WEBマーケティング屋のブログ

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などを中心にWEB担当者、中小企業様でWEBを活用したい
経営者、担当者の方々に向けて情報を発信していきたいと思います。

お知らせ


胎内記憶協会第2期基礎講座4 2018.3.15(木)18:00~20:30


 


胎内記憶協会第2期基礎講座3 2018.3. 8(木)18:00~20:30


 


胎内記憶協会第2期基礎講座2 2018.2.15(木)18:00~20:30


 


「池川明先生の愛の子育て塾」第12期 第1講座:2018年2月13日(火)


 


平成30年度 東京思風塾年間テーマ「隔世の時代~目覚めた命を生きる」




2018年2月3日第72回 いい会社の法則実行委員会 首都圏勉強会


 


2018年2月2日(金)~2月3日(土)第5期100年後も残って欲しい会社セミナー


 


胎内記憶協会第1期基礎講座2 2018.1.27(土)14:30~17:00 2018.1.27(土)17:30~20:00




「禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会」2018年1月26日(金)19時~21時




2018年2月2日(金)~2月3日(土)第5期100年後も残って欲しい会社セミナー


 


胎内記憶協会第2期基礎講座1 2018.1.18(木)18:00~20:30



猛獣塾



運営、サポートさせて頂いている活動 Welひろば



welひろば



猛獣塾



何故、猛獣塾が必要なのか?


実際の営業現場において、学んだ事を実践で活かすのはハードルが高いと思います。

我々は学びを実践に生かす為に現場経験豊富な当事者による生々しい指導が不可欠と考え、猛獣塾という名前で


志あるセールスマン諸君の成長を生々しく手助けする為に立ち上がりました。


猛獣塾では、【入門編】【初級編】【中級編】【実践編】という段階的なトレーニングを通じて

実践に活用ができ、そして体系的に人に教える事が出来るというセールスマンを1人でも多く輩出する事を目指しています。是非我々と共に、生生しくも価値のある猛獣塾でのトレーニング生活を共に過ごしましょう。


猛獣塾プログラム詳細



猛獣塾


AOsuki

AOsuki


AOsukiは、首都圏で活動する青森県出身経営者で構成する非営利団体です。青森が好きということから、「AOsuki」(あおすき)と命名しました。

AOsukiは将来展望や立場を明確にするために、以下の通りビジョンを制定しました。



AOsuki共通ビジョン

「青森を元気に、青森出身者を元気に!」





関東若獅子の会



若獅子の会は『致知』を読む20代から35歳以下の若者を中心とした人間学の勉強会です。 『致知』を通して、よき仲間と出逢い、互いに切磋琢磨する中で人格を高め、それぞれの立場で「一隅を照らす人物」になることを目的に活動を続けています。現在は関東、関西、中国、四国、九州の5か所で毎月活動しています。


愛の子育て塾


東京思風塾




阿波忌部

100年後も残ってほしい会社セミナー










山形県戸沢村での農業イベント




ララカフェ



佐藤初女先生


+


禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会



昇地三郎


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日経記事から
外国人客、青森県へ続々

  • 2017年1~10月の同県の外国人延べ宿泊者数は東北トップを維持。

  • 17年1~10月の東北6県でトップの青森は19万6千人で、宮城(18万5千人)、岩手(14万9千人)

  • 中国、台湾、香港、韓国の4カ国・地域を海外誘客重点エリアに位置づけ

  • 17年に青森港に寄港した大型クルーズ客船は22隻と東北トップ。19年には英国の豪華客船「クイーン・エリザベス」が青森港に初寄港する予定

  • 青森県観光国際戦略局によると、「昭和大仏」の青龍寺(青森市)は精進料理や座禅体験が人気で、寄港した大型客船の上陸ツアーに組み込まれているという。

地元、青森において東北でもトップだったとは。。驚きですが

 

昨年クルーズ船のHPに携わらせて頂いたおかげで業界の事などいろいろと教えて頂きました。ヨーロッパの財閥系がオーナーさんとしていらっしゃって、なかなかまだまだ商社が乗り込めていない状態。それもここ2,3年の間にオリンピックに伴いどんどん進出してくるであろうと。

また、基本は現地調達が多く、2000人~4000人規模のクルーズ船が停泊する事によって現地のホテル、食事、物産等々

1日で数千万の見込みと!

いう事でクルーズ船が停泊できる規模の港の拡大を現在国を挙げて取り組んでいると。

 

 

さらに、もろ地元の昭和大仏が人気があるとは。(夏に通った際は一人もいなかったのに)
中学、高校時代に毎日通っていた昭和の大仏さん、殆ど人がいないイメージしかなかったのですが、以外と地元で人気が無くても外からの視点で魅力があるのだと。

 

ただ、外観以上に心に残るのが大仏様の中に入れるのですが、その中に入った時に

 

 

地獄極楽図というのがあり、
人が死に魂が抜け出していく場面に始まり
死体が朽ちていく様、死者の衣類をはぎ取る脱衣婆、血の池地獄、舌を抜いたり体を切り刻む鬼達、人を食らう竜、がりがりに痩せてお腹だけが膨らんだ餓鬼、恐ろしい三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)の世界、
そしてきらびやかな天の世界が描かれ

→これらを用い「善因善果、悪因悪果」(良いことをすれば、良い結果が、悪いことをすれば悪い結果がやってくること)や「勧善懲悪」、先祖供養の大切さが伝えられています。

地獄・餓鬼・畜生・修羅・天の世界は死後に生まれ変わる世界であると同時に今生に立ち現れる世界

生きている間も死んだ後にもこのような恐ろしい世界へ落ちていかないために善因となる心と行動と言葉を心がけなければなりません。

とのお伝えらしく、ご先祖様の供養をする場所として、大仏様の中の2階に上がると真っ暗の部屋の中に何百本とロウソクの明かりだけの部屋があり、当時県内から出兵し戦争の犠牲となった方々のためにという事で写真で見る様な綺麗な外観とは全然別の景色があります。

 

 

青森 昭和大仏

青森 昭和大仏

青森 昭和大仏

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青森 昭和大仏

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青森 昭和大仏

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青森 昭和大仏

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関東若獅子の会

を卒業しまして、晴れて中今の会に突入。(OBOGの36歳から40歳まで)少なくとも、森信三先生、平澤興先生、坂村親民先生、安岡先生のお考えを暗記するレベル感が必要で「本当に読んでいるのか。理解しているのか?」をしっかりやらねばと。また6月9日(土)は第1回の若獅子の会全国大会が都内で開催になります。

そして卒業式では素敵なプレゼントをたくさん頂きありがとうございました。

若獅子の会

若獅子の会

 若獅子の会

おじさんも取り上げていただき たくさんの楽しい場と仲間を創って頂きました。

 

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子育て塾にていつもお世話になっているトミーさんイベント

~子どもの魂が望む道をサポートする子育て~

少人数のアットホームな雰囲気の中で、内容の濃いお話を、どんどんお聞きします!

