2009年7月22日

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不登校のU.Y君親子との三者面談。
彼は6月から正式に峠工房の通園生として来ている。
中学は義務教育だから、公立中学校に籍を置き、毎日通えるようになるのを初期の目標として、あの手この手ではげまし、すぐ目の前の目標を持たせ、ようやく前向きに自分から休まずに来るぞという気持ちを持ち始めたところだ。
ここへ出入りしてくれるおとなの人たちにかわいがられたり、猫に気を引かれたり、ケーイチに親しさを感じてなついたり、と、さまざまな要因がプラスに働いて、変わってきたな、積極性が出てきたなと感じられるようになった。
猫に毎日エサをくれに来てくれる、やさしいMさんも、「Yちゃん、この頃ずいぶん明るくなったねー。ここが好きなんですね」と言っていた。

ところが18日に突然親から、来週から8月いっぱい休ませたいと電話があった。
7月の最終週は、前期夏休みをあげるからね、と本人には約束してあったが、いきなり何なのだ?
なにか突発的なことでもあったのか?
それとも無責任な誰かがそそのかしたのか?
はたまた・・・?
いろいろ考えた。
で、どんな学校でも長期休暇の前には、個人面談なり三者面談をするのだから、このまま、なし崩しに休みにするわけにはいかないし、Y君のためにも良くない、と呼んだのだ。

小学校6年の2/3を不登校で家にいて、中学もせっかく受かった学校に、2ヶ月間で7日しか通えなくて、やむをえず公立校に転校して、峠へ来ていた。
ようやく毎日来るようになっていた。
なぜ?と思うのがあたりまえ。
それなのに、親の危機感の無さは唖然とするほどで、「別に特別な理由はないんですが、みんなと同じに夏休みがあった方がいいかと思って。」
長い休みの後でつまづくという経験を何度もしてきて、この寛容さ!
のんきさ!
本当はもっとミソクソいいたいんだけど、おとなだからここはガマン。
「それじゃァ、休み中のことや、9月からのことは、親が責任持ってくださいね」とや・さ・し・く言ったけれど、多分通じてないと思う。

こりないというか、学習しないというか、とにかく見上げたもンだよねー。

私は、彼は発達障害ではない、と見ている。
多分育った環境のせいで、精神的に伸ばされていない部分があるのだろうと・・・・・・。
やっぱりね。
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2009年7月16日

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今、化石を発掘している考古学好きの気分。いや、「好き」というのはちょっとちがうな。
7月8日に、NPO設立申請書が受理されて、これから3ヵ月後ぐらいに認可が降りるそうだ。その長い3ヶ月を、のんびり待って過ごせるかというと、そうはいかない。
創立者が死去したあと、頼まれるがままに峠工房を続けてしまって、どーーーーしても必要に迫られたこと以外はほったらかしにしていたから、この建物を法人に(私が)寄付するための、さまざまな、そして、まことに面倒な諸手続きがドッチャリ控えている。
それに関する書類を探し出したり、まったく記憶にないものの記録をあたってみたり、工事会社に問い合わせなければ、どうにもならないものもあったりで、さながら化石の発掘・調査をしている気分なのだ。しかし、自分も化石時代から生きてきているのだから、私ってシーラカンス?

一番いやなのは、相続関係のこと。これは大分複雑なことになるので、考えるだけでユーウツだ。
あれこれ遡っていると、突然忘れ去っていたことがムックリ起き上がってきたり、古い記録を見てウームとうなったり、かなり気持ちがしぼむ時もある。
だが、ここは勇気を奮って?でもいやいやながら乗り越えて、峠工房の存続のために働かねばならん、なーんてね、思いつつ、グータラしています。
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皆様には、いつもご協力・ご支援いただき、心から感謝申し上げます。峠工房では、長年の懸案であったNPO法人格取得について、ようやく動き出し、4月から、役所のガイド文書を頼りに四苦八苦しつつ、素人作業で取り組んでいます。結論から先に申し上げると、7月5日(日)に、設立総会を開催できるところまで、たどりつきました。 が、まだ先は長いです。
最初に法人格取得について、協力会会長と話し合ったのが、2003年の新年ですから、もう5年間も何もできずに過ぎてしまったことになります。 「法人にするのだったら、今までやってきたこと全部を網羅して認可されなければ意味ないよね」と話し合ってはみたものの、小泉構造改革が声高に言われて、峠工房のような末端にぶらさがっているところでは、徐々に維持経費に必要な仕事が減っていっていた頃でしたし、和田会長は「はまっ子ふれあいスクール」の仕事に誠実すぎるほど打ち込んで、子ども達からの信頼も厚くいそがしく、また私も日々の訓練、資金繰り、仕事の開発、日常のこまごまとした事務などに追われて、まったく余裕がなく、先の見通しどころではなくなっていたのです。
ご存知のように、峠工房は、知的障害児たちの中学特殊学級卒業後の進路が殆ど閉ざされている地代に、「労働、生活、学習」を三本柱として密接に連携をとり、生まれ育った地域社会での自立を目指す理念で、1969年に障害者教育訓練施設として開設しました。 しかし、理念が法律を超えていて当時の法律に合わず、やむなく認可不可のまま、公的な助成なしで継続していくことを選ばざるを得なかったのです。
そうして、無認可であることのフットワークの軽さやタイミングの良い動き、周辺(地域)への働きかけや、バリアのない行事の実施など、峠でなければできないこと、峠だからこそできること、人間にとって本当に必要なことを追求していこうと決め、「庶民立、なんでもあり法人」などと開き直って、大勢のかたがたに支えられ歩き続けてきました。

