グロテスク

高校を卒業するまでの間は、集団の輪を崩すのが怖かった。皆で同じ制服を着て、学校の規定通りの髪型をして、学校規定の地味なスクールバッグを持っていたのに、何が集団の輪を崩す事になるのか、今振り返ると不思議な気持ちになるけれど、受験が終わるまではクラスメートも皆ライバル。「昨日は何時に寝た?」という質問にも神経を尖らせ、「11時くらい」と実際に寝た時間より早く答える。狭い社会、狭い人間関係。入学から卒業までたったの3年の事なのに、そこでの失敗が一生を左右するような緊張感にさらされていた、それが高校時代だったように思われます。


『グロテスク』は4人の女性を軸に展開します。ドイツ人の父、日本人の母を持つハーフの姉妹、“わたし”とユリコ。姉である“私”が通っていた名門女子高でのクラスメート、佐藤和恵とミツル。ハーフ特有の類を見ない美しさを持つ妹・ユリコに対する“わたし”のコンプレックス、努力してもミツルにはどうしても適わない佐藤和恵のジレンマ。必死になってミツルが代表する「付属校出身者」に追いつこうとする佐藤和恵に対する“わたし”の嫌悪。一つの事件を語るのに主観が入ると、特に書き手が描写する人間に対して悪意を曝け出すと、これほど醜悪な言葉が紡ぎ出されるのか。“わたし”、“ユリコ”、“佐藤和恵”(女性の悪意が怖すぎて間に入る張の手記なぞどうでもよく感じる)3人の目を通した物語は、強烈な嫌悪感を抱かされると同時に引き付けられ、一気に読んでしまいました。


全編を通して泣きたくなるほど共感したのは、佐藤和恵の同期・山本の下記セリフ。

「だけど、あたしは虚しいのよ。あたしたちに担わされているものって重過ぎるんだもの。男以上に働いて、女の仕事もして、両方に気を遣ってっくたびれて。だけど男にはなれないのよ、一生。何か変じゃない、これって。だって、あたしは男になんかなりたくないの。ただ仕事したかっただけなのに、このままじゃ擦り切れちゃうよ」(下巻P.267)


多少の男女差が残っている職場で働いた事のある人なら誰でも感じたことがあるだろうジレンマだと思うけれど、山本はこのジレンマから結婚という手段を使って逃れ、佐藤和恵は夜は別の顔を持つ事で逃げる。真っ向から問題に対峙する事無く、両者とも逃げているのがずるいな、と思ってしまうのですが、佐藤和恵と同じ道に走る危険性は自分にとってもゼロとは言えない。同じ事が“わたし”や“ミツル”の陥っている苦境にも言えるので、やっぱり桐野夏生という作家の文章は容赦無い、と改めて実感しました。


何か悔しい思いをした時に「いつか、きっと見返してやる」という気持ちを持つ事は前へ進む原動力にもなる。けれどその力が間違った方向へ進むと他でも無い自分にとって、一番悪い結果が待っている。本来の本書の趣旨とは異なるかも知れないけれど、この本を読んで一番感じたのは『他人と競い、勝つ事に意味を見出すのでは無く、自分自身と戦い、勝つ事に満足を覚える事を学ばなければいけない』という事です。他人と競うよりも自分と戦うのは大変だけれども、私はやっぱり私の中に居る佐藤和恵のような性格を呼び起したくは無い。テーマが重いのでかなり疲れますが、一読の価値有りです。

グロテスク 上
¥590
株式会社 ビーケーワン

グロテスク 下
¥629
株式会社 ビーケーワン
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見張りの塔からずっと 重松 清著 新潮文庫

この本は3作の短編が収録された単行本です。短編が幾つか入っている本って、幾つかの物語の内の一つが表題作として取り上げられるケースが多いような気がしますが、この本はタイトルである「見張りの塔からずっと」という物語はありません。

個人的には最初の「カラス」が一番読後ズシンとくるものがありました。人の醜さをこれ程残酷に描いた作品は無いんじゃないかな、と。

ストーリーはバブル崩壊でどんどん値下がりしていく、都心から離れたとあるニュータウンのマンションを舞台に展開します。1000万円も値下がりしたマイホームの価値に苛立ちを隠せない住人達。そこに入ってきた新参者の、何気ない一言が旧住人達の逆鱗に触れた事から、現代版村八分とも言える現象が現れ…。