トミーさんのライフワークの一つに、「感謝の言葉を伝える」 というものがあります。トミーさんは、日常生活の中で、お店や、電車の中で出会った 優しく素敵な行動をしている方 に向けて、「ありがとうございます!」「すごく素敵ですね!」の言葉がけをしたり、会社の社長さんに「こんな素晴らしい従業員さんがいましたよ!」とお知らせのお葉書を出したりして、「愛と感謝の言葉の発信」を魂のミッションとして行われています。

そんな中、仕事や精神的にきつい時にトミーさんの言葉や活動に助けてもらい

この世に産まれてきたことについて みんな決めて産まれてきた(どんな困難があっても)

みんな産まれるときに決めてきているという事で、そこに辛い体験や親、環境、様々な出来事、挫折、孤独などいろんな事がある中で、それを選ばないという選択も出来たはずなのに、それでも選んでいるのはどれだけ勇敢な魂を持っているんだろうと。

もし、皆さんが辛い体験や超えられない思いをしているのであればそれだけ大変なことを選んだという自分自身を認めて欲しい、褒めてほしいと思います。

 

そして、言葉だけではなく外に出る機会も作って頂き

いつも、ご自身の体験談を基に願った事が叶う、自分に正直に生きる、自分を認め、さらけ出すというのを実践されています。

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古巣である社会起業大学にてソーシャルビジネスグランプリ2018

ソーシャルビジネスグランプリ2018

ソーシャルビジネスグランプリ2018

既に卒業して4年近くになりますが、 当時震災後間もない石巻や

 

仙台にて素晴らしい会社さんだなと感じた清月記さんフタバタクシーさんの訪問はじめ

出会いがその後を創ってくれた想い出が多数あり
当時は介護、福祉、医療が社会貢献として活動する方が多かったのが、徐々に自分自身の趣味の延長線上に事業を進めていきたい
という感じに変化しつつあるなと感じます。

 

https://socialvalue.jp/final/2018/index.html 石巻 石巻 石巻 石巻 石巻 石巻 石巻 石巻 石巻 石巻 石巻 石巻 石巻 石巻 フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー フタバタクシー 清月記 清月記 清月記 清月記 清月記 清月記 清月記 清月記 清月記 清月記
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AOsukiの活動も2008年に始まり、今年で10年目に突入


(2018年のAFS開催予定)
AFS(アオスキフューチャーズゼミ)とはアオスキフュチャーズゼミとは中学校の生徒さんの修学旅行応援企画。
修学旅行で上京する青森の中高生に向け、青森県出身者(経営者。社会人・学生)の自らの体験談・今頑張っている事、社会に出るために大事なことを座談会形式で伝える講座。青森県出身者が都市部で意欲的に頑張っていることを感じてもらうことで、未来に向けたモチベーションの醸成、職業理解、職業観の育成(キャリア教育)を狙いとしています。

 

 

4月18日 青森市立戸山中学校 51名 18:20頃~21:00頃
4月20日 青森市立南中学校 239名 時間調整中
11月7日 東北町立東北中学校 86名 時間調整中

 

 

新年のスタートは2018年1月29日に開催します。
「AOsuki新年会とAFSイベントのスタッフ調整」
2018年は、青森県の中学生に講義をしているAFSが3回決まりました。そこで、講師になりたい方、スタッフとしてお手伝いしたい方を含めて、新年会を開催します。

 

 

(1月29日の概要)
■主旨:AFSの成功と、aosuki交流会
■場所:炭火焼ごっつり 東京都足立区千住2-31 白石ビル2F
■予算:4,500円〜5,000円
■参加数:20〜30名を予定
■参加条件:AFSを手伝いたい、青森県に貢献したい、青森仲間と飲みたい、青森県と関わりのある方

 

 

 

 

 

AOsukiフューチャーズゼミ 青森西中学校 AOsukiフューチャーズゼミ 青森西中学校 AOsukiフューチャーズゼミ 青森西中学校 AOsukiフューチャーズゼミ 青森西中学校 AOsukiフューチャーズゼミ 青森西中学校 AOsukiフューチャーズゼミ 青森西中学校 AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ AOsukiフューチャーズゼミ
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●日時:2018年2月3日(土)18:30~20:45(開場は18:15です)
●会場:人形町区民館
〒104-0061 東京都中央区日本橋人形町二丁目14番5号
●会費:おひとり1,000円(会場費、資料代)
※勉強会後、懇親会があります。ご都合があえば、是非お越し下さい。 会場近くで実費精算(だいたい2~3千円程度)です。

過去開催時の様子

 

「感動できる経営は実現できる」

ただし対象者は従業員とその家族であり、条件となるのは「感動する」のではなく「感動させる」「感動してもらう」という姿勢が経営者にあり、幸せになる定義をしっかり持っていること。

実際のところは従業員さんは夢、理想、生きがいと現実の狭間の中で日々生活しながら仕事していて
それを前提の上で、家族も対象にして応援したいと思って頂ける会社経営を目指す。制度や社長独断での感動経営を唄っているところは「感動しないといけなくなる」という状況に陥ることがあり、それは目指すべき姿ではなく、やらされ感満載になってしまう。
また、感動するのは個人であり個人のキャリア形成の段階において会社(経営者)が支援することにより
夢、目標に少しでも近づくことができる事に感動を感じるのではないか。

大きな視点で考えた場合は
個人のキャリアを積んだからこそ独立出来る土壌が培われるということもあり、
その人自身が感動するのであれば、いい意味で会社からいなくなることもほめるべきで、
経営者にはそれを否定するのではなく、それを認める度量が大切。

「人にやさしい会社になる」

4つの経営資源と言われる人物金情報の中で
いい会社の経営者に共通して見られるのは「人」が大切という事。

人が活かされる職場でなければ、元々情報を持ってくるのも、お金を稼いでくれるのも、物を動かすのも人が原点にあり
人を大切にできない、していない所は長続きする経営のモデルにはならない。
それを事例を踏まえて紹介頂きました。

例えばよくあるケースとして
「何で何回も言っているのにお前は分からないのか?同じ失敗をするのか?」という事に対して

出来の悪い人ではなく、理解出来なていない、それは理解する様に話をしていないから
心が離れてしまっている状態でいくら正論を言ったとしても本人が聞く気持ちにまずなっていない。
そこに何度も指摘をされたとしても、その場では対応しても見えない所で不平不満が出てくる。
そうなってしまった人が情報やお金を持ってきてくれるのか?というのを上司や上の立場の人間が考えなければいけない。

人は大切にされないと人も集まらないという事で
これからの時代、少子化の流れがある中において、女性、外国人、障害を持つ方を雇用していく際に
大切にする事を怠っているとそもそも応募が来ないという状況が生れてくる。

人を大切にするという事で何を行えばいいかというと、何をやったらダメなのか?何をやったら不幸になるのか?を知っておく事。

いい会社 いい会社 いい会社 いい会社 いい会社 いい会社

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平成30年度(2018年) 東京思風塾2月3日(土)の開催になります。
30年度の年間テーマは

