情報編集技術の将来/*The Implementation of Editorial Engineering

映画についても書くかも知れません。

We speak sequentially because we have only one vocal track and we write sequentially because books have numberd pages, but we don't think sequentially.

Ted Nelson

マウスコンピューター/G-Tune



テーマ:

HTMLは、予め用意されているタグしか利用できませんが、XMLは、文書それぞれの構造や性質(使い道)に即して、タグを自分で定義して使うことができます。」

こういう言い方はまだしも(これでも衆愚本っぽいが。下線部は引用者がわざわざ加筆してあげたものなので)、「自由に」とか「勝手に」とか「好きなタグを」などと書いているバカ本が腐るほどある(いまに始まったことではないが)。

こういう書き方されると「だから何?」ってことになるのは必定。だいたい記法はHTMLとそっくりだが、その記法にきちんと即して書いたXMLファイルをブラウザに表示させても、エディタで書いたまんまを表示するだけだから、ますますなんのこっちゃってことになる。

OSのAPIを手なづけて、それ上を走るアプリを作るプログラミングは、「書いたら動く」。何かが起きて、書いた物とは違う世界が現れる。HTMLはそういうプログラム言語ではないが、いろんな要素タグで、ここに書いてるようなテキストの要所要所をマークアップした上でhtmlファイルにしてブラウザに読ませると変化した世界が現れてくれる。レンダリングエンジンのおかげだ。だが、XMLにはそういう表示ソフトはないし、XML自体そういう機能はXSLという自分の応用言語にまかせている。

CSS とどっちが先だったか忘れたが、 XMLにCSSかませて ブラウザにそれなりの「変化」のわかる表示をすることはできる。

だが、それではわざわざXMLを使うありがたみまではまだ理解できない。

XMLのありがたみは、動くテクスト を作れるところにある。おもいっきり飛躍した例で言えば、新聞をパラパラ読みして、とりあえず記憶に残った見出しの記事だけ表示してよ、ってことがXMLを使えばできるようになる。

いったん印刷された固まった内容や、固まったWebページを意味の単位にばらして、所望のかたち、構造をもつものに再構成できる。「そこだけ読みたい」とか、なになにちゃんが出てくる映像だけ全部持ってきて!っとかいう要望に応えることができる。

RSSが始めたのはその序の口。

バロウズのカットアップに近いこともやろうと思えばできる。
一度固めた小説のストーリーを倒叙法のようにあたまとお尻をひっくりかえして、複数バージョンつくる、というかそのように見せることもできる。まあこんなことにXMLを使ったバカはまだいないが(笑)。

そういうもんなんだよ。
ってことをわかってくれないのがWeb野郎に多い。

CSSだなんだ、騒いでんじゃねえ(黙って、さくさく使ってくれればそれでいいから。ページ軽くなるし、CSS自体は世の中のためになるんで)。

指定紙と写植オペレータと製版技師の時代にエディトリアルデザインやってた人にはわかりやすい話なのにね(てか当時がんばってデザイナーと組んで仕事バリバリやったタイプの編集者のほうかも)。

ただXMLはそこまで。DTD、このドキュメントはこういう部品のセットで出来ていて、ここまでばらして、こうもああもしていいけど、そうはできないよみたいな部品と部品の関連を定義するやつが超重要。スキーマ。これないとプロセッシングにもってけないので。あとはスキーマで定義されたDOMっていうオブジェクトをASPとか、JSPとか、いまならPHPとかで動かすのが、XMLアプリ全体の仕事の流れっつうものなのだが。

どうもプログラム屋さんにも理解しづらいとこがあるらしく、なんだかなあ、な感じ。

データベース屋にはまだセンスあるのがいるかも。

オブジェクト指向わかってればもっとスムーズだろうが、文書をオブジェクトとして扱う、というところがコツっと来るまでにけっこう時間がかかったりするらしい。

いま一番いかんのは、Web標準たらを金科玉条に、CSSCSSいってるくりえちぶくりえいちぶした人ら。Flashのスクリプトなんてすっげえずるいし。

一番口聞きたくない連中である。

「動かしてみたい」という気持ちのあるやつと仕事したいよ。

念のため。 「動く」ってのは、文字が踊ったり、点滅したりってことじゃないんで。そこんとこよろしく。



注釈)SGMLのアプリケーションとしてのHTMLを改めてXMLアプリとして組み直したのがXHTMLであることは周知のとおり。

何がいいたいかと言えば、XHTMLのありがたみも標準なんてのは二の次であって、XHTMLで記述しとけばclass属性なんかを持たせた要素だけ取り出すとか、そういう操作ができる、つまりテクストの「意味構造を動かす」ことができるってとこにあるわけで。そのためにstrictなんてのは規定されているので。それで構造を動かすプロセッシングをスムーズにしようということなんで、むしろ機械への思いやりと言っていい。むろんそれがひいては人様への思いやりとして返ってくるのではあっても。そこを抜かしたバカ議論が大杉やしないかということ。ここで言いたいことって、実はこれ、オフラインでハイパーカードが近いことやってたことなのだが。後日。 [参照元に戻る↑]


