2015.3.27(金)

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 今日しか日にちが無いので、交通反則金なる罰金を払いに行って来た。

 ぜんぜん納得してないし、思い返すごとに腹が立ってムカつく。

 去年の12月13日。
なんと、私の誕生日!!
生活塾のYちゃんも12月誕生日で、パーティやろうとケーキを買いに行った帰りに網にかかった。
境川添いの道を戻って来て、十字路。
右は橋、左へ曲がると公園の間の道をぬけて、相沢側にかかる橋方面。
橋を渡れば横浜市。

 最初、なんで止められたのか見当もつかなかった。
一時停止違反だと言う。
「そんなバカな!止まりましたよ」
なんて通じない。
「ここで止まらないで左折なんて、危なくてできるわけないじゃないですか」
私も声が大きくなるが、テキもサルものひっかくものだ。
「あなたが止まったと思っても私たちが見ると止まっていない」
だと。

昔の三流西部劇じゃあるまいし、「俺が法律だ」みたいなことがまかり通る腹立たしさ。

 何よりも、全く止まる意思のないヤツらと、いっしょくたにされるのが、しゃくにさわる。

 いくら怒ったところで、払うものは払わなければならないのが、またしゃくの種。
本格的に(確信的に)違反してるヤツを取り締まれ、と言いたい。

 今年になって、又同じ道路で網張っていて、
「いいかげんなこと言うな!」
と怒鳴っているおじさんがいた。
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2012,10,19(金)

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 ものすごく不可解な出来事があった。

 きのう、雨、急に寒くなった。これはもう夕食はすいとん以外にない。寒くなったらわが家はまずすいとん。

 だしの素も切らしていたし、大した具もない。
凍っているウイングスティックを数本ダシ替わりにして、キャベツ、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、あるだけの野菜でつくった。おいしかった。

大なべにいっぱいにして、半分位残す。
翌日の昼には、これにだんごを足して、柿と小さいおにぎり2個程度でオッケーさ!
次の日の献立もできて余裕しゃくしゃくで寝た。

 きょう、朝、まず自分で朝メシに、と何げなく味をみたら、すっぱい。
自分の味覚異常にちがいないと、よくかきまぜてもう1度味見。やっぱりすっぱい。
これってどういうこと?

 真夏のまっさい中だって、夜作ったものがくさるなんてない。
しかも、自分以外の者が味を見ても、いかれてる、という。

 あんな寒かったのに、あり得ない。

 原因がわからない、見当もつかないだけに、すごいショックなのだ。
いったい何に気をつければいいのだろう? 理由を知りたい。

 素材に問題ないのなら、鍋?
ウーン、たしかに、肉まん作りのイベントで、子どもたちを喜ばせようと、直火にかけてガンガン火を燃やして、底はでこぼこ── それって何か原因になるの? あり得ない。

