2012-08-22 14:35:45

イスタンブルの恋愛絨毯詐欺事件、一つの民事裁判の結果

テーマ:トルコ

イスタンブルは大好きな都市なのですが、三年ほど前に当地の絨毯屋を舞台にした日本人女性相手の詐欺が余りにひどく、日本領事館も注意喚起していたので、それについて記事にしました。


過去記事 イスタンブル 恋愛商法  (2010/1/31)


その中でブログ仲間として知り合ったかこさんのブログ (トルコ旅行と絨毯恋愛詐欺 ) を当ブログのブックマークで紹介して、問題を起こしている中で特に悪質な店について、定点観測の報告もしました。


過去記事 イスタンブル恋愛商法の定点観測 (2010/10/31) 


今から振り返ると、かこさんはトルコ旅行から帰ってすぐにブログを開設して損害を回収すべく動きだし、当ブログの最初の記事の翌月には売り手に買金返済を求める通知書を送っていた。そして二番目の記事の時には、民事裁判に売り手を訴え、裁判の中で悪質な詐欺事件の構図を裁判官に立証しようとしていたんですね。


この頃、私は裁判の被告である売り手とイスタンブルで話したことありました。ボワーとした雰囲気で、日本語は上手いけど、絨毯売りつけようというギラギラ感はなかった。ただもっと話しよう会おうと、接点を線にしようとしていた感じでした。


そのあと、かこさんは被告の犯罪性を完全に確証づけるのに成功して、絨毯買金の全額200万円を売りつけた男から回収する和解をおこないました。


イスタンブル旅行からこの和解までが、1年4ヶ月くらい。好意を感じた相手から詐欺にかかったとわかって裁判に入るまでの数ヶ月が特につらかったでしょう。


それにしても、かこさんの忍耐強さはすばらしいですね。この詐欺事件と裁判過程をブログで報告しつづけたことにより、多くの人に悪質な詐欺集団がいることを知らせた、もう詐欺に遭ってしまった人に、裁判を起こしてでも絨毯買金を回収しよう励ますとともに、その道筋もつけた。


だから被告が最後まで要求して彼女が守り通したのが、ブログの閉鎖は認められないということだったそうです。


実はかこさんがブログをはじめた頃に、2010年の3月頃だったかな、多くのブロガーが共感してそれを取り上げて詐欺事件なりその手口を伝えると、詐欺集団によりかこさん含めてこれらブログの閉鎖に一時追い込まれたそうです。


当ブログはなぜ閉鎖されなかったのか。それは「恋愛商法」とは書いても、「絨毯詐欺」としなかったからでしょう。


男女間の恋愛関係を装いながら高額な絨毯を売りつけるのが悪質でも、絨毯取引そのものがどれだけ悪質なのかまでは判断できないな、と思って当時は「恋愛商法」としました。


今思い出しので報告しますが、このブログも閉鎖に追い込もうという悪意を感じることが当時ありましたね。


たとえば、詐欺ではないかと相談を持ち込むような振りをする次のコメント。実名で描かれていた店名はXとしています。


今年の9月に初めてトルコに女一人に行ってきました。一人旅はもう約20カ国になります。その時イスタンブールの絨毯屋で出会った彼と連絡を取り合っています。現地では最終日に30分ほどお店でチャイでおしゃべりしたくらいでした。今日このブログを拝見させていただき、まさか私って詐欺にあっている??と困惑からコメントというか相談の書き込みをさせていただきました。来年の1月に彼に会いに行く予定です。彼のお店はおそらくXです。


奇妙なことに似たようなコメントも同時期にもらいました。なぜかよく似た内容で、実名らしき店名があり、しかも送り先はブロガーではないのでIPアドレスくらいしかたどれない。


これらは承認せずに当ブログには反映させませんでした。ブログの管理コードには詳しくないのですが、このコメントを載せて、しかも「Xは悪い噂が立っているので気をつけてください」、などと親切心でコメント返したらどうなったのでしょうか。ある日突然このブログが閉鎖されていて、アメブロに問いただすと「X店から実名表記への苦情が届いたため」と説明されるのかなと用心したわけです。