2004年頃からは、軽度発達障害児(者)との関わりを深め、2005年から2006年にかけて集中的に実施した個別対応のコミュニケーション教室により、個々の対象者に合わせた教材開発と、臨機応変な指導が、大きな成長を促し、学校教育現場等の集団の中での変容にも繋がっていることに、自信を持ちました。 濃い関係を結んで導き出された以下のような方針により、「生活塾」と改称して、発展、継続しています。
1.コミュニケーション能力を培い、育てる。
2.国語力を磨く。
3.小さな社会体験を積み重ねる。
4.社会で通用する技能を身につけるための支援。
この方針は、コミュニケーション力、言語表現力が弱い子どもが増えているという一般的な状況にもあてはまることなどから、「小・中学生放課後くらぶ」として、居場所提供、見守りを兼ねて放課後支援事業的役割も果たしています。
また自在に対応できるという利点もあり、集団生活を拒むタイプの不登校生の居場所としても利用されています。
1987年以降、1人で何もかも背負うようになってずいぶん長いあいだ、行きづまったら白旗をかかげよう、と、自分1人の問題として相対してきましたが、そう簡単に白旗をかかげられないのが、この仕事の特徴です。 なんとかして続けていけるようにしなければならないという強い思いで、維持費を「かせぎ」、「つぎこみ」それはそれで楽しくもあり、充実感もありましたが、世の中の変化に翻弄された感もあります。
バブルの崩壊やら、仕事提供先が、またたくまになくなったりなど、パンチを喰らい放しで、今まで、松本の個人的借金で凌いできた資金繰りも、先行きが困難です。 個人事業として、できる限りの努力はしてきた自負もあるし、峠工房協力会という支援母体にも恵まれていますが、常に「このままではいけない」と考えていました。
さらに、子ども達から、「オレがおとなになっても、先生生きてる ?」な~んて言われるようにもなりました!
軽度発達障害に対する支援の手薄さ等の事情から、峠工房を頼りにしてくれる人たちも増えています。
園長個人に突発的な何かがあっても峠工房が存続し続け、みんなの未来を見届ける体制づくりを急がねばならないと痛感し、法人格取得に向けて動き出した次第です。
申請書づくりに何が大変かというと、和田会長が主張するように、「今までやって来たこと全部ひっくるめて」認可されなければ意味ないわけで、40年にわたって続けて来た峠工房の業務の内容を、法的枠内にあてはめていくことです。

法人になっても今までと全く同じに(子ども達の支援を)やってもらえるのか、を心配する保護者のかたたちが多いのですが、まさに「今までと同じに」するために苦労しているのです。
法人格を持つことにより、社会的信用度を深め、維持・運営の安定を図るとともに、峠工房の理念、「地域で生きることを中心に据えて、その人なりの自立をめざす教育・訓練、ひとりひとりと向きあった精神的支援」を継続していける体制を実現し、今まで以上に、「ともに生きる社会」があたりまえの社会だという概念を広め、未来に向けて、人材の育成、就労の場というところまで見すえて行きたいと考えています。

というわけで、慣れない事で頭を使いすぎ、脳が活性化されずに半分くさってしまったという次第。
申請書は7月8日に受理されて、認可まで3ヶ月(も)かかるとか。今は少しホッとしてマス。
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