2017/1/12(木)

去年12月17日に、ようやくサギ、乗っ取りグループときっぱり関係を断ってから、運営資金確保のために 日本公庫からの借り入れを決意して、12月ギリギリで申込書送付。

 

あちらも急いでくれて、12月30日に速達で面接日のお知らせ。

 

それから今日まで、こういうことが苦手な私はストレスのかたまりだった。

自分が揃えられる書類は、とにかく早め早めにと準備して、人任せにするしかないものは、まかせて。

 

乗っ取りグループ(だと今では確信している)と、いっさいの痕跡無く縁を切るためには、峠と羽太資料館ともえぎ・育援会グループとをつないだ仲介者とも切れるだろうと思うから、提供するといわれた開設資金も無いものと考えて行動しなければならない。

もはや信用できない同じ穴のムジナともきれるときでもある。

 

6ヶ月持ちこたえれば、なんとか廻して行けるのではないか・・・そのためにがんばる。

今日のストレスは

明日の道しるべと思おう

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2017.1.6(金)

 冬休みもきのうで終わって、なんだか1日ぐらいしか休みが無かったようなもの足りなさ。

 それでも気合入れてがんばる気分をかきたてていたら、Kいちが弟さんに連れられて来て、ヘルニアの再発だという。

よくよく聞いたら、以前の時と反対側のそけい部だと。

 前に手術した親善病院へ連れて行って、結果を帰りに知らせるということで、夕方、やはり手術をしなければならないが、はっきりした事は12日にわかると。

 家にいてもしようがないから、手術決まるまでは来させることになった。

それがいいと思う。

顔に傷が増えていたので「またころんだ」とわかる。

長く休むとロクなことないから。

 

 前に手術したのは12年前かな……。

 母親のアルツハイマーがだいぶ進行していて、それでも重度障害者と認知障害がはっきりしてきちゃった母親とで近くの病院に行った。

 心配で、夕方家へ様子を聞きに行った。

 あんなに自分のことよりKいちのこと!Kいちには自分がついてないとダメ!と言っていた母親が、自分がいかに大変で、いかに具合が悪くて、アタシがアタシが、と言いつのるばかり。

本当にKいちがかわいそうだった。

 結局、書いてもらった紹介状を出してきて私に見せたのは彼。

 ズボンとパンツをぺろっと降ろして、「ここがこんなになって、手術しなきゃなおんないって言われた」と自分で説明。

 セーロガンのんで寝てればなる、と言い張ってたのが、ついにあきらめたのだった。

 

 彼ももう年齢的に「充分」としよりなのだから、年齢的な影響とかあるし、赤ン坊の時の病気で脳みその3分の1ぐらいはダメージ受けているのだから、老人関係の施設に入る覚悟はあるが、本人はどう思っているかわからない。

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2017.1.3(火)

11時頃 電話。公衆電話の表示。
ああ、ミラヤマ君だなと思う
「今から、いっちゃだめだよね」
遠慮がちの声に、
いいよおいで久しぶりじゃんと答える。
 
---------実家に行った帰りなの?
「ううん、行ってない。お姉さんが来なくていいって言うから」
---------お正月、誰かホームの友達とでかけたの?
「どこにも行ってないよ。行くと来ないから」
---------お正月に家は帰った人いるの?
「うん、ひとりだけ。○○さんが帰った。あした戻ってくる」
---------どこもいってないでホームで何してたの?
「テレビみてた」
 
 彼は聞いた通りの言葉を覚えるのは得意。
 どーしてボクたちは差別されるの。殺していいとかどーしておもうの。ぼくたちがいちゃどうしてけない言うの、最近のニュースが次々とでてくる
 
 なかでも、この辺では少しは話題になったかもしれない、知的障害者のグループホーム建設反対運動のことも知っていた。
私はテレビでニュースを見ないからテレビでニュースを見ないから、テレビ報道されたかどうか知らないが、4年間続いていた反対運動があり、建設は断念されたというもの。グループホームの世話人さんから聞いたらしい。
 
 どうしてってきかれても困る。
 ただ、この世に人類ある限り、差別はあり続けるのだろうとおもっている。
どうしたらいいんでしょうね。政府が広告だしてもムダだよ。
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