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HTMLは、予め用意されているタグしか利用できませんが、XMLは、文書それぞれの構造や性質(使い道)に即して、タグを自分で定義して使うことができます。」

こういう言い方はまだしも(これでも衆愚本っぽいが。下線部は引用者がわざわざ加筆してあげたものなので)、「自由に」とか「勝手に」とか「好きなタグを」などと書いているバカ本が腐るほどある(いまに始まったことではないが)。

こういう書き方されると「だから何?」ってことになるのは必定。だいたい記法はHTMLとそっくりだが、その記法にきちんと即して書いたXMLファイルをブラウザに表示させても、エディタで書いたまんまを表示するだけだから、ますますなんのこっちゃってことになる。

OSのAPIを手なづけて、それ上を走るアプリを作るプログラミングは、「書いたら動く」。何かが起きて、書いた物とは違う世界が現れる。HTMLはそういうプログラム言語ではないが、いろんな要素タグで、ここに書いてるようなテキストの要所要所をマークアップした上でhtmlファイルにしてブラウザに読ませると変化した世界が現れてくれる。レンダリングエンジンのおかげだ。だが、XMLにはそういう表示ソフトはないし、XML自体そういう機能はXSLという自分の応用言語にまかせている。

CSS とどっちが先だったか忘れたが、 XMLにCSSかませて ブラウザにそれなりの「変化」のわかる表示をすることはできる。

だが、それではわざわざXMLを使うありがたみまではまだ理解できない。

XMLのありがたみは、動くテクスト を作れるところにある。おもいっきり飛躍した例で言えば、新聞をパラパラ読みして、とりあえず記憶に残った見出しの記事だけ表示してよ、ってことがXMLを使えばできるようになる。

いったん印刷された固まった内容や、固まったWebページを意味の単位にばらして、所望のかたち、構造をもつものに再構成できる。「そこだけ読みたい」とか、なになにちゃんが出てくる映像だけ全部持ってきて!っとかいう要望に応えることができる。

RSSが始めたのはその序の口。

バロウズのカットアップに近いこともやろうと思えばできる。
一度固めた小説のストーリーを倒叙法のようにあたまとお尻をひっくりかえして、複数バージョンつくる、というかそのように見せることもできる。まあこんなことにXMLを使ったバカはまだいないが(笑)。

そういうもんなんだよ。
ってことをわかってくれないのがWeb野郎に多い。

CSSだなんだ、騒いでんじゃねえ(黙って、さくさく使ってくれればそれでいいから。ページ軽くなるし、CSS自体は世の中のためになるんで)。

指定紙と写植オペレータと製版技師の時代にエディトリアルデザインやってた人にはわかりやすい話なのにね(てか当時がんばってデザイナーと組んで仕事バリバリやったタイプの編集者のほうかも)。

ただXMLはそこまで。DTD、このドキュメントはこういう部品のセットで出来ていて、ここまでばらして、こうもああもしていいけど、そうはできないよみたいな部品と部品の関連を定義するやつが超重要。スキーマ。これないとプロセッシングにもってけないので。あとはスキーマで定義されたDOMっていうオブジェクトをASPとか、JSPとか、いまならPHPとかで動かすのが、XMLアプリ全体の仕事の流れっつうものなのだが。

