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もうすぐ衆議院の選挙です。

 

あいかわらず、このサイトはWFMのユースのブログから、私の個人的なブログになって以降、どちらかと言うと、自分にふってきた思いを書きたくて、残したくて、記載するものなので、読者の読みづらさを考慮に入れていないため、乱筆すみません。

 

しかも一見政治の話ですが、ここでは、私はノンパルチザンとして、具体的な政治の話はしませんし、

もともと、このブログは上記の目的のため、具体的な仕事内容などについては書きません。

 

しかし、突然の解散でしたね。これまでも幾度となく解散のうわさはあり狼少年状態だったため、今度は本当で少し驚きました。

 

ところで、解散は首相の専権事項と言います。世界連邦(WFM)では、運動の大先輩の塩浜さんが主宰する「平和を考えるフォーラム」を毎月開催しておりまして、今回の議題はやはり、北朝鮮の核の具体的技術の研究と、衆議院解散の話題でした。

 

そこで話題になったことは、政治の話より憲法の話でした。

 

よく解散は首相の専権事項と言われます。でも憲法にはそんなことはかいていません。

 

第69条をもとに、議会が政府に不信任案を可決すれば解散しないかぎり総辞職になるのですが、今回は不信任案は出ていません。この解散の根拠となるのは、憲法第七条第二条の天皇の国事行為として、内閣の助言と承認より、衆議院を解散する、となってい部分です。

 

これを最初に使ったのは、吉田茂元首相で、抜き打ち解散を行い、当然これは違憲だということで裁判になったのですが、高度に政治的な事象に介入を避けた最高裁は判例を明記せぬまま、現在に至っています。でも政治に介入しないというのは主権者の行為(議員を選ぶ)ととらえるのが自然で、政府の行為を監視するのは司法の役目なので、これは司法の怠慢だと思っています。

 

つまり、この解散も私は憲法違反だと思っています。

 

とはいえ、選挙で議員を選ぶことができる、ということは、これはとても大切な制度です。・・・と、ここまではなんとなく当たり前のことですが、この先は私の変な持論です。一般的に言われていることと反対の事を書きますが、理解していただければ幸いです。

 

国民にとっては、各地から立法機関の国会議員を選挙で選んで送り出しているから補助金もおりて何とかやっていけるのです。だから地域から国政に民意を送り込むという、この制度を絶対に大事にしないといけないんです。

 

これを世界連邦的な観点で見ると、世界の各国から選挙で選ばれて世界中を拘束する世界法を立法したり、予算を承認したりする世界議会みたいなものがない。だから世界のすみずみまで光があたる社会ではないのです。

 

そして、ここから、私の国内の問題意識を述べたいと思いますが、まず現在の日本はあきらかに議会制民主主義ではなく、官僚制です。

 

例えば私にもなじみ深い国連だけをみても政府代表部の人たちを知っている人は少ないでしょう。国家の存立にも関わる国益に最も大切な外交を、主権者の国民が選挙で選んだ人ではなく、新卒採用、年功序列、終身雇用の官僚にお任せです。外国の政府代表部には日本で言う政治家も結構来ています。

 

外交だけでなく、内政も同じですが、技術的なノウハウや、人脈などを考えると、長年その業務に携わっている専門家に実務を任せる必要もありますが、民主主義である以上、政策の幹は、国民が選んだ政治家がやるべきです。任せっぱなしはだめです。

 

こんなの書いて良いかわかりませんが、ある官庁では、外に出ると、「本省」は「本社」「会社」と言い、「社長」は、なんと「大臣」ではなく「事務次官」です。つまり大臣は名誉会長みたいなものですね。先生、先生と立てられてはいますが、実際は官僚が実務を取り仕切っています。

 

政治家が、「政治主導」を標榜したりすることがありますが、上手くいきませんでしたね。かつて「脱官僚」なんていうコピーがありましたが、民間企業で言えば社長や役員が「脱社員」と言っているようなもので、うまくいくはずがありません。

 

厳密にいうと少し違いますが、ざっくり民間企業にたとえていうと、株主(国会の場合は国民がこれにあたる)から選ばれた役員(政治家)が、社員から権限をはく奪して、役員だけで決めようとしたようなものです。それではうまくいきませんね。

 

人体に例えると立法機関が脳であれば、行政は手足、司法はこれを外から見るお医者さんのようなものです。

 

政治家は官僚を使いこなさなければいけない。そのためには「人情」とかもありますが、政治家も官僚も人事異動も多いし、あくまでも仕事なので、何といっても、名目上ではなく実際の人事権が政治家には必要です。

 

でもこれは、まだまだ厳しいと思います。まず今の日本の社会全体の仕組みからして難しい。

 

アメリカを比較してみると、政権が変わると役所も課長クラスより上はガラッと変わるといいます。それは国民の意志を反映した良い仕組みだと思いますが、ただアメリカは社会システムとして、回転(リボルビング)ドアと言って、専門的な高官などは、役所をやめたら、大学・研究機関、企業などにドンドン転職していくのです。だからそんな、人の入れ替えなんていうことが出来るのです。

 

今の日本は役所も大企業も研究機関も、終身雇用だから、中途からはなかなか入りにくい。というか自分たちの雇用を守るために、自分の子供のような無知な学生しか入れてくれない。職場をやめると、他のどこも入りにくい。

 

そして今の職場を絶対辞めたくない、という前提で、組合があり、労働基準法があり、それをすることは難しい。未だに日本企業は優秀な者より可愛げのある学生を採用する。自分の言う事を聞いてくれる忠実な子分になってくれるから。これでは発展はないですよ。

 

昔、私の会社には人材紹介部門がありましたが、そこでは日本の大企業には、一にも、二にも、可愛げが大事。いくら優秀でも、企業側は学生を低くみているので、面接で「御社の理念は・・・が素晴らしい」などと生意気なことは絶対言うなと指導しました。そんな新人使いにくそうですから。それよりも体育会系で「何も知らないですけど、先輩の教えに従い、毎日ねずみのようにクルクル働きます」という方がよっぽど採用されやすいのです。こんなのは日本の特異性で、グローバルスタンダードでは即戦力の契約だから別ですよ。

 

私は以前から新卒採用、年功序列、終身雇用は撤廃すべきだとずっと主張してきました。自由な生き方で、会社を経営したり、公的な仕事をしたり、そのために研鑽することを、自分でも実践してる、というのは前にも書きました。

 

まあ以前に比べ日本も少しづつそうなりつつあるのは喜ばしいことですがまだまだ足りません。

 

この制度は、新卒で役所や大企業にはいりさえすれば一生やめなくていいという風土や、正規雇用と非正規雇用の格差など、これらの元凶になっています。無能な人のリストラは賛成です。しかし業績不振の単なる人員削減では意味がない。そしてリストラされたら行き場所がないなんていうのも最悪。その人が努力をすればまた職につけてもらえなければなりません。そして社会も、教育・技術を充実させイノベーションを起こすことが、リストラの本来の姿です。

 

日本は村社会です。18歳で、どんな高等教育を受けるのかを決めて、新卒で役所や大企業に入れなかったらもう人生ほとんど夢がないなんて寂しすぎます。もし18歳で若気の至りでやくざなんかになったら、50歳で自分の人生を反省し、どんなに勉強して優秀になっても、外交官にはなれない。

 

でもそんな村社会も崩壊寸前です。少子高齢化だし、不況だし、こんな村社会制度は、日本人が狩猟民族や遊牧民ではなく農耕民族だからこうなったというわけではなく、明治大正昭和初期まではこんな制度ではありませんでした。このころは農業に従事している人が多かったですしね。

 

この制度は、戦後の高度経済成長だからできたのです。たとえばある年に新卒で10人採用されて、10年後には100人採用したから、みんな部下を抱える上司となり、給与もUPできたのです。今は、たとえ新卒で100人とったとしても、10年後には10人しか採用されなかったら、誰も出世もできず、給与もあがらない。こんなのは小学生の時から気づいてましたよ。

 

国会議員の世界だって、よほどのサプライズ人事は別にして、基本的には当選回数という、実質年功序列で、地盤がある人は終身雇用みたいなものです。これは良くないことです。

 

だから私は天下り大賛成なんです。天下りがだめなのは、不要な特殊法人などを作って官僚のために席をもうけ、税金から交付し、無駄使いすることがいけないのです。官僚個人が政権の考えで首を挿げ替えられても、行くところはいっぱいあるなら、官僚もそれほど現在の職に固執しないでしょう。そしてその能力を民間でも研究でも、役立てて欲しい。その斡旋の何が悪いのか。そうすれば国民の代表たる政治家は人事権を確実に握れます。

 

しかも、こういう流動的な社会になれば、仮に自分は今はだめだとしても、例えば現役一流大学新卒でなくても、いつでもどこでもしっかり能力を身に着けるトレーニングをすれば、途中から重要なポストに就くことができるので、とても未来に夢が持てる。こういう階級間移動ができる社会が、まずは格差解消に役立つと思います。そして何歳であっても職業トレーニング教育にこそ投資をすべきです。

 

年功序列に反対なのは世代交代を求めているわけではありません。むしろ中高年を含む年齢差別に反対しているのです。少子高齢化なのだから、人生はいつからでも能力をつけ、やりなおせる社会でありたい。これが真のセーフティーネットです。

 

もうひとつアメリカがいいのは、連邦議員には、100人くらいスタッフがついています。動かす政治資金も莫大です。本当に立法しているからです。日本は司法、立法、行政の三権分立といわれていますが、法案を作って、法制局とやりとりして、法案を固めているのは、行政の官僚です。国会では議員運営委員会にのっけられたものだけを、与党がそれをまるのみして、賛成票を投じるだけです。

 

これはおかしい、立法機関の体をなしていない。でも人も金もない。民主主義ならば、優秀な立法能力がある人には官僚をやめてもらって、国会議員や政策秘書などに転職できるくらいの、予算の移動があったらいいと思っています。

 

でも国会では法案は官僚に任せ、政局ばかり。予算委員会では、言葉を揚げ足取りや、スキャンダルばかり目につきます。ん?これは予算の委員会だよね?予算の議論しないの?って感じです。

 

もちろん、ある程度は個別の委員会で、それなりの議論もしていますが、やはり大国のあらゆる事を決めるには、多くの議員や、スタッフが必要で、活動をしなければならずお金は、少なすぎます。


ごく一部の議員のスキャンダルを引き合いに出して、議員を減らすべきだとか、メディアでは言ってますが、これは民主主義の崩壊ですよ。市民の味方は、メディアでもなんでもなく、自分たちの代表の議員なのです。これは官僚とメディアが結託した高等戦術か?と疑いたくなります。議員定数削減なんてもってのほか。

 

ただし、日本の官僚は(ほとんどがノンキャリの人だし、エリートキャリアもふくめ)人格的に素晴らしい人が多く、今のところ、自分の優秀な能力に対して、企業人や投資家などよりも安い賃金で、本当に身を粉にして、国益のために頑張っておられますから、何とか日本はまあまあ良い国でいられているだけです。でもこのまま官僚制がもっと進むと、戦前の日本のようになりそうで怖い。

 

さらに問題意識はつづきます。今は政党政治です。しかし憲法には「国民から選ばれた議員」が立法をすることになっています。だから今の「議員」を選ぶだけではなく比例代表で「党」を選ぶというのはおかしい。憲法違反です。

 

それに本来議員は人だから、色々な考えをもっています。その人に託すわけで、党や会派で十羽ひとからげにして、選ぶのはおおざっぱすぎます。

 

そしてその「人」自体も、この政策には賛成だけど、これには反対だ、ということもよくあります。だから全権を委任してしまわず、大いに議論できるように、情報を公開し、非専門家の市民や、専門家なども含め、多角的な視点で、官民連携の諮問機関を造ったり、ロビー活動なども、もっともっと増やすべきだと思います。

 

あと政治と金の問題ですが、上記のように、国会が議員立法するための膨大な作業をするには、多くの人員、つまり金をかけてもらった方が良いのです。

 

もちろんそれで高級店で豪遊している人などがいれば論外ですが、現在国の借金が1000兆円もあって、予算は一般会計だけでも100兆円、しかも借金返済関連で20兆ものお金がかかり、それを任すのですよ。

 

そのための政治活動にはお金がかかります。やれ歳費が2000万だの、文書費数百万だのと、ケチなことを言わないでほしいです。

 

もちろん金額だけ見たら、ふつうのサラリーマンの給与とはかけ離れているかもしれない。でもそのサラリーマンの会社は、給与以外にその人に相当お金をかけています。机もイスも電灯もパソコンもコピー機も切手代も交通費も電話代もタダではありません。広告費も莫大です。中小企業を経営していたからわかりますが、1億や2億円などすぐなくなります。活動をするということは、何でもむちゃくちゃ経費がかかるものなのです。

 

議員はそれをすべて自分で賄わないといけない。選挙以外にも、地元と国会の事務所を運営するだけでも、膨大なお金がかかるのです。

 

これを削減すると、ますます、議員とスタッフは多忙で、人手不足になり、国民の声を反映できなくなります。現在の小規模な議員事務所ですらお金がたりない。

 

もともと財閥の出身者と結婚したり、政治資金管理団体を譲られたり、閨閥などで土地や株などを相続できる一部のお金持ちは良いですが、普通の志のある人には、政治家になるには、お金が足りないのが実情です。私たちの世界連邦の日本の会長である海部俊樹元首相は、自分の親分の三木元首相は奥さんが森財閥の娘だし、派閥の番頭には、日本のオナシスといわれた海運王、河本先生がいらっしゃったので、お金に困らず、だからクリーン三木、クリーン海部で行けたわけです。前国会委員会会長の鳩山さんは父方の祖父は首相ですが、母方の祖父はブリジストンの創業者です、安倍首相も奥さんは森永の創業一族だし、麻生副総理も九州の炭鉱王である麻生財閥の直系です。それに比べ田中角栄元首相は政治家をやりながら、自力でお金を作らなければいけなかった。そこにロッキード事件につながる問題が起こったわけですね。土建屋として成功し一代で財をなした田中元首相のように多くの部下がついてくるスケールの大きな人は別として、多忙で資金調達が難しい議員はお金をつくれない。少額の政治献金と、パー券と、選挙公認の援助程度では、全く足りないでしょう。

 

私は世界連邦国会委員会でいつも国会に行って感じた事は、議員の先生は手一杯、お金も足りない、というイメージです。

 

優雅な生活をしている人なんて、ごく一部でしょう。ほとんどの議員はこまっています。それに基本的にはみなさん礼節を重んじ腰も低く、まじめな方が多いので、清貧で政治をされています。イメージとは違いますね。それを批判しているメディアの人の方がよっぽど良い暮らしをされています。

