【eoisode2】
本吉町・小泉地区の避難状況は以前、このブログで紹介してましたが…(詳しくはこちらをクリック⇒本吉町 被災地 現地レポ19 )、もう一つの…二次避難した場所に行ってきた時の話を…少し…。
小泉地区は大きく分けて…三つの区に分かれてます(浜区・町区・在区)
ここに多くの人が避難生活してます。
家が高台だった為に、無事だった人は…水も電気もまだまだなので…救援物資を毎日頂いて自宅で生活しています。
中央に写ってる家の下にあったんですが…
もう…何も残ってません。。。全壊です…。
(中央に写ってる家でさえ、1階は全て浸水状態でした)
高台の為…無事だった家に住んでる方を除き…町区にみんな身を寄せてます。
小泉地区一番の避難所です。
震災当初は500名程度…その後、他の場所に移ったりして…350名程度になりました。
こちらの介護施設は高台にあった為、無事で…こちらに多くのご老人が身を寄せてます。(見えにくいですけど…写真右上)
ここは旧小泉中学校で…私の母校があった所でした。
他にも…『春圃苑』と言う介護施設があり、1階は浸水しましたが…建物として無事で、ここに身を寄せてる方もいます。
小泉地区の避難場所は大きく分けて以上のような感じです。
この小泉・町区ですが…やはり人数が多い為、避難生活が厳しい状態が続いてて…炊き出しに隣県の岩手県から支援に毎日来てくれてた町がありました
岩手県一ノ関市立津谷川地区の方々です。
(一ノ関市と言っても、本吉町は本吉町中心部より20分程度で…岩手県に入る事ができる場所です)
そして…津谷川地区に数年前に廃校になった学校があるので、二次避難の受け入れ先として声をかけて頂いたのです
そして町区の約350名の内、100名程度が移動してます…。
友人も移動していきましたので…励ましに行ってきました&友人が亡くなってしまった事の話もする為に。。。
(ちょうど、その頃…浜区では『首都圏のサラリーマン』さんが、炊き出ししてみなさんに提供してた頃だったと思います(苦笑))
内陸に位置する為か…桜が綺麗に咲き乱れ…まさに満開です。
この日は、津谷川地区の方と…二次避難して来た小泉地区の方々との交流会が行われてました。
学校内で生活してる人…この向かいにある交流センターで生活してるお年寄りの方々も喜んでました。
私も嬉しかったです
「このご恩は、一生忘れないよ」…友人が笑顔で話してました。
私達は…幼稚園、小学校、中学校と10年以上一緒に過ごした仲間です。
・津波で家が流され何もかも失い…避難してる人
・旦那さんの実家(県外)へ引っ越してしまった人
・火災で会社が亡くなった人
その他…色々な理由で離れてしまった人等います。
当然…思い出の写真も全て無くなってしまってるのは解ってたので、水面下で作業して作ってました
『小学校&中学校の卒業アルバム』
(何が大変だったって…アルバムの全データ化…そしてスキャン作業(苦笑))
仲間だからできる事…地元だからできる事…
色々やれる事をやらないと…と、時間の合間を見つけながらやってたので…時間かかっちゃいました
津波の影響で命を落とした友人も写ってます。
文集もあります。
『一人はみんなの為に、みんなは一人の為に』
小さい頃、先生に教えられた言葉です。
少しはできたかな?仲間の為に…今…できる事。。。
何十年も前から立ってる桜の木…この先も、ずっと暖かいこの町を見守っていって欲しいものです。
※諸事情により、一旦…ブログ中断致します。
すぐに戻ってきますので…たぶん。。。(苦笑)…(予定は未定)
貴重な…愛読者のみなさん(笑)…少しお待ちくださいね~