どうもプログラム屋さんにも理解しづらいとこがあるらしく、なんだかなあ、な感じ。

データベース屋にはまだセンスあるのがいるかも。

オブジェクト指向わかってればもっとスムーズだろうが、文書をオブジェクトとして扱う、というところがコツっと来るまでにけっこう時間がかかったりするらしい。

いま一番いかんのは、Web標準たらを金科玉条に、CSSCSSいってるくりえちぶくりえいちぶした人ら。Flashのスクリプトなんてすっげえずるいし。

一番口聞きたくない連中である。

「動かしてみたい」という気持ちのあるやつと仕事したいよ。

念のため。 「動く」ってのは、文字が踊ったり、点滅したりってことじゃないんで。そこんとこよろしく。



注釈)SGMLのアプリケーションとしてのHTMLを改めてXMLアプリとして組み直したのがXHTMLであることは周知のとおり。

何がいいたいかと言えば、XHTMLのありがたみも標準なんてのは二の次であって、XHTMLで記述しとけばclass属性なんかを持たせた要素だけ取り出すとか、そういう操作ができる、つまりテクストの「意味構造を動かす」ことができるってとこにあるわけで。そのためにstrictなんてのは規定されているので。それで構造を動かすプロセッシングをスムーズにしようということなんで、むしろ機械への思いやりと言っていい。むろんそれがひいては人様への思いやりとして返ってくるのではあっても。そこを抜かしたバカ議論が大杉やしないかということ。ここで言いたいことって、実はこれ、オフラインでハイパーカードが近いことやってたことなのだが。後日。 [参照元に戻る↑]

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集合論失敗作 どうもうまくいかない。ツールに慣れてないせいもある。もう誰も知らないだろう、クラリスワークスの描画機能はなかなか良くできていた。


手を動かさなくなっている。キーボードを打つのももちろん手は動いているが指先が主で、ストロークのある腕の動きはほぼゼロだ。描画というのは、ダイヤグラムであってもマウスの動きに頼ることが多い。昔は(いまでも健在か?)「Mac書道」というツールもあった。もっともこれではフローチャートなどは作りにくい。ペイントソフトともう一つ区分があったが、忘れた。


(思い出した、ドローイングだ)。


どちらにしても、手を動かすことと一緒に仕事は進んでいた。コードもなんとなく、ラクガキのような手書きであれこれやっているうちにスコープが見えてきたりすることがあった。


別にこの一枚で、集合のすべてを語り尽くそうときばったわけではないが、絵になっていない(笑)。


えんじんにあげることにする。挿絵にはなるだろう (^_^)v



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そういえば、ずいぶん長い間忘れていたような気がするのだが、ダイアグラムを描くという大切な作業があったことを思い出した。

これはツールがかなり物を言う。いや、ウェブ連動している場合。


あたかもフリーハンドのように、さくさくと起せて、さっと保存でき、スムーズの版管理ができること。

そういうツールを探していた記憶があるが、いつごろからか、ぷっつりやめてしまったようだ。


ダイアグラム失敗作

AzPainter Version 1.21というフリーソフトで作製してみた。

内容は失敗しているが(笑)。


続く。。。。

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翔泳社が、オンラインマーケティングの実践WebマガジンサイトMarkeZineを立ち上げた。

すでに数多くあるサイトのようにも思えるのだが、どこか違う。

かなり新鮮で、かなり空気がはいる。


翔泳社のSNSカラーズは、いまいちだが、MarkeZineは久々のヒットになりそうだ。

はてなブックマークとも連動して便利。


オンラインマーケティングのMarkeZine:トップページ
http://markezine.jp/


h1タグの文字サイズをCSSで小さくすることはスパム? といったかゆいところに手の届く記事が、きっちり埋め込まれているので、サブタイトルの「マーケティング」という大味な印象を補ってあまりあるコンテンツが、たっぷり仕込まれている。


SEOがどうしたとか、クライアントジェネレートがどうしたとか、そういうものももちろんカバーはしているだろうが、ひと味違う美味さがにじみ出ている。


翔泳社のリアル雑誌では「ネクストエンジニア」を応援していたのだが、ずいぶん前に廃刊になってしまった(別の雑誌に衣替え? ご存じの方がいらっしゃるようでしたらお教えくださいませ)。


UMLのテンプレート定規がオマケでついてきたりして(笑)、いや好きな雑誌だったなあ。


MarkeZine、そうそう、まさに雑誌の新創刊の香りがする。

ページを初めて見て感じた新鮮さは、こういうことだったのだ。


ここ教えてくれたのは、坊主バーのSE、annoyさん。

Thanks!