 

ただ、そのために毎朝駅前で立って選挙運動?(政治活動と言ってるけど違法の事前運動じゃない?)をしている人がいますが(前総理もそうですね)、本当はそんな自分の当選のことより、実際に政策や、国民との公約を守って法律を作ってほしい。

 

一院制にも当然反対です。任期中は解任されず、選挙でドタバタせずに、色々なバックグラウンドから諸アクターが集まって、じっくり法案を見て、チェックアンドバランスを図れる機関があった方が絶対に良い。基本じゃないですか。浅はかすぎます。

 

タイトルの答えを言うと、政治家なんて全くおいしくないのです。

 

だから優秀な人は、政治家を志さず、起業家になったりする。

 

自分を優秀だと言いたいわけではありませんが、かつて何度か選挙に出ないかと、党の人などから誘われたこともありますが、もちろん一瞬で断っています。起業家の方が良いからです。

 

正直にいうと、まあ、あたりまえのことですが、大体いつも、経営している会社社長ををやめて、地元で党の支部の活動に専念して、認めてもらえないと党から公認もらえず、しかもその党や、その選挙区では、逆風だったり、条件も悪かったんですけどね。

 

だけどそれ以上に、今政党政治家になって、数の一つになっても、有権者に丁寧に答えられないし、世界社会文化等の役には立たないと思ったのです。だから自分は政治や外交・行政には関心があるけれど、起業家や政治活動家の方がイノベーションを作り、よっぽど社会に貢献できると思いました。

 

もちろん私のように感じ、政治家に成りたくないという人はどんどん増えると思います。そうすると政治家の質の低下はまぬがれないでしょう。今、政治家は地元の支援者以外には尊敬されることも少なく、にもかかわらず公に身を捧げる覚悟が必要で、24時間365日休まず、気配りをして、プライベートも詮索されて、あることないこと好きなように書かれて、国民や、反対の思想を持つ運動団体からはぼろくそに言われたりしながら頑張っておられます。しかも活動資金は、ややこしいし、足りない。

 

これではよっぽど滅私奉公できる志ある人か、もしくは志なんか何もなくても、有名でさえあれば、その人が売れなくなったときに、自分が食べていくために政治家になる、みたいな人しか出てこなくなるでしょう。

 

JRの交通費がタダになるとか、飛行機に何回かただで乗れるとか、一等地に議員宿舎があるとか、ケチな話が多いですが、先述のようにサラリーマンだって仕事の交通費は経費で落ちます。

 

しかも不逮捕特権を特権階級だと批判的に放映していたTVもありましたが、それこそ恐ろしいことです。これがなければナチスの全権委任法の時のように、大事な決議の際に、気に入らない政治家を与党の代表が行政のトップに立ち、一斉にに逮捕して、法案を通すことが可能になるのです。

 

改めて言いますが、国民の代弁者は、メディアではなく、自分たちで選んだ議員です。本来世論はメディアではなく選挙です。

 

メディアも、バラエティー枠で、一見政治報道に見えるようなものをやるのは、やめてほしい。バラエティー枠だと政治的中立性が不要になり、くだらない政治家のスキャンダルばかり取り上げてお祭り騒ぎを作って視聴率をあげようとしていますが、劇場型だか何だか知らないですが、すでに現実の政治に影響するようになっています。その間も外国は日本に攻め入るかもしれず、富を狙い続けているのです。

 

国民はどうもメディアのお祭り騒ぎに乗せられて、風に乗ったり、政治家を悪い人のように思ったりしています。だけど、繰り返しますが、あの人たちだけが、自分たちが選んだ唯一の味方なのです。

 

実際に武器や権限を持っているのは、警察、軍人、技術職、事務方など、それぞれの官僚。

 

それをコントロールするのが私たちとその選んだ議員です。

 

そして電波利権を持ってるメディアの人も、自分たちが選んだわけではなく新卒採用からの終身雇用の人たちです。

 

バラエティー番組は「わかりやすい」かもしれませんが、そんなものには、まどわされず、きちんと複数の新聞のすみずみを読んで、公的な広報にも目を通してほしい。

 

わかりにくいことも、じっくり読んで考えてほしい。ことさら「わかりやすい」ことがことさらもてはやされ、「短い言葉の繰り返し」などは、ヒトラーの「我が闘争」で書かれていた大衆扇動術です。これを今でも政治家は活用しています。しかもこれが上手い人は当選しています。でも、わかりやすいものばかり見ていると、長い文章を読むのに飽きたり、読解能力の低下につながるだけですよ。

 

あと選挙にお金がかかるとして、小選挙区制になって、物凄い死に票が増え、1強政治になってしまいましたね。これも政治と金の問題から、浅はかに政治改革をしたからです。もうブレブレで振り回されるのはやめましょう。

 

あと最後に民主主義の欠点を述べます。衆愚政治になるというのもありますが、それよりも恐ろしいのは多数決です。アラブでも見られるように、選挙でも、立法でも、多数決で勝ったら、何でもできるということです。例えていうなら、もし51%とったら、49%を徹底的に弾圧することが出来るということなのです。このあたりもこれからの民主主義の課題ですね。本当は独裁であっても、国民の幸福にする、哲人王政治、あるいは全知全能者の政治が出来れば理想なのですが。

 

民主主義においては、国民は主権者なんです。つまり国民は全員王様なんですよ。だからこそ、この国と世界のことを、しっかり考えて、議論して、投票し、その後も政治家に提言したり応援したりてほしいのです。

 

谷本真邦

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この話題になると右左と分けられてしまうので、先ず最初に言っておきますが、私はノンパルチザンです。保守的な考えも、革新的な考えもあります。人民が豊かで幸福であれば、どちらの制度でも良い所だけを持ってくれば、良いとおもってます。 

現実問題、社会人としての政治的な選択を余儀なくされる場合もあるでしょう。また思想がないというわけでもないです。私の考えは、あらゆる政治体制は、所詮人間、社会という物なのですから、良い物も悪い物もあって、、、というか良い部分がでてきたり、悪い部分がでてきたりする物なので、「理想」を「実現」するための方法論が未だ確立されていないと思っています。古代から言われていることですが、政治体制は堂々巡りが現実なのです。

そこで、今日は天皇に関して述べたいと思います。天皇はポジティブにもネガティブにも、思い入れが強い人が多いですから、誤解をまねくといけないのですが、私にも思い入れはあり、このことに関して、あまりにも心配なので書きます。

かねがね言っていますが、世界市民と国民というものは両立すると思っています。県民であって国民でもあるように。私自身も既に自分の中で世界市民でもありますが、「日本人としての限界を超えたい」などとは思っていません。日本は出身地であって、谷本家に生まれたというのと、同じ次元です。いくら世界市民になっても、現実的に日本を離れて仕事をしても、故郷は変えられません。日本人で良いのです。むしろ逆に、人民が国籍をもちつつも自由であるという世界社会文化をつくらねばなりません。

その中で、天皇制は、故郷である、わが日本の歴史の連続性の中で生まれた重要無形文化財だと思っています。ちょっと言い方が軽くなるかもしれませんが、ふるさとの神社のお祭りと同じなのです。でも、だからが故に大事なものなのです。

それに陛下をおそばで見た時のオーラ(これはご本人の血筋や意識、取り囲む物品や、まわりの人が作る雰囲気があいまって作りだしているためでしょうが)はすさまじいものがあり、そんな個人的経験を通して、これを克服することは出来ないと思っています。

もちろん「天皇」という名称も、三皇五帝の中の天皇・地皇・泰皇(人皇)、あるいは天皇大帝という大陸から来たものであり、実際の王朝の形成過程においても、その後の政治的文化的な歴史においても、諸外国の影響はかなりあり、我が国独自の特殊ものだとは思っていません。

しかし少なくとも2600年以上とも言われる長期間、日本国家の創業一族として考えられ、この列島の中で君臨し続けられたことは事実です。そして歴史の中のあらゆる政治的状況の中で、権力を持ったり持たなかったりしつつ、権威だけは生きながらえて来たことは世界史上稀有なものです。だから大切に思っています。

物部氏・蘇我氏が来ても、藤原氏が来ても、源平が来ても、足利が来ても、信長秀吉家康が来ても、藤原源平氏などの閨閥の世が終り、薩長や自由民権が来ても、マッカーサーが来ても平気のへっちゃらです。

だけど、私が大変心配しているのは、現在の天皇が「象徴」として国民に寄り添わなければならないとお考えになって、一般国民と同じ位置にまで降りて来ないといけなくなっていることです。私は陛下が摂政をお認めに成らずご退位を表明されたことは、そのためかと思います。つまり御自ら、御身体に鞭打ってでも、国民とともに寄り添って働かければ、象徴で居続けられない存在であるとお考えなのだと思います。皇室の存続というものに大変な危機感をお持ちになられていることがひしひしと伝わってきます。そのなかでの今回のご表明だと思います。

でも私は、「天皇」は神だから「天皇」だと思っています。象徴という表現は良いと思います。日の丸と同じです。でも文字通り「天」なのだから神でないと。あるいは百歩譲って神話から出て来た神の直系の家柄の当主、もしくは国の最高神の祭主であられても良いと思います。いずれにせよ、宗教的存在でないといけないと思っています。日本は政治的には民主政であり王政でないのですから、そうでなければ、合理性がありません。

そのため私は君臨されているだけでも日本の象徴では?と思いますし、ご公務としては国民の安寧を祈られるだけでも充分かと思っています。法理論上では、政教分離だから、政治と関係無い文化財だとあえて言ったのです。君臣一如は心の中でしか成立しません。物理的に全ての国民と一体になることは無理です。厳密にいえば天皇といえども意思を持ったり、行動をしたりすれば、政治的にならざるをえないのです。そうすると賛成・反対が増幅する一方です。おそれ多い事ですが、これが天皇制の存続を危機の陥れます。

元々、王政は王権神授に表されるように宗教と結びついてないと成立しにくいです。それ以外なら軍事権力とむすびつた強権的な帝国でないとならないです。立憲君主制というのは、世襲王家を存続させるために文章化したぎりぎりの制度で、かなり危ういです。外国では元首とされていますが、立憲君主制の元首は、本当に刃の上を歩む存在です。実際に、昔は世界中を王家が支配していましたが、今はほとんどの国が共和制です。簡単に言うと減っていて、存続は厳しいのです。

それに、人間が幸福追求のために宗教的観念を持っている以上、神仏はいたほうが良いのです。唯識的に言えばその通りですが、唯物的に考えたとしても、神仏は「素粒子や弦の波動や、電子の動き」など、因果の中で「何かがある」ということは考えられます。

 

話はずれますが、物理をやっていると、とても神話はかなり面白く読めます。だから人間の解釈がどうあれ「神仏はおられる」というのが「真理」でいいのです。

それと強い拘りも危険です。万世一系の男系男子で、養子も認めず、一夫一婦制だと、かなりの確率で途絶える可能性があるでしょう。これに反して民間(正確に言うと、天皇と縁が遠く、身近な一般人と、誰もが思ってしまうような人)の血をどんどん入れてしまうことは、拘りが無さ過ぎです。皇族が一般人と恋愛されることも、特別な学校にいかないことも、陛下御自らご意思を表明されることも(実際は人間なので)それはそれで良いことなのかもしれませんが、あまりにも国民と身近な存在だと思わせすぎるのはどうかと思います。不謹慎を承知でいうと、もっと宗教的・文化的な演出が必要ではないでしょうか。

たしかに、国民のおそばにいらっしゃって、ジャンパーを着て、おひざをついていただくことは、一時的には国民も大変共感できますし、苦難を背負った国民にはとても有難いことですが、ともすれば単なる人気者のスターになってしまわないかと本当に心配してしまいます。

現在、民主主義の我が国において、天皇があまりにも国民と近くなると、何であの人だけ特別なのか?何で民主主義なのに共和制でないのか?という問いに、合理的な回答が出来なくなると思います。

日本国憲法は好きな憲法ですが、日本国の政治的首長である内閣総理大臣が、国会で指名されて天皇に任命される、というのはよくわかりません。天皇が滅茶苦茶イヤな首相でも任命せざるを得ないのは余りにも忍びないし、天皇が風邪をひいたりして物理的に任命できなかったら、どうするのでしょうか。もっと言えば狂った軍事集団が皇居を占拠して任命出来なかったら国会の首相指名は無効になって政府は成立しないのでしょうか?政府が成立しなかった場合、誰が自衛隊を指揮するのでしょうか。国会の召集も同じですね。これは充分に天皇が政治介入しているということだと思っています。これも子供のころから不思議でしょうがなかったことのひとつです。

 

これは立法府の国会ではなく、執行する行政府が事実上法律を作っている(法案を書いて法制局とやりとりしている)ことや、予算委員会で予算の話をせず政府を担当している議員のスキャンダルの話しばかりしているのと同じく、国会の七不思議でした。

陛下は、皇統のご存続を、おひとりで、おこころを悩まされてると思いますが、宮内庁はこのあたりどう考えているのでしょうか。


 

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久々に更新します。文章というものは、天から降りてくる物なので、突然書きたくなるものなのです。普段は仕事の書類や個人的な文章を書いてはいますが、このブログは公開されることを知りつつも、私が書きたくなった想いの殴り書きで、もし読む人がいたら、乱筆で、話も飛び飛びで申し訳ないです。

 

先日出版物の校正の仕事をさせて頂きましたが、それでいうなら、私のブログは見れたものではないなとおもっちゃいます。でも書きなぐりたくなるものが、降りてくるので、それをそのまま書きます。

 

このたび、私の尊敬する長谷川祐弘元国連事務総長特別代表の下で、兼任非常勤ですが事務局次長の仕事をさせて頂く事になりました。

 

先生には以前から可愛がって頂いておりました。この先生は、日本人国連職員第一号の明石康先生に次いで、日本人として二人目の国連事務総長特別代表をされた「日本人最高国連上級職員」であり、現在も国連協会理事などを務められる他、「国連学術評議会(ACUNS)のアジア所長、国連学会理事、国連大学客員教授」など、日本の国連の顔としてだけでなく、アカデミズムの世界でも活躍される、国連平和構築学の権威です。先生は平和構築研究会という学会をされていて、私も参加させて頂いたのですが、これを発展的に国際平和構築協会として組織化され、私も事務局次長を拝命したという次第です。

 

これらに参加されている方がは、国連、外務省防衛省など政府関係者、そして国連OBをはじめとする学者・研究者の方々が多い格調高い会です。最も若輩の私は学問的には発展途上ですから、これから学ばせて頂き生長等していきたいと思っています。

 