ところで、かこさんのブログでは万が一詐欺にかかったときの対処が明確にされています。

つまり、現地警察、現地の日本領事館、カード会社に被害をなるべく早く届けること。


また、商品詐欺は、長時間の個室内での半監禁など強いられて契約する、市場価値より相当高額に売りつけられる、商品が適切に説明されていない、というときに認められる犯罪だそうです。


二番目の判断には市場価値をどう設定するか、どれだけかけ離れていれば詐欺かについてグレーゾーンがあるわけですが、かこさんの場合は10倍強離れていました。世の中には半額セールというのもあるので、現地の他の同等商品と比べて3倍以上離れていると悪質とみてよいでしょう。



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七つの丘の別名を持つイスタンブル。


久しぶりに来ました。もうずっといるつもりです。


ブログの更新を怠けてしまうかもしれませんが、みなさんお元気で。

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2011-10-27 23:30:52

ワンの地震で思ったこと

テーマ:トルコ

10月23日に、トルコ東部のワン地方でM7.2の地震が起こりました。以下は今日の記事より。


【ワン(トルコ東部)=共同】多数の死傷者を出したトルコ東部の地震被災地では避難生活を送る人々がお互いに助け合い、落ち着いた行動を呼び掛け合っている。「日本人を見習いたい」。東日本大震災で注目された日本人の忍耐強さ、秩序を守る姿勢が教訓となっている。


現場は高地で毎日寒くなる時期なので、家を失った人たちはしばらく厳しい時間を過ごさなければならないのでしょう。


ワンはクルド人の過激な運動で危ない地域といわれていたので、トルコに数回の渡航歴がある私もまだ行ったことがありません。


だからワン地方の知識といえば、ワン湖とワン猫ぐらい。村上春樹の紀行文で知りました。


ワン湖は塩分多くてプカプカ浮きやすい。


ワン猫は白い小型の猫で目の色がみんな左右ちがう。泳ぐのが大好きで、水たまりを見つけるとすぐに飛びこむ。


春樹は、ワン湖でプカプカと泳ぐワン猫を見たくてトルコ最東部への旅にでたと。動機はかぎりなく軽く、結局、その旅は叶わぬ夢で終わったと記憶しています。


インターネットで写真探すとこんな感じでしょうか。



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ワンは歴史的にも民族紛争が長く続く複雑な地域であるので、震災を機に民族の垣根を越えて双方が助け合い尊厳をもちあえる関係になり、早く地域の生活を平常に戻せればよいですね。ワン猫の目の色が違うというのは一種の劣性遺伝で、普通の猫より虚弱体質だといわれているので、こちらも心配です。元気に生き抜いてほしい。


この地震で自分のしたいことが明確になりました。いつかワンへ行ってみたい。行って何をしたいかは、この駄文読んでいただいた方には察しのつくレベル (春樹レベル?) の話です。ネコ

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2010-12-17 00:02:55

オルハン・パムクの「雪」

テーマ:トルコ


Yuri's blog; Sa-dou, Piano, Opera, Investment, Southeast Asia, Mideast, 雪をデザインしたカルスの街灯



国境の町で三日間という短い時間に起きたことを主なプロットとしているわりには、話の展開と登場人物の関係は複雑で、五百頁以上になる分量です。結局、これは政治小説なのか恋愛小説なのかというところが、読み手によって考えが異なるところだと思います。