ここまで顕著な例は無いとしても、多かれ少なかれこれまでの人生で通ってきた集団生活の中で、似たり寄ったりの“仲間はずれ”的な現象には遭遇した事があります。加害者としても被害者としても。読む人によって、自己投影する登場人物は異なるのでしょうけれど、私は自身を何となく主人公“私”の妻である友美に重ね合わせ、自分の醜さとか卑小さを目の当たりにしたような、何とも言いようの無い感覚を抱きました。

と言うのも、榎田夫人の言葉に、私も無神経だとの苛立ちを禁じ得ないからです。著者は加害者達にとって、何とも後味の悪い結末を用意しているし、読んでいて「子供まで巻き込むな」とも憤る出来事も多々あった。でも、だったら榎田夫人の言葉を聞かなかったふりをして、何事も無かったように振る舞えるかと言うと、絶対に私にはそのような事は出来ない。

人にとって『これだけは侵してはいけない』という境界は絶対に存在する。人によってその基準が異なるので、ある人には「プライドを傷つけられる、許し難い行為」であっても、一方では「なんて我が儘なんだ」と思われかねない。その辺りの駆け引きが難しい事を、この本を読んで改めて感じました。

最後に、壁に耳あり、障子に目あり。例え誰も聞いて無いと思っていても、滅多な事は言う物ではないと、つくづく実感。いつの時代も“口は災いの元”のようです。
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『ダ・ヴィンチ・コード』 ダン・ブラウン著 角川書店

評判通り面白かったです!現代版聖杯探求アドベンチャー&ミステリー小説『ダ・ヴィンチ・コード』。
ストーリーは言うまでも無いでしょう。ルーブル美術館ソニエール館長が殺害された。彼は死の間際に自らの身体をモチーフにした奇妙な暗号を残す。講演のため、フランスに訪れていたハーヴァード大の宗教象徴学教授ラングドンは暗号解読に協力を求められるが、実はフランス警察が自分を協力者としてでは無く、殺人の容疑者として呼び出した事に気付き…。

本はアナグラム、換字式と、暗号を解読する為の言葉遊びが満載。私は英文学専攻時代も英語学は大の苦手・大嫌いで必修すれすれの単位しか取っていないという人間なのですが、こうやって謎解きをされると本当に言葉遊びって本当に面白い。子供の頃からソフィーのように鍛えられていれば言語学とか言葉遊びも得意になっていたかも知れないのに──!!

勉強不足の私が聖杯伝説と聞けばまず思い出すのがアーサー王と円卓の騎士。『サー・ガーウェインと緑の騎士』は『指輪物語』の著書トールキンが書いたものを読みましたが、私はいまいちこの騎士道精神とか聖杯探索への熱意が分からず終いでした。でも、この本を読んで聖杯探しに夢中になる人々の心に少し触れたような気持ちになりました。金や名誉を手に入れる為では無く“心からの祈りを捧げるため”に探し求めるという行為。聖杯を探す行為がどうして宗教的なものに繋がるのか、すんなりと受け止めることが出来たと思います。

作品中ティービングが“歴史とは、合意の上に成り立つ作り話にほかならない”というナポレオンの言葉を引用していますが、勝者によって記された宗教の歴史であり、世界で最大のベストセラー『聖書』にまつわる歴史的矛盾をこの本は次々と明らかにしていきます。一方でラングドンが「世界中すべての信仰は虚構に基づいている」と言っているように、現実や歴史と異なるバックボーンが信仰にあることを否定していない。この本は、キリストやマグダラのマリアに関する聖書の記述を塗り替える、歴史的文書『サングリアル文書』を巡る物語ですが、著者の視点はあくまでも歴史の専門家であるラングドンの視点であり、キリスト教や教会に対する批判にはなっていない。それが信仰の違いを問わず、幅広く読まれる理由なのでは無いかな、と。