 とにかく、なぜこんなことが起きたのかわかりたい。
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ちょうどおやつの時間、Kさんから電話。2度目。先週木曜日に突然、3年以上の沈黙、いや、音沙汰なしを破って、昨日まで会っていたような感じで電話してきた。
春だァ!
サザンのテープを聞いていたら先生がなつかしくなって、と言うが、私はサザンのテープをここで聴いたことないし、別に好きと言うわけでもない。やっぱり春なのだ!
「萠」を読みたいと言うから送った。節約のために随分送る人を削って、その中の1人だったから、もう3年も読んでいない。で、89号、号外、90号を送った。
「先生のその元気とエネルギーはいったいどこからくるの」という。そんなことないよ。毎日寝るときは落ち込んでいるよ。
彼女は、10年以上峠へ通わせた息子KKを退園させた。彼の生涯年金を家計に繰り入れたいから。本当に、そう言ったのだ。KKにも家計を手伝ってほしい、と。
言葉もない重度自閉症の彼が「家計を手伝う」の意味は明白だ。だから、月謝を払わねばならない峠をやめて、「今はどこでも通うところはいっぱいあるから」。
峠での10数年で、会話は無理でも、言葉は獲得したし、電車2種類とバスを乗り継いで、1人でここへ通ってこれるようになった。道草する事も覚えて、自宅近くのコンビニで本を立ち読み(立ち見?)して、帰りが遅くなったりしたし、自閉のくせに、忘れ物もするようになった。これ、普通の人と同じ。
今は、施設にいる。峠をやめてしばらくは行き場がなかったらしいが、新しく出来た作業所に入れた。でもいじめられてやめさせた。膀胱炎になったとかで、やめて4年後ぐらいに親子で遊びに来たときは、おしめをあてていた。ここに4時間ぐらい居たけれど、「あら、変ねェ。もらしてないわ」とトイレで言っていた。
今の施設に入ったばかりは、すごく荒れて、風呂場はぶっこわす、大きなガラスのなんだかはぶっこわすで「大変だったのよォ」。ヘェ~~~KKのそんなとこ見たことないよ、見たかったねェ。
だって、誰が峠を辞めさせたのよ?と、喉まで何度も言葉が出掛かるような会話だった。峠を「やめる」という認識を持たせられないから、彼は混乱したまま、自分のわからない人生を歩まされて現在に至っているのだろう。
春だから、しかたがないとは言え、聴きたくない話が多かった。今夜の落ち込みは深いよ。
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ギョコ目事件以来、密かに「おばけ屋敷」と呼ぶようになった家に住んだのは、7月下旬から9月末まで。その事件をきっかけに、確信を持って言うようになった。引越し初日からあった、いくつかの「?」なことが、まっすぐにつながったというところか。 引越した次の朝、目ざめてみると、ふとんの裾あたりが、かびがはえたように白く、周囲のたたみの上も白かびふうだった。よく見ると、1センチぐらいのウジ虫だ。天井からポロリとまだ落ちてきていた。全体を白っぽく感じさせるほどの量を考えてみてほしい。コワイ! 近所の人は、「おおかた蛇でも死んでるんだべ。よくねずみを追っかけて天井裏へ入りこんで出られなくなっちまうことがあるからヨ」という。だが、天井裏にはホコリがつもっているだけで、蛇はおろかねずみの死がいもなかった。ウジ虫事件はその晩だけだった。 いくら古い農家だって、原因もなくウジ虫が落ちてくるなんてあり得ないと思いつつ、とりあえず掘っ立て小屋ができるまで、そこに住むしかなかった。毎日の中で、一番嫌だったのは、トイレ。廊下の角にあったが、とにかくボロで、言うまでもなくボットン便所。しゃがんでいるうちに床が抜けるのでは?という恐怖におびえるような始末だった。その角からさらに廊下を行くと、メチャクチャだだっ広い風呂場があって、どういうわけかそこは、まだ新しいコンクリートだった。 2歳だった長男は、無類の風呂好きで、赤ん坊の時から機嫌が悪くて泣きやまないと、「風呂にいれよう」。それがここの風呂は、どうしてもいやがって入るのを拒み、しかたなく、まだ借りてあった団地まで、風呂に入りに行った。「へんだよネェ」と言いつつ、頭のかたすみに、エドガー・アラン・ポーの「黒猫」がちらついたりした。 大家のおばあさんは、とても上品な、でもちょっと陰気な感じの人で、月1回~2回来て、泊まって行った。ギョロ目のあと10日ぐらいして来た時、憤然として「猫を私の部屋に入れたでしょう?」と言う。聞けば、押し入れのふすまの中側が、ひっかかれてビリビリにやぶけているとのこと。猫じゃなくて人間の子どもを(無断で)入れはしたが、ふとんは貸してやったし、いっさい押し入れには手をつけていない。「押し入れもあけて猫を中に入れたということですか?」と聞いたらだまってしまったが、どうして猫がふすまの中側をひっかくことができたのか、私たちのせいにされても困るばかりである。 無断で子どもたちを入れたことを、あやまるつもりでいたのに、言い出せなかった。 とにかく、どんな粗末な小屋でもなんでもいいから、その屋敷での生活を終わらせたいと思った。 住みついて、親しくつきあえる町内の人も増えてきた頃、「あそこの家のダンナさんは家出して行き方知れずになったんだよ」と聞かされた。 なにか重要な建物に火をつけたとも。ずい分たって、畑で木によりかかって死んでいるのが見つかったのだとか。 よかった。ホッとした。何がって、風呂場のコンクリートに塗り込められていたのじゃなくて。 8月のお盆頃には、いつもこの頃のことを思い出す。

忘れん坊のメモ帳7

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あるタレントさんの怪談ライブが人気を呼んでいるのだそうな。 ちなみに、チケットは、シナナイの意の4771円。 で、私はタダで怪談を一席。今から35年も前のことだ。 この場所に掘っ立て小屋を建てるべく、当時住んでいた団地から、夏休みになるとすぐに、お宮のそばに家を借りて移り住んだ。大家のおばあさんは鎌倉に住んでいて、つきに1度か2度来るだけだから、おばあさんの部屋以外は自由に使ってよいという。大きな家だった。 「中学校の先生だったんだって」ということで、小学校高学年生、中学生の勉強を見て欲しいと町内の人からいわれ、夜はいつも子どもたちがたむろしていた。 今年は中止になったのだが、こども神輿の行事があり、その当時は村?の伝統を受け継いでいて、男子だけで家々を廻り、集まったお布施を年長の者が勝手に上に厚く下に薄く配分し、その夜はお宮さんに泊まることになっていた。ところが、要領のいい中学3年、2年が、いつのまにか帰ってしまって、要領の悪い中学生と小学生が残され、夜中近く怖くなって「先生、とめてくれ」とやってきた。 「帰ればいいじゃん」「今さら帰れネェよ、なァ、みんな」臆病と言われたくない気持ちもわかるので泊めてやることに。しかし6~7人を泊めるスペースがないので、一晩だけだからと、無断で大家のおばあさんの部屋に、ふとんだけ貸してやって「みんなでゴロ寝だぞ」 しばらくは修学旅行気分で騒いでいたが、休に静かになり眠ったようだった。数日後、勉強と称するおしゃべりに皆が集まった時に、まんまと取り残された者をからかったり、だしぬいた者をからかったりしつつ、「でも疲れていたらしくて、みんなアッというまに眠っちゃったネー」 そしたら違うと言う。 「オレたち、騒いでいたらさァ、ユキが先生見てるから怒られるゾって言うからさ、見たら、ホント、ここんとこ(と、となりとの仕切りのふすまを指さし)に目玉がギョロギョロして見るからさ、いけネェ、先生みてるよって、みんな静かになったんだよ。そのうちホントに寝ちゃったけどさ」とくったくない調子で話す。 「だって、ここにタンス置いてあるよ。こっちからはあけられないから、電気消してまっくらだったでしょ。どうして目玉が見えたの?先生が見てるったって、目だけ見えるはずないじゃん」 シーン……。「オ、オレ、帰りにお墓のそばとおるんだよ。ひとりじゃ帰れネェよ」と、目玉第一発見者のユキ。「しょうがない、送ってってやるよ。いっしょに行こう」と私に言う夫。彼も一人で送るのはいやだったにちがいない。