まずはプロットを追う努力から。


小説の舞台となっているのは、トルコはアナトリア地方のアルメニアとの国境の町カルス。主人公Kaは亡命先のドイツから一時帰国した、イスタンブルの高級住宅地ニシャンタシュ出身の詩人で42才。Kaは学生時代の左翼運動のゆえに1980年の軍事クーデターで逮捕状を出され、以来ドイツのハンブルグで12年間、亡命者年金と詩の朗読会のわずかな収入で暮らしている。故郷とともに人生を半ば捨てたような彼にとっての唯一の希望は、彼と彼の詩を理解してくれる結婚相手を探すこと。母親の葬儀に一時帰国した彼は、イスタンブルの新聞社よりカルスに「市長選挙と少女の相次ぐ自殺」について取材する依頼を受けて、にわか新聞記者として赴く。彼の私的な動機は、新聞社の友人の言葉にあった。「学生運動時代のあこがれの女性イペッキは、当時の仲間と結婚してカルスに行った。夫はイスラム主義に考えを変えて市長選に立候補しているが、イペッキはすでに離婚していまだカルスにいる。」



Kaがカルスを訪ねた時に大雪が降りはじめ、その後三日間町への交通は遮断され、彼はまさに町に閉じ込められてしまった。この間に、イスラム主義勢力による市長選勝利の機運が気に入らない地元の政教分離主義者 (建国の父の考えに基づいているのでアタチュルク主義といわれる) はカルスの軍と警察を動かし、その時に公演のためにカルスに入ってきたアタチュルク主義を啓蒙する左翼劇団とともに、クーデターをおこなった。カルスにとって「異邦人」のKaは、取材のためそしてイペッキの好意を得ようと奔走する間に、いつしか町の対立しあう勢力の双方から利用され、二重スパイにさせられていく。


こう書くと、というか、私にはこのようにしか要約できないのですが、その字面よりやはり政治小説かなと思われるでしょう。著者が韻を踏みながら提示する世界は、Ka (揺れ動く人の心)、kar (トルコ語で雪、運命のようなもの)、Kars (ロシア帝政、アルメニア統治を経た国境の町なので引き裂かれた社会の象徴) なのではないかと思います。


小説ではヒロインのイペッキはとびきりの美人で謎の多い人物です。彼女が結婚のためにカルスに来てから夫がイスラム主義に傾注して不仲となり離婚するが、元コミュニストで民主主義者の父親とまだ学生の下の娘もカルスに移り住んでホテルをともに営業しているという設定。妹もまた複雑な人で、自殺者を次々と出すイスラム主義者の少女グループのリーダー的存在と位置づけられています。家では父親を慮って政教分離に理解示すように暮らしながら、イスラム急進派の地下活動を支援している。このような家族に親しくしてもらいながら、Kaはイペッキの心をつかもうと努力して、彼女を理解しよう、彼女の紹介する人に会おうとすればするだけ、Kaの心に、長年の無神論者であるはずなのに、神がみえてしまう。


小説ではKaがイペッキと結ばれてフランクフルトでの結婚生活をプロポーズするまでに300頁以上をかけています。といっても、わずか二日間の出来事ですが。それだけ、入念に複雑な人間関係とKaの心の動きを描写しています。そして、最後は著者得意のミステリー調で話が急転。


詩人Kaはカルスで数年ぶりに詩操が高まり、詩集を出版するのに十分な19の詩をノートに書き込みます。彼は詩が生まれると、その場でどんな活動もストップして書きだすのですが、小説に記されるのは題名だけで中身はありません。ただ、読み進んでいくと、一種の感情移入なのか、今Kaが書きとめている詩はこういう内容ではないかと勝手に想像して言葉が出てくるという不思議な体験をしました。


この本を開いて読む時には、いつも回りにしんしんと雪が降っているような気がしました。冬に読むととくにいい本です。


最後に蛇足のような表紙の話を。トルコ語の原書 (Kar) はカルスの町中をさまよう男をイメージしたデザイン。英語版 (Snow) では、男がしばられるような寒い雪の中に立つ彼方にモスクが見える。日本語版はというと、カルスとはまったく関係ないイスタンブルで、雪降るガラタ橋からイェ二・ジャミーを見る構図ですね。なんかトルコから遠くで出版されるにしたがい無茶苦茶になってくるようで、おもしろい。