本を読んでいて思うのが、自分の知らない事を物語という形で色々知る事が出来るのって本当に面白いな、ということ。宗教学の専門家、ルーブル美術館長、聖杯マニア(笑)がひしめく本書は、絵画や歴史的建築物、古文書の入門書と言っても過言では無いくらい名画や教会等のオンパレード。多分読んだ人全員そんな気持ちになるのでしょうが、今すぐフランスにすっ飛んで行ってルーブル美術館をくまなく探索し、その後ロンドン、スコットランドを巡り、最後にイタリアへ!という“ダヴィンチ・コード・ツアー”に走りたい気分になりました。何よりもダ・ヴィンチの『最後の晩餐』をこの目で観たい!!この名画、公開されてから観光客が殺到しているようですし、たとえイタリアへ行ったところでゆっくり観る余裕なぞ無いとは思いますが。

物語の最後に真相を解明したラングドンが取った行動に、言いようのない爽快な気分と感動を味わいました。私もその場所に行って、彼と同じ行動を取ってみたいものです。
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栄光一途

『栄光一途』 雫井 脩介著 幻冬舎文庫

望月篠子、元世界選手権金メダリストの柔道選手。現在は日本の全日本チームのコーチで、一番下っ端なので体の良い雑用係も兼任。仕事は多いけれど気楽な筈の篠子に、ある日思いもかけない任務が舞い込む。それは男子八十一キロ級の代表候補の内、ドーピングに手を染めている選手を突き止めるというもの。

全日本チームのコーチである傍ら、勤務する大学の後輩で指導についている角田志織の伸び悩みへも対処し、なおかつ代表が決まるまでにドーピング疑惑を解明しなければならない。ドーピングの調査と何の関連も無い筈のコーチとしての任務、お国芸とされる日本の柔道選手の低迷とそれを打破しようと足掻くコーチ陣。普段何気なくテレビを通して見つめているだけの、熾烈なスポーツ界の裏側を垣間見られる興味深い作品に仕上がっていると思います。

解説は結構ボロボロに書かれていました。「中盤を過ぎてから、小説のトーンが微妙に変わってくる。(中略)何か得たいの知れない、突き放されたような読後感が残る。(中略)この玉砕覚悟のミスマッチ感は、やはりただごとではない。」

初めて『火の粉』を読んでから、この雫井脩介という作家に何となく傾倒して何作か読んでいますが、この作家が書く物語はどれもミステリーとして逸品とは言えないように思えます。この『栄光一途』は彼のデビュー作ですが、同じデビュー作なら貫井徳郎著『慟哭』の方が余程衝撃的だったし面白かった。それでも彼の作品を続けざまに読んでしまうのは何故かな、と考えて、一つの結論に至りました。

『栄光一途』の篠子、美紅の名コンビが『白銀を踏み荒らせ』で再登場します。この『白銀~』を読んで分かったのですが、雫井氏の描く物語は、登場人物が皆それぞれのプライドとか矜持を守る為に何らかの葛藤をしています。『火の粉』では犯人の守りたい尊厳は異常者のそれだと鼻白んだし、『栄光一途』では一部納得できない面もあった。それでも、犯人以外の登場人物達が「最低ここは譲れない」と色々な局面で葛藤する様子が読んでいて共感できる。『火の粉』『栄光一途』では、はっきりと気付かなかった、登場人物一人一人の葛藤が『白銀~』では上手くまとまっているように思えます。

『白銀を踏み荒らせ』の中では、FISの会長パウエルの本心に一番胸を衝かれました。何年も前に新聞で読んだ「オリンピックレコードは、次の瞬間には塗り替えられる事を目標とされるもの。オリンピックメダル緒ノーベル賞には、塗り替えられるべき賞と、そうで無い賞という決定的な違いがある」というような事が書かれた論文を思い出しました。どこまでの行為が「自分のプライドを守る為」のもので、どこからが「ただの我が儘」とされるのか、そのボーダーラインを引くのは本当に難しいと思います。多分、雫井作品で言うと『火の粉』『栄光一途』は我が儘よりで、『白銀~』はプライドを守るための行為に近いのでは無いかと。