私は、子供の頃から、そうでしたが、社会人である今でも、色んなことを学びたいと思っています。唯物論も唯識論も。宗教と自然科学との関係などはとても関心がありました。そして世界の在り方から、社会、文化、そして人間の行動まで、まあ、いろんな事に関心を持っていました。もちろん宗教でいう「真の知(智慧)」である、あらゆる事を理解するのは人間には不可能です。

 

しかし、それでも好奇心が強い私は、正規の学生はもちろん聴講生・研究生・特別学生等もふくめると、あらゆる大学に、籍を置かせて頂き、掛持変転としました。もちろん、仕事をしながらなので、その合間をぬってですが。

 

研究室に入れて頂いた専攻だけでも、外語(米英語学)、自然環境科学(物性物理・放射線・情報環境)、平和学(憲法学)、法学(経済法)、政治学、経済学(経済社会思想)、哲学(グローカル公共哲学)など、独学者・遊学者・高等遊民などを気取って、乱学・乱読しました。文部省管轄の独立行政法人大学評価・学位授与機構から頂いた学位では「社会科学」という分類だったのですが、これは法学、政治学、経済学、社会学などを網羅した社会科学系全般の幅広い単位取得と其れを踏まえた論文を求められました。

 

ここでは、元々関心のあった国際関係などではなく、たまたま人材関連事業をしており政策提言をしていた関係で問題意識を持っていた労務問題をあらゆる観点から切りこんで書きました。研究の結果、社会は反作用するということが見えて来たのです。人民を守るために、公的存在が規制をかけると、私的存在は、自己利益のために抜け道を探す為、結果、目的が善であっても結果的には正反対の事象が生まれるということです。

 

簡単な例では、マクロでは、社会主義から共産主義をめざしたら、究極の目的である無政府になるどころか、事実上の独裁制や絶対王政に成るとか大きな政府になります。またミクロで、企業などでも男女雇用機会均等法が施行されると女性の正社員が減り派遣社員が増えて、さらに派遣社員に社員登用義務が加わると派遣切り・雇い止めが起こり、ますます労働者は不安定になる・・・などです。

 

私はカントのような動機主義ではありません。真・善・美を追求するなら目的の善より結果が大切です。家族を守る、民族文化を守る、国家の歴史の連続性を守るために始めた外交で、結果焼け野原にされたのではたまりません。私が現代の一般人にとって、必ずしも評価が高いといえない「伊藤博文」を尊敬するのは、動機がブレていても、なんだかんだ言って結果が良かったからです。

 

いずれにせよ、興味・関心の範囲が大きいので、「初学者にかぎって壮大なテーマをとりあげる」というのを地で行く、学生でした。

 

しかも、イロイロやっていると、当然研究としては底は浅くなります。生活としても、仕事が主なので、やはり学びは従になります。仕事の関係者は、自分が学校へ通っていることなど知らない人もほとんどでした。仕事の都合で、普段から出席出来ないこともあります。、大学の中退も経験しています。

 

それに私は学校名や、単位・資格取得や、卒業・修了するかどうかなど、あるいは何らかの役職につきたいなどの、ステータスには全くこだわらない性格なので、学校選びも偏差値などではなく、生活の都合にあわせます。

 

そのため、学校によっては指導教官に、生涯学習の見本として評価してもらう場合もありましたが、逆に、「もう君は学生をやってる段階ではないから意味がない!」とか、研究室で「現役の研究者の邪魔にならないようにしろ」とか、私自身もちゃんと学費も払い全日制の研究室付きの正規生であるにも関わらず指導教官から「あいつは私の弟子ではなく聴講生だ」とか、あげくのはて、君は「(学生であることを商売にする)プロ学生」か?とか、「(政治的な)学生運動」をやりたくて大学を転々としているのか?」など、見当はずれなことも、言われたりもしました。

 

私は、肩書にこだわらず、ただ単にイロイロ勉強や仕事を幅広くしたいだけなのですが、こういうのは、中々理解はされません。

 

また当然いつも指導教官が変わるので、「君はちゃんと一つの事を普通に研究していたら、そろそろ准教授かくらいにはなってただろうと」言われたこともありました。これは実際そうなので、イロイロやるなら、長い目でやるしかないのですが。

 

話題は変わりますが、かつて、選挙に出ないかと言われるときや、本を出さないかと出版社に誘われる時、当時はただの大学在学中の起業家だったのですが、もっと目につく何か格式ある肩書を、便宜上つけられませんか?といわれることもありました。これは大学の役職などでしょうけど、取り敢えず、その時はそういうのには興味がなかったのです。また社会に一定の金銭的に貢献すると、本物の日本の勲章がもらえる、などというのに誘われたこともありました、、、。これは本当の話でした。お金で買えるのですね。


選挙に出ないかと言う話は、公募など、ひらかれた候補者募集が流行ってて、落下傘候補も多い時代でしたが、それでもなかなか難しい話が多く、(現在の私の様に)知名度がない場合は、会社社長など当時の仕事は全部やめて、一回党の地元組織で政治活動を一年以上やってみて、いけそうなら公認をするかどうか決める・・・と言われました。しかもその党に、逆風が吹いていて、公認がとれても当選が厳しそうな状態でした。お金に関しても、公認されたとしても半分は自腹です。これらは当たり前かもしれないですが、今の社長という責任ある仕事をほおり出すわけにはいきませんから、結局出ませんでした。

 

本の出版の話も、自分の会社で買わされるのか?と初めは引いていました。でも、相手が大手で、そんなことではなかったのですが、驚いたのは、自分の活動を少々誇張して、タイトルも、プロットも、ほぼ決まった物を持って来られて、あとはその形式に乗って文章を加筆して、さらにそれを校正されて、中身を変えて作られるという手順だったのです。

 

しかも少ない初版を前提に、すでに数本の企画が用意されているのです。本と言うのは処女作で売れない方が、あとあと得なんだそうですね。それもその時知りました。結局、私も消極的になり企画には乗りませんでした。

 

もちろん人気作家さんや、教科書として売れる学者さんの専門書などは、そうではないんでしょうけど、今の私の場合だとこういうことなのでしょう。

 

話しを戻しますと、仕事でも、好奇心旺盛なのは、同じですね。実際、学生時代から会社を設立してビジネスをし、年商数十億くらいはやってましたから、とても多忙で、世界各地を転々とせざるを得なかったということも、大学を転々とせざるを得なかった、もう一つの理由でもあります。

 

仕事は、若い頃は、音楽関係の仕事からはじめ、イベント・お店・人材派遣に人材紹介や求人広告・そして教育・IT導入・金融コンサルなど、様々な分野で起業を繰り返し、オーナー会社も、東証上場大手広告会社連結企業社長もやりました。さらにそれとは別に、国際貢献に関心を持っていたので、国連に関与してNGO活動をやったり。

 

まあ元々、私は脱藩浪人気質なんですね。私は、何時でも、何処でも、何度でも、自由に、幅広く、学んだり、働いたり、遊んだりして、イロイロやるのが好きなのです。

 

しかし、自分では何年かかっても良いので、最終的には道楽などではなく、集約して社会事業に出来れば良いなとは思っています。

 

今のところ、身体は一つなのでいっぺんには出来ず、未だ中途半端です。学問については、ビジネス以上に、根気強く研究しなればなりません。当然自分自身も、やればやるほど、もっと学びたいとか、体系付けたいとか、意欲が湧いてきます。だから時間はかかるのです。

 

もちろん既に社会人なのですが、年齢は関係無しです。これからもまだまだ学びますよ。そしてイロイロな仕事をして、なるべく長生きして、生涯現役を貫いて、生長等をします。

 

これは以前も言いましたが、これは私だけのことでは、ありません。もはや日本は高度経済成長の産物であった「新卒採用・年功序列・終身雇用」、そして年金等老後の福祉生活の時代は破綻しそうです。

 

高度経済成長が終わったのみならず、少子高齢化がすすみ、人生100年時代が来ています。

 

だから、これからは、今までのように、20歳くらいまで学び、定年まで一つの仕事をし、60代で隠居という人生設計はむずかしい。60歳でやめたら、人生100年時代jには40年も残っていて貯蓄や社会保障ではまかなえない。だから、生涯現役で、長く働く必要がある。

 

年を取ったら働けないと思われるかもしれませんが、若い頃から、働きながら、新たな時代のスキルを学び、そしてある程度働いて貯蓄が出来れば、時には二年くらい平気で休んで、学校に行ったり、休暇をたのしんだり。そして高齢になれば、必ずしも長時間はたらくのではなく、週3回とか、一日4時間だけ働くとか、様々な働き方を導入しながらなら実現不可能ではないと思います。採用する側もされる側も柔軟に考えることが必要です。

 

そして、何と言っても誰もが起業できるようになる事です。年を取れば雇われなくなる→お金がなくなる→不安になる、、、というのが、パターンですが、自分で起業できるという自信があれば、そのような不安はなくなります(利益を出せるか?資金調達できるか?株主・金融機関・従業員・顧客などへの責任、など別の重責は出てきますが、少なくとも年齢や家柄経歴などのバックグラウンドで左右されることへの不安はありません)。

 

これからは、何時でも学び、何時でも働き、何時でも遊び、再び学び、働くという・・・これらを繰り返すことが出来る人生が良いと思います。私は自ら実践しようとしています。

 

ちなみに、私の母方の祖父は、最初は、戦前の旧制大学卒業後、裁判官に任官しましたが、そののち志願して学士将校となり陸軍大佐になったのですが、軍歴が輜重兵連隊長だったため、終戦後、工業関係の関西財界~押され石油会社社長になりました。その後経営コンサルタントという職業が米国から日本に入ってきたのでいちはやく第一人者になり、その後、晩年は経営学と法学の専門家だったので、これを融合させ体系化させた研究者となり、Ph.Dを取得したのは70歳近くになってからでした。大学で教鞭をとったのは定年制度をかいくぐり70代・80代になってからでした。祖父がずっと言っていたのは、「一生勉強だぞ」ということでした。そして何より、戦前、戦中、戦後高度成長時代、安定生長時代と、時代に合わせて、学びながら、自分を変えていったことです。、これを見習いたいのです。

 

私の様に人生のフルコースを求める人間は当然のことですが、普通の人でも、これからの時代はこれが求められるのです。またこれは今に始まったことではないですが、今後はますます技術が発展します。AIシンギュラリティーなど、産業技術の発展とともに、必要とされる業務は変わって行きます。だから、人間は常に学び、転職していかないと生きていけないのです。場合によっては、場所も移動しないと行けないかもしれません。

 

日本は農耕民族ですから、これには抵抗があるかもしれません。一つの「村(役所・企業等の組織、自宅の場所などの比喩です、、、)」で暮らすのが当たり前な文化です。

 

今でも、途中から、別の業界の村へ横入りすることは難しい。既にいる人々が、自らの利権を守ろうとしているからです。

 

だからその変化の過程の中、元々の村人と言える「正規雇用者」と、変動社会の緩衝材的な「非正規雇用者」という、変な格差が生じてしまうのです。

 

日本人は、餌を探し求めて行動する狩猟民族や、遊牧民的(ノマド)な生活感覚には、ついていきにくいと思いますが、やらなければならないのです。これがスタンダ-ドなのです。

 

 

ここからは、話しはそれます。世界連邦の話もまじえます。

 

トランプ現象などが騒がれてますが、世界がいくら内向きになろうとしても、それは一時的なものだと思います。グローバル化は絶対とめられません。分業はすでに進み、途上国の人口爆発と経済成長、先進国の少子高齢化と借金まみれ、この状況では、世界中で助け合わなければ、まわりません。

 

トランプ大統領は、支持こそしていませんが、楽観的に見ていることもあります。彼は実業家から70才にして初の公職が大統領というかなりのやり手です。ただ彼はこういう政策がやりたくて政治家になったのではなく、単に大統領になりたい人だったのではないかと思います。そのために何だって、やったのです。ある種、ポピュリズムというよりも、炎上商法です。「とんでも発言」をし、悪かろうと何だろうと構わずに世間の注目を浴びるようにしむけ、結果成功しました。しかも高学歴層でも低所得者層でもない非常にとりこみやすい中間層狙いという巧みな戦術です。彼はこれまで、民主党にも共和党にも属し、政党も移っているし、基本的な政治理念はないと思います。だから、国民が彼の言ってる事を本当にやったら、経済の動きが鈍るという、真実を知れば、支持率は低下するでしょう。彼は馬鹿ではないので、言ったことをそのままやったら、経済が低迷することなど百も承知でしょうから、そこは何とかするでしょう。

 

彼は大統領になるという最大の目的を達成したのだから、あとは「偉大な」大統領になるだけです。彼はヒ―ロ-になるという自己実現が出来れば良いと思ってるはずです。歴史はトルーマンより、ガンジーやベンジャミンフランクリンを評価しています。これに気付いてくれればと思い、楽観的に捉えられる部分があると思うのです。それは国民の心次第です。

 

もうひとつ、またトランプが憧れる俳優出身のやはり最高齢大統領のレーガン政権も、規制緩和と同時に、大陸間弾道ミサイル、核増強、スターウォーズ計画と何と危険な、、と思っていましたが、振子はふれます。結果的にはソ連が崩壊して、後には核軍縮につながりました。

 

トランプも軍事費予算をあげて、中東などに積極的な介入をするでしょうし、中国ともにこやかに握手をしつつテーブルの下でひざを蹴っているでしょう。大変まずいと思いますが、

 

これは、前から言ってますが、もちろん基本は全く違うので、誤解を承知で「例える」のですが、基本的にアメリカは徳川幕府で、中国は島津藩なのです。とりあえずアメリカが世界の覇権を握りましたが、両方大国で、歴史から何から元々何もかも違います。朝廷の錦の御旗に相当するのは国連ですが、国連を軽視する米国に対抗するには、中国も国連を活用すればアフリカ・南米などに対しても「ぶ」があると思います。そして中東ですが、ここはアメリカ(徳川)恭順派と、農民出身の暴れん坊の奇兵が混在する長州のようです。(偉人とテロリストを一緒にするなという意見もあるでしょうが)当事者にとっては吉田松陰に匹敵するビンラディンの様な、精神的支柱の始祖をアメリカに殺されたわけです。だから暴れん坊たちには、桂、高杉、大村、伊藤、井上など、彼らと同じ目線で、かつ人格が整った指導者が、これからは必要なのです。実際、はじめは農民出身で、京都で両替商を襲って強奪などをしていた初期奇兵隊のメンバーも、このようなリーダーがいればこそ、立派な正規軍になったです。中東のテロリストの過激派には、やはりこの中から立派なイスラム指導者が出て、立派な国軍として統制していくしかないでしょう。大軍で空爆をしても、長州征伐と同じで、こう着するだけです。