「隔世の時代~目覚めた命を生きる」

各回のテーマは以下の通りになります。

第1回
 2月3日(土)
世界文明の中心は今、日本の真上にある
第2回  4月7日(土) 時代が問題をつくり、問題が人物をつくる
第3回  6月2日(土) 過渡期を担う日本人が果たす役割
第4回
 8月4日(土)
大遷都への機運は歴史的必然
第5回
10月6日(土)
覚醒の時代~目覚め足る命を生きる
第6回 12月1日(土)
平成の時代を総括する

・会場:㈱コミット会議室  *JR品川駅港南口徒歩6分
〒108-0075東京都港区港南1-6-41 品川クリスタルスクエア11階
・時間:13:00開始19:00終了(受付12:15~)
・講義:3~4講座+問答+ディスカッション)

 

2017年10月7日(土)東京思風塾テーマ「愛ある子育てとは~思春期から社会人へ~」 2017年10月7日(土)東京思風塾テーマ「愛ある子育てとは~思春期から社会人へ~」 東京思風塾 東京思風塾 東京思風塾 東京思風塾 東京思風塾 東京思風塾 東京思風塾 東京思風塾 東京思風塾

昨年開催時から印象に残った内容の抜粋

地獄を見ないと始まらない

現実の世界、我々は悪の中に生きている。

人間として本物になる為には社会がどれだけ恐ろしいか、醜いものなのか
現実の半分は悪である。悪の中に生きているという事は批判、憎しみ、対立と悪の中で生きている。
その中を生き抜いていく事が人生であり、そこから逃げてはいけない。
座禅、瞑想で解決出来る事ではなく
正面から向き合い、逃げない事が本物の人間を創る。

 

人間主義経済の到来

思風先生の説く人格(人間)主義経済

感性論哲学では近代の資本主義経済から脱却し脱資本主義を目指し、人格(人間)主義経済を創っていく。
人格(人間)主義経済は経済活動を行う事により人間性が成長し、喜びを感じる事が出来る。そういう経済システムを構築しなければいけない。
その責任が今日生きる人間にあり、企業にも人間的な温もりを与えていく。

理性から感性へ企業経営の変化

理性(支配、命令、管理)から感性(愛、対話、パートナーシップ)への変化が求められてきている。それは人間観が激変している時代背景があり、企業活動も変化を求められている。

※資本主義経済において、金の奴隷になってはいけない。経済そのものは人間の為にあるべきで「人間の為の経済」が本来あるべき姿である。

労働する事で人間性が成長する、生きる喜びを感じる事が出来る!それを「人格(人間)主義経済」という言葉で仰っていただきました。

 

「変わる時代に直面している」

いかなる出来事にも意味があり、何かしらを今生きている人間に対して教える為に、気付かせる為に出来事が起きている。すべての出来事が時代をよりよい方向に導く為に起きている。大切なのはそれを解釈する事。解釈無しに意味と価値を感じる事は出来ない。

今日までの資本主義経済を原理的に変えていくために時代そのものが変化を求めている時が来た。欧米からアジアへ欧米型の政治、経済に変わるものが今、アジア人に突きつけられている。政治経済だけではなく生き方も含めて。

では、我々はいかに変化するべきなのか?

人間観そのものが理性から感性へ。心を求める時代に来ている。
それに対し、我々自身が一時も早く受け入れる事が大切であり自分自身を理性的な人間から感性的な人間へ激変させることが求められている。

感性論哲学が目指すところは理性に支配されるのではなく使いこなして素晴らしい生き方を創り出す事。

理性を使いこなす原理が感性!自分自身の本音と実感を大切にすること。命から湧き上がる欲求、欲望、興味、関心、好奇心を大切にしながら、それを実現する為の手段として!理性を手段として使う近代人は理性を本質的に理性的になろうとした結果、ストレスを抱えている。

その結果、理性的になろうとすればなるほど個性がなくなり自分が何なのかわからなくなり遠ざかってしまい自分が見えなくなる。

結局、何がしたいかが分からない状態

経済が人間のためにあるのではなく、人間の為に経済がある。

どの様に関わるのか?
また経済は人間に何を求めているのか?
を考えると、接点は労働

労働を介して人間は経済に関わっていく。

労働とは何か?

労働が経済価値を持つために求められるものは
人の役に立ち人に喜んでもらえる事が経済価値

人に喜んでもらえないのであれば経済価値を生まない。

労働とは人に喜んでもらえる様な仕事の仕方をする事
人に喜んでもらえる仕事の仕方には2つあり

1、顧客に喜んでもらえる仕事の仕方

2、一緒に仕事をしている仲間にも感謝してもらえる仕事の仕方

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<全体の流れ> 禅は、2500年前のお釈迦さまの時代から、仏教の大事な瞑想修行の方法として受け継がれてきました。しかし、本格的に坐禅をするには、指導してくれる道場が少ない、初心者にとってかなり足が痛くて苦痛であるなどの問題があります。 そこで、この勉強会では、誰でもできる禅的な瞑想法として、イス禅を皆さんと一緒に実習します。

 

 

○『無門関(むもんかん)』第21則「雲門屎橛(うんもん-しけつ)」

この禅話の主人公は、唐代に活躍した雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師です。雲門の宗風は、「紅旗(こうき)閃ジャク(ジャクは「火」偏に「楽」という漢字)」といわれ、彼方に赤い旗がはためいているようなもので、短い答えの中に深い教えを含んでいるといわれます。「雲門の一字禅」とか、「三字禅」という言葉もあるように、修行者の禅的な問いに対して、漢字一文字とか、三文字といった極めて短く答えるのが特徴です。


これについて、天竜寺元管長の平田精耕(せいこう)老師は、次のように解説されています。
「禅門の世界は、わずかな短い言葉で、しかも最も適切に中心をピシッとおさえている言葉を尊重する。これを活句(かっく)という。
長ったらしいだけで、いっこうに内容のないのを死句(しく)という。
不立文字(ふりゅうもんじ)といっても、決して文字をバカにしているわけではなく、文字を使ったり、あるいは言葉を吐く場合、最も素晴らしい、最も要点を得たピチピチした言葉を必要とするのである。

 


雲門は、特に言葉の使い方が要を得て、『雲門語録』を拝見すると、いたるところに人がびっくりするような文句があちこちに出てきます。」(『無門関を読む』より)

今回紹介する公案は、雲門の禅問答の中でも上記の特徴がよく表れているとともに、最も有名な公案の一つでもあります。もしかしたら、すべての禅問答の中で、最も印象的なものかもしれません。それでは、雲門の有名な公案を味わいましょう。

『無門関(むもんかん)』第21則「雲門屎橛(うんもん-しけつ)」より
本則<原文(書き下し文)>
雲門、因(ちな)に 僧(そう)問(と)う
「如何(いか)なるか 是(こ)れ 仏(ほとけ)?」
門(もん) 云(いわ)く
「乾屎橛(かんしけつ)」

本則<現代語訳>
雲門和尚にある僧がたずねた
「仏とは、いかなるものでございますか?」
雲門は云(い)った
「糞(くそ)かきべらじゃ!」(あるいは、「乾いたクソじゃ!」)