なので、雫井作品としてお勧めできるのは『白銀を踏み荒らせ』なのですが、最後の読後感がどうであれ、篠子と美紅のコンビは読んでいて楽しい。ミステリーと言うよりも、何も考えずに読む娯楽作品として楽しめば、「突き放された読後感」とは無縁の読み方をできるような気がします。
「ルパンが好き」と言うと、私の周りの人々は十中八九ルパン三世のファンだと思います。でも私が好きなのは本家本元・フランス人の怪盗紳士、アルセーヌ・ルパン様なのです。

書店のレジカウンターに「ルパン全集」など置いてあるので珍しいな~と覗いたところ、今年はルパン誕生100年記念の年なのだそう。私は中学生の頃にこの手の推理小説に見事はまっていてシャーロック・ホームズ、江戸川乱歩(明智探偵もの)、そしてこのアルセーヌ・ルパンシリーズを学校の図書館で借りて読みまくりました。シリーズ全巻読破したのはルパンのみ。ホームズみたいに辛気臭く無いし(オイ)、明智小五郎の何だかちゃちな謎解きも無いし(オイ!)、冒険を繰り広げながら盗みを働く怪盗紳士様の姿にメロメロ(死語だし)になってました。

数あるルパンシリーズで好きなのは『水晶の栓』『813』『八点鐘』の3作。『水晶の栓』では、盗みは働いても絶対に人を手に掛けないルパンが自ら子分を撃ち抜いてます。この結論に至るまでの展開がたまらなく好き。ルパンが苦しんでいる分物語が面白くなっていると思います。『813』はやっぱり外せない!犯人が明るみに出て物語が終わってしまったら何とも言えず後味が悪かったと思うけれど、最後のあの展開がルパンらしくて良い!と思います。

『八点鐘』は失恋の常習者・ルパンが唯一、と言って良いハッピーエンドを予感させる幕引きで、解説に「(ルパンが珍しく失恋しなかったのは)物を盗まなかったからだ」と言っていたのが笑えました。八点鐘は8つの事件を解決しますが、やっぱり一番面白かったのは「斧を持つ奥方」。新聞を利用するルパンの犯人炙り出し手法がこれ程面白いと思った作品は無いかも。今の時代だったらネット広告になるのでしょうか??

ちなみに私が生まれて初めて「外国の本は訳者によって物語の雰囲気が全然違う」事を知ったのも、このルパン・シリーズです。学校の図書館にあった偕成社の訳本に馴染んでいたので、大人になって新潮文庫から出ている本を買った時はかなり違和感があって…。原書で読めるようになりたいものです。
火の粉 雫井修介 幻冬舎文庫

幼い子供を含む一家三人惨殺事件──この公判でついに判決が言い渡される。判決は逆転無罪。理由は被告が事件当初負った傷は、とても自作自演で負えるようなものでは無いため。この裁判を期に引退した裁判官は、その後自分の最後の裁判におけるこの被告と隣人として生活することになる。かつて被告であったその男が、隣人として彼の生活に交わるようになってから、不可解な事件が起きるようになり──。

ミステリーとして絶品と言うよりも、この物語の中心人物となっていく二人の女性の描かれ方がとても素敵だと思いました。一人は裁判官である勲の妻・尋恵。彼女は人の良い人物で、隣人である元被告・武内にも好意を抱き、心を開く。一方勲・尋恵の息子俊郎の嫁・雪見。彼女は持ち前の感性の鋭さから武内に不審を抱き、それが彼女自身を窮状へと追い込んでいくことになる。

介護と育児、普通のどんな家庭でも起こりそうな出来事を上手く描いているなと感心しました。実の娘には「ありがとう」と言えるのに嫁に対しては決して感謝の言葉を述べようとしない寝たきりの姑(尋恵にとっての)の様子。ヒステリックに泣き喚く子供の様子に、どんどん自分の育児の方法について自信を無くしていく若い母親。家庭の主婦の、こういった日常の戦いって本当に孤独なものなのだな、と感じさせられました。

J.グリシャムの本等を読んでいると、弁護士側の動き(ただしアメリカ司法界の)は面白く読めるけれど、この物語では“人を裁く”立場にある裁判官の苦悩が丁寧に描かれていてそれも興味深く読むことが出来ました。死刑を下す重圧に耐えられない裁判官の姿を読んで真っ先に思い出したのがクリスティーの『そして誰もいなくなった』。この物語に出てくる裁判官は、犯罪者に死を下す事を楽しんでいたような記憶が。冤罪も有り得る、だから死刑は廃止するべきとまでは言わないけれど、無期懲役という制度は無くして、日本も外国みたいに「懲役100年」とか一生刑務所から出てこられないような刑罰を作れば良いのに、そうしたら「死刑判決は出したくないから」なんて言う判決は防止できるのでは無いかと考えてしまいました。