 

そもそも私は、グローバル化なんて、今に始まったものではなく、大航海時代から始まっていて、昔は、船で行く事さえ大変だったから、一気に武力で植民地にして奴隷や搾取をしてきました。

 

でも国際社会の中で、ある程度搾取される側も、成長していきます。そうするとレジスタンスが起こり、その植民地運営コストに悩まされてきました。そこで独立させて、その上で、交通情報通信の発達を利用して、金融による直接投資などで長期的な金利という搾取が始まったのです。先進国もすこし利口になったわけです。金融で搾取されるのも、かなわんです。確かに格差も広がってます。しかし長い目でみると、虐殺されたり、奴隷で売られるよりはましですね。

 

しかし、これからはもっと人類が利口になって、世界の隅々にまで光が当たる社会を作れば、そして全世界の人々が豊かになれば、何よりも闘争が減り、安定した分業体制が出来るようになり、大きな利益があるのだということを、人類がもっと知的になって理解してもらいたいものです。

 

軍産複合体が許さないと言いますが、第一次世界大戦の火薬メーカーのデュポンも、終戦後軍縮の結果、その技術で全ての女性にストッキングを履かせたように、軍事企業や多国籍企業だって民生に転化できるものです。

 

宗教だって、私がいつも行く、東京の六本木の街の様に、政治経済が安定していれば、ムスリムも、仏教徒も、ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、ヒンドゥー教も、日本神道も、新興宗教の信者達も、楽しく一緒に食事をして語らいが出来ます。

 

そうすれば本当の友愛の世界が訪れるはずです。

 

ソ連や共産主義は、崩壊したと言われますが、マルクスは資本主義が成熟して初めて共産主義になる、そして革命はインターナショナルでないとだめなのです。これは21世紀にこそ実現できるものです。

 

20世紀では、まだ早かった、資本主義が成熟もしていない段階で、貧しい農民の暴力革命では無理がある。結局スターリンや毛沢東は、死者数などを見れば結果的にどう考えても悪政であり、最高の理想といわれる共産主義・無政府主義、もっと言えば古典的な理想の哲人王政治でさえも、人類はまだその実現を見ていません。

 

これはこれから資本主義を成熟させていって、初めて実現できるのです。まずは資本主義の不均衡を是正しつつ資本主義を成熟させていくために、日本は最高の社会主義だといわれたこともありましたが、日本が世界のモデルケースとしてリードするのです。そして世界が連邦国家のように一つになれば良いなと考えています。

 

そしてこれからは人の交流も盛んになり、国際結婚も増え、血脈も文化も融合します。

 

そして世界中に西洋的な文明が広がるのは止められません。文明は消費欲求を刺激しますし便利ですからね。世界中のどこの都市でも、同じような近代的なビルがたち、どこにでもある車と、洋服を来て靴をはいた人々が、スタバかマックでコーヒーや紅茶を飲んでます。この文明の拡散は止められません。

 

世界連邦運動などをしてると、国を無くすのか?といわれることがありますが、それは違います。地方自治体としてちゃんと残すのです。グローバルではなく、グローカルなのです。

 

人は自分の愛する故郷は忘れません。愛国心は自分の故郷を愛する事、自分の民族を愛する事、自分の家族を愛する事と同じです。国を愛したら、自分の家を愛さないわけではないでしょう。だから世界市民であることと国民であることは、国民であることと、県民であることが両立できるのです。

 

でもそれは日本の法の支配と関係ありません。歴史を大切にし、象徴たる皇帝王様を敬愛し、その地域の神仏を信仰し、生活様式を守る。

 

これは全て文化の領域なのです。

 

世界が政治経済的に一つになろうとも、文化は大切にすれば良いのです。たしかにグローバル化によって、文化も自然に変化していくでしょう。でもそれは歴史の必然であり常なのです。日本の文化だって歴史の連続性が言われますが、大陸をはじめとする外来文化によって、どんどん変化してきたではありませんか。むしろ積極的に。

 

もし伝統的な文化をきっちり守りたい人は、「保存会」と言う形で残すことも出来ます。実際地域ではやってますよね。おまつりとか。世界政府が出来れば国も地方自治体なのですからやればいいのです。

 

今回も話題はとびとびで、あらゆることを書いてしましましたが、このへんはいつも言っていることです。しかしまた、どうしても表現したくなり書いていてみました。


谷本真邦

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またまた、個人的な変な意見を書きます。

今回はメディアの話。私自身がメディア系の会社をやって、制作プロダクション、リサーチ、人材などの会社をやってきたので、内部もよく知っています。逆に学生ベンチャーということでおもしろがられ、逆に実際大手メディアの社員の人よりも、各社のメディアの上層部の人たちと広くお会いする機会は多かったと思います。

日本はマスメディアの報道の自由度が低いと国連特別報告者のNGOの人間が言ってますね。

言論の自由というのはとても大切です。

でもマスコミ、マスメディアというのは、大変影響力があるから、それ自体が怖いですよ。

マスメディアの論調と、喫茶店の横の席で話してるおっさんの意見は、ほとんど同じです。

わたしは、かつて大量に登録者を抱える人材会社をやっていたので、自社内で「聞き耳機関」みたいな、横で話してる声を集約して、リサーチする部隊を作ろうかと思った事があり、実験してみると、だいたい人の話題は世間話はマスコミの言ってる事とほぼ同じ。


また現代は、ネットメディアやSNSが出てきて、誰でも発信することができるようになったが、その分、嘘情報があまりにも多い。

実際、自分も嘘をよく書かれたからわかる。例えば、自分の会社が○○組(暴力団)系だとか、谷本は破産を経験しているだとか。○○組系などというのは、まったく根も葉もなく、火のないところにも煙は立つのを実感しました。たしかに大阪出身だから近所や学校OBに、やーさんはたくさんいたが、今は全く関係してないですよ。

また私は、大学も、職業も、幅広くやってみたいと思って生きて来たので、大・小、複数の職業や会社の立ち上げや経営に関与してきました。いろいろ関与しているので、会社によっては、成功も失敗もありますが、会社が失敗しても、個人としては、必死で借金を返すなど、責任をとってきたつもりですから、破産(借金の踏み倒し)をしたなどといわれると心外です。また私が経営してきた会社の中には、辞任した後に、精算された会社はありますが、それは辞めた後のことで、私個人は破産したことはないのです。

最近もありました。ネットニュースで、もうずっと前に辞任した会社の一つの、人材派遣免許が報告不備で失効した事が書かれていたのですが、その事業主が私のままになっている!もう社長も私の次の次の人なのに。ただこれは、嘘とういよりは、間違いで、会社も「事業主はすでに谷本ではありません」よと訂正して、処分した役所も認めてくれたのですが、リリースは済んだあとなので、もう訂正しても、どうしようもない。役所関連のプレスリリースのものでさえ、そんなもんですから。



この私の事例は個人のもので小ネタで、被害はないですが、これが仕事の信用に関わるものなら大変です。ネットは間違いでも、ずっと残る。

また取り敢えずネットを調べてどんな人や組織か見てみる、という安易な「信用調査」をする人も多いです。でもネットに転がっている情報はいい加減なものも多いということは気にしておくべきです。

あと社会系の話しでは、よく事件で逮捕されたら、それで犯人確定みたいに報道されますが、当然裁判で有罪になってからが、犯人として認定されるわけで、被疑者の段階では、まだどうかわからないのに、ニュースでは(昔の呼び捨てとちがって、一応容疑者とつけてはいますが)あきらかにその時点で犯人扱いはされ、社会的制裁が加えられます。

だから実名報道は、よっぽどでないと、よくないと思います。もし誤認逮捕で無罪でも、ネットではずっと残る。また、たとえ有罪でも、その刑に服したあとは健全に社会復帰させるべきなのに、ネットではずっと残る。だから一生犯罪者のレッテルはつきまとう。重罪で再犯の可能性のあるような大変危険な人物は公的にチャンと線を決めて監視するのはありとしても、そうでない人は社会的制裁がありすぎる。

職業が公務員だったりすると(社会に大きな影響力がある高官は別だけど、例えば水道局の人や環境局の人、公営バス地下鉄などの人などは、一般人と言っていいと思う。もちろんこれは職業差別ではなく逆差別を受ける危険があるという意味です)、ネタ的に話題性があれば、軽微な罪で、かつ被疑者の段階でも、実名を出されるが、それは、やめた方が良いと思う。

例えば、以前、ある公営事業の職員(公務員といえば公務員)の二十歳そこそこの若い人が、「以前から交際していた17歳の県立高校生を自宅に招きいれ、みだらな行為をした疑いで逮捕」と実名報道されていました。これなんか、単に妙齢の彼氏と彼女が部屋でHをしただけの話であって、実際にはよくある話ではないでしょうか?暴行をしたわけでも買春をしたわけでもない。でもこう書かれると大変な犯罪者に見えます。この人が消えないネットも含めて、実名報道でうけた社会的制裁は、社会の実態を考えると、厳しすぎるような気がします。

話しは、またまたそれますが、18歳未満のみだらな行為を禁止した、いわゆる「淫行条例」自体も疑問です。18歳時の性体験のアンケートなどを考慮すると、膨大な犯罪者がいることになります。また女性は16歳から結婚できるので、判例では結婚をしてるか婚約してれば、みだらではないと判断してるらしい。でも単なる恋愛交際での性的行為はみだらなんですって。遊びとの境目がはっきりしない。よくあるセリフの「ずっと一緒にいようね」とか、言い合ってたらどうなんでしょう?婚約として認定され、みだらではないとされるのでしょうか?そのへんも含めて微妙だとは思いませんか?

条例の決議をする議員先生や、ジャーナリストの人達は、基本的に、ご自身は、とてもまじめな少年少女時代を過ごした方だろうし、親世代でもあるから自分の子どもの事などを考えると「まだまだ子供だ!」って思うのでしょう。でも「おくて」もいれば「おませ」もいる。だから私の様な早熟な子どもの内面はわからないと思います。でも、この条例は見直した方が良いと言っても、時代の流れも反対ですから、非難されるだけでしょうけど。


話しを戻しますが、良く知られていることですが、大出版社も、根も葉もない嘘を平気で書く。

だから、ネット情報ならなおさらです。

しかもネットはタコツボ化する。要するに、自分の好きなサイトばかり見るし、さらに見るサイトの傾向で関連ページが引っ張られてくる仕組みのものが多いから、見るサイト、見るサイト、同様のものになり、思考が偏ってくる。だからネットで政治や社会のことを知る人は完全に洗脳されて偏る傾向にあります。しかも拡散するからなおたちが悪い。

マスメディアは、それを一回解放して、正確な情報を選別する役割を担ってほしいのですが、今のマスメディアは、悪く言えば「イベント屋さん、お祭り屋さん」になりがちです。

マスメディアは、盛り上がる方にばかり飛びつく。国民市民にとっては、本当は、平穏が一番いいのですが、マスメディア的にはこれが一番困る。

合法でも倫理的に問題があるからバッシングするというのも、わからないわけではないが、やはり整備する必要があると思います。倫理的に、、、などと、そんなこといえば、一人ひとり、育ってきた環境、地域の文化など、全員微妙に違う。説得の仕方でどちらにでも取れる。

一つの正義は、一つの悪を生むのです。このことをわすれてはいけない。そのために、何が悪か、何が善かを、一応線引きするのが法律です。それがあいまいだと、倫理的にという理屈で、それを悪と勝手に規定して、袋叩きに合わすことや、村八分にすることも可能だ。それであれば、なんのための法律かわからない。最近は政財界でもマスメディアでも、イジメエンターテイメントだらけです。


それと殺人事件のニュースは盛り上がります。その絶頂は戦争です。ミサイルのボタンを押すのは権力ですが、民主主義なら押させるかどうかは、結局国民の盛り上がりが決めるのです。そして国民の盛り上がりを作るのはやはりマスメディアなのです。戦争ですら、国民の盛り上がりが、作るのです。マスメディアは、とりあえず盛り上がりを作りたいものだから、余計危険なのです。

また権力側も情報公開しているが、官報や全役所のリリースのすみずみまで目を通す人なんていない。だからマスメディアの情報に頼ってしまう。

マスメディアが権力の犬だと言った人もいますが、私はそこまでは思っていないですが、たしかに記者クラブなどで、官員と個人的に仲良くなるし、そこから出てくる情報がほしいから、結果的に権力のいうことが記事になりがちだとは思っています。しかも、盛り上がる内容を取ろうとするから、内容も偏る。

もっと言えば取り上げる内容も偏り過ぎています。国会や役所の会議なんかを直接見ていると、メディアで取り上げられていないことを話し合ってることも多いです。結構凄い法律をバンバン通したりしています。でもマスメディアで取り上げられてないことは、町中で話題にはならないのです。

ほとんどのマスメディアは、一般の営利企業だから仕方ないかもしれないが、あれだけジャーナリストが権力の監視役だと言っているのだから、すくなくとも本当に国民のためになる取材を選別してほしい。

ただ根本的に、権力側の議員や自治体首長は主権者たる国民市民の代表です。それを監視するメディアは国民市民の代表ではない。主権者の国民市民はだれもそのマスメディアの会社に監視を委託などしていないのです。そこに、メディアの方自身も、国民市民自体も気が付いてほしい。だからマスメディアの方々には、自ずから知る権利を持つ国民の代表として監視をしているという気分にならずに、そう国民市民に思われるように頑張って頂ければと思います。

だから理想は、マスメディアの報道にたよるよりも、選良首長が内部監視機関がきちんと機能しつつ役所を統治してくれることですが、それはあまりにも危険なので、そこで提案です。

メディアが第四の権力と言われるほど影響力があるなら、本来国民の選挙を経た議員の傘下にあるべきだが、それではメディアの権力への監視能力が減り、権力への介入だといわれるだろうから、せめて、NHKの会長人事などは、首相の選任の経営委員会の互選での人事システムではなく、受信料を払ってる国民が直接役員を選任するべきだし、メディアの倫理審議会みたいなものは、最高裁判事のように、公的な国民審査を導入してほしいと思います。

谷本真邦
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セルビアに出張してきました。

私は駐日モンテネグロ名誉領事館補佐官を兼任してますが、モンテネグロは、旧ユーゴでセルビアモンテネグロから独立した経緯もあり、縁が深い隣国なので、初めてではありません。

日本の大使館もモンテネグロにはまだなく、駐セルビア大使館が、モンテネグロを管轄しています。
つまり私の仕事上の本国であるモンテネグロに出張にいくときに、日本側の大使にお会いするような時は、セルビアに行かなければならないのです。