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もう発行されてから2年近くになる『入門RSS』という本は、「入門」という表題が少々控えめ過ぎるのではないかと思えるほど、よく出来た本である。

サブタイトルは「Webにおける効率のよい情報収集/発信」。


この本の秀逸さは、地味だが急速に浸透してきたRSS(RSSfeed)について、きちんとXMLと関連づけて、しかもコンパクトながらそのエッセンスをはずすことなく、まとめきっているところにある。


たとえばXMLがどういう言語であるのかということを、この本は実に2ページで簡潔にかつ正確にまとめている。RSSとXMLの関係についても2ページ。そして、RDF(Resource Descripton Framework)について4ページ構成で畳み込んでいく。


XMLについては、経験のある人には、そんなことはわかっているレベルというか、おそらく暗黙知に近いものになっているはずの、表(Table)、作業具体的にはエクセル表を使ってDTDのもとになる表を作る経緯を使って説明している。見事である。あまりこういう解説は、ありそうでないのだ、XML関連本には。


で、そのままRDFモデルによるRSS、つまり1,0の話に進んでいく。


エクセル表の項目(列)に、

title link summary update

を作る。つまりこれがXMLの要素タグになっていく。

セルにはそれぞれ具体的なタイトル、URL、概要テキスト、更新日時がテキストが格納される。

これにRDFの3組モデル、リソース、プロパティ、値を重ねれば、すくなくともRSS1.0とXML RDFモデルの関係の理解は一丁あがりである。


リソース → 値

のさりげない図は、さらなるRSSの可能性としてのセマンティックウェブの図そのものである、実は。


これまで積ん読だったことが悔やまれる。

ついオライリー本を先に読もうとしてしまう。それはそれでいいことなのだが、

悔やまれるのは、タイトルがあまりにも「やさしい」イメージを追求し過ぎたことだろう。

もう一工夫していれば、オライリーとこの本と重合読書で、もっと理解と発想が加速したはずなのだ。


新納 浩幸
入門RSS―Webにおける効率のよい情報収集/発信
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携帯ITmedia News:2ちゃんネタは誰のもの? スレ紹介ブログの閉鎖相次ぐ
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0606/01/news066.html


2ちゃんスレのまとめサイトが5月下旬までに、40前後あったブログのうち、15前後のブログが閉鎖したようだという。


サイトの管理人がアフィリエイトで稼いでいるのが、けしからんというちゃねらーの怒りを買ったのが原因らしい。


これはいつか来た道、ああそうだよ、大学受験の過去問題集の国語に自分の文章を使われた著者が、有料ダウンロードやってた出版社を訴えた事件があった。


「まとめ」るってことは編集である。どれだけ編集がきいていたのか確認していないが、どうも釈然としない。


閉鎖の直接の原因は、物理的に閉鎖に追い込まれた、というのが実情だろう。

強制執行だな。


著作権をふりかざすのもどうかと思ったが、過去問の件では、しかしそんなものを有料で切り売りのするもセコイやね、と思ったものだが。


祭りに巻き込まれてちょっと転んだところをわあーと来られて骨折、みたいなものか?

まさか、あそこは死んでないよな?


(続く)携帯



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「確率」そのものはもちろん心的現象ではないが、「期待」「予知」「予想」という感情を伴う現象、対象に深く関与し、影響を及ぼしている。結果論であっても。


白馬に乗った王子さまの出現を期待する乙女心などはその典型だろう。女性に限らない。男も、そういう出会いを四六時中期待していると言っていい。


こういう期待はどうやって現実のものになっているのか。生涯の出会いと呼べるような出会いは、そうそう生起するものではない。重要な出会いほど、「偶然」に任されていると誰もが感じているはずだ。

大きな出会いであればあるほど、生起する確率は小さくなる。


以前、本との出会いについてエントリしたが、本には書店という「可能性のプール」がある。

しかし、人と人の出会いには、そうした可能性のプールは、現代においては存在しない。原則的に。

ネットの「出会い系」は、実は確率論的な出会いの本質において、その名称をはなから裏切っている。

「君と、あなたとどうして出会ってしまったのだろう?」という偶然性、運命性は、初めから排除されているからだ。


では、偶然性、運命性を担保した出会いはネット上では起きていないだろうか。起きている。

出会い系などというあからさまな場所とは別のところで。


で、問題なのは、ウェブによってかつての確率に変動が起きているのかどうか、ということである。

イギリスのSF作家、J・Gバラードは「人には生まれたときからすでに出会いにスペアが決められている」と語ったことがある。そのスペアを使い切ってしまえば、本人に自覚があるかないかは別に、もう出会いは起きないことになる。極論すれば、スペアの本数を遣い果たした人には、恋愛感情は生まれないし、その対象を求める気も起きない。それで十分なのだ。

これはいわば確率の対極にある「決定論」である。この決定論を覆すような事態が、ウェブ、というよりインターネットによって起きる可能性があるのか? と言い換えた方が、この問いの意味がよりはっきりするかもしれない。


いま世界人口は65億人に達したとされている。恋愛感情は、実は30数億の可能性のうち、ほとんどすべてを諦めさせ、たった1個の可能性に甘んじさせるための、扁桃体と前頭葉の連係プレーのなせる「奸計」である。大脳生理学的には。


