先日、何気なくテレビのチャンネルをいじっていた時のことだ。
仕事仲間を連れてよく食べ歩くという、食い道楽で評判のタレントが
「だっておいしいもの食べてる時に他人の悪口言う人いないからね」と
あるバラエティ番組のなかでそのわけを明かしていた。
おいしいものは人の気持ちをまぁるくする、
人間関係の潤滑油でもあるというわけか。
なるほど、言われてみればたしかにそうだと思わず納得してしまった。
そういえばおいしいものの話もそうである。
「会社の近くにおいしいカフェできたよ」だとか、
「お友だちからめずらしい果物を戴いたんだけれどね…」だとか。
おいしい話題に花を咲かせている時は、
気がつけばいつも自分も相手も笑顔になっている。
なんとなく優しくてしあわせな気持ち。
これはきっとおいしいものの魔法に違いない。


この本、大橋歩さんの「おいしいパンノート」もそんな本だと思う。
大橋さんが企画編集を手がけられている雑誌「Arne」の別冊として出された
この本は、パンが大好きだという大橋さんが普段着のおいしいパン生活を
たくさんのおいしそうな写真とともに紹介なさっている。
もちろん料理研究家でいらっしゃるわけでもなく
(著名なイラストレーター、エッセイストでいらっしゃるので)、
また何時間もかけておいしいパンを求めに行かれるような愛好家でもない。
あくまで日常生活の目線から始まって、
ご自分のお気に入りのパンや食べ方、また気になるパン屋さんと
その厨房の様子などを好奇心たっぷりに取材していらっしゃるのだ。
おいしいものを教えたい。共感したい。
そんな気持ちがページに溢れていて、これは読んでいて楽しい。
私のように(そして大橋さんもまた書いていらっしゃるように)、
毎日のことだから、身近なところで納得できるおいしいものを
なるべく無理なく取り入れたいと思うのにはちょうどよい加減の本だ。

ところで、おいしそうなパンの写真とあたたかみのある大橋さんの文章を
拝見するうち、私も近くへ行ったらぜひ寄ってみたいお店を何軒かと、
家でもまねてみたい食べ方をいくつか見つけたのだが…
う~ん、明日のパンはどうしようかなぁ…なんて、
おいしいものを想像すると、やっぱりちょっとにんまりしてしまうのである。


おいしいパンノート

「おいしいパンノート」(イオグラフィック)

 ↑イオグラフィックHPの紹介から


イオグラフィックHP
AD
予定していた絵の教室がお休みになったので、
久しぶりに竹橋の東京国立近代美術館 まで足を伸ばした。
3月30日(金)から5月27日(日)まで開催されている
靉光(あいみつ)展 を観るためである。
以前テレビかなにかであったと思うが、
彼の代表作「眼のある風景」を目にして以来
いつかその作品を生で観たいと思っていたのだ。
今回は生誕100年ということで、
現存する作品が少ない画家でありながらも
「眼のある風景」を含め130点という作品を網羅した回顧展である。
混雑を覚悟していたので、平日にふいにできた時間をこれ幸いと、
今にも降り出しそうな雨空にも関わらず
そそくさと電車を乗り継ぎ、出かけたしだいである。

美術館はやはりこの天候のためか、
あるいは普段は毎月曜が休館であるためなのかもしれないが、
ほどよく空いていて、おかげでゆったりと作品を眺めることができた。
年代や傾向によって4つの章に分けられた展示と解説もまた、
初めて観る私などにとっても理解を助けてくれるありがたいものであった。


求める真実を探るべくひとり孤独にモチーフと向き合う「静」の部分と、
溢れんばかりの情熱を筆にのせて格闘し続ける「動」の部分。
彼の絵はたとえば弱さと強さ、生と死、そういった一見相反するものが
熱を帯びたその画面のなかに同時に存在し支えあっているように感じられた。
モチーフと自身の深い内面を行き来するような彼の作品は
決して観る者に容易な定義づけや解釈を許すようなものではないけれど、
その妥協を許さない揺るぎない眼差しの強さには何か
彼の画家として覚悟のようなものを感じずにはいられなかった。
思わず私は「業」という言葉を思った。
これが彼の画家としての業というものなのかもしれない、と。

