つい先日まで、猛暑記録が・・・とニュースにのぼっていましたが、秋分
の日を境に、突然気温が低くなりました。なんだか冬支度の様相ですね。
秋をすっとばして冬になっちゃいそうな勢いです。
早々とガスストーブを出しました。笑
みなさんは、いかがでしょうか。
短いかもしれない秋を、楽しみましょうね。
さて、きのう白玉(だんご)をたくさん作りました。なにしろ、僕は
白玉あんみつとか、白玉あずきとかに目がないもので・・・笑
小分けにして冷凍しました。食べるときは、解凍して、あずきと一緒
に牛乳をまぜると最高です。
今年の夏、まだ暑さも盛りのころ、子供にこんな話をしました。
もし年老いて死ぬときは、白玉あずきをのどに詰まらせて死にたい・・と。
冗談まじり、でも半分本気で。
おいしいものを食べて死ねるならサイコウ。もし、そこで救急車でも
呼んで蘇生措置をした結果、寝たきりになり、何年も介護施設に入ろう
ものならさぁ大変。
面倒を見るほうも、見られるほうも苦労の連続。
そんなの耐えられません。
だから、年老いたお父さんが白玉で窒息したら、どうかそのままにして
おいておくれ、と。
なぜ、そんなことを考えたか?
ちょいと、生と死に関する哲学のヒントがあったからです。
介護の現場では、食べ物をのどにつまらせて窒息しそうなときは、
すぐに救急車を呼んで蘇生処置をしてくれます。
まだ、死にたくないときはそれはありがたい。
しかし、そろそろ俺もあの世へいくのもいいかなーなんて思っている人
(そんな人がいるかどうかわかんないけど)には、有難迷惑。
もう家族に迷惑をかけたくない、十分生きた・・・なんて思っていたのに
三途の川の向こう岸から無理やり引き戻されたようなもの。
そのうえ、チューブにつながれ、ベッドに縛られ・・なんてことになれば
本人も家族も、幸せなんだかどうだか・・・・・。
しかし、いまの介護や医療の現場は、それが当たり前の現実。
もし、自分が年老いて、家族の世話にならないといけない時がきたとして
食事をのどに詰まらせて死にそうになったのなら、
そのまま逝ってしまいたい・・・なんてマジで思ったりする。
法改正があって、脳死状態なら家族の同意で、臓器移植ができるように
なったようです。つまり、つながれたチューブを外して、死ねるということ。
(=語弊があるけど、殺してもらえるってこと?)
老人の生きる権利とともに、死ねる権利や自由もあったらいいかもしれない。
生と死を考えるとき、とにかく生かすことが正義である!というこれまでの
常識は時としてむごい現実を生み出してきたようにも思う。
ずっと昔あった姥捨て山の習慣や、どこかの国の赤ん坊を精霊にする
儀式(*)も未開の時代の習慣と思っていたけれど、その社会にあった
大切な正義だったのかもしれない・・・・
(*: アマゾンのヤノマミ族の話。
http://www.takinoya.com/takinoya/diary/archives/772.html
てなことで、白玉だんごは、介護、脳死、姥捨て、ヤノマミなどにリンクして、
生と死にかかわる正義とは案外まだ不安定なのだと気付かせてくれた。
これから訪れる高齢化社会は、また別の意味で 正義の意味が揺らぐ
時代なのかもね。マイケル・サンデル教授に聞いてみたくなった。
ということで、きょうのおまけは、たわいもない(しかし切実な)お話でした。