スタン・ハンセンに想いを馳浩 | wdkzのブログ

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ハンセン

R advent calendar2012の29日目の記事です。

さて、Rと言ったらラリアットのRであることは疑いもない事実です。ラリアットの名手といえばなんといってもスタン・ハンセンでしょう。スタン・ハンセン本名ジョン・スタンリー・ハンセンII世(以下ハンセンとする)は1949年産まれで2012年現在63歳になるアメリカ国籍の元プロレスラーです。NFLのインディアナポリス・コルツにもプロ選手として所属したこともある(ここら辺はビックバンベイダーなんかもそうですね)が、その後中学校で地理教師をしていたこともあります。23歳頃にドリーファンクシニアにスカウトされてプロレスデビュー。26歳のとき当時WWWF世界チャンピオンだったサンマルチノとの試合でラリアットでサンマルチノの首の骨を折ったことで一躍有名となりそれ以後出世階段を駆け上ることとなりました。だが実際はラリアットで首の骨を折ったわけではなく超単純な投げ技であるボディスラムを失敗して頭から落としてしまい首の骨を折ったのが真相です。そのため、それ以降は著名なレスラーから対戦したくないNo1になってしまったため27歳にして活躍の場を日本に求めます。最初は新日本プロレスと契約し、そこでメイン級の活躍をしていました。ところが32歳のときに全日本プロレスに電撃移籍、以後全日本プロレスのリングでも長いことメイン級の活躍をしました。


現在、全日本プロレスで最も権威のあるとするベルトは三冠ヘビー級ベルトですが、これはAWA世界ヘビー級王座、PWFヘビー級王座、インターナショナル・ヘビー級王座が統一されたものです。この統一戦を行ったのが当時二冠王者だったハンセンと一冠王者だったジャンボ鶴田の二人です。この統一戦では第一線第二戦ともに引き分けに終わり第三戦にしてやっと決着がつくという死闘でした。死闘を制したのはジャンボ鶴田です。

ちなみにこのジャンボ鶴田は1992年(41歳のとき)B型肝炎の劇症化によりレスラーは半引退状態となってしまいまいした。その後新たな道を探るために1994年に筑波大学大学院体育研究科コーチ学専攻に入学しています。(下の写真は筑波大生御用達の夢屋にある彼のサイン色紙) そんなジャンボも残念ながら2000年に49歳の若さで亡くなってしまいました。

ジャンボ

ジャンボの死が影響したのか、ハンセンも2000年にレスラーを引退しました。引退後は三冠ヘビー級ベルトを管轄するPWF会長を2007年まで務めました。2007年以降のPWF会長は馳浩です。

ハンセンには離婚歴があり前妻との間に1男1女を設けましたが親権は二人ともハンセンが持っています。(離婚原因は来日で家を空けることが多かったからと言われています。)現妻は日本人のユミさんという方で2人の息子がいます。長男はシェーバー・ハンセンといい2009年のMLBドラフトでシアトル・マリナーズに6巡目で指名され、立派にプロ野球選手してます。(たぶん今はマイナーにいると思う。)

なお、ラリアットはLariatという綴りなのでそもそもRとは関係なかったですね。

さて前置きはこのくらいにして、本題である「RからStanを動かす」については
RPubsに上げました
のでそちらをご覧下さい。では皆様良いお年を!!