戦前戦中の激動の時代、短い生涯を自らの絵と自分自身と闘い続けた靉光は
見つめ続ける眼差しの先に何を探していたのだろうか。
果たしてそれは見つかったのだろうか。
晩年に描かれたという3点の肖像画は、それぞれに異なる趣を持ちながらも、
いずれも前方を見つめる眼に強い意志を感じさせて興味深い。
ぐんっと前を向いて立ち向かうようなその姿に、
彼の絵は、やはり観る者にも覚悟が必要なのだと身が引き締まった。


展覧会の詳細はこちら

東京国立近代美術館HP

AD

春の気分で(SAKURA VERT@LUPICIA)

テーマ:
職場の近所に、今年初めての梅が咲いた。
細く頼りないような枝の先にぽんぽんっと、
まるでコーン菓子のようにちいさく愛らしい桃色の花をつけている。
横断歩道のすぐそば。ちょうど信号を待って立ち止まる場所だ。
すっかりすり減って走るたびカタカタとなるサンダルの足を止め、
青信号もかまわず、思わず携帯写真を撮った。
お昼をいただいた帰り道、
太陽がちょうど高いところにあってひときわ鮮やかな1枚に。

初梅

春がもう、目に見えるところまで来ている。
そろそろ周囲でも花見の相談が聞こえ始めているところである。
春というだけで、こんなにも心が浮き立ってしまうのはなぜだろう。
草木の芽吹く季節。
冬から春へと衣を替えるように、
身の周りのさまざまなことが変化を迎えようとしている。


そういえば先日、3月のルピシアだよりとともに
送られてきたサンプルのお茶に、たしか春らしいものがあったと思い出した。
「SAKURA VERT(サクラ・ヴェール)」
緑茶をベースに、桜の葉をたっぷりとブレンドした香り高いお茶である。
ありがたいことに扱いやすいティーバックだ。
ひもをつまんで鼻先へ持ってゆくと、なんとも懐かしい桜餅の香り。
マグカップにお湯を注いでしばらく蒸らし、
ゆったりと引き上げると、桜の葉を思わせる深い緑色になった。
そういえば以前、この季節には必ずと言っていいほど桜餅を食べていたものだ。
甘党の私はとりわけもちもちとした食感の道明寺が好きで、
ちょっと渋めに入れたお茶なんかがあるといくつでも胃袋に収まってしまった。
最近は桜といえば、まずお酒である。
酒好きゆえそれもたのしくて仕方がないが、そういえばここしばらくは
和菓子屋ものぞいていなのだとマグカップを抱えてぼんやりと思う。
お茶は、その香りのままに味わいもまさしく桜餅のそれであった。
桜の葉がお茶の苦みを和らげてふんわりと香り、
口に含むとほのかな塩の味が舌に残る。
舌に残る感じが決していやらしくない。さっぱりとした後味である。
気に入って、お湯を注ぎ足し2杯目までたっぷりといただく。


今日は買い物に出かけなければ行けないのだ。
目覚めの雨音を聴きながらやれやれと思っていたが、
のんびりとお茶など飲んでいるうちにだいぶ静かになったようだ。
春の雨は、ひと雨ごとに風があたたかさを増してゆく。
さて、天気予報によれば午後には晴れると言うが…
せっかくだから、何か季節のものでも見つけてこようか。
最後の一口を飲み干しながら、ちょっとだけ嬉しい気持ちになる。
AD

テーマ:
ながすぎる髪をもてあましている
なにひとつまだ決められないままに…


襟足にふれた指さきがひんやりとして
おもわず身震いをする

風はもう、春をつげているというのに



わたしの優柔不断をきみが笑ったのは
いつのことだっただろう…


ひゅう、と
耳もとで風がないた気がした

ちひろ美術館へ―穏やかな休日

テーマ:
初春を予感させる好天に恵まれた日曜日、
久しぶりに電車を乗り継ぎ美術館へ行った。
練馬区下石神井にあるちひろ美術館 である。
西武新宿線上井草駅から徒歩で10分弱。
穏やかな住宅街の一角にある。
友人と待ち合わせの高田馬場でランチをすませて、
午後早いうちに西武新宿線に乗り換える。
学生たちが少ないぶん、今日は人の流れも緩やかなようだ。