巻末の解説において「武内はたしかに異常な人間だが、心のどこかでその気持ちを理解できなくもない」と書かれていました。個人的には他者に対し何かする時に見返りを求める気持ちに共感できるという考えは、ちょっと甘いだろう、と思います。たとえば友人何人かで集まるような場合、皆のスケジュールを調整して、お店を探して、予約してという作業は、どうしてもその手の作業を手早くできる人間に回ってくる。私も結構そういう事をする事が多いのですが「いつも色々手配してくれてありがとね」なんて言ってくれるのは集まる人間のうち半分居れば良い方です。こういう時、私がやってるのに感謝もしてくれない、なんてスネていたら折角皆で集まっても楽しくも何とも無い。だったら「自分が最終決定権を持っていたからこそ、自分の好きなお店を選べた。自分の都合の良い時間に決められた」と良い方向に考えた方が良いわけで。

「私がこうしてあげたんだから、あの人はそれに対してこのように行動するべきだ」という方式を考える事自体がそもそも間違っている。で、大抵このように勝手に考えて怒っている人は、相手にどうして欲しいのか具体的に言わずにただただ怒っている人が多いように思います(私も若かりし頃はそうだったので)。

最初から最後まで怪しげな人間が一人しか居ないのと、武内というキャラクターがさっぱり魅力的な悪役で無いのがちょっと残念ですが、最終的に笑顔を勝ち取った尋恵と雪見の姿には超共感。強い女性の姿を見て元気になれるミステリーかな、と思います。
グランド・フィナーレ 阿部和重

周知の芥川受賞作。『文芸春秋』を買えば読めてしまう手軽さに思わず手に取ってしまったけれど、読後感は「‥‥‥。」何とも言葉に言い表せそうに無い。

好きな作品か?と聞かれれば、答えは「No」。お勧め作品か?と聞かれても、答えは「No」。小説の前置きで何人かの作家が批評しているように「まさに時節に乗っ取ったテーマ」を取り上げているわりには中途半端、という感が拭えなかった。

私の読み方が悪いのかも知れないけれど、全編を通して主人公が過去の過ちを贖罪しているのかどうかが今ひとつピンと来ない。「人間のクズだ」とまで言われる犯罪を犯している彼が、新たに目の前に現れた二人の少女を救う事で「罪を償っている」と言い切れるのか?私にはそうは思えない。別に贖罪の物語でも無いと否定されたとしたら?それは私には許せない。

一番恐ろしいと思ったのが、この主人公は友人である女性から、彼の行いが時に相手を死に至らしめてしまいかねない、恐ろしい行為だということを、指摘されるまで全く意識していないということ。で、意識したからと言って、彼は何をする訳では無く、無為に時を過ごしている。全く前向きな姿勢は見られない。自分の行為の罪深さに気付けば、それをちょっとでも克服すれば、過去に主人公が脅かした少女達の傷は癒されるのか?そうでは無いだろう。

前回の受賞作『蛇とピアス』を読んだ時にも感じたが、普通の人間の普通の営みを描いた傑作というものは生まれ得ないのだろうか。何だか悲しくなるくらいに、異常な人間の普通で無い営みを、可も無く不可も無く描いた、消化不良な作品だという印象だけが残った。

この芥川賞受賞作掲載の『文芸春秋』、受賞作はともかく、山崎豊子の新作連載は面白いです。明らかに歴史上の誰について、どの事件について書こうとしているのかバレバレなのが、また読んでいて楽しい。

ちなみに私、北村薫著『六の宮の姫君』を読むまで、芥川賞が新人賞、直木賞はベテラン作家に贈られる賞だと思っていたが、菊池寛がこの賞を設立した時は芥川賞が「純文学」、直木賞が「大衆文学」に贈られるものだと知りました。『グランド・フィナーレ』のどこが純文なのか、誰か教えてくださいませ…。