修行僧の質問である「仏とはいかなるものか?」という問いは、禅門におけるアルファ(出発点)でもあり、オメガ(到達点)でもある、最も大切な問いです。
これについて、天竜寺元管長である平田精耕(せいこう)老師は、次のように解説されています。
「仏とはどういうものか、これは難しい問題です。仏教徒にとって仏とはいったいどういうものであろうかというところから、仏教の信仰はスタートするのである。

 


 その問いを出発点として仏教の勉強を始め、仏教学や禅学の講義を聞いたり、それで足りないので、坐禅修行をする。専門道場へ入って三年、五年、十年と坐禅修行をしても、仏とはこれであったとわかるのは容易なことではない。・・(中略)・・
 仏とは何かという青春時代の疑いから、七十、八十になって死の間際まで、仏とは何かという問題がついてまわる。だから仏教徒なのである。わずか二十二や二十三で仏が何かということが分かってしまったならば、後は何も仏教徒の必要がない。仏教をサラリと捨ててしまえばよいのだ。
 わからないからこそ、一生修行をしなければならないし、一生勉強をしなくてはならないのである。こう考えてくると、スタートと思っていたのが、実は最後のところの問題である」
(平田精耕『無門関を読む』より)

禅では、本質的な問いに対する「疑団(ぎだん)」(心の中にわだかまっている疑い)を大事にします。そのことが、平田老師の解説を読むとよくわかります。

 


 「仏とは、これこれのものだ」という知識を学ぶことは難しいことではありません。しっかりした仏教の解説書を読めば理解できるでしょう。しかし、そのような仏教学的な知識や理論を頭で理解しても、「自分にとって心のよりどころとなる仏とは、いったい何なのか?」という究極的な問いの解決にはなりません。

「仏とは何か?」という問いは、同時に「仏に向き合う自己とは何者なのか?」という問いでもあります。人が年齢とともに成長し、変化していくとき、「自己」の見え方もまた変わるでしょう。世の中が変化することによっても、「自己」の見え方は変わるし、「仏様」に対する考え方も変わるでしょう。
一般論でいえば、若くて元気で、活力もあり、夢もあるうちは、神仏や天など「サムシング・グレート」のことを真剣に考えない人が多いと思います。しかし、年齢とともに様々な成功や失敗を体験し、仕事や私生活で様々な人生経験をすると、しだいに人間的努力だけですべてが動くわけではないと感じるようになります。

 


『論語』では「五十にして天命を知る」と表現されますが、孔子も五十歳で「人知を超えた運命というべき、何か不可思議な力がこの世にある」と感得されました。高い理想を求めて、大変苦労の多い人生を歩んだ孔子だからこそ、このような深い認識に到達できたのでしょう。

私たちの場合は、挫折や失敗だけではなく、成功を収めた時にも「不思議」を実感することがあります。野球の野村克也氏は、江戸時代の平戸藩主・松浦静山(せいざん)の
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」(「剣談」より)
という言葉を良く引用しています。野村氏のように、年齢や人生経験を重ねると、「勝ちにせよ、負けにせよ、不思議なことや理解しがたい運命的なことが、この世にはたくさんある」と感じる人も多くなるのではないでしょうか。


平田老師の言う通りで、「禅のことは十分に分かった」「仏教のことは十分に理解した」と思えば、禅を学ぶ意欲が低下します。禅仏教など捨て置いて、ほかのことを勉強した方が有効な時間の使い方であると感じるでしょう。


しかし、実際には、学べば学ぶほど、自分の無知を自覚させられることが増えています。これは、禅に限らず、ビジネスでも、人生でも、あるいは、歴史や自然(サイエンス)などでも、同じではないでしょうか。学べば学ぶほど、多様な見方が成り立つことが分かるようになり、簡単に「分かった」と言えなくなるように思います。

 

ソクラテスは、「無知の知」(自らの無知を自覚することが真の認識に至る道である)を大切にしました。また、中国古典の『老子』第56章には、「知る者は言わず、言う者は知らず」(物事をよく知り抜いている人は、みだりに口に出して言わないが、よく知らぬ者は、かえって軽々しくしゃべるものである)という名言があります。


洋の東西を問わず、聖人といわれるような偉大な人格者は、「無知の自覚」を大切にしているといえるでしょう。

さて、自己が成長し変化すれば、世の中の見え方も変わり、仏(サムシング・グレート)に対する考え方も変化していきます。そのため、禅では、教科書的な固定した知識を覚えることよりも、「仏とは何か?」という疑問、裏を返せば、「自己とは何か?」という最も基本的な問いを真剣に問い続けることを重視します。


この問いの答えは、自分や自分を取り巻く環境変化によって変化していきますから、簡単に答えは出ません。一時的に答えを得たと思っても、まじめに人生を生きる人にとっては、時間がたつと、別の見方もできるのではないか?と、また疑問が起こってくるのが普通です。結果的に、一生の問いになります。


逆に「仏とは何か?」「自己とは何か?」という根本的な疑問を持ち続けることにより、人は死ぬまで人間的に成長していくことができるとも言えます。もし、そのような問いを持ち続けることができなくなり、「人生なんて、しょせんはこんなもの」と変に達観するようになったときに、その人の精神の進歩が止まるのかもしれません。

 

 

禅では、「釈迦(しゃか)も達磨(だるま)も修行中」といいます。人間は、この世ばかりか、浄土に行ってからも修行によってさらに成長することができるという意味の教えです。人間の持つ無限の可能性に対して、絶対的な信頼を置く発想が、禅の根底にあるといえるでしょう。
それを一言でいえば、「衆生(しゅじょう)本来(ほんらい)仏(ほとけ)なり」(『白隠禅師(はくいん-ぜんじ)坐禅和讃(ざぜん-わさん)』)ということになります。「人間は生まれながらに、お釈迦様(仏陀:ブッダ)と同じ心の性能、無限大の成長可能性と無限の清らかさを持つ存在である」ということを「本来、仏なり」という言葉で表しています。

 

このような話をすると、安直に答えを求めたがる人(原理原則よりも、定式化されたスキルやノウハウが好きな人)の中には、「禅を一生学んでも、仏様のことも、自分のことも分からないのか?」というマイナス発想でとらえることがあります。もっと手っ取り早く、役に立つ知識を得たがる人には、まどろっこしく感じるのでしょう。


しかし、複雑で変化の激しい現実世界を相手にするときには、誰かが定式化してくれたノウハウやスキルは、役に立たないことが結構あります。そもそもの適用条件が異なるからです。

禅を学ぶことの功徳(くどく)とは、何かの答えを得るというより、「疑問を起こす力(多面的に物事を考える力)が成長していく」というべきでしょう。


困難な状況に直面した時は、解決策よりも問題点の発見や整理の方が大切なことが多々あります。とくに、公認会計士として会計監査の仕事をしていると、問題がクライアントの社内で共有されれば、特別なノウハウやスキルに頼らなくても、おのずと常識的な解決策に向かうことが多いと感じます。
逆に「問題把握」を間違うと、とんでもない方向に迷走を始めることがあります。システム開発にたとえれば、初期段階の「要件定義」を間違うと、開発プロジェクト全体が迷走するようなものです。開発期間が異常に延びたり、やっと完成したシステムが、現場で使う人から見ると、使い勝手の悪い期待外れのシステムになったりすることがあります。
システム開発における「要件定義」のように、ビジネスの現場では、「問題把握」が最も大切なプロセスであるといえるかもしれません。