私は上京して初めて住んだ町が荻窪、それから下井草になる。
美術館からはそう遠くないところに住んでいたはずなのに、
この美術館には、実は一度も足を運んだことがなかった。
6年ほど前に今の町に引っ越してからは
ぼんやりといつか訪れてみたいと思いながら、
わざわざ行くには遠すぎるように思い腰が重くなっていたのだ。
今回は友人が一緒に行ってくれるというので
思いきって足をのばすことができたのだったが、
なにしろもう何年も訪れることのなかった場所である。
近隣の友人たちともすっかり疎遠になり、
もしかしたらもう訪れる機会もないのではと思っていたのに、
こうして友人と電車に揺られ、また同じ景色を眺めることができるとは。

そういえば最近読んだエッセイに、
「旅とは、人生そのものだ」という一節があったことを思い出す。
しばしば耳にするフレーズではあるけれど。
こう言い換えてもいいだろう。「人生とは、旅そのものだ」
私はときおり、たとえば何か悲しい思いに取りつかれた晩などに、
もうこんなところまで来てしまった、
となかば絶望的に思うことがあるのだけれど、
本当はまだ、こんなところまでしか来ていないのかもしれない。
思い出のつまったこの場所が、
実は電車を乗り継いで1時間弱で来られる近さにあるのだと知って、
ふいに笑ってしまいたいような気分になった。
人生なんて、案外とそんなものなのかもしれない…。


…冒頭から、ずいぶんと脱線してしまった。
気を取り直して、話を美術館に戻したい。

上井草駅を降りて駅前の小さな商店街を抜け、
ゆったりと並んだ住宅街を奥へ奥へと歩いてゆくと
目的のちひろ美術館である。
道順は駅前の地図と角かどの電信柱に貼られた広告とが
案内役を努めてくれるので、初めて行くにも不自由がない。
周囲の住宅とほぼ同じ高さに建てられた美術館は
薄いワインレッドのような優しい色合いで、
たっぷりの緑とともに穏やかな住宅街に溶け込んでいた。
その姿はあたたかみを感じさせて、どこか可愛らしくもある。
一枚記念に、と思わず携帯電話を取り出し
写真を撮り始めた私に、友人が「いいよいいよ」とつきあってくれる。
友人は、美術館前に置かれた子馬と子どものオブジェに
心を惹かれたようだった。丸みを帯びたラインが愛らしい。

さて、2ヶ月ごとにテーマが変わるという展示室の
今回のテーマは「ちひろの子ども歳時記」(~1月31日)
というものであった。
5つの季語に見立てたテーマに沿って、
ちひろの描いた子どもたちの絵を彼女の言葉とともに紹介している。
友人も私も、彼女の原画を見るのは今回が初めて。
にじみの濃淡がつくり出す輪郭のなめらかさや表情の豊かさ、
柔らかな鉛筆でたっぷりとひかれた線の美しさに釘付けになった。
計算され尽くした完璧な線と色なのに、まったくと言っていいほど
その筆には迷いがなく、繊細でいながら実におおらかなのである。
季節の移ろいのなかで、風や光や音を大人以上に
敏感に受け止め、のびやかに育つ子どもたちの
表情がなんとも言えず愛らしく、自然と頬が緩んでしまう。
そしてまた、そんな子どもたちに向けられる
ちひろのまなざしの愛情に満ちてあたたかなこと。
アトリエを再現されたコーナーもあり、そこでは
ご子息が幼い時分彼女のアトリエを遊び場にして育たれたと
いうようなエピソードも紹介されているのだけれど、
実際に子どもをよく観察し描かれていることをあらためて感じた。

下手な感想を述べるのもおこがましいようで気が引けるのだけれど、
眺めるほどに感動の思いが込み上げて飽きるということがなかった。


再現されたアトリエから貴重な資料と絵本が集められた図書室、
企画展の「ノルテンシュテインの絵本づくり展」まで(これも素晴らしい)
ゆっくりと時間をかけて眺め、帰りにはミュージアムショップで
ずらりと並べられたポストカードや絵本の数々におおいに
悩ましい思いをしながら、近いうちにまた訪れようと心に決めていた。
今度はきっと、草の香りが濃さを増す気持ちよい春の日に…。


ちひろ美術館HP