少女と海の話

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小さな少女は海を見たいと思っていました。
ずっと、ずっと探していました。
恋するように、ただ、昼も夜も想いました。

それがどんなものかは知らないけれど、
いままで見たことのない景色が見れると信じたのです。
そこにゆけば、きっと何かが変わると思った…。


いつになったら見つかるのだろう…。
どこまで行ったら見えるのだろう…。


誰か教えてくれませんか?
誰か一緒に行ってくれませんか?



もうどれくらい探したのでしょう…

ある日少女は鏡を見て、
そこに疲れ果てた老女の顔を認めました。
"あるかもわからない海のことばかり想って暮らすうち、
私はひとより先に老いてしまったのかもしれない"

もう、海のことなど考えられなかった。
ただ哀しくて、哀しくて涙だけが溢れました。


あるひとが、そっと肩を叩いて言いました。

海ならあなたの前にありますよ。
ほらこの先だ、顔を上げてみてごらん。

流し続けた涙が細い川になり、
その流れがいつしか海へと続いていたのです。


かつて少女だった女は、海に焦がれていました。
ずっと、ずっと探していました。



それがどんなものかも知らないままに…。




…いつかどこかで聞いた、そんな物語です。
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都会のネオンは、
季節はずれのクリスマスツリーだ。

赤や黄や青や…
ぺかぺかと艶っぽい光で互いを主張しながら、
空を奪い合っている。

行き交う人の気持ちなど
まるでおかまいなしのそのもの哀しさに、
なぜだかいつも安心する。


遅い帰り道は、
そり立つビル群の先っぽに
たっぷりとデコレートされたネオンを見上げて歩く。


重い鉛のようなこの足も、
ざわざわと居心地の悪い今日の気分も、
そんなことは知らない、と
嘲笑うネオンにつられて私も笑う。



そうだ…
今夜は恋人に電話をしよう。
しばらく声を聞いていなかったことを思い出す。
無性に声が聞きたいと思う。

今頃何をしているだろう…。
まだデスクに縛りつけられているだろうか…。


携帯電話を取り出して、
小さく深呼吸をしてみる。



季節のない空の下でも、
空気はもう、春を告げている…。

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新しい生命(連作ー桜2)

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川沿いに桜を眺め歩く…。
降り注ぐ穏やかな午後の日差しの下。


春は急ぎ足だ。
あれほど誇らしげにたっぷりと白い花をつけていた枝が、
もう半分は薄緑の羽を纏っている。

変わらぬものなどないと知りつつも、
美しい季節ほどなんと早く過ぎてゆくのかと
溜め息をつく。


水面に延ばされたその震えるような指先に
触れてみたいと、ふいに思った。


もう去(い)ってしまうのか。
…なぜだろう、
置いてゆかれるのはいつも自分だ。
待っているつもりで、
気がつけば同じ場所にひとり残されたまま、
季節に追い越されている。


本当に去(い)ってしまうの…?


何度問いかけても、答えはない。

答えはないが、
一瞬、はかなげに見えた白い花が、
まだ小さな緑の羽を優しく包みこんで微笑むのを見た。


あぁ、新しい生命だ。

桜は再びこの場所で生まれ変わろうとしている。
まためぐり来る季節に、新しい力をその身にまとうために。
そのひらめきが私の心を強くした…。


ひとつの季節の終わりはまた、
新しい季節のはじまりでもある。


きっと、大丈夫。


私のなかに、
昨日までと違うあたたかな何かが宿るのを感じた…。
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桜(連作ー桜1)

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強くなり出した風に不安を感じ足を速めると、
頬をふっと何かがかすめた。

手に取れば、雪のような桜のひとひら…。

ふいに胸をつかまれる思いがして、立ち止まる。

気がつけば、
伸びやかな枝が両手を広げる、桜並木の下にいた。


どうしてだろう…
今日は去ることができない。


私に待てと言うのか…
 行くなと言うのか…



雨の気配が少しずつ近づいてくる。


こんな雨空の下でさえ、
桜が健気なほど凛と強く咲き誇るのは、
自分の短い命を知っているからからかもしれない。


そんな思いが、この小さな白い花を
いっそう愛おしくさせた。



ぽつん…。

立ち尽くす私の頬を、
再びかすめたのは冷たいひと雫だ。


雨がやってきたらしい。


しかたがない、
振り返らずに走ろう…。


駆け出す私の背中で
白い花が、待てと揺れるのを感じた。