さて、雲門の公案に戻りますと、禅において、最も根本的で最も大切な問いである「仏とは何か?」という修行僧の真剣な問いに対して、雲門は、ただ一言「乾屎橛(かんしけつ)」と答えました。
「乾」とは「かわいた、乾燥した」という意味で、「屎(し)」とは、「糞(ふん、くそ)」のこと、「橛(けつ)」とは、「木や竹で作ったヘラ」のことであると読んで、禅門では、伝統的に「乾屎橛(かんしけつ)」とは、「糞かきべら」であると解釈してきました。
雲門が活躍した中国の唐時代などは、紙が貴重品であった時代です。近代的な工業生産が始まるまでは、山村や農村などの庶民の間では、チリ紙(トイレットペーパー)など高級品で、日常生活の中では使えません。そこで、トイレのところに、木や竹を適当な大きさに削ったヘラのようなものをおいて、それでお尻の後始末をしたそうです。


日本でも、昭和の前期(戦前)までは、飛騨地方の山村などで、そのようなヘラが実際に使われていたとのことです。古い世代の禅僧は実際にそれをみて、「これが、雲門の言う乾屎橛(かんしけつ)なのだろう」と受け止めました。

それに対して、戦後、京都大学教授や花園大学教授を歴任し、中国文学に対する豊富な言語学的な知識を生かして、禅語録を文献学的に研究した入矢義高(いりやよしたか)氏は、「乾屎橛(かんしけつ)」とは、「(犬などの)糞が乾いて棒状になっているもの」、「乾いた糞そのもの」であると解釈されました。


入矢義孝氏の文献学的な研究は大変精緻なもので、文献学者ではない禅の老師たちは表立って、それに反論することはありません。(というより、反論できないというべきでしょう)。かといって、江戸時代以前から伝わっている「糞かきべら」という解釈にも一理あるので(昔の山村では、そのようなヘラを実際に使用していたので)、「乾屎橛(かんしけつ)」には、「いろいろな解釈がある」ということになっています。
どちらの解釈にしても、「仏」という最も高貴で尊いものを問われたのに、雲門は、日常生活に見られるもので、最も不浄なもの、最も汚いものをもって答えたことに変わりはありません。

 

この雲門の答えについて、小池心叟(しんそう)老師は、次のように解説しています。
「仏心(ぶっしん)は法界(ほっかい)に充満し、あまねく一切(いっさい)群生(ぐんじゅう)の前に現ず」仏心というものは、真理というものは、われわれの生活しているこの地球上いたるところに存在する。
一切(いっさい)群生(ぐんじゅう)とは、衆生(しゅじょう)のことです。仏心という真理そのものは法界(ほっかい)、このわれわれの生活するこの世の中のいたるところに存在する。
そして、それはわれわれ一切(いっさい)群生(ぐんじゅう)衆生(しゅじょう)の前、いたるところにある。朝から晩まで自分の周囲に真理はいたるところにある。ただそれに自分自身が目覚めるかどうか、これしかない。
自分自身が無心に成りきり徹しきる。・・(中略)・・無の境地に徹しきるならば、自分自身が仏であり、自分自身が真理そのものと一体であるということに気がつくわけです。」
(小池心叟『無門関提唱』より)

この世のあらゆる存在が「仏心」の表れとしたら、「乾屎橛(かんしけつ)」のような汚いものでも、真理の現れであるということになります。「乾屎橛(かんしけつ)」でさえ真理の現れであるとしたら、自分自身もまた真理の現れであることがおのずと分かるでしょう。「仏」(サムシング・グレート)を別次元にある特別な存在ととらえないで、私たちの生命がすでに「仏」(サムシング・グレート)の一部であることを反語的に表現したのが、雲門の答えであるということです。


雲門は、禅の教えを理論的に説明しないで、「乾屎橛」という印象的な言葉で端的に伝えようとしているという解釈です。このような解釈は、一つの伝統的な解釈でもあります。

 

それに対して、もう一つ別の解釈もあります。それについて、平田精耕老師は、次のように説明しています。
「自己の外側に神が在るのではない。自己の本来のところが神なのである。それで自己の外側に仏を措定(そてい)しておるその僧に向かって、雲門は見事に、乾屎橛(かんしけつ)、「つまらんものじゃ、ヘド臭いわい」と言って、一気に仏のとらわれをバッサリと一刀両断のもとに斬って捨てたのが、この乾屎橛(かんしけつ)の問答である」
(平田精耕「無門関を読む」より)

 

 

自己を超越したものとして、仏様を求めている修行僧に向かって、「仏にとらわれるな、自分自身を見ろ」と指導するために、「お前の考え方は、汚らしいほどに間違っている」という意味で、「乾屎橛(かんしけつ)」という言葉を投げかけたということです。弟子の迷いを解くためのショック療法であるという見方です。

 

最近、横綱の日馬富士が同じモンゴル人の後輩力士の貴ノ岩をカラオケのリモコンで殴ってケガをさせるという事件がありました。手段と程度はともかく、日馬富士は悪意から貴ノ岩を殴ったわけではなく、相手の成長を願ってしたことでした。
日馬富士にとっての「乾屎橛(かんしけつ)」が「カラオケのリモコン」であったわけですが、あくまでもショック療法であって、現代においては正当な指導方法とはいえません。ショック療法は、抗がん剤のようなもので、効き目も強いかもしれませんが、副作用も強く、意図しない結果がもたらされるリスクがあります。


今回の事件では、殴られた貴ノ岩よりも、その師匠である貴乃花親方に強烈な副作用が出て、いまだに相撲協会を巡る混乱が収束していません。日馬富士は引退に追い込まれ、貴ノ岩も貴乃花部屋に軟禁状態で、本場所にも巡業にも出られず、稽古もできないようです。このままでは、被害者であるはずの貴ノ岩の力士生命も終わってしまうかもしれないと心配されるようになっています。
部下や後輩の指導においては正攻法を用いるべきであり、たとえ善意であったとしても、「乾屎橛(かんしけつ)」のようなショック療法はなるべく使わない方がよいといえるでしょう。

 

このような二つの伝統的な解釈に対して、もう一つの伝統的な解釈があります。それについて、稲盛和夫氏の心の師であった西片擔雪(にしかた-たんせつ)老師は、次のように提唱されています。
「禅(の修行)とは、なりきること。
乾屎橛(かんしけつ)にならなきゃいかん。
自他一如(じた-いちにょ)の境涯を得にゃいかん。
我が身を捨てて、他人の糞(くそ)をぬぐう底(てい)の大悲心(だいひしん)を
持たにゃならん。仏心とは、大きな大きな慈悲心じゃ。
親は、幼い我が子と一心同体。まさに自他一如(じたいちにょ)である。
だから我が子の糞を見ても汚いと思わん。かえって、「今日の糞はちょうどいい」とか、「今日は少しお腹が緩いわい」とか、一喜一憂する。汚いとはこれぽっちも思わん。
ふき取って初めて、乾屎橛(かんしけつ)の精神が起こるというもんじゃ」
(西片擔雪『無門関提唱』より)