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(関連記事)  オルハン・パムク「イスタンブール: 思い出とこの町」



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2010-11-27 00:03:21

イスタンブル滞在のあれこれ

テーマ:トルコ

今回の滞在では歴史地区の保全に関する仕事があったので、記事もほぼ都市の歴史になってしまいました。


用意してくれたホテルも歴史地区というか旧市街の真ん中にあるその名もクラウン・プラザ・オールド・シティ


ホテルの近くにあるスレイマニエ・モスクの周辺の木造密集地帯が大火事に見舞われて、被災者向けに建てたのがこのホテルの前身の4棟の中庭つきアパートメント。今は各棟の中庭とそれをつなぐ回廊部分に採光をとりながら雨露を防ぐ半透明の屋根をつけて一体的なホテルに。都市再開発のお手本のような素敵な建物でした。



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ホテル内の左が元中庭スペースで右が元回廊スペース


今はトルコリラがユーロにくらべて下落していて、そのユーロも円との関係ではかなり安くなっているので、観光に向いている時だと思います。ここ数年トルコに通っている人にとっては、今の1リラ60円を切る水準はバーゲンのようなものですよね。


イスタンブルは景気がよいようで、クルド系のテロは止んでいないものの、町なかで皆さん朗らかにくつろいでいる人が多かったです。夜、にぎやかな通りに出てみると、地元の人は相変わらず酒好き (モスレムのはず) で音楽好き。私も地元の友人や一緒に来た人たちと楽しい時間を過ごすことができました。




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客に交じって音楽を奏でる流しの楽団  余興で登場してきたべリーダンサー



また機会があれば、というか機会をつくっても行きたい町です。



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2010-11-25 00:16:45

修復をくりかえすアヤソフィアの偉容

テーマ:トルコ


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 ボスポラス海峡対岸からの朝日を浴びたアヤソフィア (地元区役所のHPより)



「イスタンブルでもっともすばらしい場所は?」と聞かれたら、アヤソフィアと答えます。ただあまりにも有名なので、なぜかを自分らしく説明するのがむずかしい。


アヤソフィアが15世紀近くの間、立ち続けていたので今日のイスタンブルがある。これがなかったら、または戦乱とかで途中で消滅していたら、ずいぶんと違う今日があったのではないかと想像します。


アヤソフィアが建築されてから10世紀後に活躍した建築家ミマール・シナンは、元キリスト教徒で、ある小説ではアヤソフィアを一目見たくてデウシルメという徴兵に応じたという書き出しになっています。彼はその後スレイマニエ・モスクなどの傑作をイスタンブルに作りながら、アヤソフィアへの補強工事や2つのミナレット(尖塔)を追加して建築した。中世時代に世界の七大不思議の一つと謳われたアヤソフィアがなければ、彼の仕事もなかったのではないかと思います。


二年前にはじめてアヤソフィアを観た時には、中に入りそのドーム型の空間の大きさにびっくり。だけど、大きな足場を組んで修復していたので、それが残念だった記憶があります。今回観ても足場の位置と規模はちがうのだけど、またも修復中でした。あきらめたわけではないけれど、今は「これがアヤソフィアなんだ」という感慨を持ちました。


この気持ちは今の自分にぴったりとするので、もう少し書いてみたいと思います。



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アヤソフィア本堂の修復風景 (左は2年前、右は今年)



現アヤソフィアは537年に完成した三代目。二代目がニカの乱に巻き込まれて消失してから、たった5年で世界最大のドーム型建築を竣工させた皇帝ユスティニアヌス一世は、献堂式の日に祭壇より「ソロモンよ、我は汝に勝てり!」と叫んだとか。旧約聖書の英雄ソロモン王が建てたエルサレム神殿に勝る聖堂を建てたということです。


