今日は63回目の終戦記念日です
今、ワタシが平和に暮らしているこの地に
63年前にいた方々はどんな思いで今日の日を迎えたんでしょうか
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自然に囲まれた雄大な土地(山形)に生まれた父には4人の兄と4人の姉がいました
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ワタシには会ったことがない伯父が三人います
仙台駅から汽車に乗り、船でボルネオ島に渡り、そこで戦死した伯父です
末っ子だった父は仙台駅までお見送りに行った時に
「汽車のおもちゃを買ってくるからオリコウにしてるんだぞ」と言われたそうです
その時、8才だった父にはこの先、もう会えないかもしれないと言うことは考えられなかったのでしょう
「汽車のおもちゃをずっと楽しみにしていた」と聞きました
ワタシが12才の時、毎年夏になると帰った父の実家でお盆飾りのお手伝いをしていた時、
お仏壇の中から小さな骨壺のような箱を見つけました
中には茶色く変色した紙に包まれた爪と髪の毛が入っていました
ボルネオで亡くなった伯父が、船で出発する前に自分の遺骨の代わりにと
日本にいる間に配属された先で切り用意されていたものです
戦死通知が届いた時、東京ですでに結婚していた伯母が引き取りに行ったそうです
伯父はどんな人だったんでしょう
伯父には好きな人がいなかったのかな
写真でしか見たことがない伯父はとてもきれいな顔をしています
今風の言い方をすれば「イケメン」です もてたでしょうね
ワタシの祖父も父も酒豪ですから、きっと伯父も酒豪だったんでしょう
イケメンの伯父とお酒を飲みたかったな
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長い間、ワタシはワタシの周りで戦争に行った人は
「会ったことのない伯父」だけだと想っていました
父のもう一人の兄である伯父が戦争に行ったと知ったのは、大人になってからでした
伯父は死んでしまっていると思われた人だったのでしょうか
息子を二人亡くしてしまった祖父と祖母は、次女である伯母に
家を継がせるべくお婿さんをとったそうです
そんなところに、ひょっこり戻ってきたのが伯父でした
女の人はお嫁さんに行って名字が変わるもんだと思っていた私は、
名前が変わっていない伯母のことが不思議で仕方なかったんですが、
そこにそんな理由があると知ったのは伯父が戦争に行ったと知ったときでした
伯父が戦時中どこでどんな風に過ごしていたのか、
何度か聞いてみたことがありましたが返ってきた答えはいつも
「忘れた」
でした
忘れたくても 忘れられなくて 忘れたい 記憶だったんでしょう
今は聞きたくても、聞けない場所に逝ってしまった伯父はあちらでお兄さんとお酒を飲んでるでしょうか
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19才で12才年上の区役所勤めのお役人さんと結婚した伯母は文京区で終戦を迎えました
東京大空襲の時分にはお構いなしに空から爆弾が落ちてきたそうです
千川通りに住んでいた伯母には4人の子供がいましたが、
3人は山形に疎開させていたので、2才にならない末娘と伯父と防空壕に逃げ込む毎日だったそうです
地面に穴を掘って家財道具をできるだけ埋めて、
山形の祖父がどういう手段でか送ってくれた一斗缶に入った
バターやお米を周りの人に分けてあげたり、物々交換をして生活していたそうです
千川通りに今でもある共同印刷が標的とされた時、
「千川通りに火柱が走った」と伯母が言った言葉が今でも忘れられません
伯母は仕事以外何もできなかった伯父の背中を押し、
体中に紐で下げられるだけの家財道具をぶら下げて、
背中には娘をおんぶして逃げたそうです
背中の娘は落ちてくる爆弾を見て「花火みたいできれいねぇ」といつも言っていたそうです
爆風がうまい具合に押してくれて
「小石川植物園の馬小屋に逃げられて命が助かった」
と伯母に聞いたのは、もう10年以上も前の話です
伯母はワタシが戦争の話を聞くと、
色々と話してくれましたが決して亡くなっていった人の話や、
そのひどい惨状は絶対に話してくれませんでした
その伯母も今年2月に逝ってしまいました
あちらで兄弟に会えて久しぶりの再会に心弾んでることでしょう
伯母も酒豪でした
ピース缶とビールをこよなく愛し、立て膝ついてビール片手にピースを吸う粋な女でした
夏の暑い日は遊びに行くとすぐに「のど渇いたからビール飲もう!」と
冷蔵庫から出してきては、良く二人で乾杯して飲みました
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酒飲み一族に生まれたワタシがお酒を飲めない訳がないということがわかります
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そういえば…
ワタシがまだ3才の時のことですが
伯母に連れて行かれてブリキの汽車のおもちゃを買ってもらったことがあります
女の子になんで汽車なんだろう…とずっと思っていましたが
3才の記憶なのに、今でもしっかり覚えている記憶で
その風景の中には共同印刷がありました
今でもその汽車の感触も色も形もしっかり覚えていることがとても不思議ですが
もしかしたら、伯父が父に買ってあげたかった汽車だったのかな
と、思わずにはいられない8月15日です
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戦争は何年、何十年たっても人を悲しませます
心や体に負った傷は見えなくても、いつまでも消えません
今も世界中のどこかでこんな辛いことが平気で行われていると思うと、体中が痛くなります
今日読んだ新聞に「B29」ってそんなに柔らかい鉛筆があるの?
とまじめに聞く若者がいるとか、いないとか…と書いてありました
少なくても、自分たちのおじいちゃんや、おばあちゃん、おじさん、おばさん達が
とても辛い思いをした時期があって今があるということを、
自分たちの周りだけでもいいから知って、覚えていて欲しいと思います
ワタシは甥っ子、姪っ子に伯父や伯母達が体験してきた辛いことをこの季節になると話しています
時に悲しそうな顔をして聞いている彼らのきれいな心はいつまでも無くして欲しくないと思っています