 

 

「乾屎橛になる」とは、「他人のしりぬぐいができるような大きな人間になる」ことを意味しているという解釈です。雲門に「仏とは何か?」と尋ねた修行僧は、初心者ではなく、すでに悟りの世界を十分に味わっている上級者であろうという理解が前提になっています。
禅の修行は、自分を救うための「自利(じり)」が最初の目標になりますが、修行が進んだ上級者や老師方は、浮世で様々な困難に直面している他人を救うという「利他(りた)」の行いが要請されるようになります。しかし、この修行僧は、自分の修行のことばかり考えて、「利他」を忘れていたのでしょう。それでは、自利の修行も頭打ちになります。

禅でいう「自利」が仏教の知恵を学ぶことであるとしたら、「利他」は、慈悲の行いを実践することを意味します。最初は、「自利」優先でよいのですが、ある程度修行が進んできたら、「利他」の修行に取り組まねばなりません。
「自利」だけでも、一生かかっても終わらないほどの深さがありますが、「利他」となると、それこそ終わりはありません。「釈迦(しゃか)も達磨(だるま)も修行中」とは、「利他」の修行に終わりがないことを示す言葉であるといえるでしょう。
経典の中に出てくる仏様や菩薩様のように、特別な神通力を持っていれば別ですが、凡夫たる私たちが「利他」を実践しようと思ったら、自分がある程度汚れる、あるいは、自分がある程度損する覚悟が必要でしょう。これも程度の問題ではありますが、自分を安全地帯においているばかりでは「利他」はできないのではないでしょうか。

 

「自分の修行」を「自分の利益」と置き換えれば、現代のビジネスにおいても、当てはまるのではないでしょうか。自分の利益ばかり追い求めて、取引相手や世間のことを考えなければ、「WIN-WIN」という望ましい関係は築けません。当然、大きな仕事もできないでしょう。
江戸時代の近江商人は、「三方(さんぼう)良し」といって、「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」を大切にしました。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのが、良い商売であるという意味です。
「三方(さんぼう)良し」とは、「自利」と「利他」のバランスを上手に取ることと言えるでしょう。しかし、誰もが我が身がかわいいのが人情ですから、何も意識しないと、「自分良し」ばかりが肥大して、相手の利益は二の次、社会貢献など論外という残念なことになったりします。
雲門の乾屎橛(かんしけつ)とは、自利ばかりを優先しがちな私たち対する戒めの言葉であると理解したいものです。

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12月18日、本郷という歴史ある街にイタリア、トスカーナをコンセプトとしたリストランテをオープンいたします。
お店の前に聳えるのは樹齢六百年と言われる「クスノキ」。文京の大楠と親しまれ、この土地に暮らした人たちの人生を見守ってきた由緒ある場所です。
店内はクラカルなフィレンツェ貴族のSala(広間)をイメージし、イタリアを感じさせる異空間でありながらもホワイトとウッドを基調とした温かみのある空間に仕立てました。
ソムリエでもある佐藤が提案するトスカーナ料理と、厳選したワインとの最高のペアリングをお客様にお届けします。
皆様のご来店をスタッフ一同、心よりお待ちしております。
お問い合わせ、ご予約は佐藤真一までお願いいたします。

Clima(クリマ)とはイタリア語で風土。

師走の候、皆様におかれましては、ますますご清祥のことと心よりお喜び申し上げます。長きに渡り修行を積んだイタリア、トスカーナの伝統、風土、文化と日本の四季を大切にし、造り手の想いや背景を鑑み、一皿に仕立ておもてなしをする。店名でもある「クリマ ディ トスカーナ(トスカーナの風土)」そのものをコンセプトとしたレストランをイル デジデリオから一年半の充電期間を経て、東京・文京区本郷にオープンいたします。御茶ノ水からオフィス街を抜けるとお店の前に聳えるのは樹齢六百年と言われる「クスノキ」。文京の大楠と親しまれ、この土地に暮らした人たちの人生を見守ってきた由緒ある場所です。店内はクラシカルなフィレンツェ貴族のSala(広間)をイメージし、イタリアを感じさせる異空間でありながらもホワイトとウッドを基調とした温かみのある空間に仕立てました。ソムリエでもある佐藤が提案するトスカーナ料理と、厳選したワインとの最高のペアリングをお客様にお届けします。皆様のご来店をスタッフ一同、心よりお待ちしております。

 

 

お問い合わせ先 TEL:03-5615-8258
FAX:03-5615-8298
E-mail:info@clima-di-toscana.jp
営業時間 Lunch 12:00~15:00(L.O13:30)
Dinner 18:00~23:00(L.O21:00)
定休日 日曜日、隔週月曜日
席数 30席
貸切可能人数 会食、パーティープラン、貸切のご予約も承ります。
【貸切】15名様より
【立食貸切の場合】20~50名様より
個室 無し(パーテーション有)
駐車場 駐車場 無(近くにコインパーキング有)
禁煙・喫煙 禁煙
お子様連れ 土曜日ランチは0歳児からご入店可。
通常4歳児からご入店できます。
 
 
 

アクセスマップ

丸の内線 本郷三丁目駅1番出口より徒歩4分。
大江戸線 本郷三丁目駅3番出口より徒歩4分。
三田線 春日駅A2 出口より徒歩5分。
丸の内線・南北線・大江戸線 後楽園駅A1出口より徒歩5分。
三田線 水道橋駅A6出口より徒歩6分。
総武線・中央線 水道橋駅東口より徒歩7分。

★大きな楠木が目印

本郷三丁目駅から325m

 

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次回東京思風塾は「人物を育てる人物教育とは〜人財教育から人物教育へ」をテーマに開催します。今年最後の開催になります。

「人材教育から人物教育へ」

“教育は、国家盛衰の要であり、企業昇沈の因、一家存亡の鍵を握る大事業である”

現在の世界における学校教育の目標や基本は、能力主義です。勉強さえできれば、あまり人間性は問われません。
資本主義経済社会においては、人間は人材や人財と考えられ、金儲けの手段として考えられています。

人間の本質が理性であると考え、合理的に物事を考える理性能力を成長させることが、人間の成長とされてきたからです。
頭がいい人が、イコール人間性が高いとは言えません。


人間としての努力の対象を、理性能力や金銭・物質において、その力で人間を評価してきました。

基本的には、西洋には人格を成長させるという意識は存在しません。
学校では、理性能力に秀でた人間を育てることが期待されています。
その結果、理性能力は、技術的な能力として偏った成長を遂げています。

技術は、目的を実現するための手段です。目的の善悪に関係なく、
その目的を実現するために、最も効率の良い方法を考えることになります。

 

 