なお、そういうことなので、モンテネグロに渡航される日本人の方は、パスポートの紛失などには注意してください。もちろんセルビアにある日本の大使館が何とかはしてくれるのですが、自分から大使館にかけこみたくても、そのためには国境をこえなければならず、当然パスポートがなければ、セルビアに渡れず、かなり待つ必要があるなど、大変なことになってしまうからです。

このセルビアはまだコソボ問題も解決せず、基本は明るい楽しい人たちが多いのですが、やはりお酒が入ると、米国批判など政治や戦争の話が多いのが現状です。中年くらいの方はほとんど内戦経験者で、男性は実戦経験者で命からがらだった人も多いのです。

セルビアの大統領の娘婿の方も、飲むとアメリカのお話になります。この方もまわりの中で唯一奇跡的に生き残った方だそうです。

しかし、セルビア人と語ると、日本人というだけで、とてもよくしてくれます。

それは、まず明石さんの存在です。明石さんとは、もちろん日本人初の国連職員の明石康さんです。国連事務次長・事務総長特別代表として、ユーゴ紛争に介入した時のトップをつとめられた方なのですが、この際の空爆決定の遅さから、NATO側としては批判され政治力を失われたのですが、セルビアでは、初めてセルビアの意向も理解してくれた西側の人物として英雄のように言われる方も多いのです。立場が変われば全く違う評価です。政治や外交などはそんなものです。

そして、なによりも、サムライ・カミカゼの存在です。

これは中東など、他の国でもよく言われることです。

日本人は誇りある勇敢な民族であると。

(まあこれは人それぞれでしょうが)私は海外で、日本人だからと馬鹿にされたり、嫌われたり、差別されたりすることは、ありませんでした。

これは、日本人がお金持ちだからだとか、おもてなしの精神で良い人だからだとか、技術力があるから、などではありません。世界の各民族はそれぞれに誇りを持っています。海外では、これはむしろ日本人以上です。だから、そんなことで尊敬はしてくれません。

日露戦争で勝利した時代の軍人さんはもちろんですが、太平洋戦争では命を賭しても、結果的には敗戦し、しかも米国に占領された後、戦前よりも国民は豊かになりました。だから、ある意味では、犬死にのようにも思われる先人たち。

でも、私はこの特攻隊の方々をはじめ、戦争で犠牲となった多くの方々が、私たち現在の日本人が、一定の評価をしていただけている原因になっている事も忘れてはなりません。

もちろん平和主義者ですから、戦争は二度としてはいけないと思います。

それに政治は理念の優劣ではなく「結果」ですから、多くの国民を犠牲にし、国土を焼け野原にさせた、戦時の指導者の判断は誤りだったと考えています。

でも、かつて現地で戦った人たち、特に現場で国を憂いながら命を投げ出した若き先人たちは、決して間違ったことをした人ではないと思っています。

しかし、今の日本人は、セルビアをはじめ、各国が抱いているような、そんな誇り高き勇敢な民族であるのか、疑問ですね。あらためて考えてみないといけません。

谷本真邦

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あまり、このブログでは、具体的な仕事の話は書かないようにしていましたが、読んでみたいというリクエストがあり、少しくらいは、書いてみようと思います。

基本はフリーランスな独立外交官というか、国際アクティビストを目指しているので、WFM世界連邦運動や、FOUN国連の友、駐日モンテネグロ名誉領事館など、あちこちにフリーエージェントとして国際的な機関に所属させてもらい、仕事をしています。

国連の友は、国連NY本部広報局承認期間で、NYのUNプラザに本部を持ち、UNEP創始者のひとりであるノエルブラウン氏や、国連職員としては元国連事務次長や総会議長特別顧問・自国の外交官としても国連安保理議長やユニセフ理事会議長などを歴任したアンワルルKチョウドリ氏らが代表や理事として、国連とメディア・エンターテイメントの架け橋となる非常におもしろい活動をしています。日本でも元有名プロデューサーの方が中心となり大手広告代理店、音楽界、スポーツ界などと連携して活動をしています。私もチャウドリー氏から女性の輝く社会を目指すOne Woman キャンペーンの正式モデレーターなどを拝命されたことをはじめ、著名な方々とともに、様々なプロジェクトを担当させて頂いて活動しています。国連の友の活動はHPなどを見てもらえばよくわかると思います。

今日お話ししたいのは、この関係で、あるCATVの「国連コーナー」の解説や、イベントでのモデレーターを担当させて頂いてますが、画面に映ったり、表に出る側だけでなく、制作をする側を知った方がいいということもあり、このTV番組のロケにおいて、NYの国連本部で発表するためのメイキングのカメラを持たせていただきました。

これまでもメディア系の企業を経営していたこともあるので、製作サイドにいることもあったのですが、実際は涼しい応接間で発注したり契約したりするだけで、直接ロケでカメラを持つことなんて、はじめてでした。

しかし、これらに携わっている人の中には、本当に仕事が出来る人がいる。もちろん多数の人は普通の人ですが、ときおり、素晴らしく優秀な方がいる。

例えば、もう撮る前から、完全に出来上がりのイメージが頭に入っていて、それを出演する芸能人や、登場するゲストから、上手ーく引き出す、ディレクターさん。

それに、あらゆるところに気配りをして、気持ちよくさせつつ、先読みをして、段取りをバンバンこなしていく、タレントのマネージャーさん。

これまでは、すごいタレントがあるスターや、天才的な能力をもつ大物プロデューサー、それにすばらしく聡明で権勢を誇っておられる政財界人ばかりに目がいってましたが、こういう、今まで気づかなかった「本当に仕事ができる人」がおられることに、とても感動しました。

ということは、こういう方々は、他の様々な世界の各分野にもおられるのでしょうね。

このことに、あらためて気づきました。

それに比べたら、私もまだまだ、学んで行かないといけないと本当に反省しています。

私自信ももちろんですが、私のグループにいる人たちも、どんどんこういう仕事ができるひとたちを見習って吸収していってほしいものです。

谷本真邦

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このブログは、はじめは、私が代表をつとめる団体のために作ったものですが、そのうち、私の個人的ブログになってしまいましたね。

そして、どちらかというと、実際にしている具体的な仕事や、私生活のことは、ほとんど書かず、考えたことを、つらつら書いています。

というか、言いたい事を、好き勝手に書きなぐっています。

しかも、書き足したくなったら、編集し直したりもします。

つまり考えたことを、「書きたい」から「書いている」だけのものなのです。

かつては、ブログなどではなく、非公開で、メモやノート、日記を書きまくっていました。
それは今も書いています。

これもその延長で、ブログが広まることも想定していません。

読んでいただくことがあったとしても、ご自身のブログを広めることを前提としているブロガーの方が、こちらにも寄って頂いたりしているだけで、本気で読んで頂くことはあまりないだろう、と軽くかんがえていました。

好きに書いているため、もし読んだ方がいるならば、煩雑な内容になっていて、読みにくいと思います。

もちろん、読者を想定するとすれば、
先行改革者(リーダー・イノベーター)向き、
少しだけ先行く者向き、
追随者向き、
専門家向き、
一般(マス)向き・・・
と区分して、分けて書かなければなりません。

でも、思っていることをただ書いているだけなので、その想定もありません。

ただ、具体的に仕事内容などは書いていないため、
基本的に本格的な政策提言などはありません。

そのため比較的一般向きにはなっていると思いますが、
若干は国連などを知っている人にしかわからないこともかかれています。




その上、このブログは、一つのテーマに、複数の別々の話題を詰め込みまくっていたりするので、何が言いたいのかわかりにくくなるとも思います。




しかし最近、これを読んで、「面白いですね」などと言っていただいたりすることがあります。
え、読んでる人もいるの??と思ったりもします。

特に名刺交換した方が検索して読んでいただいたり、かつての友人がたまたま見たりしてくれているようです。

読んでいただけるなら、今後は、もう少し、まとめないとな、と思っています。

これまで読んで頂いた方には、読みにくくて、ごめんなさい。お詫びします。




今後は、ある程度は改善しないといけないかなと思いますし、これまで書いた文も、テーマごとに割って書き直した方がいいかなとも思います。

でも、あーだ、こーだと、ややこしく考えてることを、自己満足で「書きたい」から「書いている」だけなので、ややこしくても、お許しいただけると幸いです。



谷本真邦
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私は、今のところ、ノンパルチザン(超党派)活動をしているので、あまり政治的には偏りたくありません。鳥で例えれば、右翼でも、左翼でもなく、胴体でいたいと思っています。

まあ将来的には、もしかしたら、なんかの党派に入るかも知れませんが。



そこで、ちょっと政治的なことも書いてみます。

平和主義者にしては、革新だけでなく比較的保守政党にもシンパシーを感じる部分もある私ですが、ただ憲法に関しては、一応護りたい派ではあります。




その昔、当時は珍しかった「学際」的な、とりわけ「環境問題全般」をやりたくて、一応どこの大学でも入学できる自信はあったのですが、神戸大学発達科学部人間環境科学科一本に絞り、入学したことがあります。

しかし元は理系の自然環境論コースであったのですが、環境というもの自体は自然現象ですが、当時グローバルな問題の筆頭でもあった環境問題は社会現象であることに気づき、社会環境論コースに「文転」しました。

そしてさらに、グローバルな問題という意味では、環境問題だけにとどまらず、子どものころから平和に興味があったため、憲法学・平和学の先生のゼミに入りました。

この先生は「谷本は朝日新聞を左だと思っているだろう、俺から見たら朝日は右だ」というほどの方でした。本当はもっと学ばせて頂きたかったですが、学生ビジネスが忙しくなり、さらに会社を全国展開するにあたり本社を東京へ移したため、引っ越しをすることになり、結局、休学したあげく、東京の大学に入りなおすことになったので、残念な思いを抱いています。ただ先生には人権や平和の大切さは教えて頂きました。




私は、なぜか子どもの頃から、平和のためには、世界政府みたいなものが必要だと考えていました。

でもその平和を望む原点はどちらかというと、戦争自体に興味を持ったことです。

私は小学校入学前から早熟でしたが、それでも普通の男の子として、戦闘機・戦艦・戦車などが大好きで、図鑑をいつも眺めていました。

小学校時代の話ですが、その頃から、図鑑にとどまらず、戦記物の本を読むようになり、はじめは兵隊さんになりたい、日本には軍がないので外国へ行って戦争に勝つ将軍になりたい、などと考えはじめました。

しかし本を読めば読むほど、知識が増え、だんだん戦争の悲惨さや不合理さを知り、逆に平和主義者になっていったのです。




私はそんな経験があります。その結果、憲法は護りたいと思っています。

日本国憲法は、議員の不逮捕特権など、ナチスの反省もこめてあるし、民主的に人権を守ろうとする配慮は、あちこちにちりばめられていて、良いと思います。




国際協力を志す者は米国の批判をする人もいますが、私は戦争・格差などの問題もあると思いますが、文化を中心に、米国にも良いところはたくさんあると思っています。基本的には米国は好きなんです。

少なくとも日本が負けた時、この日本国憲法をもらって、ソ連の子分にならなくて助かったと思います。

そして日本は降伏し、結果的に日本は幸福になったとさえ思います。

敗戦した結果で、被害をこうむったのは、廃止された華族、財閥、大地主です。

戦前に餓死したり娘を売ったりしていた一般国民は、敗戦後には、ダンスミュージックやロックを聴いて、コカコーラ飲んで、マクドナルド食って、なんだか楽しそうです。

少し自虐的に言うと、日本は故郷を守り、愛する家族を守るためではなく、華族、財閥、大地主を守るために戦ってたの?と言いたくなります。




でも、私は、憲法に関して、少し人と違う発想もあります。

まず、日本国憲法自体が、ある意味で、いい加減なものだと私は思っています。

私はゼミをちょこっと取っただけで、憲法学者ではありませんし、色々学説とかはあるのでしょうが、変だなというくらいは分かります。

直観的にも、大日本帝国憲法の方が格調高く、日本国憲法は甘ったるい作文に見えます。

それに日本国憲法は誰が誰に語っているのかよくわかりません。

憲法は、そもそも国家を拘束するものでしょう。でも主権者たる国民にいい事を言いまくっているわりには、納税や、労働や、教育を与える義務を負う、としています。王様が臣民に言ってるならわかりますが、自分で自分に義務を課すと勝手に決めている文脈なども、意味不明です。




その第一条では、「国家元首」という「国家機関」と規定することさえ不敬であるほどに「神聖」な存在だった天皇を、「象徴」と表現して、君臣一如にしつつ、元首かどうかもあいまいにしてしまって、政治権力から切り離し、かつ国民を統制するために制度自体は残した。

天皇陛下は、保守の方々にとってもそういう存在です。

やはりこの憲法は工夫があって、とても面白い。




ちなみに、今の中東でも、かつてのベトナムでも、なんでもそうなんですが、天皇陛下みたいな存在がないから、敗戦国はゲリラになったり、独裁者がいなくなると内戦になったり、混乱が長期化するのです。

日本は一部共産主義者などを除いて、ほぼ天皇陛下を尊敬していたから、敗戦後も統制をとれたのです。

米国はその事を忘れている。

言ってしまえば、戦争を終わらせ、あらたな民主主義になったのも、天皇陛下のご詔勅あってのことです。

本土決戦を叫んで、敗戦に同意した近衛師団長さえ暗殺した陸軍は、もし天皇陛下が処刑されれば、誰も統制できず、ゲリラとなって、日本はもとよりアジア各地で紛争は続いたでしょう。そしてその混乱にソ連が介入してきて、、、想像するだけでも恐ろしい。

米国は、戦争をしたら、強いから、すぐ占領できて、言うことをきかせられると、日本での「成功体験」が忘れられないようですが、東南アジアでも、中東でも、すぐ戦争をしかけたあげく、結果的には、その処理に悩んでいますが、日本では天皇陛下を残したから上手くいったのですよ。

占領したのは米国GHQではなく、米国とちゃんと取引できた天皇陛下が、戦後の日本をあらためて占領しなおして統治したのですよ。

天皇陛下は、貴族でも、武士でも、時の権力と渡り合うのはとてもうまいのです。

藤原道長も、徳川家康も、マッカーサーも天皇陛下にとっては同じ。「私の身はどうなっても良いから国民を救って欲しい」とおっしゃり、結果的には好感を持って迎えられた。

とても超越しておられるのです。




ただ、戦前の米国のプロパガンダ映画を観ましたが、その内容は衝撃的でした。

「ヒトラー、ムッソリーニ、ヒロヒト」として世界三大悪魔として登場しているのです。

「ハイルヒトラー」と、「ドゥーチェムッソリーニ」と、「天皇陛下万歳」を同列に、この三人を「カリスマ」というか、言ってしまえば「カルト」として、えがかれているのです。

