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Ice Dance: A long way to recognition
By Olga Fluegge





アイスダンスは1870年から1880年の間に、アメリカの有名スケーターであったジャクソン・ヘインズによってオーストリアに伝えられたと言われている。当時、ウィーンが音楽とダンス、そしてフィギュアスケートの中心地であった。

“Wiener Eislaufverein”には大きなリンクがあり、そこでヘインズはパフォーマンスの招待を受けていたのだ。そこでの彼のパフォーマンスにはワルツ、マズルカ、そしてカドリールが含まれており、このパフォーマンスは当時のオーストリア皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世も観覧した。

現代アイスダンスとしてのスリーステップワルツの最初の公式パフォーマンスは、1884年パリのPalais de GlaceでM. リチャーズによってなされた。テンステップ、フォーティーンステップ、そしてキリアンは20世紀初頭にオーストリアで生まれたものだ。

1920年代、非公式ではあるがアイスダンスの競技会が北米とイギリスで開催される。第一次世界大戦後、社交ダンスは大きな変化期を迎えた。いくつかの古いスタイルのダンスが消え、そしてフォックストロット、ブルース、チャールストン、そしてクイックステップといった新しいスタイルが生み出された。それまでは僅か数種類の古いダンススタイルがあっただけだったので、スケーター達はこの新たなトレンドに沸き立ったのだ。

1930年代、イギリスで社交ダンスの人気が上がっていたおかげで、オーケストラは時々屋内リンクで公開セッションを行っており、いくつかのリンクは、ウィンナワルツやウェストミンスター、そしてパソドブレといった新しいダンスの誕生を促進するために主催されたアイス舞踏会やアイスダンス競技会をサポートした。

人の手によって作られたアイスリンクの数は、アイスダンスへの興味が膨らむにつれて次第に増えていった。1932年、ポール・クレコウとトルゥディ・ハリスによって新たなコンパルソリーダンスとしてのタンゴが紹介された。そして第二次世界大戦の後、サンバ、チャチャチャ、そしてジャイブといったラテンダンスがアイスダンスシーンに登場する。



Ice Dance sketches of 1941


1941年には“スケーティング”マガジンがコンパルソリーダンスを説明するいくつかの記事を発表し、アイスダンスに最も適しているであろう音楽を紹介したりした。しかし、残念ながらアイスダンスは長年にわたってISUにとっての“継子”のような存在だった。1950年まで、ISU競技会にアイスダンスを組み込もうという様々な試みは失敗を繰り返したのだった。

1950年代初期、ISUはアイスダンスに関するルールと国際的テストを作り出し、非公式ではあるが競技会を組織した。そして1952年、コンパルソリーダンスとフリーダンスとで構成されるアイスダンスが、ようやくISU選手権の正式種目として認定されたのだ。同年に開催された世界選手権には、イギリス、オランダ、スイス、オーストリア、そしてアメリカからの9カップルが出場している。

コンパルソリーダンスはロッカーフォックストロット、ウェストミンスター、クイックステップ、そしてアルゼンチンタンゴの中から抽選によって選ばれ、その後それぞれのカップルは3分間のフリーダンスを行うことを義務付けられていた。


Photo: Skating magazine, 1941.

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