近代は、科学技術文明発達によって物質的に豊かになり、
便利にはなったけど、幸せになったとは言えません。

「携帯電話が発達して便利になった」とは言われるけれど、
「携帯電話が発達して幸せになった」とは言わないからです。

最近では、あらゆる場面で人間の品格が問われ、人間性の劣化が憂慮されています。

 

 

「人間の本質は心。感性です。」

うつ病などの精神的な病気が増え、人間性の破壊、また環境の破壊が進み、多くの人が「理屈ではない、心が欲しい」と叫んでいます。

東洋では、能力よりも人間性において秀でた人を尊敬する気風があります。金銭や物質的豊かさより、人間的成長を目標に努力する生き方が評価されてきました。華道や茶道といわれる「道の思想」とは、人間のすべての行為の目標を「人格を鍛える」「人格を成長させる」ことにおいています。

 

 

「人間学」という言葉も最近よく雑誌などでも取り上げられてきました。今後は、経済活動も「人格を磨く」ために行われる「人格主義経済」となり、教育も手段となる人間をつくる人材教育から、人間そのものを最高の価値と考える「人物教育」が必要となってくるのです。 

 

 

 

前回10月開催

テーマ「愛ある子育てとは~思春期から社会人へ~」で開催しました。

前回の復習から「経営者が今後あるべき姿」についてからお話頂きました。

経済界においても変化が求められている。

経営者として立派な人物が出てくる為には3つのうちの1つを体現しなければ。 偉大なる力を発揮する経営者として

1、大病

2、倒産

3、投獄

この3つのうちのいずれかを経験する事、実際には体験しなくてもそれと同等の厳しさを経験する事により 経営者として素晴らしい人物になれる。 人生一度は地獄に落ちる経験をする事で本当の自分の力を持つ事が出来る。

また、思風先生の体験談として「人生体験を基に感性論哲学の体系が成り立っている」

自分の中での苦しさ、悩みが根底にあるからこそ
自分に自信を持って話をすることができる。体験無しには真実を語る事は出来ない。
殆どの学者は本を読んだ事を基に話をしている傾向があり、それは他人が創ったものを話している事で重みを感じる事が出来ない。
体験の重みの中に地獄に落ちる体験があり、そこを乗り越えたからこそ話が出来る内容の重みがある。

 

先生が生まれた昭和17年、日本は極端に食べるもの、経済的な貧しさ、その中での家族の精神の崩壊など
あらゆる困難が降りかかってきた頃から夫婦間での悩み、子育ての悩みなど
先生自身も様々な体験を基に、現在の感性論哲学が出来たことを解説頂きました。

 

今回のテーマ「教育について」

感性論哲学において教育を語る時の根本の精神として

「教育は、国家盛衰の要であり、企業昇沈の因、一家存亡の鍵を握る大事業である」

親が子供を立派に育てる事は企業や会社で成功するよりも大切な事、人生の大事業である。
もし仕事、会社の業績が成功していたとしても家族を犠牲にして成り立っているのであれば成功とは言い難い。

そして、感性論哲学では子供の成長に従ってその時々に最適な教育を行う事が求められ年代別教育論を説いています。

特に0歳から3歳、3歳から6歳の期間において大切な事は子供の命から沸いてくる欲求欲望を大切にしてあげる。
結果が出るまで、意志の強さは欲求の強さでありそこに辞めないという大切な事がある。危ない、人に迷惑をかけるということで辞めさせるのはその子を殺す事になる。やりたい事はどんどんやらせる。

その中から使命や天分のつぼを見つける事が出来る。

理屈でおさえてはいけない。

0~3歳

1.赤ちゃんの心に、本当に安心して生きていくという安心感と信頼感をしみこませる。
2.生きることの原点である信じる力を傷つけずに維持する。
3.スキンシップを通じて子供に充分な信頼感と安心感、愛を感じさせる。
4.子どもの心を満たしきる。

3~6歳まで(第一反抗期)

1.反抗させる。反抗させながら、その力を利用して教育する。
2.行動力と自制心(倫理観・善悪正邪の区分の基礎)を創ることを目的に教育する。
3.やりたいということを途中でやめさせず、とことんやらせる。命から湧いてくる欲求が行動力を作る。
4.物事を最後までやりとげるエネルギーを大切にする。
5.遊びの中で、自由にさせて創意工夫をすることを体感させ、常識にしばられないようにさせる。
6.絵本を読んであげる
7. 人に迷惑をかけたときだけは、「痛い」という感覚を体験させる。
8.この体の痛みは、大人になって人に迷惑をかけたとき、心が痛むようになる。

6~10歳まで(善悪正邪の区別)

1.子どもが主体的に人間的判断をするための土台となる
大人の持っている常識としての善悪正邪の区別をしっかり教え込む。
2.自信を持って生きる力をつくるために、学問的に正しい知識を教え込む。
3.学ぶ喜び、やった~!できた~!という喜びと感動を与え体験させる。
4.子どもに質問して、教えてもらって、子どもをほめる。

10~13歳まで(過渡期)

1.親は、先生を批判したりけなさず、先生を誉めて好きにさせる。
2. 何か質問されてもすぐに答えず、一緒に調べたり、どのようにすれば答えが出るか、その方法を教え一緒に考える。
3.10歳過ぎたらたたいたり、殴ったりしてはいけない。スパルタ教育・体罰はやめる。
4.天分を見つける努力をする。

13~15歳まで(第二反抗期)

1.この時期に必要なことは、主体性と責任感の二つを作ること。
2.人格に目覚める頃だから、子供の人格を認めて接することが大切。

15~20歳まで(自分で自分を教育する)

1.「自分で自分を教育することを教える。目的を持たせることが大切。
「将来どんな人間になりたいか」
「将来どんな仕事がしたいのか」
「将来どんな生活がしたいのか」 を問い、考えさせる。

20~30歳まで

1.30歳までの人間には、大宇宙の偉大な進化の力が働いている。
2.「個性を磨きだす」 「常識で考えるのではなく、常識を考える」「自分に与えられた使命を自覚する」ことによって創造力を湧き出させる。

 

 

年代別教育論を実際に行う際、どこまでが子供になるかどこまでが大人になるか?を把握する必要がある。選挙権、犯罪適用の法律が低年齢化している中にありますが感性論哲学においては人間の肉体の成長は生理学的に27,28歳、それ以降は肉体的には維持できてもそれ以上の体力は作れない。

宇宙と命の関係性で感性論哲学では捉える。

27,28歳までは肉体的に未完成、その年齢を過ぎた30歳までを子供として捉えている。
30歳までに子供に対してどういう教育を施すべきか

論語の中で孔子も言っています。

吾十有五にして学に志す。
子曰、
「吾十有五而志于学。
三十而立。
四十而不惑。
五十而知天命。
六十而耳順。
七十而従心所欲、不踰矩」。

「私は十五歳のとき学問に志を立てた。
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。
四十歳になると、心に迷うことがなくなった。
五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。
六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。
七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、
人の道を踏みはずすことがなくなった」と。