現在の北朝鮮をえがくようです。

学校の軍事教練は今のアフリカの少年兵の問題のようにえがかれています。

やはり日本人として、これはショックでした。

ところが戦後は、戦犯はなぜか、ヒトラー、ムッソリーニ、東條になっています。あきらかに政策変更です。

政治プロパガンダというのは怖いものです。




そこで、そんな素敵な憲法の最大のクライマックス、第9条なんですが、

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

普通に読めば、こんな理想的な文章は、世界最高です。

と同時に、こんなんで大丈夫かとも思われる人も多いでしょう。


それに私は戦後の政府、および外務省を大変評価しています。これは皮肉ではありません。




結構一般的な人とは、反対の評価をすることも多いので、賛同されないことも多いです。

たとえば私は近代日本でもっとも尊敬すべき人は明治天皇と伊藤博文公で、もっとも評価しない人は山本五十六元帥なんです。

山本元帥は人格的にも評価する人が多く、開戦で勝利した後、英雄的に死んだので、あまり批判的な人はいないと思います。

明治天皇は言わずと知れたメイジザグレートです。世界史上まれにみる成功した統治者です。すべてを包みこむ器と強運をお持ちであった。大日本帝国憲法は明治天皇を前提に作られているから良いのです。内閣に輔弼され(ある程度拘束され)つつも、陸海軍を統帥す、というのも、明治天皇ならば、ありなのです。

またトップは当然強運が必要です。関係ないですが、東国原元宮崎県知事を例にとると、ご自身は、そのしゃべり能力と、知名度を生かし、自県のセールスでは大変活躍されましたが、鳥インフルで悩まされるわ、口蹄疫は発生するわで、宮崎県はこの人が知事の時には大変困難に陥った。これは運が悪いとしか言いようがない。この人がもし都知事になっていたら東京に災害が来るのではなかろうか、と言えば言い過ぎかしら。でもいずれにせよ、トップは運が強くないと、当然民はその人の運に振り回されるのだから。

次に伊藤公は、何せ政治が上手かった。貧しい生まれにも関わらず教養があり、かつ明るく柔軟で、英国など強いものを活用し、妥協しつつも、利権はある程度確保して、明治日本をけん引し、一等国にしたのです。封建時代を知る当時としては奇跡的に権力の側から議会・政党を作るなど、民主化にすら貢献した。

韓国では悪者になってるが、この人を殺してしまって、併合され、伊藤公が朝鮮には朝鮮文化を大切にという考えもどんどん壊されていった、という事実は忘れられている。「太閤秀吉公ももう少し学があれば、私みたいになれただろう」というくらい自身にも自信もあった。

欧米などでは伊藤博文の名を知らぬものは多いが、世界の革命家・大政治家として名を残していないのが不思議です。

日露戦争だって、対米戦争なみに無謀でしたが、その時も、恐露病者とまで言われて反対した伊藤さんは、やるときはやる。米国に仲介を頼んだ金子堅太郎、山縣有朋に金を出させてロシア革命工作をした明石元二郎、親友の井上馨を通じて外債募集に成功した高橋是清なども周りにいて、上手く戦った。だから乃木・児玉、東郷らの将軍の勝利も生きたのです。結果日本は辛勝した。



でも昭和は違った。山本五十六は少なくともハーバードに留学して、米国の潜在的実力を知っていたにも関わらず、押し切られて無謀な戦争の突破口を開いた。陸軍青年将校のように勝ちまくっているナチスドイツに心酔して錯覚するならわかる。

エリート官僚の典型の東條もどうすることもできなかったでしょう。

でも知識も実行能力もある山本が、早期講和を念頭において、真珠湾攻撃をしかけるなんて、馬鹿なことをやっちゃうのは、よくないよ。

しかも山本は、やれば負けると言いまわっていたらしいではないか。東郷提督は、明治天皇に必勝を約束した。そう考えると、必敗の提督が山本だ。提督がそんなんじゃ勝てるわけないわな。

近衛首相や広田元首相などの重鎮に、2、3年は暴れまわってみせるが、その後は自信がもてないから、早期講和をしてくれと言ってたというから、あきれる。

例えて言うなら、のび太が、ジャイアンを、背中から蹴って、あとですぐ仲直りしてね、なんて・・・出来るわけないじゃないですか。そんなのは子どもでもわかる。


そして、状況をわかっていたならば、天皇陛下、永野軍令部総長、嶋田海軍大臣らに対し、腹を切って命令にそむくべきだろう。それが連合艦隊司令長官たる山本の唯一のできることだったはずです。己の実行した作戦のせいで、後に焦土と化す日本は想定できたはずです。

北にしても、南にしても、当時の軍事戦略、外交政策が本当に信じられない。謀略をしつつ、ひらすら独り占めしようだなんて、なんていう戦略だ。

そんなことをすれば有色人種ということで、多少見下されつつも、せっかく仲間に入れてくれた先輩先進国たちにボコボコにされるにきまってるではないか。指導者の勘違いと、プライドと意地、そして過度な自信と欲望のせいで、焼け野原にされた国民は悲惨です。

国際連盟脱退時には、せっかく松岡全権が名演説をして、英国などが妥協案を持ち掛けてきて、逃げ道を出してくれたにも関わらず、また全権も何とかそれにのろうと本省に懇願しても、当時の内田外相はそれを認めず、結局脱退せざるをえず、日本は、国際社会から締め出された。

その松岡も三国同盟にソ連を引き入れて、英米から身を守ろうなどという、とんでも外交戦略をとろうとしたので、驚きだ。

こないだまで同盟国で皇室王室の交流も盛んだった英国や、たっぷり金を貸してくれていた米国をうらぎってまで、すぐに政策をころころ変えて勢力を広げるあぶなっかしいヒトラーや、共産主義を自己流にしたスターリンと組もうなどというのは正気の沙汰ではない。

また、政治や外交の「正義」というものは、流行を見極めないといけないのです。国内だって戦国時代と今では、正義や公共哲学は、全く違うでしょう。世界社会も同じなんです。戦前の日本も筋論だけでいうと間違っていない。アジアを侵略したという人もいるが、日本は欧米諸国から奪ったのです。だから保守の人が言っていることも間違いではない。でも残念ながら流行おくれだったのです。

第一次大戦後、世界の雰囲気は一変した。それまでは、どこの国家も王様の個人所有みたいなもので、強いものよしの、植民地奪い合い合戦みたいな世界だったが、第一次世界大戦で殲滅戦の悲惨さから、雰囲気が変わってしまった。

だからその後にもまだ、植民地を拡大しようとした日本は完全に出遅れしまったのである。

ドイツも第一次大戦のしかえしをしただけなのだが、やりすぎた。昔だったら政治的天才のヒトラーは、ナポレオンに比すべき英雄だっただろうが、世界史の雰囲気からすると、流行おくれだったのである。

話はそれますが、ヒトラーは、演説やプロパガンダの能力がすごく、国民が心酔して、選挙で独裁者になったように思われているが、それは少し違うと思う。たしかに演説はうまいし若者や女性の心を奪う演出には長けていたが、彼はもともと一揆を起こして政権をとろうとした人だし、それに失敗してから合法的に選挙に政策転換したが、大統領選挙でも負けているし、もともと政権獲得時でも党の議席も過半数をとってなかった。

しかし彼は副首相案などを保守派から提示されても妥協せず、軽い神輿にみせかけて首相になり、またそのとき党は二人しか閣僚ポストを得られなかったのに、そのポストや国会の火事などを最大限利用して、全権委任法を通させ、反対派を粛清し、その強気さと政治的天才性で、すべてを自勢力に取り込み独裁者になったのです。

その後も強気一筋で国債をすりまくって失業者を減らし、条約を無視して軍拡をして欧州を制覇したが、やはりそんな無理をしていたら、しっぺ返しがくるのです。

また人種差別政策もよくなかった。彼は自身の政治的成功のためには何でもする男だ。あれだけ共産主義を赤いペストなどと言っておきながらスターリンと不可侵条約を結んだり、そしてあっさりそれをやぶったり。だから人種差別を言うと人気が出るからそれに邁進たから、逆に人種差別が政治的に不利になるならやめたような気もするが、結局民族浄化みたいな収容所での虐殺などはやりすぎなのはもちろんのこと。とはいえ米国だって一般市民が暮らしている街の上に平気で原爆を落とすし、ソ連も中国も自国民だって大量に殺す。政治はともすれば狂気を生むからどっちもどっちだ。英米とソ連に挟み撃ちにされて、終わってしまった。


私は国会議員の不逮捕特権というのはとても大事だと思う。国会議員というのは国民から選ばれた立法者であり、とても大切な存在です。

それがないと政府に邪魔な議員はすべて逮捕してしまって好きに法律を作れてしまう。
基礎の基礎ですが、生活をしてると忘れがちです。今はみんな選挙違反ぎりぎりで政治家になっている。弁士とか言ってポスターを張って、政治活動と称して政策ビラを配っている。こんなのは政府がやる気になれば、全員選挙の事前運動だとして公職選挙法違反で逮捕しまくれる。しかも公職選挙法違反で有罪になれば公民権が停止されるから、もう主権者ではなくなる。

議員定数削減にも反対です。増やしてもいいくらい。定数削減はまさに民主主義を減らすことです。議員の給料や政活費が高いなどとケチなことを言ってると、すべて行政府が権力を握ってしまいますよ。もしかしたらこの雰囲気も官僚の高等戦術かもしれない。

日本の国内の貧しいエリアにも光を当てようとするのは、そこに選挙権を持つ人がいてそこから国会議員が出るからだ。世界には貧しいところに光があたらないのは、世界議会がなく、世界社会の有権者と代議員がいないからなのです。

私は国民から選ばれた議員には、それこそ一人ひとりシンクタンクを持たせるぐらいの税金をかけて、議員が法律や予算をまとめられる実力をつけてほしい。そして逆に行政府を軽くするという方が民主主義にとって良いと思う。

私は官僚の方々も個人としては立派な人が多いと思っているから、逆にどんどん国会に出て国民の信を得て、そちらで立法するようになってもらいたいと思っています。

立法の府と言っている国会ではなく、それを執行する行政府が法案を持ってきて、国会はそれを通すだけとか、予算委員会で、予算についての計算の審議ではなく、政治家個人のスキャンダルの話をしているなどとというには、違和感を感じませんか?私は子供の頃からそれが不思議で仕方ありませんでした。


そんなことですが・・・戦後の政策に話を戻します。

結局、喧嘩して「ぼこぼこ」にされた米国の「子分」になって、「親分」に貢物を送りつつ、その親分を「客」にするという、ある意味「ずるいやり方」で、こちらの方は痛快です。

プライドの高い海兵や士官学校上がりのエリート将校には出来なかったのですが、意外にも官僚は、そんな技が出来たんですね。

「へへーっ、お代官様!」と小判をおくりつつ、「お前も悪よのー」と言われながら、うまい汁を吸う時代劇の越後屋のようです。

そして、軍事同盟でソ連の脅威から守ってもらいつつ、さくっと、車やオーディオを売りまくって稼ぐ。

戦後民間ベンチャーも多数育ったし、解体された財閥系の企業も株式公開会社として復活し、大きく経済発展した。

気づけば米国親分は、子分の日本の「良いお客」にされていたのです。

実際、プライドは捨てないといけないかもしれないが、プライドを持って焼け野原になるより、良いと思います。

というか、武士道ではないかも知れないけれど、商人道としてのプライドを持っても良い。

少なくとも、この戦後政府のおかげで、私も好き勝手に生きてこられたことは、まぎれもない事実です。ありがたいことです。

そして、湾岸戦争などで、「お前も戦争を手伝え」と、米国親分から命令された時は、「これは親分から言われた憲法ですぜ、だからやりたくても血は流せません」と逃げる。

最高です。

しいて言えば、湾岸戦争の時は、日本はお金を出しても人は出さないと敬意を表されませんでしたが、逆にいえばお金をいっぱい出してる大スポンサー様なのだから、キャンプでバスケをしながらミサイルのスイッチを押すだけの多国籍軍のみなさんには、「もっと日本を厚遇しろよ、下手な広告会社だって、もっとスポンサー様を大事に扱うよ」とは思いましたが。




それに、もっとすごいのは、日本は自衛隊という陸海空軍という戦力を持っているにも関わらず、持たない、これは軍ではないと、言い切るところです。

これはすごい。

これだから、戦後70年戦争をしなくてすんだのです。




私は元防衛大臣の先生から、日本も、自国を守り、世界の平和を守ることのできるような、普通の国にならないといけない、と言われたことがあります。

私は、日本が「軍を持ってても、軍は持たない」と平気で言い切る「普通ではない、異常な国」だからこそ、ずっと平和で、しかも経済発展して、私自身も兵隊に行かずに済んでるんです。

もし普通の国だったら、今頃、戦争をしながら、家族は貧しい、普通のアジアの敗戦国民です。と生意気にも答えました。

そうじゃないですか?




