プレシャス

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プレシャスは太った妄想少女。と言ってしまえば元も子も無い。数学の時間中、ロマンスグレーという言葉がぴったりの教師に見とれ「彼は自分が好きなのよ」と夢想し、道端でたむろしている少年達に心無い野次を飛ばされるとアーティストになった自分に美形少年がうっとりしているシーンを思い描く。


今更ながら観に行ったのはアカデミー助演女優賞を受賞し気になっていた『プレシャス』。某ミニシアターで上映しているとのことだったので足を運んで来た。


映画『プレシャス』はヒロイン“プレシャス”が置かれている現実世界と彼女が現実逃避するために思い描く空想の世界を行き来しつつ場面が展開する。どんなに現実とかけ離れた空想を思いめぐらそうと、プレシャスの行為を逃避と責めることはできない。彼女の置かれている境遇はそれほどまでに悲痛さに満ちている。


プレシャスは16歳で第二子を妊娠、中学を退学させられる。しかしプレシャスの勉強への意欲を汲み取った校長は彼女へEOTO(Each One Teach One)へ入学することを勧める。恐る恐る足を踏み入れたEOTOで少人数の生徒一人一人と向き合う教師やそれぞれの事情で学校に通えなくなった仲間の中にプレシャスは自分の居場所を見つけ出していく。


映画を観ている最中、何度もアリス・ウォーカー著『カラー・パープル』が脳裏を過ぎった。『カラー・パープル』の主人公セリーも義理の父に無理矢理犯され、幼くして妊娠・出産することになる。ただ、過酷な環境のせいで実の母を亡くしているセリーと異なり、プレシャスは実の父の子を産み、夫を奪ったとして母親からも憎悪の念を向けられている。


育った環境が劣悪と言っても過言では無いなかで、プレシャスはよくこんなに普通の子に育ったな、とある意味感心してしまう(プレシャスは決して良い子の優等生では無い。むしろ普通の学校に居れば問題児の部類)。母親からあからさまな憎しみを向けられているのに、プレシャス自身が自分の子供に向ける気持は純粋な愛情で満ちている。


ストーリーが展開する中で、これでもかとばかりにプレシャスには試練が降りかかる。授業を受けながら彼女がノートに記した“Why Me?”という言葉に胸が締め付けられるような思いをしたのは私だけでは無いはずだ。


アカデミー賞を受賞したプレシャス自身は言うまでも無く、何といっても良かったのはEOTOの教師ミズ・レイン役のポーラ・パットン。最初「ハル・ベリーが出ているの?」と思った程美人で、しかも演じるのはEOTOに通う少女一人一人に向き合う心ある人柄で、プレシャスが彼女のことを“光”と評しているのも頷ける内容で。


反抗期だった時代に何度も子供は産まれて来る環境を選ぶことが出来ないと親に対して反発を繰り返した経験は自分自身にもある。それでも親に大切にされることが当たり前の環境で育ったことが何と恵まれていたのだろうと、この映画を観ると痛切に感じさせられる。


映画を最後まで観ても分からなかったのがプレシャスの母親がどうしてあのようになったかと言うこと。プレシャスの子供を育てる、プレシャスの祖母(プレシャスの母の母)は普通の女性らしく描かれていたし、あそこまで酷い人間になる土壌がプレシャスの母が育った環境には無いように思われたのだが…。


プレシャス自身は物語の中で自分が今置かれている環境を抜け出すためには誰かの助けを待っているのでは無く、自分で一歩を踏み出す必要があることを学んでいく。しかし、彼女がどうなったのか暗示させるものは何も描かれていない。プレシャスが母親と同じ道を進まず、光の射す方向へ導かれたのだと心から信じたいと思った。


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インセプション

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先を読めない展開、目まぐるしく変化する場面、追い詰められていく登場人物。

映画館で映画を観る時の面白さが凝縮されていたと言って過言では無いという感想を抱いたのがこの『インセプション』。

公開当初より観たい観たいと思っていたのに、公開終了直前の映画の日で慌てて観に行って来た。


舞台はいかにも“ハリウッド的間違いだらけの和風屋敷”で幕を明ける。波打ち際に横たわるレオ様の姿に思わず「『シャッター・アイランド』をもう1回観てる?」との違和感を感じてしまったけれど、その後はまさに怒涛の勢いで場面が展開していく。


潜在意識の奥底に隠されたアイデアを盗む事を生業としているコブが潜入したのはある企業オーナー・サイトウの夢の中。しかしサイトウは自分のアイデアを守るための鍛錬を受けており、コブの潜入を拒否。計画の失敗によりクライアントに命を狙われると逃亡を図ろうとしたコブの前にサイトウが現れて…。


コブが本来の仕事としている“盗む”ことでは無く、サイトウがコブを利用して行おうとしたのは考えを埋めむ“インセプション”。不可能とされるこの仕事を断ろうとするコブに対しサイトウは「家族に会いたくないか?」とたたみかける。


夢に潜伏した者が自在に夢の中を操る様は観ているだけでも爽快。キリスト教的に言うと“天地創造”を自ら行える醍醐味に味をしめ、繰り返し夢の中に入りたくなるという人々の気持ちは実によく分かるので。悪い夢を見た時に、目が覚めても現実世界に戻って来られたのか不安になる経験は多くの人が持っていると思うけれど、繰り返し夢の世界に入るうちに、まさに『夢か真か』の判別が付かなくなっていく狂気めいた心理も、物語自体は有り得ない設定なのにすごく感情移入できるもので。


ラストの展開も夢の世界なのか、夢の世界から帰還できたのか判断が付かない(終電間際でエンドロール最後まで観ずに出てきてしまったので最後の最後にオチがあったのかは不明)。また、サイトウの目論んだインセプションが成功したかどうかも観客の判断に委ねられる。


サイトウの企業家としての狙いに留まらず、コブ達が行おうとしているインセプションはある意味父親との確執を乗り越えさせるためのカウンセリング的な要素もふんだんに持っており、かつて同じように他者に考えを植え付けようとして失敗したコブの言葉に心理操作とは恐ろしいものだなと気が引き締まるような思いに。


ちょっと残念だったのは「レオナルド・ディカプリオと渡辺謙共演」と騒がれていたにも関わらず渡辺謙は何だかイマイチ影の薄い役柄である点。主役はレオ様と女の子エレン・ペイジだし、影の主役はインセプションされる側キリアン・マーフィーなので、渡辺謙の演じるサイトウにもう少し色々含みを持たせて欲しかったな~という印象を受けた。


クリストファー・ノーラン監督の作品を映画館で観たのは『メメント』以来なのだけれど、複雑なストーリーの中に観客の受け取り方次第で物語を膨らませていける内容なのはさすが、の一言に尽きて。個人的にはものすごく好みに合う作品だと思った。


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