この様に子供の成長に従ってその時々に最適な教育を行う事が求められます。今回のテーマでは13歳から15歳、15歳から20歳、20歳から30歳までの期間を中心にお話頂きました。

13歳は第2反抗期、理性に基づく反抗期
それが納まり、子供が志夢を持って生きていける年齢が15歳、15歳は自我の目覚め、自分で自分を教育できる年齢

15歳の段階において「見る自分と見られる自分」が出てくる年齢。
理性を手段能力に使って自己を成長させる段階であり、自己実現の人生を自らが決めて歩み始める年代。
そして人格への目覚めとして15歳から人生というものを考えさせられる。
子供に感じさせるためには
人生の問いを発する。
どういう問いかというと、この命を何に使うかどう生かすか、つまり何のために生きて何のために死ぬのか

命はこのためなら死んでもいいと思えるものに出会った時に美しく燃え上がる!それを命は望んでいる。

その為には、3つの問いが大切で

1、どんな人間になりたいのか

2、どんな仕事がしたいのか

3、将来どんな生活がしたいのか

それらの問いがないと目標の無い迷う人生、ぶれる人生の生き方になり生き方が定まらなくなる。

 

20歳から30歳まで 人生における大人としての成長

社会には様々な考えや価値観がある。それが社会の現実、社会を生きるには対立した人たちと共に生きる事である。

社会の中で生きる事は社会性であり、考えが違うという事は自分にないものを相手が持っている事でもあり
大人としての成長と思ったら自分に無いものを持っている人との付き合いが成長を作り出す原理相手から学ぶ事により相手を理解するという事が出来る。そして自分の考え方を変化(成長)させていく。という事であれば
何で相手がそう考えるかが見えてくる。そこにお互いが学びあうというパートナーシップの関係が出来上がる。

更に、人格を整え、社会を生きるための人間力を養う期間。人間力は現実社会に生きる力。さらに、その上に人格を磨く努力を積み重ねて人格の深さ、高さ、大きさを習得することで人物になれる。

2017年10月7日(土)東京思風塾テーマ「愛ある子育てとは~思春期から社会人へ~」

2017年10月7日(土)東京思風塾テーマ「愛ある子育てとは~思春期から社会人へ~」

2017年10月7日(土)東京思風塾テーマ「愛ある子育てとは~思春期から社会人へ~」

 

8月5日東京思風塾「心が燃える理念とは〜自社の理念を問い直す〜」

今回の東京思風塾では会社経営における理念についてがテーマ
参加頂いた経営者の方もご自身の会社における理念を発表して頂き、思風先生、アドバネクス加藤会長からのアドバイスなど双方向な形での講義になりました。

思風先生からは心を持った経営、つまり意味と価値を感じる感性が備わればやる気が出る、燃える!理想というものは、本当にて手に入れたいという想いについて命の根底からの欲求(燃える事)が出てくる事が大切であり理念というものも真っ赤に燃えていなければいけない。

我々は近代まで自由と平等を理念としてそれを実現する事を理念としてきた。中世の時代においては宗教的な側面に従っていた傾向が強かったが

 


理想が実現できる人生を考えた際、理念というものはただ目標として掲げられる観念的、概念的なものではなく欲求と結びついていなければ理想とはいいがたい。

近代の自由平等の理念は役割を果たし終え、新たな理念が求められている

理念がとことん追求されるが故に
平等、弱者救済、社会保障など福祉政策がなされる結果
国家財政が破綻される程の状況になっているのが今日の現状

つまり自由平等については国、社会、人間を成長させる役割を果たし終わった理念という捉え方。

これから我々は新しい時代を創る為に自由平等という理念とは違うものを考えなければいけない。そこに新しく社会、国家、人間を成長させる理念が創られるのではないか。

 

 

 

出てくる問題を乗り越える、問題は成功への一里塚

理念と問題はかけ離れている様に見えて、一体のものと感性論哲学では捉えている。

問題がない、悩みがない
そこに命を燃やすものはない。

苦しさ、辛さがあって頑張る事で命を燃やすきっかけがある。

つまり理念は人間にとって苦しみ、辛さでもあり
苦しみ辛さがない理念は理念と言い難い。楽な理念は無い。

理念を立てて乗り越える事こそ本当に命が燃える所であり、そこに理念がある事の意味と価値がある。

 

 

 

6月3日開催 東京思風塾 テーマ「人間主義経済の到来~社会性と事業性との異次元マッチング経営の実例」

「変わる時代に直面している」

いかなる出来事にも意味があり、何かしらを今生きている人間に対して教える為に、気付かせる為に出来事が起きている。すべての出来事が時代をよりよい方向に導く為に起きている。大切なのはそれを解釈する事。解釈無しに意味と価値を感じる事は出来ない。

今日までの資本主義経済を原理的に変えていくために時代そのものが変化を求めている時が来た。欧米からアジアへ欧米型の政治、経済に変わるものが今、アジア人に突きつけられている。政治経済だけではなく生き方も含めて。

時代が変化を我々に求めている。

では、我々はいかに変化するべきなのか?

人間観そのものが理性から感性へ。心を求める時代に来ている。
それに対し、我々自身が一時も早く受け入れる事が大切であり自分自身を理性的な人間から感性的な人間へ激変させることが求められている。

感性論哲学が目指すところは理性に支配されるのではなく使いこなして素晴らしい生き方を創り出す事。

理性を使いこなす原理が感性!自分自身の本音と実感を大切にすること。命から湧き上がる欲求、欲望、興味、関心、好奇心を大切にしながら、それを実現する為の手段として!理性を手段として使う近代人は理性を本質的に理性的になろうとした結果、ストレスを抱えている。

その結果、理性的になろうとすればなるほど個性がなくなり自分が何なのかわからなくなり遠ざかってしまい自分が見えなくなる。

結局、何がしたいかが分からない状態

経済が人間のためにあるのではなく、人間の為に経済がある。

どの様に関わるのか?
また経済は人間に何を求めているのか?
を考えると、接点は労働

労働を介して人間は経済に関わっていく。

労働とは何か?

労働が経済価値を持つために求められるものは
人の役に立ち人に喜んでもらえる事が経済価値

人に喜んでもらえないのであれば経済価値を生まない。

労働とは人に喜んでもらえる様な仕事の仕方をする事
人に喜んでもらえる仕事の仕方には2つあり

1、顧客に喜んでもらえる仕事の仕方

2、一緒に仕事をしている仲間にも感謝してもらえる仕事の仕方

地獄を見ないと始まらない

現実の世界、我々は悪の中に生きている。

人間として本物になる為には社会がどれだけ恐ろしいか、醜いものなのか
現実の半分は悪である。悪の中に生きているという事は批判、憎しみ、対立と悪の中で生きている。

その中を生き抜いていく事が人生であり、そこから逃げてはいけない。

座禅、瞑想で解決出来る事ではなく
正面から向き合い、逃げない事が本物の人間を創る。

 

東京思風塾

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2017年10月7日(土)東京思風塾テーマ「愛ある子育てとは~思春期から社会人へ~」

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平成29年度 東京思風塾2月4日開催テーマ「宇宙とつながって生きるとは」

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