我が国の憲法は、元々「自国の法律の大家」が作ったわけではないんです。「外国の民政局」の人たちが一週間ほどで作った、いい加減な文章なんですから、実態とかけ離れていてもいいじゃないですか。そのおかげで言い訳もできるんだし。だから守りましょうよ。せっかく便利なのに、もったいないですよ。

あえて言います。これは「理想」の絵すら事にすぎないんです。だから「現実」とかい離していても、掲げておくべきです。

目指すべき理想なんです。

不真面目ですが、目指すべきものは、嘘でも、おいておくべきです。

真面目に、現実どおりに文章を合わせれば、どんどんハードルさがっちゃいますよ。




あと国際貢献でいえば、日本の主権から完全に離すのも手です。

私は、本当は日本は戦うよりも、ロジなどで技術や物量で協力する方が世界のためにも良いと思っています。

しかし、どうしても、世界の敵である極悪テロリストと戦わねばならないなら、世界司令官の下に、軍事力を差し上げるしかない。

日本出身の自衛官でも、いったん日本人をやめてもらって、大量に傭兵になってもらう。

そうして日本は、「国権の発動たる戦争」は絶対しない。

国権は、こちらからみたら正義でも、交戦国からは悪であって、相手国も自分は正義だからです。

私はすべての戦争、すべての人殺しを正義ではなく犯罪にしたい。

だから、もっとも理想は世界から完全に戦争をなくすことです。

でも人間も生物である以上、ならず者は出てくるかもしれない。でもその時には世界が委任した世界裁判所が認めた警察軍事行動なら、完全に相手は世界の犯罪者なのだから、いくら戦っても、それは正義といえる。国というある種の私的組織の問題ではないのです。

それなら憲法には抵触しないでしょ。その軍事行動は国権ではなく、世界権、人間の自然権なのだから。

世界連邦運動の原点、1947年に出されたモントルー宣言では、世界各国の独自の軍備は全廃して、世界警察を設置するとしています。

まあ、今は国連しかないけど、すくなくとも、国連事務総長でも誰でも良いけど、安保理で決議した、国際司令官の下の軍事行動なら、国権とはいわないから、憲法を変える必要ないじゃないですか。

そんなこんなで、米国親分への言い訳はいくらでも考えられますよ。

だから、憲法を変えるのはやめましょうよ。




でもそんなに米国親分の言うことをきかないといけないなら、日本人にも大統領の選挙権欲しいな。この際ハワイみたいに州になっちゃえば、選挙権ももらえるのに。1億人以上いて、個人金融資産1500兆円もあるのだから、日系は米国最大の一大勢力になりますぞ。

おっと、これは言い過ぎですね。日本国という国家は大切ですねー。




でもこれだけは言いたいです。

どこの大国でも、世界警察になることはできない。なぜなら、その国以外の人には、政治参加権(選挙権)がないから、その政府に警察の役割を委任したわけではないのです。

全人類に選挙権をくれる国なら、世界警察と認めてあげれられるけどね。




谷本真邦
 

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「ノマド」とともに、「フリーエージェント社会」という言葉が流行ってますよね。

私はまさにそれを実践してきましたし、これからも実践したいと思っています。




私自身の活動で言えば、何度も大学へ行きながら、起業をしたり、公的な立場の仕事をしたり、たまにはメディアや芸能界に関与したりもします。

私は、一般的な「国連事務局常勤職員」や「日本国政府省庁キャリア官僚」などの「正規の役人」ではありません。

でもモグリというわけではありませんよ。いろんな制度を応用・活用してもらいながら、NYなど海外にいる国連高官から正式に国連関連のキャンペーンや、プロジェクトのチーフなどをそれぞれ嘱託・任命されたり、独立した支部的な承認非政府組織を設立することを承認してもらったり、外国政府から名誉官職として外交業務を委嘱されたりして、フリーエージェント的に働いてます。こういう形を望んでいたのです。

実務家の「官嘱託特務機関」として、「平和的な007」みたいなものになりたいですね。

政策提言者や諮問機関として「国際アクティビスト」や「国際ロビィスト」でもありたい。

もちろん、政治家=公務員の立派な人も良いですが、ガンジーやキング牧師のような、無位無冠の政治運動家に憧れます。

しかも、今のところ、超党派・超宗派です。




でも官の機関といえば、日露戦争の明石機関や、日中戦争時の悪名高い土肥原機関みたいに、ほとんど軍人がするものです。

現代の国連でも、「国連嘱託」といえば、特別顧問や特使などを除けば、治安維持軍をイメージします。

民間人では、昔の政界の黒幕が、青年期の、浪人時代にやっていた例はありますが、現在の日本にはほとんどいません。これは相当特殊な立場です。




有名な人で言えば、明治維新の坂本龍馬などはそういう立場だったのでしょう。太平洋戦争時の笹川良一氏や児玉誉士夫氏などもそうですね。

ちなみに児玉誉士夫氏というのは、ロッキード事件以降、金に汚い反社会勢力のドンみたいに言われ、良い例ではなくなりましたが、元々は志士です。

(自称)日大専門部卒で、それ以前の労働者時代から、頭山満氏や赤尾敏氏、上杉東京帝大教授、創価学会創設者などそうそうたる右翼の人と交流し、右翼団体を転々としたり、自分の独立青年社を組織したりして、政治運動をしました。政府にも認められ、外務省情報部嘱託として、三井財閥系の王子製紙の社員になりすましたりしながら日本とアジア諸国を行き来して奔走。そして事業家兼芸能プロデューサーでもあった笹川良一氏が創設し総裁をつとめる日本の「ファシズム政党」の国粋大衆党の東亜部長として衆議院議員選挙に立候補したり(結果は児玉氏は落選。なおこの時に笹川氏は当選しているので厳密にいうと笹川氏は官嘱託というよりは普通に政治家ですが・・・)、この笹川氏をはじめ様々な官民の大物のバックアップで、民間人ながら外務省・内務省・陸軍・海軍の嘱託を歴任、北一輝配下出身で学生運動家から特務機関となった許斐氏利氏らと連携して、児玉機関を設置し、そして勅任官(将官)待遇、内閣参与にまで出世し、一介の無名の青年が、わずか数年の間に、指導者を対象とするA級戦犯に指名されるほどの要人となりました。この児玉機関で調達した海軍資産を払い下げられ辻嘉六氏を通じて自民党の前身の自由党(のちの首相の鳩山一郎氏が作り吉田茂氏が引き継いだ政党)の結党資金を拠出し、さらには大学の創設に関与したり、広告業界やレジャー業界を牛耳ったり、極左勢力に対抗するため全国の暴力団や宗教団体をまとめようとするなど、政財界の黒幕となりました。

当然、平和運動に携わる私は、主義思想や、やる内容も、戦時や冷戦時代の彼と私は全く違いますが、正規の役人になるよりは、こういう嘱託機関みたいな形で、公的な関わり方をするのは良いなと、ずっと思っていました。

脱藩浪人の維新の志士にもあこがれました。

その方がしがらみがなく、自分の信念に命を懸けられるからです。




現代は、「新しい公共」として、官庁だけではなく、市民社会の政策提言や実働を通じた、公共への参加が進んでいます。

国家の連合会である国連も、NGO(非政府組織=ノンガバメンタルオーガニゼーション)の参加(協議資格)を認めています。

また国連機関には、各国に「駐在事務所」のほか、「国内委員会」もありますが、これは官庁内におくものもありますが、民間団体との連携という形も進めています。

日本にも、有名な日本ユニセフ協会などやUNHCR協会などがありますね。そのほかにも日本国連協会などもあります。しかもこういう「協会」の世界国連協会連合会などの世界組織もあるんですよ。

こういう風土はぜひ進めていきたいですね。

ちなみに日本ユニセフ協会が「ニセ物」なるネット情報が出回りましたが、もちろんニセ物ではありません。親善大使の芸能人が贅沢な家に住んでるなどと「寄付を流用」してることを連想させる情報もありますが、それも関係ありません。芸能活動で稼いだものでしょう。たしかに講演などで稼ぐのにあたって親善大使という肩書が有利に働くことはあるでしょうが、それは寄付金とは関係ありません。たしかに日本ユニセフ協会は、厳密にいうと国連児童基金(UNICEF)とは別ですが、ここと提携したきちんとした組織です。国連児童基金は役所なので駐日事務所は日本の政府からの拠出金の窓口にはなりますが、民間からの寄付を受け取る窓口としては、民間法人が必要なのです。またある程度の経費はかかります。なんでもかんでもボランティアだけでは協力活動は続きません。慈善活動であっても、広報・通信関連費用はもちろん、人件費だってある程度は認めないと継続した活動はできないのです。このようなネット情報で、「困っている人への寄付文化」に悪影響を及ぼすことは残念なことです。

関係ないですが、ここに皇族の方が、「宮」をとった名字で普通に働かれていたりしていたので、おどろきました。

あと国連で有名な日本のNGOは先述の笹川氏が設立した日本財団です。笹川氏は先述の児玉氏の親分筋の日本最大のファシズム政党の党首で衆議院議員でしたが、戦後は戦犯容疑で不起訴となって以降は、競艇という公営事業をはじめて、これを財源としている公益財団法人もはじめました。公営事業のため完全な民間組織とはいえないですが、それでも国連活動に大きく寄与している政府以外の組織です。

この笹川氏は、国連や、あちこちの大学で、その名を残しています。たとえば国連笹川環境賞(UNEP)、国連笹川健康賞(WHO)、国連平和大学奨学金、ハーバード笹川奨学基金、オックスフォード笹川奨学基金、フレッチャー笹川ホールなどなど。

そのほか、国連で有名な日本のNGO(?)といえば、創価学会や立正佼成会などの宗教団体です。

欧米では寄付文化があるため、二人のビル(クリントン、ゲイツ)の財団や、ジョージソロスの財団など、政財界からの多額の寄付基金があり、NGOが育ちますが、日本ではこれが少ないため、モーターボート競走ギャンブルという独自財源を持つ日本財団などしか、有力なものがありません。やはり商売をしないと、本当にノンプロフィットでは、国際協力はできないのです。

世の中に良いことをするためには、お金が必要なのを、もっと理解をしてもらう必要があると思います。政府には納税者の理解、NGOには寄付をした人の理解が必要なのです。活動には人件費がかかるのです。しかも国際協力であっても現地に行かずにロビー活動をする人や事務をする人もいること。そして、これらの人件費をある程度高額でないと優秀な人材が集まらないこと。これらは、なかなか理解されないかもしれませんが、これを理解してもらわないとなかなか国際協力や慈善事業は発展しません。

日本のNGOは、まだまだ財源面で厳しいものがあります。

そういう意味で現時点では、まだ日本は、補助金・助成金など官主導でないと難しいですね。

そのためNGOの中でも、政府から委託を受け、GCO(政府協力組織=ガバメント・コーポラティブ・オーガニゼーション)といえる組織や、特殊法人なども多く、これが現代の官嘱託ですかね。

政府にとっても国際協力を任せられるNGOは便利です。しかしそれ以上に、私的には、政府は直接国益を代弁せざるを得ませんが、そこから自由なNGOは世界協力に柔軟に対応できるのです。だからNGOは大切なのです。




官嘱託に話を戻すと、WFMの会員にもなられている伊勢崎賢治氏なども、大学院を渡り歩きながらインドで市民活動家となり、その後NGO職員や、大学教授、ミュージシャンなどをされていますが、その間しばしば国連や外務省などからDDRなどで呼び出され、そして他国の議員や知事に就任されたりと、活躍されていますよね。

現代の官嘱託特務機関は、これらの方々が近いかな?




話を戻しますが、いずれにせよ、私は、事業家をしつつ、正規の役人にならずに、公的な仕事にも関わり、やりたいことを実現する。

そういう働き方をしていきたいと思います。

辞令一本でどこにでも飛ばされるエリート官僚よりも、その方が自分の仕事が出来ると。

もともと外交官になるつもりだった出光佐三氏も同じことを教えられ、出光興産を創業されたらしいです。

こんな立場になりたかったのですが、私も奇跡的に実現していってます。そんな状況に感謝していますし、自分にも誇りを持っています。




また私は、事業家として、大きくなりたい、大きなことをしたい、大きな組織を経営したいなどという欲望もあります。

それは、大きくなければ、大きな影響力はもてない、影響力がないと社会を良くする事ができないからです。もちろん個人的ではなく公共のための欲求ですよ。




ただ、大きな組織といっても、個人の労働者としての視点からみれば、必ずしもこれからは新卒採用・年功序列・終身雇用は減少し、雇用は流動化するでしょう。

もっと言えば、フランスの思想家で政治家のアタリも言っている国境を越えた劇場型社会になると思います。プロジェクトごとに、各アクターが集まり、仕事を遂行して、千秋楽を迎えると解散する。

ただしこういった社会では、偽物の情報が氾濫するので、それを取りまとめる機関としてのマスメディアや監査組織がますます重要になりますし、それに強固な組織としての信用がないので、保険会社がますます必要となっていきます。




そういう意味では、個人は「本物」になるために、専門的能力を常にブラッシュアップしいかないと、プロジェクトに参加できない。

逆に言えば、能力があれば、背景がどうであれ、採用される世の中になります。

ある意味、フェアな世の中になってきたんですね。

そこで生き残るためにも、みなさんも、ぜひ、個人の能力をブラッシュアップしていってください。

フリーエージェント社会は、決して楽な生き方ではありませんし、まして働かなくても暮らせるという意味での自由業ではありません。

自分の意思や、仕事に対して、認めてくれる社会を常に探し、そして契約するのがフリーエージェント。

もし完全な組織人であれば、好き勝手な事を言ったりはしたりする事は出来ません。常に意思と違ってもそれに従順に合わせなければなりません。フリーなら、言えるのです。意見の合わない組織とは決別し、認めてくれる社会をさがし続けるのです。そのためには相当自分を必要とされる能力が必要なので、楽どころか大変な厳しさです。

でも、これをこなせれば、こんな幸福な時代はないでしょう。ですから来たるべき時代にそなえ、研鑽していきましょう。






いろんな事をやってきた私の活動は、一見脈絡がないようにも見えますが、究極の目標があり、それは(何度も書いているように)「世界を一つにする事」です。現代の「天下統一」「世界維新」です。誇大妄想や理想主義と言われようとも、それが信念です。




ただ、私は、こういった大きな目標を持っていますが、それは人生の「長期目標」にしようと思っています。

人生は目標を持った方が良い。

しかも短期から長期と時間軸で分けた方が良い。




そして長期目標は、漠然としたものであればあるほどいい。

私のように「世界を平和にすることに貢献する」とか。

人によっては「笑ってくらしたい」とか「カッコよく生きたい」でも良いと思います。

こういうものは、死ぬまでぶれない方が良いと思います。




もちろん、完遂するのが理想ですが、それはたぶん難しい事もあるかもしれません。

でも考えてみれば、世界、つまり大宇宙の長い歴史から見れば、人の一生なんて、ハナクソどころかケシツブ以下です。

自分から見れば、その人生こそが世界だから、大事に見えているのだけなのです。

でも人生を、自分の理想の実現を目標とするのではなくて、その生涯の目標に対して、どこまで近づけたかという「修行」や「ゲーム」と考えると、人生はますます楽しいものになるでしょう。

どうせ人の一生なんて大した事ないんですから、楽しくやりましょう。




もちろん、それだけではなく、「中期目標」も作ります。つまり数年くらいの間に何を目指すのか?それは長期目標のツールを形成することです。はっきり言ってこれは長期目標を見失わなければ何でも良いのです。

例えば東京から大阪を目指すのに、飛行機もあれば、新幹線もあれば、車も、徒歩もあるように。




そして「短期目標」も大切です。これは中期目標の下、今まさに何をすべきか?現実を見て、コツコツやることです。今月の、今週の、今日の、目標ですね。




これらを並立させないといけないと思います。




また長期目標は漠然としてる分、ぶれてはいけないですが、中期や、短期になればなるほど、時代や環境の変化や要請とともに、柔軟に形を変えて、ローリングしていかなければなりません。固定化すれば逆に潰れやすいのです。



今を、悩んでる人は、こう考えてください。

自分の人生の目標は何か?まずこの長期目標を決めてください。

そして書きましょう。

それに対し、自分のやっていることが、どうしてもうまくいかないとする。

ならば、人生の目標のベクトルだけは変えずに、今やっている方法を、柔軟に変えるのです。

それは夢を捨てるのとは違います。

例えて言うなら、目的地は変えずに、飛行機を降りて、電車に乗り換えるだけです。そして結局は目的地へ向かってるから、大丈夫なのです。

短期目標はどんどん曲げればいいのです。




あと人生は死ぬまであります。当たり前ですが。とんでもない奇跡もあるので、決してあきらめず、死ぬまで生きましょう。

だから今うまくいかなくても、死ぬまで挽回のチャンスがあります。
何度も言いますが、年は関係ない、死ぬまで人生はあるのです。

そして、いよいよ死ぬ寸前になったら、自分の人生を振り返り、「どこまで出来たかな?大して出来なかったよな。ではまた来世にかけよう!」と笑えば良いのです。

そんなものでしょう。




谷本真邦




 

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私は今夜は空港で寝ました。明日も空港で寝る予定です。
朝の飛行機ならホテルより、節約で空港で寝るのも楽しい。
今は世界中の空港でもどこでも快適に寝る事が出来ます。

私は紛争地で銃弾が飛び交う下でも平気で寝られると言われた事もあります。
実際は多忙でゆっくり寝る事なんてあんまりないんですけどね。



今も、出張続きの旅暮らし。「世界人」でありたい私は、家に帰る事はほとんどありません。世界中飛び回って転々として暮らすのが大好きなのです。

カッコ良く言えば、PT、ノマド、マルチハビテーション・・・。
冗談で「ポジティブ・ホームレス」と言ったこともあります。

大学も掛持転々、仕事も掛持転々・・・と以前かきましたが、住居も、何でも掛持転々なのです。(女性も掛持転々?)