この連携プレーを擾乱するような確率変動が、インターネット、ウェブによって引き起こされているのかどうか。出会いのスペアはバラードが言うとおり決定論的であり、ただその生起する場所、機会の多様性が増大しているだけなのか。


一つだけ言えることがある。


ネットの存在しない時代に、道を歩いているだけでは出会えなかった対象に、昨日、確かにウェブ上で遭遇し、街角の立ち話では不可能な会話を交わしていること、この会話はしばらく続くだろうということ、リアル対面で話をするかも知れないということ、これらが現実に生起する確率は、100%に近い驚異的な高確率であるということである。


なお、お見合いパーティなどは取りあえず除外した(笑)。





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鳩尾(みぞおち)のあたりを風が吹き抜けているような喪失感、欠落感、欠損感を感じさせるもの。

喪失の瞬間は、吹き抜けるどころではない、どてっぱらに風穴を抜かれる感覚だろう。


「行きつけの店のマスターの突然の入院休業」、「相手のメッセンジャーがいきなりオフライン」、「ブログのペットが表示されない」、「携帯の加入者がいません表示」、など など、ネット、リアル色々あるが、

最近気になるのは、後のネットとの関係で起きる欠損だ。


「インターネットが繋がらない程度で…」とは今や誰も言えなくなって来た。

これは実は大変なことなのではないか。


もちろん喪失という体験、それに伴う感情は、ヒトが地上に出現して以来の古くからある経験だろう。

その経験自体にさほど変化はないはず。だが、かつてとは違うシチュエーションで、様相の異なる対象によって、風穴を抜かれる体験の回数は確実に増えていることは間違いない。


個人差、状況差が大きいに違いないが、例としてはブログのペットが一番いいかも知れない。「あんなもの、別にオモチャだし、アクセサリだし」と思うのは普通だが、いきなり何かの障害で現れなくなると、「寂しい」という感情を持つに至ることはある。

このペットこそ、「たかがネット上の…」の典型なのだが、ネットとの関わりで生じる、喪失感、欠落感、欠損感のトレースには適当な題材だと思う。


一時期議論沸騰し、最近はあまり表面には出てこないバーチャルリアリティの問題は、もはや日常化している。


僕は君の前にいた。一日中。いつまでもいつまでも、そこを離れ難かった。

君は僕の前にいた。一日中。いつまでもいつまでも、そこを動かなかった。


てなことを、

summie\u0027s onlineiconA 普通ならてるてる坊主にしかみえないオンラインメンバーのアイコンを見つめながら、想うことだってありえないことではないのだ。

当人にとっては、このアイコンは、もはや彼女であり彼そのものの面影と化している。


そしてアイコンが突然、赤がね色のオフラインに落ちたりしたら、彼は彼女は、心臓が止まるほどのショックを感じるに違いないのだ。


また、紙の愛読書なら墓場までも持っていけるだろう。

だが、「思い出のウェブ」は?


(続く)メモ



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クリックすると、ランダムに色んなブログページが表示される。

無作為、プロバイダー問わず。

MovableTypeなど自前のツールで作成されたブログも出てくる。


このガチャガチャブログで、もういくつかはこれはというブログに遭遇し、ブックマークしてある。


BlogPeopleガチャガチャブログ


ひとつは「You Tube」から落としたポリスなどミュージシャンのPVを貼ってあるブログ。

これは新鮮だった。初めてQuickTimeが登場したときの奇妙な感動を思い出した。

紙のなかに動画が埋め込まれて動いているという不思議な感覚を思い出したのだ。


もうひとつは「迷宮ちゃんねる」。トリビアでもなく、かといって解けなくても人生困らないが、なんか気になる。そういうスレばかり立っている2ちゃんからのトランスファーだ。


これを知りたい、調べたいは、毎日のようにある。仕事の必要に迫られてのものもあれば、ひたすら知りたい、確かめたいという純然たる関心によるものまで。


ま、このガチャブロ、おみくじのようなものだが、けっこう大吉にあたるのである。

フォーカス・ダイビングの問題だろう。

ガチャをクリックするときはソフトアイ状態だから、

焦点投企によって失われるものも、保持した状態で、実は求めていたものがヒットする効果というものがあるのだろう。


論拠はすぐには示せないが、うまくつなげば認知革命かもしれない。


ハワード ガードナー, Howard Gardner, 佐伯 胖, 海保 博之
認知革命―知の科学の誕生と展開


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