる。
一体、何が始まったんだ!?

この導入部分だけでも、300ページを読ませるのに、充分な謎掛けだ。

原題は「What Mad Universe」。
『狂気の宇宙とは何か』あるいは『なんだ、この狂った宇宙は』みたいな訳になるだろうか?

原作はフレドリック・ブラウン。
短編小説が多く、長編は生涯に5本しか発表していない。
日本でいうと星新一が近いかもしれない。
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なんと、本作は1949年に書かれたS F小説だというから驚きだ。
パラレルワールドを得意とするフィリップ・K・ディックの「宇宙の眼」より、先に書かれた処か、実際にディックが参考にしていたという話もある。

第二次世界大戦終結から4年しか経っておらず、物語全体に戦争の爪痕を感じる。
実際、この物語は【ドペル】なる、謎の戦争の英雄を基軸に展開する。

兎に角、最初から最後まで、目が離せず『本を書くなら、こう書け』と云わんばかりの見事な展開だろう。
謎が一つ一つ解けても、全体の謎・・・「異世界論」については、完全解決とはいかない部分もある。
しかし、正直、当時としては画期的な解釈がされていると思う。

今では、当たり前になった「リック・アンド・モーティー」のように異世界多重化説やパラドックス説を、もう既に書かれている。

更に意外な『シミュレーション仮説』をも述べている。
これは哲学者ニック・ボストロムの近年発表された説。
この様な説を50年前の小説に分かり易く述べられている。

中でもユニークなのは、人の思考する妄想や創作などは、偶然などでなく、多くの異世界で、それぞれ存在するモノで、それが電波の様に頭の中に届いて、それを自分の発想だと思い込んでいるというのだ。

この様な観点から見ても、フレドリック・ブラウンの小説が如何に優れていて、独創的なのが分かると思う。

異世界の謎の多くをH・G・ウエルズの出版物で知るという描写で済ませるのは、どうかと思うが、話をテンポ良く進めるには、最良とも思う。

そんなワケで、もし読まれていないのなら、強くお勧めする!
ただし、S Fファンか作家志望に限るワケです。