これは、一生続けたいです。

しいのみ学園の昇地三郎先生の様に、100歳になって世界一周、大学講演旅行をはじめ、107歳で亡くなるまで続けました。まさに生涯現役です。憧れますよね。



国連・NGOや、関与している事業会社、そして大学などの、定例会議やイベントをまず起点にして、旅スケジュールを組みます。

普通に連絡をとりあってると、都内にいると思っている人も多いようですが、意外に海外に滞在中だったりもします。

だから常に電話は切れてたりするので、別のコミュニケーションツールでのやりとりが助かるんです。

友人との待ち合わせも海外でするのが楽しい。次は「NYのダコタハウス前集合ね」などと。

週末の弾丸ツアーも楽しい。今の私の場合は、イベントへの出席などの出張がほとんどですが、遊びモードの時期などは、毎週のように週末はリゾート地に出かけたものです。

たとえば、ベースが東京にあるとして、土日に休みがある人は、金曜の夜に仕事終わりで空港に直行し、夜便に乗れば、アジアやミクロネシアなどなら、まる土日丸二日楽しめます。月曜朝に帰ってそのまま仕事へ行くのです。眠い、きついなんて言わないでね。


余談ですが、グアムやサイパンは、「安・近・短」と言って、ハワイやバリなどに比べても、しょぼい、みたいなイメージはあります。またグアムなら沖縄に行くわという意見もあります。

もちろん沖縄も好きなんですが、何と言ってもグアムサイパンは、日本からわずか三時間で行ける「アメリカ=西洋」です。文化の違いも楽しめるし、海の美しさは他のビーチリゾートに比べ全く遜色ない。GWに渋滞の中、都内から軽井沢の別荘へ行くより早いかも。

またリゾートの中でも特にマリンスポーツが好きだったので、出張のついでに、世界中のあらゆるビーチリゾートを訪れましたが、結局すぐ行ける事を理由に、グアムサイパンに最も多く行きました。実はグアムは意外にも「ビーチ通」の日本人には、かなりのリピート率で人気があります。私もグアムだけで、もう数十回は行ってます。グアムは一時期毎週末行ってたので、入国審査で「お前本当は仕事で来てるだろう」と、よく止められましたよ。当然ハワイも好きなので、何回も行きましたが、やはり時間がかかるので、仕事モードに入ると多忙で行きにくくなります。そういう利便性もふくめて、グアムの素晴らしさを、もっとプロモーションする必要があると思います。



私は、リゾートが好きです。

海などの水辺も好きですが、山や温泉もなんでも大好きです。

ホテルもいいですが、別荘もいい。

軽井沢や箱根などにある、万平ホテルや富士屋ホテルの様な、クラッシックなホテルも歴史やセレブのストーリーなどもあって、楽しさ倍増です。

別荘を借りたりも良くします。

海外ではバケーションレンタルと言って、あいてる家を人に貸す文化があります。日本の別荘地には空家状態で荒れ果てている別荘がたくさんあります。また別荘に着いた途端、掃除と草刈りからはじめるなんて大変です。そのためにも貸し出した方が管理面でも都合がいい。法的な問題も緩和させて自己責任契約と保険で対応できるようにした方が合理的ですね。Airbnbとか、民泊も流行りはじめてますしね。

私もそのうち貸別荘事業をやってみたいと思っています。

古代ローマ時代から、洋の東西を問わず、市民=貴族=武将=領主=素封家などのエリート層は、地方の荘園・田園の城(マナー)で暮らし、都会の政治に睨みを利かし、何かあれば「いざ鎌倉」ではせ参じる、というカントリージェントルマンの生活が理想とされていました。

西武財閥創業者の堤康次郎氏は、サラリーマンにもこういう貴族的生活を体験してもらおうと、箱根や軽井沢に500円別荘を開発したのが、プリンスホテルグループのはじまりです。

ちなみに軽井沢は私も好きなのでちょくちょく行きますが、あそこはもともとキリスト教関係者が別荘地として開いただけあって、自然とともに質素な暮らしをするのがいい。セレブも大衆でも関係なく、静かにお茶をのんで本でも読んで過ごすのに向いています。夜になるとお店も何にもなくて真っ暗というのがいいのです。華美なものは、日光や箱根・熱海の方が似合う。そのため大衆向けの施設ができて、大渋滞になるのはつらいです。

まあ私自身は、今のところ多忙なので、ゆっくりリゾートで長期滞在することは不可能で、転々とするノマド暮らしが向いていますが、せめてもの・・・ということで、むりやり弾丸ツアーか、会議や作業などの仕事は別荘ですることで、リゾートを楽しみました。

私も鎌倉の古民家別荘がありますが、鎌倉古民家でベンチャーを起業する「カマコンバレー」などもはやっています。



また都会も好きです。労働者は職住隣接で、タワーマンション(団地)などに大量の人を詰め込んで暮らさせるという生活のあり方も、ネガティブではありません。

自然は自然として残し、人はどっかに集中的に住むという方が、よっぽど合理的です。地方の活性化とか言って、地方を中途半端に都会化させるのは無駄な気もします。物資だって、あちこちに運ぶより、一か所に運ぶ方が燃料代もかからないし。

なので、都会とリゾート(自然)の役割を、使い分けるのが良いあり方だと思います。



ただ先祖代々との思いから郷土愛の強い人が気になります。その気持ちは理解できますので、大切にしないといけないと思いますが、災害・紛争・政情その他の危機において、移動できない人は、かなりリスクを背負うことになります。その時々で便利の良い所で暮らす事が出来れば、社会にとっても本人にとっても、都合が良いものです。



21世紀は、ノマドの時代。

しかもエコ・サステイナブル、ミニマリスト、そのベースにあるフラット化・シェアする社会の時代だとも言われます。

それに対して、かつての20世紀は大量生産・大量消費の時代。しかもバブリーなものも花盛りでした。

私も元々、何でも所有するのが好きなので、会社もいっぱい設立し、支店もあちこちに作り、家もあちこちに持ってしまいます。しかもバブリーなものも大好きです。高級マンションに、豪華な別荘。高級車に、クルーザー、チャーター機。ブランド物。そしてご馳走に、美女たち・・・などなど。

だからどうしても物が溜まってしまいます。



でも欲ばりな私は、逆説的にいうと、20世紀式も、21世紀式も、その両方を経験したいと思い、あえて、「断捨離」にも挑戦しました。

しかも、今は公的な仕事を中心にしているため、贅沢はしない方が良いタイミングなので質素な暮らしをしてみるには一番の時期です。



元々会社経営者時代、麻布に会社の関連施設として複数の物件があり、そこにも色々な物を置いていたのですが、社長を退任した時に、当然そこの使用もやめました。

そして、このGWに、大量の物を捨てました。

湘南鎌倉に一戸建ての家が二軒あったのですが、そこをやめ、そこにに置いてあった大量の物を処分したのです。

湘南の物件は6LDKの庭付き平屋で、外にある倉庫も含めると、相当物を置ける場所があったのですが、そこを埋め尽くす、物、物、物。

ほとんどは家具、服、小物、そしてメディアセンターか?という位の大量の本やDVDなどのソフト類。

ブランド物などの高級品もあったのですが、買い取り業者に売るなどとまじめに考え始めると全て捨てたくなくなるので、何も考えず、一気に捨てました。

それでも一部は京都の実家へ送り、日常使うものは都内の倉庫を借りて入れ、サーフボードやギター・シンセ・MTR・ターンテーブルなどは人にあげて、すっかり空家になり、きれいさっぱりです。

車は、8人乗りの大型乗用車だったので、後進の社長が経営している会社に、社員寮から現場へと送迎する車として寄付しました。


とりあえず私は一旦身軽になりました。

持物も、スーツとカジュアルとパジャマ替わりの服の三種類だけ。クリーニングに出す間の予備があれば何とかなります。ワイシャツと下着や靴下などはまとめ買い。

仕事関係などの書類は、究極はサーバーにデータを入れてさえおけば、あとは端末をどっかで借りれば事足りる。図書館に行けば大量の本もタダで読めるし。

そして物を捨てるとともに、しばらくは質素に暮らそうと思います。



旅暮らしをしている間、高級ホテル暮らしをしたこともありましたが、まあそれも今でも大好きですが、実際は仕事をして寝るだけだから、雨露を凌げさえすればシェアハウスなどで十分だとも思います。

移動も自家用ジェットやファーストクラスなどに乗らずともLCC乗り継ぎでどこでも行ける。街でも運転手つき高級車なんかやめて、今は電車バスかカーシェアリング。その方がエコで合理的。船は乗る事それ自体が目的だから別ですけどね。

ちょっとした移動ならば、私が「モバイルオフィス」と呼んでいる重い荷物を持って、歩いていけば、ジムなどへ通わずとも運動になる。それに以前からエレベーターやエスカレーターは使わず階段を駆け上がるようにしています。

もし、仕事で一刻を争うほど急ぐなら、「社会の側」が素早い移動手段を用意してくれる。


またダイエットと健康を考えれば、ご馳走なんて食べない方が良いんだから、野菜と小魚中心の粗食をよく噛んで食べればお腹は満足。それに濾過機と水筒を持ち運べば水道水も飲めて生きられる。



だから、事業をしたり、家族の養育などがある、などというのを除けば、生きていくのに、お金なんて、そんなにかからないんですね。

仕事をしまくって、質素にくらせば、必ずお金は作れます。

とはいえ、私は事業とかをやっちゃうから、むちゃくちゃお金がかかり、結局生活費で節約した分などは微調整程度にすぎなくなるんですが。それでも質素倹約の「精神」が大事だと思います。



しかも本当に大事な物は、健康で働けることと、自分を理解してくれる人がいること。
私はこのことには、とても恵まれていて、めちゃくちゃ幸福です。感謝しています。



まあ、とはいえ所有欲の強い私はまた経営者になれば、良い物をどんどん増やして行く事になるでしょうけどね。

また20世紀はアメリカが作った大量生産・大量消費の時代とステレオタイプに言われていますが、昔から共産主義やスピリチュアルな文化もあったし、ヒッピーやバックパッカーなどもいたのだから、いつの時代も、このような大量生産消費と、エコで質素な生活文化は、並立していくのだと思います。

私もこれを行ったり来たりして生きていこうと思います。


現代はシェアする文化がさかんです。合理的で良いですね。ただし、これも一つの商業的仕掛けです。以前も書きましたがシェアと言っても、そのシェア資産には所有者がいて、一人利益を上げている。FBやグーグル、それにUberなんかが情報をシェアするといっても、そこには強固な大株主がいて利益を上げている。カーシェアだって、シェアハウスだって、何でもかんでも資本家がオーナーとなって支配している。結局このシェア文化も、だれかが支配者となって、被支配者を動かしているという関係性で成り立っているのです。


ただ、これからは、社会制度と科学技術が発達させれば、支配者が辛く、被支配者が幸福になる時代になるでしょう。どう考えたって、「FBに踊らされて情報を吸い上げられている被支配者」の方が楽しんでいて、ザッカ-バーグのほうが、お金や支配権はあっても、働きまくって、責任を持たされて、きついに決まっている。

身近な例で言えば、友人のCAが言ってましたが、飛行機が好きでなったけど、お客の方が絶対飛行機を楽しめると言ってました。ましてもっと偉くなって航空会社の社長になれば飛行機なんて全く楽しめず、マネジメントに専念しなければならない。

また、このGWにも、みんなが遊んでいる間に、その遊び場で必死でサービスしている店員さんは辛そうだった。でも彼は、管理者、つまりその空間の支配者だ。だから支配者側は辛いものなのです。

それでも私は、その店員のように、GWに働いていたい。

なぜならそのお店では、ある意味、その店員さんが主人公なのだ。そうなりたいではないか。しかも店員さんは稼いでいる。遊んでいる人はお金を減らしている。そんな考えの私のような人は「支配者向き」なのでしょう。

未来は科学技術とシステムの向上により、人間は働かなくてもよくなります。つまり、そのシステムの管理者、つまり支配者側は、被支配者を十分に生かせるだけの資源を大量に生産をすることが可能になります。

そして被支配者は楽をしてサービスにフリーライドできるようになるでしょう。

格差が問題ではなく、格差があっても誰でも生きていけるようになればいいのです。

あとは「辛い支配者」になるか「楽な被支配者」になるかを、自分自身を鍛え磨くことで、上にも下にも行き来できるようにするべきです。それに多数の被支配者が少数の支配者を選べるようにしないといけません。そうしなければ当然搾取がはじまります。被支配者が哲人王たる支配者を選び豊に暮らす世界になるでしょう。

その日は近いと思います。

たぶん大半の人はそうだと思いますが、休んで楽しみたいというような人は「被支配者向き」なんだと思います。こういう社会でバランスをとれれば良い社会になっていくんではないですかね。

谷本真邦


 

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