ニカの乱は、当時コンスタンティノープル市民の最大の娯楽であった騎馬戦レースのあとに、ひいきのチームが異なり対立する市民グループが暴徒化したので、戦争や内乱というよりは乱痴気騒ぎのようなものだったのでしょうか。しかし、たった5年で今日まで偉容をみせる建造物をつくったのだから、当時はどれだけ社会が豊かで宗教的情熱にあふれていたのか。


設計したのはアンテミウスとイシドロス。後世はかれらを建築家と呼ぶわけですが、実際は数学者だったそうです。普通の教会は長方形のバシリカ型で、難点は大きくなると前方の祭壇と後方の距離ができすぎて一体的な祭礼がしにくくなること。そこでアヤソフィアはドーム型とすることで、一万人を超える人が天空のような神秘的な空間で一体感をもって参列できるようにした。問題はそこから神が降りてくる天空のイメージを創るドームをどこまで高く大きく聖堂の中央にかぶせることができるか。アンテミウスとイシドロスのふたりは、計算に計算を重ねて、直径33メートル高さ54mの石のドームを、縦横70m余りでほぼ正方形に近い聖堂本体に、鉄を使わずにかぶせることに成功したのです。


しかしこれは静的な条件の下での最大限可能なドームだったので、イスタンブルのように地震の多いところでは前提条件が適切ではなかった、というか後知恵でいえば耐震設計をすべきだったのです。とくに558年、989年そして1346年の大地震では屋根が一部崩落したという記録があります。アヤソフィアは石の建造物なので火には強いが、そのドーム型の巨大空間をつくる設計のために地震には弱く、その偉容を維持するためにはいつも修復するしかなかった。


時はオスマン帝国の時代になると、ミマール・シナンが皇帝セリム二世 (在位1566-1574) の時に大規模な補強を施して、「世界最初の耐震建築家」とも呼ばれる仕事をしていたり、19世紀にはアデドゥル・メジト一世 (在位1839-61) がイタリアから建築家を連れてきてドームに鉄帯を巻きつける補強をしています。


アヤソフィアの大ドームにより創られた空間はそこを訪れた人を魅了するので、ローマ帝国からオスマン帝国に移っても変わらずに皇帝が礼拝する主座の宗教施設と重んじられてきました。そして彼らは、民族や宗教にかかわらずアヤソフィアが建ち続ける努力をしてきた。だからアヤソフィアの偉大さは、これを建てた皇帝ユスティニアヌス一世だけに帰属する性格ではなくて、現代までずっと続いてきた修復の努力にもあると思います。


時間を超えたコラボレーションというか似たような視点でもう一つおもしろいのは、アヤソフィアに描かれているモザイク画です。8世紀から9世紀にかけてキリスト教社会は偶像破壊運動が吹き荒れていたので、これらは10世紀から11世紀にかけて描かれたものです。


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オスマン帝国の時代はアヤソフィアはモスクに転用されていたので、イスラム教が禁じる偶像でしかも聖書の物語は露出させるわけにはいかず、はじめの百年ほどは布で隠して、スレイマン大帝の時に漆喰を上に塗る形で完全に隠してしまった。先に紹介したアデドゥル・メジト一世は大修繕の時にその漆喰をはがしてモザイク画の記録を取り、その後モスクとして使い続けるためにまた漆喰を塗った。彼らは実用的に困るので隠したけれど、美しい芸術作品をこの世から葬ることはしなかった。これも今日のアヤソフィアに大きな財産です。


そして新生トルコ共和国の初代大統領アタチュルクは、1934年にアヤソフィアを国立博物館にすると宣言したので、これまでの宗教上の対立はまさにノーサイドとなりました。今ではモスクのなごりとしてミナレットがありドーム内にはミフラーブ (礼拝用の文様) がある一方、ビザンティン美術のギャラリーとしてモザイク画が鑑賞できる場となっています。


そして施設内のどこかではいつも足場を組んで修繕がおこなわれている。何回か来てこのように理解した私は、もう修繕の風景を気にしなくなり、それによりアヤソフィアの偉大な物語が今日も続いていると理解するようになりました。


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