報復

報復 ジリアン・ホフマン著 ヴィレッジ・ブックス

いや~、久々にハラハラ・ドキドキしながら読んだぜ!って嬉しくて小躍りしたくなってしまう程面白かったです、この本。

『検死官』シリーズ最新刊『痕跡(上・下)』と“直木賞受賞作ついに文庫化!”のキャッチコピーと共に大々的に宣伝していた桐野夏生著『柔らかな頬(上・下)』がイマイチ自分的にヒットでは無かったので、久々にツボに嵌る面白い小説に巡り会えて嬉しくて仕方無い!というのが正直な感想です。

初っ端から結構残酷なレイプ事件から幕を開けてしまうし、主人公である検察官C.J.タウンゼントが追う連続殺人事件は前述『検死官』シリーズのスカーペッタが追っていた事件以上に凄惨きわまりないけれど、それを押しのけても良いと言える力強さを秘めています。

何と言っても、ミステリー小説の醍醐味と言うべく、伏線の貼り方が上手い。事件が最後に探偵がベラベラ喋って終わる、お粗末な終わり方をしない。それに、青臭い正義感を振りかざす嫌みな登場人物が居ない。ヒロインである検事補も、裁判で敵対する弁護士も、どちらもステレオタイプ的な敵・味方的な描かれ方では無く、それぞれ自分の信念を貫く為に迷ったり悩んだりしている姿が素敵だな、と思いました。

本を読むのが好きな人なら、一度は物書きになりたいと夢見た事があると思うけれど、この著者もヒロインと同じように、とある州の検事局で検事補として働いていたそう。こういういかにもプロが書いた、という小説を読んでいると、あぁ、自分も何か専門的な仕事に就く為にもうちょっと努力すれば良かったな、と心底後悔します。

でもまぁ、今高校生とか中学生からやり直したとしても、結局は同じような人生を歩んでしまうのでしょうけれど。

夜の蝉

夜の蝉 北村薫著 創元推理文庫

派手な事件など何も無い、日常の“ちょっとした不思議”を、鮮やかに解決していく「円紫師匠と私」シリーズの第2巻。1巻「空飛ぶ馬」に続く短編集で表題作「夜の蝉」以外に2作収録されています。

短編よりも長編が好きな私としては続く「秋の花」「六の宮の姫君」の方が好みにあっているのですが、シリーズ全編を通して一番好きな作品は、この「夜の蝉」。自分自身が二人姉妹だという事もあるからだと思いますが、姉と妹が“ある出来事”を通して過去のわだかまりから解放され、絆を深めていく様子に言葉にできない共感と、自分達姉妹ではとてもかなわない、という奇妙な敗北感を味わうという不思議な思いをしました。

この物語に出てくる謎解きは、正直に言ってしまうと人間の最も卑しい部分を描いているものだと思います。主人公である“私”の姉が体験した恋の三角関係。こんな結末だと分かるくらいならば、一生“謎”として封印していた方が良かったのでは無いかと思うぐらい、その“謎”は悪意のある仕組まれ方をしている。円紫師匠が『つるつる』を独自の解釈で若干ストーリーを変えているのと対比すると、そのトリックに仕組まれた毒が鮮明に浮かび上がってきます。

恋人関係、兄弟姉妹関係、それぞれにおける“嫉妬”が織りなす現在の体験と過去の体験。多分、現在起こった事件だけの謎解きで終わってしまえば、とても後味の悪い物語になってしまったに違いないのに、もう一つの“嫉妬”がどのような形で克服されたかを描く事で、この物語はとても深みのあるものになっていて、最後は素直に感動することができます。

淡々と描かれているけれど切なくて泣ける小説家と言えば、私の中ではダントツにオススメなのがこの北村薫。片山 恭一(世界の中心で~)や市川拓司(いま、会いに~)や新堂冬樹(忘れ雪)が、いかにも「自分の描くピュアな世界に著者が浸りきって書いた」という印象しか得られず、素直に感動できないのに対して(←私が単に性格がひねくれているから、この手の話が好きじゃないだけかも知れないけれど)、北村薫の本は「著者が作品から一定の距離を置いている」からこそ得る感動が込められているように思えます。